御覧にならないことをおすすめいたします。私はこれから好いてもいない男性にこの身を差し出すのです。ですからそこでふらりと佇む貴方、私をつけてその場面を御覧になるおつもりなのでしょうがそれはお辞めになられた方が宜しいのでは御座いませんか。貴方が御求めの“情報”は私がしかと得て明日の夕刻にでも貴方にお届けに参ります。ですからこれから行われる綺麗でも何でも無い行為は御覧にならずとも宜しいのでは御座いませんか。あらそんなに怒らないでくださいまし。そんなに御覧になりたいのです?……そういう御趣味がおありで?あら、御免なさい存じ上げておりませんでしたの。は、あら違う?それはとんだご無礼を。御免なさいね。

そう云って、彼女はあかい彼岸花が大きく咲いた着流しを着て微笑んだ。その着流しは上等な値打ちのもので、とても大切なものだと彼女自身が云っていた。そんな大事なものをひっぱり出して、ただ今の彼女が袖を通している。大事な、ものを。
空が薄い紫になる頃。俺は待機命令を無視して屯所を脱け出して、彼女の家の前に居た。『紫陽花荘』とかいうボロい門のあるアパート。その門の前。彼女がふらりと出てきたところを映画よろしく、とは全然云えない情けないほどの弱い力でその腕を掴んで動きを止める。彼女がゆっくり振り返って、俺の眼を見た瞬間。いろいろを諦めざるを得ないかもしれないと悟った。伊達に真選組なんかやっていない。感じた。

「どうしても、行くんですか」

でも、あらがいたかった。

「えぇ。行きますけど」

そしてこの人の眼に映りたかった。彼女の眼に俺は今も映っていない。この今も。眼の前に居て彼女の腕を掴んでしっかり視線を合わせているのに彼女の意識に俺は居ない。今も居ない。いつでも、居なかった。俺が奥歯を強く噛み合わせて薄汚い地面に眼をやったと同時に前から短く空気の抜ける音。彼女が笑った。

「何故貴方がそのような表情をなさるのです。面白い方ですね。貴方は、貴方がたはただ私に情報を取ってこいとおっしゃった。私が情報を持つあの人に近い位置に居るから。ただそれだけじゃあ御座いませんか。何をそのように、面白い方ですね。……そうね。感覚で表すならば、とても、」

痛そう。
彼女は掴まれていない方の手を俺の頬に持って行くと、親指の腹で、例えば赤ん坊が泣いた時涙を拭うような力で、俺の頬をひとなでした。顔が上げられない。

「……俺は赤ん坊じゃない」
「そうですね」
「俺は、泣いてなんかない」
「そうですねぇ」
「…………違う」
「…………」
「違うでしょう」
「…………」
「こんなの違う」
「駄々をこねるのは赤ん坊では御座いませんか」
「俺は駄々をこねてるんじゃねえ。正しいことを云ってるだけです」
「“正しい”ことをおっしゃっているかどうかは世間が決めること。貴方の“正しい”が世間の“正しい”とは限りません。我を通すことは時として素晴らしいことです。しかし私は私が“正しい”。貴方から見れば私は世間の一部。だから貴方は“間違っている”。さぁほら、」


お帰り、坊や。
最後に綿のような声で云った彼女は掴まれていた腕を持ち上げて、気付いたら節が白くなっていた俺の手の甲に頬を寄せた。冷えているかと思っていたのに彼女はあたたかかった。泣きそうに、なった。泣かなかった。泣けなかった。思わずゆるんだ手の力の隙をつかれて腕を抜かれて、彼女は2歩その場から離れる。後ろ足に。ふと自分の前髪が伸びていることに今気づく。だって、視線を上げてみたのに、彼女の顔が前髪で見えない。





知らない場所で花は咲く。
(俺の前では咲かない花でありました。)



終。
(09.11.23)

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