手をのばしたかった。届くらしかったから。でも躊躇った。嘘かもしれなかったから。

午後の燦々とギラギラとした陽が脳みそを揺らす。私は帽子をかぶっていない。加えて日焼け止めも塗っていない。日焼けをしようがしまいがどうでも良かったのだ。私は公園の砂場の真ん中でたたずんでいた。サンダルの中には容赦なく砂がざりざりと入り込んで足の裏とサンダルの面の間を阻む。痛かった。もしかしたら切れてるかもしれない、皮膚が。しかしそれもどうでも良かった。
空を見上げた。嗚呼、快晴。素晴らしい青。美味しそう。先ほど額から顎に流れた汗が首を伝って鎖骨まで落ちた。くすぐったい。笑えた。笑えた。嗚呼本当に笑えた。ふふふ、ふ。

「なにしてんだよ」

音もなく背後1メートル先に良く知った人物が来ていた。振り返らずとも誰だかわかるのだから私はこの人をそれなりに慕っているみたいだ。いやいやと納得しないように両の腰に手を当てた。

「なにって、青春ですかねぇ」
「こんなクソあちー寂れた公園で青春ですか。今気温何度だと思ってんの?35度だよ。馬鹿じゃねーの暑さにやられたんじゃねーの」
「先生の頭に比べたら私の頭は平気です」
「……全国の可愛くボリューミーな天パ少年少女紳士淑女熟女その他の方々に全力で謝れコノヤロー」
「誰が先生の髪型って云ったんですか。私は先生の頭って云ったんですよ、」

ねぇ坂田先生。両手を腰からおろして躰ごと半身振り返りながらきちんと名前を呼んだら、坂田先生はTシャツにカーゴハーフパンツというラフな格好だったのに少なからず驚いた。しかしラフな格好なのは、そうだ。今は夏休みなのだから。此処は学校じゃない。ただの寂れた公園だ。ただ先生が、本来はただの20代の男の人なのを改めて教えられた気がして忘れていた自分が少し愚かに思えた。今の、自分が。
先生はそんな私に向かって左手に持っていたコンビニ袋の中を漁りながら云う。いつも学校で授業をするときよりもとても気だるそうに。

「はぁあー先生哀しいわ。苗字はそんな事云う子だと思ってなかったのによォ」
「そうですか。そりゃすみませんでした」
「……お前本当に暑さにやられてんじゃねェの。眼が座ってんぞ」
「気のせいじゃないですか?先生こそやられたんじゃないですか?頭」
「もういいよ黙れほらこれやるから。これ口に入れとけだから喋んないで先生そろそろ傷つくから」

此方に差し出された先生の右手には塩アイスのチロルチョコがひとつ乗っていた。この季節になると発売されている気がするチロルチョコ・塩アイス。この暑さに少し溶けていそうだ。でもきちんと四角形を保ったその塩アイスのチロルチョコを私は先生の眼を見たまま、貰おうか迷っていた。

「……なーに警戒してんの?大丈夫だっての毒なんか入ってねーから。ついさっきそこのコンビニで買ったばっかだから」
「別に毒どうのこうのなんて考えてませんよ」
「だったら受け取れよ。良く考えてみろ。俺だぞ。俺が糖分をやるって云ってんだぞー」
「……明日は隕石落下ですね」
「あーもうぐだぐだ云ってねーでさっさと受け取れ、ほら」

先生が半歩此方に近寄る。砂場に足を踏み入れた先生もサンダルだった。そのまま先生は私の右手を、コンビニ袋を手首に引っ掛けた左手の親指をさしこんでそのまま掴む。少し屈んで近づいた顔は先ほど見た時より汗をかいていた。先生は汗が似合う、と思った。国語担当教師なのに。ぼんやり眺めていたら「なんだよ」といぶかし気な声を出しながらも私の右の掌を上にしてさしこんだ親指で開く。開く時に掌を手首の方から指先に向けて親指で撫でられて多少くすぐったかった。その掌の真ん中。予想外に固く冷たかったチロルチョコはそっと置かれた。「あ……」思わず声が出た。

