匪口さんまた19歳。企画


※書き手が喫煙者ではありませんので、煙草に関して間違った内容があるかもしれません。あらかじめご了承ください。



「嘘だ」
「何が?」
「君が新芽色のあの服じゃないなんて」

 私が世界の終わりのようにそう呆然と口にしたら、匪口は眉間にシワを寄せて心底面倒そうに「なにそれ。」と云った。失礼だ、というようなプライドやらから来るものではなく単に「何云ってんのこの人」という私の発言に対する理解の値から来るもののようだった。その値の低いこと低いこと。私は腕を組んで午後出勤して来たばかりの彼を通せん坊して頭の先から足の爪先までを舐めるように見回す。だって。だって、だ。

「なにその、黒い、とっくり」
「……とっくりって。」
「しかも萌え袖。しかも黒いジーンズ。なにそれ!なにそれ!暑くないの!」
「云っとくけど萌え袖狙ってはいないから」
「誰も狙ってるかどうかなんて訊いてないし」

 淡泊に返したら「はぁ!?」ととうとう匪口は苛々し出した。あまり怒らせると微妙に陰険な仕返しが来るので「まぁまぁ」とたしなめる。たしなめ方が悪かったのか「あんたにまぁまぁなんて云われる筋合いないんだけど」と眼鏡を額に上げながら云われる。今日の彼も元気に丸いのにつり目がちでありました。
 匪口はひとつため息をついて私の横をすり抜けて自分のデスクへとついた。自分も彼の隣のデスクへついて、まだ問い詰める。一応昼休憩中なので大丈夫な筈だ。

「で、なんでいつものあれじゃないの?」
「…………別に。」
「やだ匪口、もうエ●カ様節は流行らないよ多分」
「いやいやいやそれも狙ってない。狙ってないから」
「だから狙ってるかどうかはどうでも良いよなんで新芽色じゃないの」
「たまに怖いんだけどあんた」

 デスクが隣なのを良いことに、いつもと違って黒いシルエットな匪口は椅子を左に90度回してこちらに向く。その椅子にかったるそうに浅く腰掛けた彼はなんとなく新鮮で。私はデスクに頬杖ついて右を見る。こちらの態度が少し悪いけど気にしない。おそらくあちらも気にしてないから。あちらは途端眉間にシワを寄せて苦々しい表情になり、そのまま口を開いた。

「……引っかけたんだよ」
「……引っかけた?」
「昨日の帰り。公衆トイレ、いつもなら絶対、ぜっっっっったい使わないんだけど急を要したから仕方なく入ったわけ。……個室のドアがボロくて気をつけてはいたんだけど、狭かったから服引っかかって。」
「……ビリッと?」
「ビリッていうか穴空いてそこから変なシワ?が出来た。」
「あー……」
「もう一生公衆トイレなんか使わないと決めたね本当にさ」
「それでその服ね。でもまぁ、怪我しなくて良かったじゃんか。……ふーん。」
「なに、憐れな俺に何かくれんの?やっさしーなぁ」
「君はやっらしーなぁ。何もくれてはやらないけど」

 なんだよ恥をしのんで話したのに、と半目気味に話す匪口をじっと見つめる。……ふーん。知らず知らず上唇を尖らせた。

「……匪口お昼食べた?」
「まだ。でも食わなくても腹はそんな空いてないから良いかなって、」
「馬鹿。午後頭回んないよそんなんじゃ。はいコンビニ行くぞー」
「は、なに。え?」
「自慢の服がおじゃんになっちゃった傷心中の匪口くんにやっさしーお姉さんが奢ってやるって云ってんの。コンビニだけど」
「……あの服自慢ではなかったんだけど、まぁそーいうことで。コンビニ万歳。ゴチになりまーす」

 調子の良いいつもの匪口が見れたから、私は財布を鞄から取り出して歩き出す。なんとなく、安心した。いつもと違う彼に噛み合わない何かを感じて、妙に焦ってしまっていたから。



▲▽▲



 警視庁の喫煙所はいつしか肩身の狭い存在となった。世の中は愛煙家に優しくない。煙草税はかさむ一方だし、そこら辺の飲食店は完全禁煙も多くなった。少し昔を振り返れば、1箱100円しなかったのに。

