たたかえおんなのこ!という言葉を何処かで訊いた気がする。だからというわけではないけど、私は多分一世一代の勝負に出ているくらいの緊張をしていた。いつも通りのセーラー服に灰色のカーディガン。黒いハイソックス。上履き。少しのマスカラと薄く乗せたファンデーションだけのお化粧。残念ながらいつも通りの装備で、やや端っこのクラスの私が、端っこのクラスのあの人へと勝負に出た!

「ぅお、おきたくん!!!」

出だしは見事につまづいた!何故か発音が「O」ではなく「Wo」になってしまった。あぁ、可愛いげってなんだっけ。ちょっと辞書引いてきます。と逃げたい気持ちをぐぐぐと抑えて、昇降口から入ってすぐの上履きに履きかえるマットの上で私は先程の言葉を半ば叫んだ。朝っぱらから大きな声。眠たい人には迷惑な声量で名前を呼ばれた当の沖田くんは「、はい?」と飄々としたままこちらに振り返った。彼は今まさにスニーカーから上履きに履きかえてますよ、というところで、スニーカーを自分の苗字のシールが貼ってある下駄箱の中に入れつつ上履きを履いてつま先でトントンとやってる最中だった。あぁタイミングを間違えた。御免なさい。謝りたいけど謝ったところで相手は何のことだかわからない。謝りたい気持ちをぐぐっと抑えて私はカーディガンの裾をぎゅっと握った。そして「?」な顔をしてる沖田くんを真っ直ぐ見据えて、息を吸って。

「おっ!おはよう!!」

い、云ったあああああああもう逃げたい早くこの場から立ち去りたいもう良いよね良いよね良いですよね!ということでくるりと回れ右をして、位置についてよーいどん!とばかりに私は沖田くんに背を向けて走り出、そうとして止まった。いや、ぶつかった。黒いものに。顔面から強打して反動で後ろに尻餅をついてしまった。前方不注意とはまさにこのことを云うのだ。鼻の頭を俯いて押さえて「おおおぉ……」と唸っていると、前方から「お、おい大丈夫か」と少しうろたえたような声がした。俯いていた顔をあげると良く見知った眼が私を見下ろしていた。急な安心感に、変に小さくなった声が口から漏れた。

「うぁ、ひじとしくん……」
「お前その呼び方はやめろって云ってんだろうが!!」
「ひじとしくん御免ね私1ミリも前見てなかった御免」
「ああああああ、それはまぁ、良いから。ったく……ほら。」

私が躊躇いも無くぶつかったのは、ひじとしくん。土方十四郎くんだった。ひじとしくんはギャーンと叫んでもこうやって「仕方ねぇな」と尻餅をついたままの私に手を差し延べてくれる。ため息付きで。ため息ついたら倖せ逃げますよ、と云いたい気持ちをぐっと抑えて(今日は抑えてばっかりだ。)ゆったりわらって右手を伸ばし、

「おはようございやす、ひじとしくん」

がくん、と頭が俯いた。自分の意志ではない。後ろから、後頭部の少し上から圧力がかかって首ががっくんと下を向いた。「ぐうっ」と変な声が出て、私は慌てる。ななな何だ何だ。勢いバッと自分の後頭部へ両手を持って行く。だけど、私が後頭部の圧力の源に触れたと同時に、挨拶をされたひじとしくんはなにか苛ついた声を出した。

「お前、ふざけんなよ……ただでさえこいつにその呼び方で、」
「なんでさァ、ひじとしくん。挨拶をされたらちゃんと挨拶しかえさないと風紀委員の名が廃れますぜ」
「は」
「だからァ、挨拶をしたらちゃーんと挨拶、」
「はよーございます!!!!もう良いだろ!!良いからそろそろそいつ離してやれさっきから蛙が潰れたような声がすんだよ気になるんだよ」
「……ありゃりゃ、こりゃあ失敬。」

私はずっと後頭部の圧力の源に触れたまま首の苦しさに呻いていたら、どうやらきこえていたらしい。ひじとしくんがこの後頭部の圧力の源に教えてくれた。やっと解放される、と思って今まで触れていたものから手を離す。ふわ、と首が楽になる。首の筋に違和感が少しあるけれど、それはそのままにして後ろを見る為に上半身をひねった。気になったのだ。ただ単に。先程の圧力は何だったのか。でも、私は眼を大きくした。

