答えは全部教えてくれる。

※七松が大人しいです。



「ねーえー、ななまつー」
「んー?なんだ?」
「なんで月は欠けてってまた満ちるの?」

 彼女は随分と酔っているように見えた。でもそれは違って、単に睡魔と戦っているだけであった。まどろみの中を行ったり来たり、目は半分ほどしか開いていなかった。お互い薄い着流し一枚で灯りのない夕方、畳の部屋。障子を全開にした縁側の傍で胡座をかいた七松の脚に、前から右の腿に耳を当てるようにして彼女は横になっていた。七松に背を向けて。

「それはな、前に長次が読んでいた南蛮の本に書いてあったぞ。大蛇から女の子を助けようとした月が身代わりになって喰われ、でも月は食べ物ではないから吐き出した大蛇が、月の不味さを忘れてまた喰らう。それを繰り返しているらしいぞ」
「あららー、蛇あたまわるいなぁ」
「あはは、そうかもなァ」
「あーねぇじゃあさ、なんで梅雨の時期の雨はしとしと降って、秋の時期の雨はざあああああって降るの?」
「それは、お天道さんが梅雨の時期機嫌が良いんだ。だから優しい雨なんだ。で、秋は嫌いらしい。嫌いだからあんなに怒ってるような雨なんだ。」
「へー……。結構我が儘だねぇ」
「お前だって、不機嫌なときは何事も荒っぽくなるだろ?」
「んー、まあねー」

 七松は大人しかった。いつもの彼から想像出来ないほど、じっとしていた。きっと紫の忍び服の彼がこの彼を見たら、驚いて、絶句して、ひっくり返るかもしれない。それほどに、此処に居る七松はとても大人しく、そして大人のようだった。伏し目がちに、自分の脚に頬を寄せてまどろむ彼女を見おろす。女子特有の柔らかい肌と良い香りに自分も睡魔に襲われそうだった。でも意識からそんなものを弾いて、彼女の髪を片手で梳く。そして頭を撫でた。彼女は文字におこせないような声を出してイヤイヤをする。眠気がピークのようであった。

「あぁーだめ、寝ちゃう、やめろそれななまつ」
「なんで。良いじゃないか、なぁ?」
「あぁーねぇ、じゃあさ、じゃあさ」
「……ん?」
「ななまつ今なんでそんな落ち着いてるの?」

 七松は彼女の頭を撫でていた手を、首の後ろにおろす。髪をゆるくかきわけて肌に触れる。彼女は少し身じろぐ。いつもより可愛げのある反応に、それを見て薄く笑みを濃くした彼は「んーそうだなぁ、」と云って一度言葉を切る。勿体振ったような態度に彼女は七松の膝をはたいた。「にやつくなっ」ぺしっ。情けない音がした。それだけ力の入っていない威力ということだった。

「なんだ今の」
「私が手加減してやったのさー」
「ほーお?」
「なるほど、きみは、私を馬鹿にしているね?」
「馬鹿になんかしてないさ、少しだけからかってるんだ」
「それ、馬鹿にしてません?」
「してないしてない」
「なんか、腑に落ちな、ふぁああぅあ」
「盛大な欠伸だなぁ」
「ねぇじゃあさいごのしつもんだ」
「さっきのは良いのか」
「良い。だってななまつ腹立つ」
「それはすまないな」
「ねぇしつもん」
「はいはい、なんだ?」

 そこで彼女は少し黙る。彼女は七松に背を向けているから彼から彼女の顔は見えず、彼女から七松の顔は見えない。でも彼女は七松が今どんな表情なのかが解るようであった。だから七松は少しだけ悔しかった。彼女にわかって自分はわからない。優劣とかの問題ではなく、単に悔しかった。これじゃあ構いきれない。
 彼女が小さく息を吸う。肩に力が入るのが、彼の脚が感じ取った。

「なんでヒトって簡単に死ぬのかなぁ」

 畳の目をいじりだした彼女を見下ろして七松は表情を無くす。怒りはない。ほんの少し意表を突かれた。思わず首の後ろに触れたままだった手を肩に持って行って掴んでしまう。「……あぁ御免、何でもないや。」小さく笑いながらそう云った彼女の表情が七松にはやっとわかった。――きっと笑ってるけど淋しそう。―― 在り来りな言葉の並びに、自分の引き出しの少なさを感じる。

「ヒトが簡単に死ぬ理由か」
「いや、御免いいよ」
「目、覚めたみたいだな」
「なんか、そうだね。御免。血の気引きまして」
「私は引いてないぞ」
「うわなんかそんな優しくするな。今はやめろ」
「私はお前に優しくしたい」
「!!!」

 びくついた彼女に七松はにっかり笑う。いつものいけどんな彼の笑顔である。彼女は見ていなくても感じ取る。何故か泣きそうになっていた。目の奥がつんとして、じわり。滲む世界に目を瞑る。

「優しくしないで」
「なんで?」
「倖せ感じたくない」
「あの子に悪いから?」
「…………」
「あの子が倖せになるなって云ったのか?」
「……云ってない」
「じゃあ良いじゃないか」
「不謹慎だ」
「なるほどなぁ」「なにがなるほどなんだ」
「お前は言葉の引き出しが多いな!」
「笑ってんなよ!」
「お前は優しいやつだ」
「……なんだよもうさぁ……」

 彼女は目を瞑りながら泣く。泣きながらいつの間にか眠りにつく。夕方だった外は夜に変わる。月明かりだけが彼らの頼りになる。七松は前屈みになり彼女の顔を覗き見る。月明かりに涙がキラリと光る。ひとつ微笑んで彼は彼女の涙を親指で拭う。

「おやすみ。寝てて良いから訊いてくれるか。私がお前と居るときこうやって落ち着いていられるのは、安心するからだ。大丈夫だと思えるんだ。いろんな“大丈夫”を感じるんだ。例えば、私が此処に居ることを感じられて“大丈夫”。お前が傍に居ることを感じられて“大丈夫”。お前に何かあっても守り通せる自信がある、“大丈夫”。お前が居たら“大丈夫”なんだよ。凄いな。お前は凄いやつだ。だから、」

 だから安心して、おやすみ。



答えは全部教えてくれる。
(2012.4.16)
とある絵本のよみきかせを聴いて、思い付いたお話。
BGM:森へ行く/倉橋ヨエコ
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