夜の中で戯れる。

 夜が深くなると心が鎮まる。でもその代わり目と意識が爛々とする。硬いベッドの上で赤ん坊のように体を横たえて、目の先にある古びた窓のその向こうを見ようとする。かさついたような窓硝子は、掃除をおろそかにしているから少し汚れている。よろしくない。何処かの誰かが目にしたら、盛大に眉間に深い深いシワを刻み込むだろう。その人には絶対に見せたくない窓だった。
 実は私の後ろには人がいる。同じように体を横たえて、私とは反対方向を向いている。まるで鏡写しような格好で、私たちはベッドの上にいた。声をかけたいけど、どうしようか。寝ているかもしれない。というかさっきから明らかに寝ているだろう息遣いが聞こえるから、寝てるのだろう。小さく息をはき、窓硝子の向こうの黒い空を見やる。ゆっくり起き上がり、私は鏡写しをぶち壊す。窓硝子に掌を添えて顔を近付けた。指の腹に少しザラついた感触。外は暗闇に呑まれていた。ポツポツとある民家の灯りを目で数える。いち、にい、さん、しい。と数えたところで後ろから軋む音がした。少し驚いて勢い良く振り返れば、後ろで寝ている人がうつ伏せ気味に体を捩ったらしかった。ほっとして、そのままその人を何気なく見つめる。短めの黒髪から覗く形の良い耳。スッとした首筋。呼吸に合わせて上下する肩、とか。表情は見えないけど、安心した。なんでだろう。そろりとハイハイでそちらに近付いて、肩に掌を乗せてみた。……起きない。眠りが深いみたいだ。

「……エレンさん」

 そっと名前を呼んでみた。反応は無い。少し淋しい、なんて。規則的に上下する肩はあたたかい。少し力を込めてキュッと握る。……起きない。「ねぇねぇ。」少し揺すってみた。「ねぇねぇ。」……起きない。
 ここで、よろしくない悪戯心が働き出す。ここまでして、起きなかった彼が悪いのだ。そう責任転嫁して、ハイハイのような格好から体をかがめる。少し、顔を覗き込んでみた。いつも強い視線を投げかけているふたつの瞳は閉じられている。結構睫毛、長いのだ。睫毛触って起こしちゃおうかな、と考えたりもしたけど思いとどまる。もっとやりたいことがあるのだ。首筋に顔を近付けて、なだらかなそのラインに、かぷり。

「……ん、? ……?」

 あむ、と少しチカラを込めて噛んでみたらなかなか覚醒しなかったエレンさんがハッとしたのが雰囲気でわかった。そして固まった。私は気を良くして噛んでいた場所から一度口を離して、ほんのり付いた噛み跡を舐める。舌先に反発する筋にお腹の中が熱くなった。数回舐めたあと、ちゅっと音を立てて噛み跡の真ん中にキスをしたらギュッとその場に顔を押さえつけられた。とうとうエレンさんは私を止めた。止めたのは良いけど、押し返すのではなくて彼の首筋に頭を押さえつけられるというなんとも云い難いもので。もっと噛んじゃうよ?良いの?

「なっ、なにしてんだ……!」
「(もごもご)」
「……」

 私が喋れない理由がわかったのかエレンさんは私の頭から手をどけてくれた。最後にもう一度噛み跡の真ん中にちゅっとしたらバッと首筋を押さえて身を起こしてしまう。彼の顔は赤かった。

「だから!なにしてんだよ!」
「……触りたかった」
「……普通に触ったら良いだろ?」
「普通じゃつまらないもん」
「……あのなぁ」
「起こしたよ?エレンさんのこと。でも起きなかったし、そんなにぐっすりスヤスヤなら、起こしちゃアレかなって思って。」
「結果的には俺は起きたけどな」
「一瞬固まったエレンさん可愛かった」
「……!」

 またカッと赤くなって目を見開いた彼に私は笑う。掌を自分の口元に持っていってあまり声を出さないようにして笑っていたら、ムスッとしたエレンさんが私の肩を掴んだ。そのまま押されて硬いベッドに倒れた衝撃で目を瞑ってしまって。あまりなにも考えないまま目を開ければ、黒の毛先がチラチラと視界に入った。ひゅ、と息を飲む。自分の首筋に、熱い息を感じる。

「……」
「……」
「……あの、さ。」
「はい」
「……なんか、しないのか?」
「なんかって?」
「……抵抗、とか」
「エレンさんってそんな趣味あったの?知らなかったなぁ」
「ちっ違、!ない!そんな趣味ない!」
「わかってるよ。それに私、抵抗なんかしない」
「……」
「こうなるのを、待ってた」

 こうなったら良いのにな、って待ってた。
 お留守だった両手を、私の上に居るエレンさんの背中に回そうとしたけど、肩を掴まれたままの方はそう行かずに、とりあえず片手だけを実行した。無駄な肉なんか無い頼りになりそうな背中をポン、ポン、と二回優しくたたいたら、ガクリとその背中の持ち主がうなだれた。体からもチカラを抜いたのか、もう私の上に乗っかっている。この圧迫感が愛おしいとか思いながら、おやおや、どうしたの。その意味を込めて彼の背中を撫でたら、くっと首筋に小さな衝撃があった。あ、これは、まさか。

「お前はすげーな」

 音なんか立てずに私の首に唇を押し当てたエレンさんはそう呟いた。それがどういう意味なのかわからないけど、私は褒められたのだと嬉しくなって「ありがとう!」と声を張って、うなだれ中の彼を片手で抱きしめた。ついでに脚も絡ませて。
 さてと。そろそろミカサさんが来るかな。それまでに彼から離れて、彼の真っ赤な顔を冷まさないといけないな、とそう思ったけど、なかなかどうして、離れ難いものだ。



夜の中で戯れる。
(2013.5.17)
BGM:眩暈/鬼束ちひろ
エレンさんが偽者すぎて口を閉ざした。
- ナノ -