「ん、どうした」
「いや……冷たかったから、チョコが」
「あああああだからさっき買ったばっかだって云ったじゃねーか。なに信じてなかったの?俺そんなに信用ないの!?」
「いやいやいや、ははっ」
「笑うならちゃんと表情つくろうね、嘘がバレバレだからね」
「…………、ねぇ先生」
「……なんですかー」
「私疑り深いのかもしれないです」
「そうだな。ほんとにな」
「信用するって、何処まで相手を知ったら出来るかな。ずっと一緒に居たらかな。腹わって話せたらかな。」
「…………」
「周りの皆が、あの人はいい人だよって、云ったらかな。でもそれはあまりにも他力本願だと思っちゃったし」

先生が黙った。私は話し続けた。じりじりと天辺から少し傾いた場所にある太陽からひどい量と勢いの紫外線が先生と私にふりそぞく。痛い。じわじわと皮膚と、掌に乗ってるチョコを溶かしていく、みたいだ。

「……このままじゃ私ずっと誰も信用なんて出来ないような気がしてきました。なんて、あれだけど。考え過ぎですよねぇ。こんなこと云ったっていつかは、」
「あー…………お前さぁ」
「御免なさい、大人から見たら浅いですね私」
「いやいや浅いと深いとかじゃなくてな。んな湯船のでかさみたいな話じゃなくてよ。」
「あ」

先生はつぶやきながら私の掌からチョコを取った。なかなか食べようとしなかったからなのかと思ったけど、先生は私の手から手を離さなかったから、なんて責任転嫁をしてみる。でも今はもう私の手からその手を離して、チョコの包みを開けている。自分でやっぱり食べてしまうのかと思ったら中のチョコを親指て人差し指で摘まんで、

「お前、やっと実りかけたんだろ。恋とやらが」

また前に屈んだと思ったら、私の顎にチョコを摘まんでいない方の親指をあてて口を少し開かせて、そのチョコを、押し込んだ。前歯に当たってしまわないように反射的に自らまた少し口を開いてしまった。

「あっちが云って来たんだろ。なのに断ったんだってな。神楽がすげえ暴れてたぞ」

口の中にチョコを全て親指で押し込んで、でも先生は指を引き抜かない。噛んだら駄目だと思っていても歯先に先生の親指の第一関節の下があたりそういやあたってる。私が後ずさりしそうになった瞬間、顎にあてていた親指を離して私の肩にその腕を置いた。体重を少しかけて。まるで説得しているか、口説いているかのような、体勢。

「なんでだヨー!あんなに一所懸命だったのにわけわかんねーアルどうしたのヨー!とかなんとか。あーやべェ今ちょっと似てたな。クオリティ上がっちまったよ先生」
「……、……」
「なんか云いたそうだけどきっと先生傷つくことだから訊かねェよ。どうせ似てませーんとか云うんだろーわかってますぅ」

先生はそう云って私の口の中にあった親指を、動かせずにいたチョコが乗った舌の先にきっと指に付いたチョコを拭うつもりで押し付けながら引き抜いた。それをまた自分で舐めて、人差し指も舐めて、何故か笑った。

「なァ、苗字。そんな悩むくらいならさァ」

笑ったまま、また先生は屈んで、私の顔と自分の顔を近づける。そこで私はまた思った。先生は汗が似合うなぁ、と。


「そいつやめて、俺にしたら?」


先生の笑った顔は、とても大人で、私の躰とか心とかを溶かすには充分らしく、口の中の塩アイスのチョコようになってしまいそうに、思えた。




溶かす人。



(いっそ本当に溶かしてくださいよ)
(この疑心さえも溶かせるならば)




終。
疑心少女と溶解糖分。
(09.7.27)

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