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緊張するとぷっつり黙りこくる人間の私は、緊張していないように見えるようで、あと少しで始まる色の授業にハラハラヒヤヒヤしまくっているというのに「あんた楽勝そうだよね」と云われてしまった。いやいやふざけるな。物凄い緊張しまくってるってば。そう云っても何故か鼻で笑われてしまった。何故だ!そう友達につっかかろうとして、思い止まる。今の格好を見返して、ため息をついた。この上品そうな着物のままで突進しては駄目だ。腹の中がもやもやした。
色の授業の一環で、街に出て男を一杯ひっかける。そしてそこの代金をすべて相手に払わせ、笑顔で別れる。これを成し遂げなければならない。今から。
こんなに空は晴々としているのに、私の気持ちはちっとも晴々となんてしていなかった。こんな公開処刑さながらの授業、ましてや見ず知らずの男性と一緒に昼間から酒をあおらなければならないなんて。
「別に酒あおらなくても良いんでしょ?普通にたしなむ程度ってやつで飲めば良いじゃん」
「かかか勘さんそれで良いわけないじゃない。だって私から誘うんだよ?誘った側がちょびちょび飲んでたら何か変じゃない?」
「あー、なるほど」
昨日の夕飯中。同じ委員会だからか気づいたらそこそこ仲良くなってた尾浜勘右ヱ門に少し相談してみたらこう云われてしまった。まぁ一理あるかもしれない。でも私の云い分も理解出来るようで勘さんは「なるほど」と云って箸の先を前歯でやんわり噛んでいた。私はみそ汁をすすすと啜る。今日はもやしが入ってる。
「でもそこで名前が酔っ払っちゃあ意味ないよ」
「そうだけど……」
「どうすんのもし名前の方がべろべろになっちゃって相手の男が下心と下半身に忠実な男だったら。」
「…………」
「ししし下心とかかかっか下半身に忠実てなななんつー話してんだよ食堂で!」
「ハチ声でかいよ!なんでそこで食いついてくんの!」
「ちちちげーよ!たまたま通った時にたまたま聞こえたんだよ!」
「だからって何でそこ抜粋して叫ぶかなぁ!」
「……勘さん私行くね。」
「えっあっ、名前!」
私は最後にとっておいたほうれん草のおひたしを口に入れて大事に咀嚼して飲み込んだあと、勘さんを見ないで云った。勘さんの云ってることはちょっとうたぐり深過ぎる気がしたけれど、でももしかしたら頭に置いておかないといけないことかもしれない。気がした。(私がトレイを食堂のおばちゃんに返しているとき、勘さんの席の方で「ハチのせいで名前が引いてたよ」とか聞こえたけど別に私は引いてはいないけど誤解を解くのが面倒だったのでそのままにした。)(あと私はハチさんを知らない。)
そんなこんなでもう少しで始まる色の授業。もうほとんどの、同じ組のくのたまが集まってる。私は空を見上げる。相変わらず綺麗に青い色をしている空。私はこのあとちゃんとべろべろに酔っ払うことなく相手の男性に変なことをされることなく授業内容をきっちりやりきって忍術学園に帰ってくることが出来るのだろうか。変なことって、そんな私みたいに芋っぽい地味な女に、あるわけないだろうけど。と考えて地面に視界を変えて右手の指を顎に添えた。変なこと。変なこと。変な、こと。もしかしたら勘さんが云っていたような下心と下半身に忠実な男というものは、こんな芋っぽい地味な女でも大丈夫なんだろうか……。と考えて、考えて、考えて。
バッと顔を上げた私に先程「余裕そう」と云った友達が隣でギョッとした。「なに、どうしたの」と恐々訊いてきた彼女に私は興奮したまま少し大きめの声で云った。
「ちょっと、挨拶してくる!!」
「え!?何に!?」云った友達の声はもう、興奮と混乱の状態の私にはきこえていなかった。
基本的に、くのたまはにんたま長屋に無断で入ってはいけない。逆もまた然り。どちらかと云えば、にんたまがくのたま長屋に無断で入ってしまったときの方が、えぐいことになる。それについては何も云うまい。
なのに私は、それを知っていながら、学園内ではやたらと目立つ綺麗な着物を着たままにんたま長屋をバタバタと走っている。先程すれ違った3年生くんは私を二度見していた。ばれてしまったけど当たり前である。だって、ただ走っているだけだから。くのいちの卵らしく忍び込むのではく、ただ長屋の廊下を走っている。頭の中が、先程悶々と考えていたことで溢れて混ざって爆発してる。何回も何回も。内容はこう。「下心と下半身に忠実な男は芋っぽい地味な女でも大丈夫かもしれない。だから私は今のうちに、今までこっそり想いを寄せていた人に挨拶に行かなければならない。」正直意味がわからない。意味がわからないけどその意味がわからないものに、今の私は突き動かされていた。にんたま長屋の5年生の部屋の前に差し掛かったとき、突然障子が開いて中から人が出てきた。私は勢いそのままその人にぶつかった。
