■まこはる日和:クリスマス
ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ
机に置いてあった携帯電話が着信を知らせるために震えた。どうせ何かのダイレクトメールかなんかだろうと思うと、携帯を見るのさえ面倒になるものだ。先に着替え済まそう…。そう思ってしばらく放置したままだった携帯を開いて見ると、画面には「橘真琴」の文字が表示されていた。
ーあ…ー
マズイなと思って、急いでメールを確認する。
ー風邪ひいたみたい。今日お買い物行けない。ごめんね。ー
…今日は12月24日、世の中でいうクリスマス・イヴだ。学校も冬休みに入り、毎日を手持ち無沙汰に過ごしている俺と真琴。今日は一緒に街へ出かけて、明日に予定している岩鳶や鮫柄のみんなが集まるクリスマス会のために、プレゼントや買い出しをする予定だった。
「…」
しばらく画面を見つめてから、携帯電話をバチッと閉じて、俺は部屋を飛び出した。
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最悪だ…
12月24日に風邪ひくなんて…
ほんとついてない…
体が重い…
まばたきするのさえ億劫で、重いまぶたを閉じた。
目を閉じると浮かんでくるのはハルのことばかりだ。
あぁ今日は街に出かけて、服屋さんを見たり、本屋とCD屋さんにも行って、あとは…
今日実行する予定だったハルとのお出かけのことが、浮かんでは消えていくばかりだ。
そんな俺は、今ベッドの中にいる。
悔しくて、涙が出た。
ハル…
さっき飲んだ薬が効いてきたんだろう。ハルことを思い浮かべながら、次第に意識が遠のいていくのを感じていた。
---
メールをすぐに確認しなかった自分を後悔していた。
ー真琴…ごめんー
真琴からのメールを見て、頭で考えるよりも先に体が動いていた。
気がつけば俺はジャケットも着ずに家を飛び出して、真琴の家に続く階段を駆け降りていた。
真琴の家の玄関を勢いよく開け、お邪魔しますと手短な挨拶を告げて真琴の部屋のある二階を目指した。
ハァハァと息を切らしながら見慣れたドアをノックする。
「…真琴…?」
返事は返ってこなかったがそっとドアを開いて中を覗くと、ベッドの上で布団を被り丸くなっている真琴が見えた。
枕元に近づいて、ベッドの横にひざまずいて顔を覗き込む。スースーと寝息をたてて眠る真琴の顔があった。
金色に近い茶色い前髪の下に見えるまぶたは、いつもよりも血色が良くない様に見える。
しばらく真琴の眠る顔を見つめてから、それから俺は静かに深呼吸した。
ぶわっと酸素が体中に行き渡って、
早かった鼓動が少しずつ平常を取り戻していくのを感じた。
しばらくゆっくり息をしていなかったことに気づく。
ー俺…何焦ってるんだろ…ー
急に自分で自分が馬鹿らしく思えて、なんとなく恥ずかしく感じて、その場を立ち上がる。
真琴の部屋を見渡すと、壁のハンガーにコートと服が一式掛けてあった。
ーこれ…今日着ていくつもりだったんだろうな…ー
自然と顔が緩んだ。もう一度眠りにつく真琴の方を見て、そっと布団が一番小高くなっている場所に手を置いた。
真琴の寝息に合わせ、わずかに布団が上下する。
真琴の息吹…
しばらくそうしてから、それから俺はそっと部屋を後にした。
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ーハル、これとかどうかなー?
ーんー。真琴に似合いそうだけど、
俺はどうだろ…
ーえー?俺はハルのが似合うと思うけど…
ー…そうか…?
ー…うん。じゃあこれお揃いで買っちゃう?…
ー…お揃い?
ー…うん。お互いにクリスマスプレゼントってことで。ダメ?