「いや、君それ産まれてないでしょ」
「だって、その時代が羨ましくて」

 笹塚さんとは喫煙仲間で、この警視庁の端っこの喫煙所でばったり逢ったときはぽつぽつ会話する仲となっていた。私もなかなかの愛煙家だけど笹塚さんには負ける。勝とうと思ってはいないけど。本日も、細かい仕事の連続で頭がパンクしかけたところ小休憩の為に出向いた喫煙所で笹塚さんとばったり出逢った。喫煙所に設置されてる背もたれのやたら低い椅子に腰掛けて煙草をふかしていた彼の隣に会釈をした後ドカッと座って、煙草入れとして使っている唐草模様で長方形のがまぐちポーチからライターと煙草一本を取り出す。煙草をくわえて、カチ・カチッと2回目のプッシュで点いた100円ライターの火を煙草の先に近付けた。肺によろしくないものを吸い込んで、ふーーーーぅ。

「あー不味い。」
「……やめたら?煙草」
「笹塚さんもやめたらどうですか、煙草」
「俺は良いの。」
「なんですかそれー。なんかずるい」
「あー……ほら、俺はもうこれがキャラクターみたいなもんだから」
「まぁそうですけど」

 ふーーー、と笹塚さんも白くて健康によろしくない煙をゆるやかに吐き出す。横から見つめて、思う。笹塚さんは煙草が似合う。別に、少し前に流行ったちょいワルなんとかではないけれど、これが笹塚さんだ、というイメージやら固定概念やらなんだろう。(そもそも30代前半で“オヤジ”は少し早い気がする。)何処か遠くを見つめて、無駄な動きひとつ無く煙草を嗜んでいる。これが彼。これが笹塚さん。何かが噛み合って、私は嬉しくなった。

「……俺の顔に何か付いてる?」
「え、あ、すみません。いつも通りの眠たそうなお顔でいらっしゃいます」
「……それはどう返したら正解?」
「いやとくに正解とかは無くてですね……」

 たはは、と覇気の無い笑いを零してから喫煙所の入口にいつの間にか人が居ることに気づいた。喫煙所の入口は、椅子に座っている自分の目の前にある。真正面だ。笹塚さんを見ていたとはいえ、気づかなかった自分に驚いてしまう。その人は本日自慢の新芽色……じゃない服をお召しの眼鏡少年で。彼は無表情でこちらを見つめている。私を見ているのか、それとも笹塚さんを見ているのか定かではないのに、急に居心地の悪さを感じて腹の中がこそばくなった。人差し指と中指に挟まれた煙草の火がジジッと燃えた音がきこえる気がして。そして思う。――――逃げたい。
 笹塚さんもたった今匪口が喫煙所入口に居たことに気づいたかのように口を開く。

「……匪口。珍しいな、こんなところに」
「あぁ、ちょっとね。」
「……あれ、お前いつもとなんか違、」
「私そろそろ戻りますね。また此処でお逢い出来たらよろしくお願いしまーっす」

 ざりざりと共同灰皿の丸い穴だらけの蓋に、まだそんなに減ってない煙草をなすりつけて中に落とす。即座に立ち上がって、黙ってこちらを見る笹塚さんに会釈してから匪口の脇をすり抜けてその場から立ち去った。これはこれは、わざとらしい。明らかに匪口が来たから出て行きましたと云ってるようなものだ。ヒールのかかとを五月蝿く鳴らしながら、とりあえず自分の巣(情報犯罪課)に帰ろうとした。したのに。脚を前に踏み出せなくなった。スーツのジャケットの後ろ襟、何かに後ろへ引っ張られている。察しなんてついてる私は顎を引いて少し力のこもった声で云う。

「……匪口、何?」
「ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「後で良い?私今日中にやらなきゃいけないことがあるの」
「大人の云う“後で”っていつまで経っても“後”だよね」
「……からかいたいだけなら永遠に“今”は来ないんだけど。」
「そっちこそ、はぐらかすだけなら強行突破するんだけど?」

