シンデレラではいられない。(1)

※ややえぐい表現・有。
※屯所の医務室を捏造しています。



「総悟くーん」
「お前いつから俺のことそんな可愛く呼べるようになったんでさァ。あれか、食中毒か。」
「なんで腹痛でそうなるんだよ。ただちょっと雰囲気変えてみようとしただけですう」
「ハッ、きめェのはその柄悪ィ下着だけにしときなせェ」
「なんでキャミソール着てんのに見えてんだよだいたい柄悪くないもんストライプだもん」
「土方さん訊きやした?名前の下着の柄はストライプだそうです」
「いいいい今俺に話振るんじゃねえええええええ!!」

 だいたいの会話はいつもこんなノリだった。それが私たちの日常で毎日で普通だった。変わることなんてないと思っていたし何より変わることなんて考えたことはなかった。不変だと勝手に思い込んでいたのだ。
 ある秋終わりの寒い日だった。朝方寒気で目が覚めて、もっと暖をと布団の中心へと身を縮こませた時。違和感を感じた。何か、脚の間に。この十代真ん中越えた歳にしてまさかおねしょなどとは恥でしかないと、寝起きで動きの鈍い躰と頭を叱咤してガバリと身を起こしながら布団を勢い良く剥いで。剥いで、私は頭の中が真っ白というより、灰色になった。
 その日を境に、沖田の態度が変わった。



◆ ■ ◆



 今日は駄目な日だった。人間誰しもある不調な日。朝は寝坊して慌てて支度をしたら化粧道具をぶちまけるとか、走って自室から屯所の広間に向かってたら急に廊下の板をぶち抜くとか、剣士の命の刀をどうしてか忘れてくるとか。そういう日は欲張って良いことをしようとせずにノルマ達成だけを考えるようにしていた。でなきゃ余計な負の連鎖を巻き起こすからだ。そんなことをして周りに迷惑をかけてしまった日には胃が痛い。ただでさえ女というだけで、未だに認めて貰えてない隊士が少なからず居るのだから。
 今日は午後休で、お昼を過ぎたあたりであがらせてもらった。外周りから帰って、一緒に見回りをしていた隊士に挨拶をしたあと速攻で厠へと向かった。嫌な予感はしていた。この倦怠感と、下腹部の痛み。だから朝起きてからずっと装着済みだったし、持ち歩いていた。その考えは、正解だった。

「わーあ始まった……」

 うっかり独り言を呟いてしまった。自分以外誰も居ない女子の厠の個室で、誰も見ている筈ないのに思わずキョロキョロと辺りを見回してしまう。そうして便器に座ったまま額に右手の掌をあてる。ため息。はあ。とりあえず、持ち歩いていた物に貼り変えた。
 私の月のものは重い。毎回鈍器で腰を打たれるような痛みと一生続くと錯覚するような下腹部の痛み、時折起こる非道い眩暈と吐き気。あまりに非道いから病院に行っても「出産したら良くなるかもしれないねぇ」としか云われずに、でも痛み止めの薬は貰えたから月のものが来る度使用している。流石病院で出される鎮痛剤。市販のものはあまり効かないけど、処方された鎮痛剤はなかなか効いてくれた。
 厠の個室から出て、手を洗う。月のものが来たと認識した途端気分が最悪になった。今日が午後休で本当に良かった。誰かと一緒に見回りなんかしていたら、迷惑をかけていたに違いない。痛みでふらついたり、最中は気が荒れるからいつもならスルー出来るタチの悪い冗談に突っ掛かっていたかもしれない。蛇口を捻って水をとめる。ポケットからハンカチを取り出して手の水分を取りながら、目の前の備え付けの鏡を見た。顔、真っ白。

「……真っ青、か?」

 血の気がない。これは非道い。女中さんにお願いして、お昼のお肉少し多めにしてもらうべき?なんて考えが出ないくらい、とりあえず引いた。あっかんべーをするように、目の下を引っ張ったら、やはり鳥のささみのような色をしていた。笑えない。
 とりあえず厠から退散して私服に着替えて昼食を、と厠の引き戸を開けて足を踏み出した、時だった。何かが、足に引っ掛かった。隊士たるもの、これくらいでは転んでいられない、筈なのに、私は転んだ。云い訳をするなら、今の躰じゃあ無茶だった。せめてもの受け身で躰を捻って、でも強かに右の腰を床に打ち付けてしまった。バン!そんな音がした。

