古典的。実に古典的な悪戯をした。
屯所の縁側。その曲がり角で壁を背もたれに待ち伏せをして、目的の人物が来たのを見計らって俺は脚をスイと軽く、相手のスネあたりを狙って浮かす。そう、古典的な足掛けをした。曲がり角から頭が見えて相手が俺に気付いた瞬間、相手は思ったよりも派手に転んだ。視界から消えるように一瞬で床に伏せると同時にバン!とでかい音。所詮は事務担当。完全に気をぬいていたのか受け身なんて取ってないこいつは、苗字は、顔は反射的に前に出た両手のおかげで床板と仲良しにならずに済んだらしいがどうやら掛けられた右脚の方の腰を打ったらしい。起き上がろうと腰を浮かした途端右手を添えていた。俺が浮かしていた脚を床板に戻してニヤリと笑っていると苗字は完全にむくりと起き上がってゆっくり立ち上がる、振り返る。普通なら怒るところをこいつは、こっちがニヤニヤ笑っているにも関わらず。

「何か、御用ですか」

あーーーーーあ、興醒めだ。でもいつものことだった。何をしたってこいつはこうだった。冬のような女。平然としてやがる。わざとすれ違い様に肩をぶつけても「すみません」と頭を下げるし、道端の向かいあった人間が同じ方向に行こうとしてしまうアレを故意にやっても「すみません」。つまらねぇ。そして今回はこれだから、更につまらねぇ。俺は「はぁあ」深いため息をついた。後頭部をかゆくもないのにかく。

「……何でもねェ」
「そうですか。では、失礼します」

一礼して苗字は歩き出す。さっき打った右の腰はもう平気らしい。すたすた去っていく背中。そこには以前のような人を寄せ付けない空気が、今日は見えなかった。はて。と思う。冬のような女の、空気が見えない。でもそんなに気にはならなかった。早々とそれを意識から消し去って、苗字が縁側向こうの曲がり角を曲がるまで何故か俺は見送っている。壁から背中は離さずに顔はあちらを向いて。腕を組む。眼を細める。彼女が角を曲がる。その時一瞬見えた苗字の顔はいつも通り真顔だった。あーあ。視線を床板におろして――――舌打ちをした。なんだよ、と、思う。だけどなんだよって、何だよ。とも思う。は?苛立ってる。苛立ってる?視線を天井にあげて後頭部の上を背をあずけていた壁にゴツ、と打った。いてえな。ざりざりした壁の素材。いてえな。「はぁあ、つまらねェー……」呟いた。その時苗字が去って行った方からドカドカやかましい足音がこちらに近づいて来た。仕事か?そう思ってやっと壁から離れた背中を音が近づく方に向けてばっくれようとしたら「あっ、沖田隊長!!!」思っていたより早く見つかった。山崎に。

「何でィ。何かあったのかジミー」
「大変なんです名前が……!」

苗字が?どうやら仕事ではないらしい。しかも山崎は俺にツッコミを入れられないくらい慌てている。めずらしかった。こいつは監察方で冷静さが売りだ。ということは、結構、

「……苗字、どうしたんでィ」

危ないのか。そう思った瞬間嫌な予感がした。山崎に問いかけておきながら自然と合わせていた眼を他所に向ける。何だか餓鬼の頃に戻った気分になった。(悪戯をした後でバレそうな瞬間のあの。)あぁ今日も空は素晴らしく快晴也。なんて。だけど山崎は慌てたそぶりで足踏みしたまま。

「あっ、いや隊長が思っているような事態ではないんですけどね……!ただ、彼女的には、ちょいと……」
「……何ですかィ、はっきりしやがれ山崎のくせに云ってることまでそんなんで良いのか」
「どさくさに紛れてひどい云いぐさだなぁ……もう。ほら、あれですよ。女の子の……」

はぁ?と返してから山崎を睨んで、気付いた。急に自分が思っていたような緊急事態ではなさそうなことがわかって、げんなりした。俺とかわって山崎は本当に心配そうな顔をして「それじゃ俺はこれで!」とドカドカ縁側を俺が行こうとしていた方向に走って行く。あっちには個々の私室があって山崎の部屋もある。何あいつ、なんかそういうの持ってんのかィ?

「……なんつーか、」

マメというか、なんというか。はぁあ。またため息をついて、また空を見た。いつの間にか雲がぽつぽつ生まれていた。
























「総悟!!」

パァンとか小気味良い音がして左右に障子が開いた。俺が自室で土方を呪う下準備をしてるところを近藤さんに見られたが、まぁ良いやと思って「なんですかィ」と胡座をかいたままやんわり返事すると近藤さんはその呪いの下準備を一瞥してからゴホンとひとつ咳払い。どうやら見なかったことにするらしい。それから俺の眼をジッと見つめた。やけに、真剣な、眼。

「……なんですかィ。」
「総悟。今日お前誰に何をしたか全部云えるか」
「何を、って。何です?」
「例えばおばあさんの財布を拾ったとか、山崎のラケット折っちゃったとか」
「(お、これは、)……何で云わなきゃいけねーんです?そんなでけェことはしてませんぜ今日は。あと山崎のラケット折ったのは土方さんでさァ」
「…………。いや、総悟あのな、」