ー…ダメ…じゃない…
ハッと目を開くと、見慣れた天井が目に入ってきた。
窓から差し込む光はまだ明るい。
ー俺…寝ちゃってたんだ…ー
枕元に置いてあった携帯を手に取る。
時間はもうすぐ夕方に差し掛かろうという時間だった。
起き上がろうとする。けれど体は鉛になった様に重く、自分が普通でない状態なんだということを、まざまざと感じさせてくれた。
ハル…
さっき見ていた夢の内容は忘れてしまったけれど、唯一ハルが出てきていたことだけは、なんとなく覚えていた。
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とりたててやる様なこともなく、部屋の片隅でだいぶ長い間放置されっぱなしだった模型を組み立てることにした。
薄っすらとほこりを被っていた箱を前にして、長らくこの箱に触れていなかったことに気づく。夏前に渚と再開して水泳部を作ってからは、毎日の生活の中心が部活…水泳になっていたからだ。
箱から出すだけ出した模型の製作は全く進まず、細かなパーツをただ無駄にいじるだけだった。
ヴーッ ヴーッ ヴーッ
携帯が鳴った。
今度はすぐに画面を確認した。
「橘真琴」の文字が見えて、急いで携帯を手に取る。
「真琴…起きたのか…?」
ーうん、さっき目が覚めた。
「具合…どうなんだ?」
ーうん、薬飲んで寝たからか、だいぶ楽になったよ。けど体がまだ重くて…
「そうか…」
ーで、母さんにハルが来てくれてたって聞いてさ…ごめんね…俺、寝てて気づかなかったみたいで…
「…そんなの…気づかないのが普通だ…」
真琴がふっと笑ったような息遣いが聞こえた。
ーハル…今日、お買い物行けなくなって…ほんとに…ごめんね…」
「…気にするな…また他の日に行けばいいだろ…」
「…」
しばらくの沈黙の後に、今度は真琴がため息をつく吐息が電話越しにはっきりと聞こえた。
真琴が何か言いたそうにしているがわかったし、何を言いたいのかも…何となく察しがついた。
…俺だって同じだ。
「…俺…今からそっち行く」
ーえっ…えぇー?!…ダメだよ来ちゃ…
携帯越しに真琴が困惑する声が聞こえてきたけれど、気にせずに切ボタンを押した。
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ハルが家に来るって…
嬉しい…
…けどダメだ…
俺…ハルに風邪うつしたくない…
会いたいけど会いたくないんだ。
せめぎ合う葛藤のせいなのか、俺はなんだかさっきより頭も体も重くだるくなっていくのを感じていた。
玄関の扉が開く音とハルの声と母さんの声が聞こえる。
ハルが階段を上がってくる足音が俺の部屋のドアの前で止まる。
俺はハルが部屋入ってこれない様に、ドアノブを今出せる力の限りガッチリと握って、重い体を扉にもたげさせた。
「真琴…入っていいか?」
ノックの後で、ドアの向こう側でハルがドアノブを回そうしたけれど、当然ながらドアノブは回らない。
すぐにドアノブが動かないことを察した様子のハルの声が聞こえた。
「…真琴…いいから開けろよ…」
ドア越しに聞こえるハルの声。
この薄い板の向こうに、会いたくてたまらない人がいる。
「…ハル、何で…来ちゃったの…?
俺…ハルに風邪…うつしたくないのに…」
自分の話を聞き入れてくれなかったハルのバカと思った。反面、俺に会いに来てくれたのが嬉しくて、本当は今すぐにでもドアを開けてハルを抱きしめたいと思っている自分がいる。
こんなにも胸が苦しいのは、風邪のせいだからだろうか?
会いたい… 会いたい…
なんだか無性に泣けてきて仕方なかった。
いつもだったらこんなことで怒ったり泣いたりすることはないから…たぶん全部風邪のせいだ。
「ごめん…真琴が嫌がるのわかってたけど…我慢できなかった…」
「…ちがっ…ごめ…なんか…気持ちが…コントロール…うまく…できてなくて…」
口が震えて、言葉が途切れてしまう…泣こうなんてこれっぽちも思ってないのに、涙が溢れてくる。
本当は来てくれて嬉しいって言いたいだけなのに…
涙のせいで自分の気持ちがうまく伝えられない自分が憎い…
「いや…完全に俺が悪い…」
「…ちがっ…」
「…ごめん…真琴…」
ドア越しに聞こえるため息混じりのハルの声…。
「…俺…帰るから…急に来て悪かった…」
ドアの向こうにいたハルが、そっと踊り場を離れるのがわかった。
階段のきしむ音。
ハルが帰ってしまう…
いやだ。
会いたい。
ハル…っ
「ハル…っ 待って…!」
気づけば扉を開けて外へ飛び出していた。
「真琴…?」
階段をちょうど一段降りたところにいたハルに駆け寄って、夢中で抱きしめた。
「ハル…っ…ちが…っ…違うんだ…会いに来てくれて…嬉しいんだ…」
伝えたかった言葉がやっと言えた…
「真琴…」
「…会いたかった…っ…」
「…うん…俺もだ…」
しばらくただその場で抱きあって、どちらからともなくキスをする。
「うっ…うっ…ハルぅ…」
涙が次々と溢れた。
そんな俺の頭をハルがくしゃくしゃと撫でてくれる。
「…もぅ泣くなって…」
「だって…ハルに… 会いたかった…から…っ」
ハルは俺の頭を撫でるのをやめない。
「けど…風邪…うつしたくないから…俺…ガマンしなきゃって…」
「わかったから…だから泣くなよ。
真琴…お前、まだだいぶ熱高いだろ…?」
そう言ってハルは風邪のことなど気にしない様子で、もう一度唇を重ねてきた。
「…っ…うっ…うつしちゃったら…ごめんね…」
遠慮がちに唇を重ねた俺と違って、ハルはいつもと何ら変わらない様子で俺を求め、舌を差し入れてくる。
ーあぁ…また熱上がってきてるなぁ…
体はどんどん熱くなる一方で、ハルの舌は自分よりも少し冷んやりと柔らかく、ただ心地良かった。
「真琴…明日はクリスマスパーティ本番だぞ。俺に風邪うつして早く良くなれよ…」
思いがけない言葉に、俺は目を細めた。
これがハルなりの思いやりなんだなぁ…
「…二人で風邪ひくことになっても、俺…知らないからね…」
そう言って二人で笑った。
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…カゼで弱っている人はかわいいと思う。
こんなクリスマスになっちゃってゴメンね!まこちゃん!
大事な日に風邪ひいてしまうのって
誰でも一度くらい経験してるんじゃないかと思って書きました。
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