 何だって?と思った頃には情報犯罪課の横にある倉庫代わりに成り果てた部屋に押し込まれていた。本当はそこそこ広いくせに、パソコン周辺機器や過去の資料がひと部屋に積まれていては広さなんて感じられない。換気をされていないこもった空気に眉間にシワが寄ると同時に焦る。なんだか、この“空気”はいけない気がする。この部屋のではなく、この匪口が醸し出してる“空気”が。彼が外の様子を気配で伺いながら部屋のドアを閉めて内鍵をかけた瞬間、背中が冷えた。喉が詰まる。何か云わないと、と思って出した声はそれはそれは情けないかな、弱々しくて小さな声だった。

「……これが、強行突破?」

 思わず後ずさりする。全てが自分に取ってマイナス要素でしかない行動に思えて仕方なくて、自分の足元を眺めた。ホコリだらけ。ざり、と砂なんてない筈なのに靴底が音を立てる。そもそも何でこんなに焦っているんだ。そんな必要ない筈なのに、こんなにヒヤヒヤしている。自分の不可解な気持ちに、匪口はちょっかいを出す。

「そうそう、強行突破。ねぇ、なんで俺がこんなことするんだって思ってるでしょ?」
「……なんで。」
「その顔。あと、なんでこんなに自分が追い込まれてるんだって思ってる?」

 鍵をかけたドアに寄り掛かって腕を組んだ匪口がニヤニヤしている。こいつこんな表情出来たのか、とか今はどうでも良いことを考えて私は現実逃避をする。空気が嫌だ。この部屋のこもった感じも、目の前の少年が醸し出してはこちらを巻き込もうとしているような感じも、全部。心臓の辺り、ジャケットを握り締める。息を浅く吸って、止めて、ゆっくり吐き出しながら声にする。

「……思ってる。匪口、なんか怖いよ」
「そっか。じゃあさ、その俺がこんなことする理由はなんだと思う?そんでなんであんたはそんなに焦ってるんだと思う?」
「…………」

 この質問攻めが余計焦るというのに。解ってて、やっている。こいつは私が余計焦っていることを解っててわざとやってるんだからタチが悪い!眉間にシワが寄って、それを目ざとく見つけたに違いない彼はにっこりと笑って首をかしげた。またそれに焦って、何で、笑ったこの人。

「教えてあげようか?」
「……は。まるで全部わかってるような口ぶりだ」
「解ってるしね。全部ぜーんぶ解ってる」
「嘘つけ。なんで私がわかってないことを他人の君がわかってんの」
「解るよ?」
「いや、だからなんで、」
「いつもと違う服。」

 声がまた詰まる。匪口の目から目が逸らせない。心臓辺りを掴んだ掌に、ぐっと力が入る。なんだこの、これ。

「匪口の服がいつもと違うからって、なに。」
「食いつきがあんまりにも良いからびっくりしたよ。しかもそんな目するんだから面白くって面白くって」
「……どんな目だよ」
「なんていうか、物珍しいもの見るような、ちょっと探ってるような目?ねぇ、何て思った?」

 今日の匪口結也を見て、何て思った?
 それはそれは楽しそうな匪口に腹が立つというより戸惑ってばかりの私は、まるで誘導尋問されるように思ったことを口にしてきたけど、ここでこいつに全部を吐き出してしまうのは癪になって、ここは一つまがい物の言葉を選ぶことにする。それにはとても勇気が必要で、腹筋に力を入れて足の裏でしっかりと床を踏んだ。彼より大人なんだから、出来る筈だ。

「答えようか。……君に黒は似合わない。変に大人ぶっちゃってるみたいでなんかおかしい。私がさっき逃げたような行動だって、笑っちゃいそうだったからだよ。失礼でしょ?空気を読んだの。なのに君はその私の優しさを無下にしたんだ」
「……それだけ?」
「……は?」

 今まで背中をくっつけていたドアから離れて、一歩・二歩とこちらに近付いた真っ黒な彼は前屈みになって、体内が真っ白になったような気分の私の目を見て、同じようにまがい物の言葉を吐くのだ。

「あんたって、嘘がお上手ですね。」

 そういう君は、わざとらしくてわかりやすい。そんな風に思ってなんかないくせに。



終。
(2012.9.5)
匪口結也さんってばまた「19歳」。
お誕生日おめでとう企画に参加させて戴きました。初めての企画参加です。全然お誕生日祝ってないお話ですが久しぶりに書けた匪口さん、楽しかったです。おめでとうございます、匪口さん。
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