「…………お。」
「あぁ、そういえば俺も忘れてましたねィ。挨拶。おはよーございやす。」
「え。」
「え、って。さっきあんた、俺にでけェ声で云ったでしょ。おはようって」
「え、あ、はい。云いましたね」
「なんでさァ。ヒトゴトみたいに」
「いえ。なんでも、ないよ」

びっくりしたのだただ単に。圧力の源がこの人だったこともだけれど、さらに、だって。私は別に、「おはよう」なんて返して貰えるなんて思ってなかったから。私は別に、そんなご褒美貰えるなんて思ってなかったから。沖田くんに。
沖田くんはきらきらした人なのだ。私の中で。1日の中で1回見かけることが出来たら倖せで、ましてや会話なんて、そんな、贅沢だ。だから、挨拶をして、挨拶を返して貰えるなんて、爆発するしかない。でも此処で爆発したら、ひじとしくんと沖田くんと、あと今まさに登校してきた(私が座り込んでることでとても邪魔になって真っ直ぐ直進したいところを下駄箱を迂回して教室に向かうはめになっている)生徒さんを巻き込むので、とりあえず、この場を去りたい!

「あり、がとう」
「……何が?」
「べべべ別になにも……わっわわわわ私そろそろ失礼するねそれでは!!ひじとしくんも御免ね!」
「あ、ちょ、名前!」
「あ」

危ない頭がパニックを起こしているお神輿担いでる。このままだと何か要らないことを口走りそうだったので私は脚とか腰とかに力を入れて立ち上がる。目の前のひじとしくんがびっくりしたように肩をびくつかせたけど、御免ね今はちょっと無視をします。体育の授業ばりにダッシュを決め込もうとしたところで、がっくんと、躰が後ろに引っ張られた。前に進みたい私は下半身は前へ、でも後ろに引っ張られたことにより上半身は後ろへ。ということで私はまた尻餅を派手につくことになった。べちっ!!ああ、恥ずかしい一分丈のスパッツ丸出しで。そしてお尻だけじゃなくて、右肩もたいそう痛い。理由は、またしても。

「……こりゃあ申し訳ねェ。まさか此処まで派手に転んで戴けるとは。」

沖田くんが私の右腕をしっかりと掴んでいらっしゃいました。仰ぎ見た沖田くんは少しだけ驚いている、の、かわかりにくいけど、多分そう。綺麗な空色の眼がいつもより少し大きい。

「おま、おいすげェ音したけど」
「…………え、あ。御免なさい汚いもの丸出しだ」
「あんた冷静ですねィ。普通ならキャーの一つくらい云ってみたらどうです」
「いたたた肩いたた……え、あ、キャー……?」
「んんん、そんな棒読みで疑問形じゃそそるもんもそそらねェや」
「お前ら俺のこと忘れてねェか。」
「忘れてませんぜ、ひじとしくん」
「やめろって云ってんだよそれェェエ!!!」

なんだろうこのよくわからない内容があるようでない会話は。とりあえず私はべろんとめくれ上がっていたスカートをそっと左手で直す。右手は、まだ沖田くんに掴まれたままだから。眼でその掴まれた部分をじっと見ていると当の彼は今まさに「あ」と気付いたかのように、掴んでる力を少し弱めた。でも離す気はないのか、やっぱり私の腕は沖田くんの右手に掴まれたまま。少し困って、なんとなくひじとしくんを見上げた。ひじとしくんは少し片眉をあげて「あ?」と柄悪く私を見る。でもすぐに何かに気がついて、沖田くんを見遣った。片眉は歪んだまま。

「おい総悟、名前が肩イテェってよ。離してやれ」
「あらら。じゃあ保健室行きやすか」
「……え、えーあーーーーじゃああの、行ってきます。んで、あの……」

離してください。そう言葉を含んだ眼で沖田くんを見上げたら、沖田くんはいつもの読めない表情でしばし私を見たあと、ひじとしくんを見上げた。ひじとしくんはまた「あ?」と柄悪く沖田くんを見た。さっきから片眉は歪みっぱなし。何だかだんだんこの二人の雰囲気にひやひやしてきた。よく考えたらこの二人はいつも出逢えば戦闘体勢だ。……巻き込まれますね、私。
私はあまりの想定外の沖田くんとの会話とか接触にどきどきしていたのが、この身の危険にさらされていることにより気分のハラハラがまさってそれどころではなくなってしまった。冷や汗。背中が寒い。ずっと座りっぱなしのお尻はとうに凍えている。
そんなことを考えていたら、沖田くんが何故かにやりと、笑った。たまたまひじとしくんから床、沖田くんに視線を移した際に、見た。きっとひじとしくんも見た筈だ。だって沖田くんはひじとしくんを見ながら、笑ったのだから。