近藤さんが一歩こちらに踏み出した。(土方の件も今回は見送りらしい。)畳みがぎしりと鳴る。俺はおもむろにたちあがった。土方仕様の藁人形が膝から情けなく落ちた。

「もうハッキリ云うけど、女の子には優しくしなきゃ駄目だぞ。」
「……女の子ってどちらさんですかィ。姐さんはマウンテンゴリラの申し子らしいじゃねーですか。万事屋の旦那に訊きやしたぜ」
「ちょ、お妙さんは人間だからね!!人間の女性だからね!何云ってんのあの人!!」
「……で。誰のこと云ってんです。今更あの酢昆布チャイナのことだとか云わねーでくだせェよ勘弁勘弁」
「……違うよ。一人忘れてないか?」

思わず首をかしげて、近藤さんの肩越しにまた空を見たら一面の曇りだった。それが冬の空みたいで、……あ。

「……今、救護室が十番隊の手当て後ではちゃめちゃになってるから、山崎の部屋で横になって貰ってる。行ってきなさい」
「…………」

あと私用がない限り誰も部屋に来ないから静かだしね、ほら。と俺の背中に回ってぐいぐい押した近藤さんの云いたいことは半分わかった。だけど何で行かなきゃ行けないんだ。残り半分ほどの不可解に眉間に皺を寄せて廊下に出てから振り返ると「あとは山崎から訊いてくれ。」と、苦笑いした。近藤さん、もしかして。

「……近藤さんも本当のことはよくわかってねーんですかィ」
「あぁ、俺は俺が思ったことをやったまでだよ。」

女の子には優しく。それだけさ。
ふぅん。はいはい。と俺は仕方なく山崎の部屋に向かった。「ちょっとォ!わかった!?ちゃんとわかったの!?」と近藤さんが後ろでなんか叫んでるけど、前を見たまま手をひらひら振っておいたからまぁ良しとして。
数十秒で辿り着いた山崎の部屋の中からは話し声がきこえた。思いきり話途中のその部屋の中に空気なんて読まずにパンと障子の片面を全開にして無言で脚を踏み入れる。思った通りびくついた後苦い顔で口の端をひくつかせてる山崎と、敷き布団の上で横になる苗字が居た。一枚薄い毛布のようなものを躰に掛けて、どうやらさっき逢ったときとは違って隊服ではないようだった。ハッと鼻で笑う。山崎の横に移動して見下ろした。

「今日はもう、休みなんですかィ」
「た、隊長違います名前は、」
「五月蝿ェ、ジミーのくせに」
「ええええ……」

山崎は苗字を「名前」と呼ぶ。近藤さんも確かそう呼んでいた。それがやたらと親しいことを示していて、嗚呼なんか苛立つ。苛立つ?また、なんだよ本当。
苗字を見下ろした。するとゆっくりだがこいつは躰を起こそうとする。だけど山崎が苗字の肩を掴んだ。また寝かせるように弱く力を込めてるのがわかる。

「駄目だよ寝てて。いくら隊長だからってそんな、今は礼儀云々は良いから」
「退くん、大丈夫だよ」
「倒れた人が何云ってんの」
「……倒れた?」

苗字が山崎を「退くん」と呼んだこととため口だったことを含め、倒れたということに驚いて思わず復唱してしまった。心中で舌打ちをする。山崎が俺に振り返り見上げた。

「あ、ほらあの縁側で隊長と逢う前に……」
「……あぁ」
「あっ……そうだ、御免名前。話しちゃった……」

俺が歯切れの悪い返事をしたら何を勘違いしたのか「やべっ」という顔をした山崎は苗字に向かって謝る。何の許可もなく吐露したことを。それに苗字は首を横に振り、――――微笑んだ。この女が微笑んだ。冬のような女が。ゆるく目尻が下がった表情に俺は立ったままたぶん少し眼を見開いてる。

「沖田隊長」

結局躰を起こした苗字と眼が合いそうになった。俺は眼を逸らす。山崎が何か諭すように云った気がしたけど、知らねぇや。苗字の表情が元に戻ったかどうかも、知らねぇや。

「局長に、何をどうお訊きしたか存じませんが、私は平気ですから」
「……何を勘違いしてんだか知りやせんがね、別に心配なんかしてねェですぜ俺ァ」
「ッ隊長!じゃああんた此処に何しに来たんですか!」
「……近藤さんが」
「……はい?」
「近藤さんが、女の子には優しくしろよって云うもんで」
「……あぁ。局長云いそうですね」
「あとは山崎に訊けってさ」
「あぁ……やっぱりわかんないですよね。俺もわかってるわけじゃないし」

なにが。そう訊いたらこいつは苗字を一瞥して「ちょっと待っててね」と伝えると、俺を部屋の外に連れ出した。さっきから面倒なことばかりでやっぱり苛々する。苛々するんだよ。隊服のズボンのポケットに手を突っ込んで壁に寄りかかった。途端何かが意識で重なった。前にもあったこの体勢で数時間前の出来事を思い出した。あの足掛けが原因で今に至るなら、数時間前の自分を少し呪う。でもそれは何だか癪だからじゃあ誰を呪おう、嗚呼、部屋に藁人形があるんだった。丁度良い、土方でいっか。

「……隊長?」
「、なんでィ」

意識を数時間前に遡らせていたら目の前の山崎に心配されたような顔をされた。今日はおそらく厄日だ。山崎がうざったくなって眼で「早く云え」と促す。




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