■本当の気持ち
※映画「ハイ☆スピード!」の要素を含みますので、観られてない方はご注意ください!
夏也は廊下を歩いていた。
白い壁に白っぽい床に、白っぽい服をきた人々が行き交う…ここは非日常的な空間。
岩鳶病院。
この辺りでは一番大きな病院だ。
ナースステーションで記帳を済ませて、部屋番号を教えてもらって病室に向かった。
病室の入り口に掲げてある名前を確かめる。
「芹沢 尚 様」
扉の前で一瞬だけ躊躇うような間を置いた後に、コンコンと軽くノックする。引き扉をゆっくり開けると、ベッドにもたれ掛かって、本に目を落とす彼が見えた。
「夏也」
高くも低くもない、穏やかな声だ。
「…おす…来たぞ」
「来てくれたんだ。ありがとう、夏也」
病室の主である芹沢尚が、口元を緩めてにっこりと笑って言った。
ベッドの脇に置いてあった椅子に夏也はドサっと座った。
それから、バックの中から中学校で出されたプリントやらの入ったクリアファイルを取り出して、尚に差し出した。
「ありがと」
受け取ったクリアファイルに挟まれたプリントに目を通しながら、尚が続けて言った。
「水泳部どう?俺いなくって困ってない?」
「…まだ尚が休んで実質一日しか経ってないからな。まぁまだ…困ってないかな」
「そっか。良かった」
「おう…」
夏也の言葉が途切れ、暫く沈黙の時間が過ぎた。どうかしたのかと思って尚が顔を上げると、夏也は黙って下を向いていたままじっとして動かない。
尚が夏也を覗き込む様にして言った。
「夏也?どうした…?」
「…嘘だよ…お前いないと大変だよ、いろいろ」
「何がいろいろなの…?」
尚はニコニコと笑顔で夏也に問う。
「…いろいろは…いろいろだよ…!」
「適当な部長だなぁ」
夏也がなんとも適当な答えを言うので、尚はクスクス笑って彼を見つめていた。
窓からは西日が差し込んで部屋を黄色く染めて、暑いくらいだ。中学最後の夏が、始まろうとしている。
「…遙たち一年、どうなるかな…」
尚が窓の外を見ながら、ひとり言を呟く様に言った。
「あぁ…あいつらか…。
ほんと自分のことばっかりで…。仲間のことなんか、全く考えてない…」
夏也がふぅと溜息混じりの長い息を吐く。
「これから暫くは尚も不在なるのに、俺だけで手に追えるかな…」
夏也の顔が曇る。
「まぁ、経過が良ければ入院もそんなに長引かないって話だし。すぐ教育係に復帰するつもりだよ」
いつもと変わらない穏やかな口調で尚は言った。
夏也は暫く無言で尚をじっと見つめてから、ゆっくり口を開いた。
「眼の手術…明後日だったか?」
「そうそう」
なんてことない軽い調子で尚は返答する。
「…尚、大丈夫か?」
「…大丈夫…だよ」
「尚…?」
僅かに言葉の合間にいつもの尚でない姿が見え隠れするのを、夏也は見逃さなかった。
「…本当か?」
長めの前髪の間から見える、尚の若葉色の瞳をじっと覗き込む。
「な…何…?」
夏也の少し吊り目がちで意志の強そうな赤い大きな瞳は、熱い信念を宿していて眼光鋭い。
ー見透かされる…
尚が夏也の視線に耐えきれず逃れる様に、ふっと視線を落とした先には、学校から配布されたプリントが握られていた。夏也の視線に何もかも見透かされている様に思えて、尚はとっさに平静を装う。まるで何事もなかったかの様に、プリントをクリアファイルに戻して、枕元に置いた。けれど、下を向いたままで、顔を上げることが出来ない。
「尚…?
…ムリすんなよ、俺の前で!」
夏也の言葉に、尚はようやく顔を持ち上げた。瞬きもせずに、夏也をじっと見つめて、それから少し伏し目がちに目を細めた。
「夏也…」
尚が薄手の布団ごと膝を抱え、その間に顔を埋める様にして身体を丸めた。尚のサラサラと長い、色素の薄い髪が、真っ白な布団に消え入りそうに見えて、夏也は胸がざわざわするのを抑えられなかった。
「…ほんとは…」
「…」
「怖いよ…」
「尚…」
ーこんな時、どんな言葉をかけるのが正解なのだろう?
夏也には尚の名前を呼ぶ以外の言葉が思い浮かばず、奥歯をギリっと噛み締めるばかりだった。
「…なんで俺ばっかり…って
ほんとは…そればっかり…思ってる」
「尚…」
布団から顔をあげて、尚は吐き捨てる様に言った。
「あいつら、ほんっとバカじゃないの??
泳げるのが当たり前だって思ってるんだぜ?!」
尚は言葉を続ける。
「泳ぎたくても泳げないヤツがいるなんて…考えたこともないんだ…!」
「尚…」
「俺だって…」
声を震わせる。布団をギュッと握る拳は小さく震えていた。
尚が声を荒げる姿に、夏也は驚きを隠せなかった。
「俺だって…泳ぎたい…!」
「尚…!」
これが、尚の本心…。
尚の叫びが、尖ったナイフの様にグサグサと突き刺さる。
自分の事ではない。だからこそ、これ程に余計に辛く苦しくて、痛いのだ。水泳部に誘った。半ば無理やりに。一番近くにいた。ずっと一緒に。頂にいる未来を目指し、ここまでがんばってきた。中学3年間を、誰よりも長く一緒に過ごしてきた。だからこそ、自分のこと以上に尚の痛みは自分の痛みでもあったし、尚の幸せを願わずにいられないのだ。
いてもたっていられなくて、夏也は椅子から立ち上がり、ベッドで小さく丸くなっている尚の横に詰め寄った。 ベッドがギッと小さく軋む音をたる。
「尚…」
若葉色の瞳には涙が溜まっていて、今にもこぼれ落ちそうだ。
夏也は尚の長めの髪にそっと触れて頭をひと撫でしてから、自分の胸に尚を抱き寄せた。
「尚…我慢すんな…
泣きたい時は、泣けばいい…」
「…夏…也…」
夏也は尚の頭に回した腕に、ぐっと力を込めた。指先に髪が絡まる。尚の身体は気持ちと比例して熱くなっていて、体温と身体の震えがいっぺんに伝わってきた。
ー俺は何もできない…
…ただ、側にいて祈ることしか出来ない。尚の未来が明るい光に照らされていることを。
ー俺は無力だ…
何もできない自分が、悔しくてもどかしかった。
尚は堰を切ったよう様に声を出して泣いていた。今までずっと一人でどうにか抑え付けていたのだろうか。
いつも飄々と涼しい顔をしている尚からは想像ができないほど、彼は幼い子どもの様に素直に泣きじゃくる。
いつもは大きく見える尚が、こんなにも小さく見えるなんて。
夏也の服を掴んでしがみ付くことしかできない尚を、夏也は強く強く抱きしめることしかできなかった。
(願わくば、その光が…俺だったらいいのに)
< end >
*夏兄と尚センパイには幸せになってもらいたい。
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