「なぁ名前さん、俺が連れてってやりまさァ」
「……え。いや、あの脚は別に何ともないから、大丈夫だよ」
「でも保健室着いてからどうやって自分の肩看るんです?鏡見ながら?めんどくせェ」
「……えっ、あーーーーーーいや大丈夫めんどくないです」
「あーーーーーーいや、の間に一瞬めんどくせェなって思いやしたね。はいじゃあ行きやしょうなんなら担いで、」
「、う、ッうわああぁ大丈夫大丈夫大丈夫歩けるからぁ!!!!」
「、なんでさァ、あんた朝から元気なお人だ」

びっくりした。沖田くんは私を肩に担ごうとして今まで一切離さなかった右腕をあっさり離して、躰を屈めて私の脇腹に手を添えた。瞬間的に沖田くんの肩を押してそれは離れたけど、今までにないくらい彼が、近い。近い。私はそろそろ本当に爆発する。眼が回りそう。目のやり場に困ってあちこちにさ迷わせていたら、思考がぐらんぐらんになったとき本当に視界がぐらんとした。眩暈では、ない。息を、ひゅ、と吸った。

「おら、そろそろHR始まっから、行くぞ」

ひじとしくんが、私を後ろから脇に手を入れて持ち上げた。視界がいつもより少し高い。そして、上目でこちらを見る沖田くんが見える。彼はいつものようにポーカーフェイスで。ひじとしくんは私をゆっくり、廊下におろした。廊下に付いた上履きの裏に何だか違和感。別に足裏が丸くなったわけでも、ないのに。

「……うん。そうだね、私、行くね」

なんとなくひじとしくんに振り返られず。そのまま彼を見ないまま彼の脇をすり抜けた。するり。ひじとしくんからしてはいけない煙草の匂いがした。

「おう。じゃあな」
「お、沖田くんもね」
「……あぁ、またあとで。」

あとで、とは。と、考えてでも私はパニックになってる頭ではまともに考えられずに「うん」とだけ云って、沖田くんの目を見ないで走った。昇降口から近いB組の教室へと。

















「やってくれやしたねィ、ひじとしくん」
「お前本当その呼び方…………、あーまぁ、やってやったって、云やぁ良いのか?」

コイツのこのしたり顔が心底嫌いだ。今だ廊下に片膝ついてる俺を見下してするこの、したり顔。瞳孔開いてるその眼で。俺は多分少し、苛ついた顔をしてる。相手にバレてるかはわからないけど。

「ひじとしくんはどうやらあの人にご執心らしいですねィ」
「ご執心だァ?は、ふざけんなそれはお前だろ。んな顔しやがって」

おっとやっぱり顔に出てたか。でも理由がそれではお門違いだ。

「いやいや何をおっしゃる。俺はあの人と会話すんの初めてなんでねィ。ご執心なんてのは、」
「その割にはなんだよその眼。やべーぞ」

どんな眼してんだ。と思って、ふいに右手を眼前に持ってきたところでさっきの彼女の反応を思い出す。たかだか躰を近づけて脇腹触っただけであの反応。ふ、と笑ってしまう。あれじゃあ、まるわかりだ。俺だってそこまで馬鹿じゃあない。
ひじとしくんをつい、と見上げてゆっくり立ち上がる。目の前の野郎はしたり顔からいつもの冷めた表情に戻っていた。今から云おうとしてることで、コイツのこの表情が変わることを楽しみに、今度は俺がしたり顔をする。まだ何も、してやったりはしてないけど。

「俺がご執心なんじゃねーですぜ」
「そんなこたァ自分の顔鏡で見てからいいやがれ。本当、やべェからその眼。近藤さん泣くから」
「だから、違いやす。ご執心なのは俺じゃない。俺があの人へ、じゃない。」
「……何が云いたい。」

にやり。俺は笑みを濃くした。
多分本当、俺の眼はやばいんだろうなァ。

「あの人が俺に、」



ご執心。
(ほら、ひじとしくん、)
(アンタの方が鏡必要ですぜ?)



(2010.9.11)
沖田さんはまだひじとしくんいじりに夢中。これ続き書きたい……。
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