「――――っ、……う、あー……」

 痛い。いろんなものが。打った腰も。転んでしまったことに対する情けなさにも。月のものの下腹部も。床に押し潰されたような体勢のまま少し動けずにいた。
 いろんな痛みにうちひしがれながらもそりと上半身を床から離したとき、傍に人が居ることに気が付いた。今日はつくづく駄目な日だ。人の気配にも気付けないなんて。でも、その人を見上げて理解する。この人を気付ける筈なかったんだ。本気を出したら、凄い人だから。

「……沖田か。」

 女子の厠の引き戸のすぐ横に、ズボンのポケットに両手を突っ込んだままこちらを見下ろす沖田がいた。相変わらず真顔で、相変わらず顔だけは良い。本当、顔だけは。
 私はゆっくりと起き上がり、隊服の前をパンパンはたいた。女中さんが毎日掃除してくれてはいるものの一応。そうしてもう一度沖田を見上げた。

「一応訊くけど、なにしてくれんのさ足掛けとか」
「…………」
「久しぶりの悪戯にしてはなかなかハードだね。久しぶりだから?今までの分をひっくるめた割には浅いね。いやもっと痛いのが良いとかそゆ意味では決してないんだけど」
「…………」
「……でも厠から出た瞬間はやめて欲しいな。気を抜くないつだって戦場だって昔云ってたけど、ほらもしかしたら厠で既に戦場繰り広げたあとかもしれないじゃんお腹的な意味でね。大変でしょ?その後今みたいに腹に衝撃食らわしたら。おぞましいでしょ?とくに局長とかね。局長お腹弱いから」
「…………」
「…………あのさぁ」

 何か云ったらどうなの。そう云ったら、沖田の瞳が揺らいだ気がした。泣いてるわけではない。何か、迷っているような。私は不思議に思って片眉を歪ませる。

「……どうしたよ、おき、」
「お前」

 私の名前は名前ですけど、なんて前みたいに茶々を入れられなくなって、諦めてから、もう云ってない。だから首をかしげるだけにして、沖田の目を見つめた。沖田は、私を呼んでおいて何も云わない。だいたい、こうやって悪戯されたことが久々過ぎてどう対処したら良いのかわからない上に、何故今なのか問いたい。打ち付けた腰から下腹部が痛い。立っていることすら正直辛い今、早く云いたいことは云って欲しかった。まだ昼間ということもあって屯所内の電気はほぼ消えている。だからこの厠前も勿論薄暗く、それが私の気分を少し落ち着かせていた。この血の気の無さも紛れて一石二鳥だって、そうやってポジティブに考えを巡らせて意識を保つ。それくらいしていないと、まずい。でも、あぁ、もう駄目だ。

「沖田御免あの、早く、云ってくんないか」
「……え」
「あの御免もう、む、り」

 世界暗転。



◆ ■ ◆



 女なんか辞めてしまいたいと、思ったことは数知れず。理由は様々。沖田と、十の頃くらいまでは同じくらいの身長・体重・体格・出せた力も、それくらいを越えてからまざまざと差が出来てしまった。比較対象が近くにいたから尚更。沖田は、私の身長を抜き体重を抜き、出せる力もさっさと抜いて行った。体格も、沖田はどんどんがっしりして行ったのに、私は丸みを帯びて行った。鍛えが足りないんだと躍起になっても、それはあの日をターニングポイントに認めざるを得なくなった。私は所詮“女”だと。局長や副長や他のみんなと違う弱っちい“女”だと。何度も、囁かれた。「お前は女なんだからそんなお転婆はやめてもっとおしとやかに生きた方が良い」「お前は女なんだからこんなお上から武器としか見られていない場所ではなく、事務処理などの平穏な部署に異動した方が良い」「お前は女なんだから警察など辞めて嫁にでも行った方が良い」うんざりだ。でもみんな、私の事を想っての発言だった。でも私は此処を離れるわけにはいかないんだ。此処は私の居場所なんだ。そして、沖田が居る場所なんだ。そんな場所、離れたくなんかないんだ。