「ぅわあっとォ!!」
「!!」
ひどく驚いた声をあげたその人は、私の勢いを見事に受け止めてくれた。倒れずに私の躰も支えてくれたその人は、こちらの顔を確認した瞬間またびっくりした表情をした。
「えっ、名前なにしてんの!?授業もう始まるよ!?てか此処にんたま長屋だけどななななにしてんの!?」
「か、かかかかか勘さん」
「うわ、え、ていうか大丈夫!?凄い顔赤いけど……なんか躰熱いし」
「わ、私行かなきゃ!行かなきゃ!」
「どっ、何処に!?学園の門はあっち、」
「七松先輩のところに行かなきゃ!!」
私の進行方向とは逆の方を指さした彼の、私の肩を支えるように添えていた手に手を添えて、大きな声でそう云った。勘さんは眼を見開いた。そのまま不思議そうに首をかしげる。少し可愛いと思ったけれど今の私はそれをさらっと意識から流した。まだ興奮と混乱は抜けない。その場で足踏みをした。急がなきゃ。そんな気持ちを躰で表す。
「か、勘さん!私行かなきゃ!」
「え、え、ちょ、待ったなんで七松先輩のところに?」
「私これからいいい色の授業だから!」
「いやいや色の授業と七松先輩のところに行くのに何の繋がりが、」
「勘さん云ったじゃない!下心と下半身に忠実な男もいるって!だから私は芋っぽい地味な女だけどそれも大丈夫な人ももしかしたらいるかもしれないからそれはだからもし私がべろべろに酔っ払っちゃったりしたとき万が一太陽が西からのぼり始めるくらいの確率で下心と下半身に忠実になられてしまったとしたら大変だから今のうちに七松先輩に挨拶に行こうと、」
「ちょっと待った!!!!!!!」
「んぐう」
勘さんが、私の口を自身の手で塞いで大きな声で待ったをかけた。途端私の気持ちはぷすんと沈み始める。お祭り状態だった頭の中は、水をうったように静かになり始めた。かっかとしていた躰の熱が、しゅんと冷めはじめる。急に肌が涼しくなった。少し前のめりになった勘さんは口を真一文字にして冷や汗みたいなものをかいてる。私ははじめ肩に添えられていただけだった彼の手がいつの間にか掴む形になっているのを、彼のその手に添えていた掌と掴まれている肩で認識した。勘さんは私が落ち着きはじめたのを確認して、ため息をつく。はあ。
「……名前、落ち着いた?」
ひとつ頷くと、勘さんは私の口を塞いでいた手を外す。ふわりと外気に触れた唇はもうあんなにぺらぺらと動かなくなった。普段、あんなに動いたことはない。明日か、もしかしたら今日の晩には、口の筋肉が筋肉痛になっているかも、と思った。
「……で、なんで貞操の危機が危ぶまれたら七松先輩に挨拶行くのさ名前は。」
「…………なんで私が……その、まだなの知ってるの?」
「…………勘。」
「……勘さんだけに?」
「ふざけてないで質問答えてよ……!」
「、ふ。」
思わず私は吹き出してしまった。勘さんが少し頬っぺたを赤くして云うものだから。とうとう我慢出来ずに、ふふふと笑ってしまったところで、勘さんに掴まれていた肩にまた力が込められたことを感じる。ふいと見上げた勘さんと眼があった。なんとなく、揺らいでる気がする彼の眼。ゆらゆら。泣いてなどいないのに。
「……勘さん、あの、」
「、もう授業始まるから名前は門に戻りなよ」
「…………そうだね。七松先輩、部屋に居なさそうだ、し」
「うん、ほら。もう本令、なるよ」
くるり。勘さんに躰の向きを変えられた私はそのまま、彼に優しく背中を押される。とん、と。振り返ろうとしたら「それから、」と言葉を投げ掛けられて、振り向けなくなってしまった。なんとなく、こちらに向くなと云われたような気がした。動きが止められたまま、言葉の続きを待っていたら、本令が鳴った。ヘムヘムの、頭突きの鐘。それをなんとなく遠くに感じながら、鐘の音と重なるように背後から勘さんの声がきこえて、私は走り出す。返事はしない。なんとなく、なんとなくだけど、彼のその言葉に隠れている気持ちみたいなものに気付きそうになってしまった、から。
行き止まりの人。
「ねぇ、君は綺麗だよ。」
(さっき君は自分をまるで駄目なように云ったけれど、)
(君はとても綺麗だよ)
終。
脳内BGMは『嘘つき造花』初音ミクさん
おかしいな、最初七松のお話だったのに。
(2010.11.14)