 ……。

 でも、もう沖田は前みたいに接してはくれない。一緒に馬鹿やってくれない。声をかけてくれない。笑ってくれない。喧嘩してくれない。くれない。くれない。じゃあ、もう、私、どうしようもないじゃない。

 ……。

 目を開けたら、木目に不気味な顔みたいなシミのある天井が見えて、ゆっくりを息を吸った。そうしてゆっくりはいて、だんだんと思考が浮上する。そうして、勢い良く起き上がれば、此処は屯所内の医務室だった。場所を理解した途端、勢い良く起き上がったせいで眩暈が起きる。布団に片手をついてうずくまった。気持ちが、悪い。

「馬鹿じゃねーかィ、貧血中にそんな起き方して」

 うずくまった背中側から声がした。ゆっくり顔だけ上げて振り返り、目線だけを背後に回したら、居た。その人は隊長各の人が着るジャケットを脱いだ姿のまま閉めきった障子の柱に寄り掛かってこちらを見ていた。障子から入る弱い逆光と電気のついていない部屋の効果が合わさって表情は少ししか伺えないけど、空色の目がその逆光と相まって、鈍く光った。

「沖田……あんたなんで、此処に」
「運んでやった相手に対して『あんた』呼ばわりとは大した根性だ。礼のひとつやふたつやみっつくらい云ったりくれたりしたって罰は当たらねェだろ」
「運ん、だ?え、…………あ。」

 ぼやけた記憶がだんだんと鮮明になり、思い出す。見回りから帰って厠に行って月のものが始まって凹んで厠を出たら転んで沖田が犯人で……倒れた。そこを運んでくれたのがこの沖田だと。私をすっかり避けていた沖田。でも。

「…………有難う。」
「……いーえ。」

 前の沖田なら「有難う、御座います、だろ?」とか云ったのに。なんて考えてしまったあたりもう病気だ。沖田から視線を外して再び背中を向けた形のまま、うずくまった体勢からきちんと背筋を伸ばす。そこで気づく。……下、履いてない。驚いてブラウスと腿の境目あたりを凝視して固まる。そしてすぐに頭が切り替わり、自分の腰の下、白いシーツを確認した。腰を浮かして、安心する。そこは綺麗真っさら白かった。静かに鼻から短く息をはく。

「お前」

 肩が揺れた。デジャヴ。倒れる前の、あの沖田を思い出す。泣いてなんかないのに瞳が揺れた、あの。
 躰を布団と平行になるようにきちんと向きを直してから腹辺りまで掛け布団をたくしあげて沖田を見る。逆光は相変わらず彼の表情を隠すけど揺らぐ瞳はありありとしている。空色が揺らぐ。滅多に見られるものではないでしょう。
 沖田は障子の柱から一歩、こちらに歩み寄った。私はそれだけで何となく怖じけづきそうになる。まるで逃げ場がない。出口は沖田の背後の障子だけ。小さな窓はあるけど、そんな窓から逃げる俊敏さ、今の私にはない。掛け布団を握りしめてあと大股3歩ほど先に居る沖田を見上げる。彼はこちらを目で見下ろす。薄いくちびるを開く。

「お前、女なんだな」
「……は……?」

 しまった。と思いながらも今の反応はそんなに間違えていないと思う。うっかり眉間にシワを寄せれば、一歩近づいたことで少し見えるようになった沖田の顔も、片眉を歪ませて眉間にシワを寄せた。でも彼の方は私の感情と違ってまだ何かに迷っているからのようだった。

「沖田私のことなんだと思ってたの」
「生き物」
「あぁうん御免ね訊き方が悪かった。私の、性別を、なんだと思ってたの」
「だから性別とか、そんなこと気にしたことがなかった。お前はお前だって、それしかなかった。それが」

 お前“女”なんかになるから。
 沖田はそう云って一気にこちらに歩み寄って、私が心の支えのようにしていた掛け布団を剥いだ。外気に触れた素足を、沖田は布団を持ったまま見下ろす。私は慌ててブラウスの裾の方を出来るだけ引き伸ばした。



- ナノ -