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フライドビーンズ




恋がしたい、と言うと、いつだってカウンター向こうのドラァグ・クイーンは笑った。

「したいしたくないの問題じゃないじゃないの。アンタ年中勝手に恋の沼にどぼんと落ちて結局一人で溺れてぶくぶく沈んで、ずぶ濡れで涙流しながらここでお酒飲むんだから。そんな沼に進んで落ちたいなんてまぁ、どMもいいところね。トキちゃんも精神的自傷癖って言ってもいいくらいなのに、うちの面倒な常連ちゃんはみーんな自分をいじめるのが好きなこと」

まったくその通りだなぁと思うから苦笑いしか出ない。
不思議な色のライトで照らされたカウンターで、銀髪のウィッグと化粧が印象的な男を前に、煙草咥えて素直に表情を崩した。
流行ってるのか流行って無いのか、いつきてもわからないけれど、PINKY CHICKPEA‘Sのカウンターは居心地が良いということだけは確かだから、あと十年はがんばってほしいな、と定期的に思う。

タマちゃんの言葉はすごく気持ちが良い。自他共に認める快楽主義者の私には、ぐさりとつき刺さり、さっくりとそぎ落とされるようなこの言葉が時折とても恋しくなった。

優しい人の言葉はきもちいい。
だから、タマちゃんが好きだし、タマちゃんとは恋ができないんだろうと思う。

私は、私をもっと駄目にしてくれる程甘い人と恋がしたい。タマちゃんは優しいから、そんなんじゃ駄目よ前を向きなさいって正してくれる。こういう人を好きになれたらすごく人生楽なのに、と思ってしまうから、私はやっぱり駄目な女なんだろうなと笑った。

「だって、キモチイイよ。すきすきだいすきって思ってる時って、最高にきもちいい。誰かを好きになってる時が一番楽しいと思っちゃうから、やっぱり恋がしたいし、っていうか私だってさぁ、好きで毎回失恋してんじゃないんだよ……なんでみんな私じゃ駄目なんだろう」
「アンタがそういう女ばっかり求めてるからねぇ。トキちゃんとは逆。カヤだけで良いよっていう女じゃ駄目なのね。カヤも旦那も大事っていう面倒くさい主婦ばっかり好きになるんだから、アンタも分が悪いわ〜」
「……全員主婦じゃないもん。半分くらいだもん」
「三十超えた女がかわいこぶったって誰も釣れないわよ、アンタイケメン系なんだから自分を貫きなさいな。見た目だけならまだ二十代でも通るけどねぇ。お仕事はどうなのよ。最近シナちゃん来ないけど、元気?」

急に部下というか後輩の名前が出て、そういえば今日もいそいそと退勤したピンク髪の年下男の事を思い浮かべた。

私の仕事は写真を撮ることで、それはどちらかと言えば芸術とはかけ離れた作業が多い。写真集を出すのはほとんど自費出版のような自腹仕事で、毎日何をしてるかと言えば所長にあてがわれたモデルをひたすら良い気分にさせ、そしてレンズに収めてパソコンで皺を消す、その作業の繰り返し。
まあ、それでも仕事は楽しいと思えるから良い。それに、数年前から私の仕事を手伝ってくれるアシスタントも比較的優秀だ。シナは、察しがいいからとても助かる。

最近デザイン系の事務所で雑用のアルバイトを始めたシナは、結構仕事が合ってたみたいで楽しそうだ。今日は忘年会に連れて行かれるようで、酒好きの雇い主に気に入られているシナは断れなかったらしい。まあ、断る理由もないだろうし、楽しそうなのは何よりだ。

最近私の友人と見事くっつき、付き合いだしたことも喜ばしいことだった。
でも、それが少し寂しい、というのも、きっとタマちゃんにはバレている。

「げんきげんき。トキともらっぶらぶ。この前遊園地デート行ったみたいでね、まーあれやこれやって全部言う子じゃないけどさ、すんごいにやにやしてたから膝かっくんしてやった」
「嫌な上司ねぇ……子供っぽいのは泣く時だけにして頂戴よ。シナちゃんにまで愛想尽かされたらアンタこの店に住みつきそうじゃないの」
「あはは、それ否定できないなー。私、ほんっと交友関係狭いしね。シナね、久しぶりに喋ってて楽で、きもちのいい子だからね、うん、……そうか、寂しいだけなのかな。や、でも、恋はしたい……」
「堂々巡り」
「全くもってその通り。誰か居ないかなぁ、魅力的で、おっぱいが大きくて、ちょっと寂しくて、甘えさせてくれて、手料理が美味しい人がいいんだけどなぁー……」

二敗目のモヒートを作りながら、タマちゃんは呆れた溜息をついた。

「わかったわ、アンタの趣味がモロに主婦なんだわ。旦那に満足してない昼下がりの団地妻なんだわ」

言われて、ああ、と納得してしまった。
確かに、そうかもしれない。

前の彼女はクライアントの奥さんだった。
写真のモデルに興味があって、でも私はレズビアンしか撮れないと言うと、ふくよかな胸を躊躇いがちに押し付けてきた。得意料理は筑前煮で、朝には必ず高い豆のストレート珈琲を淹れてくれた。けれど私が電話をしすぎると言う理由で、結局うまくいかなくなった。

だって声が聞きたいよと泣いたのは、そう遠い話ではない。今も耳に残る甘い声は、一度も私を叱らなかったのに、別れ話の時は別人のように困った様に泣いていた。

私の愛が彼女を泣かせたんだなぁと思ったら、悲しくなりすぎて目が溶ける程涙があふれた。
彼女の愛がもう枯れ果てた事に泣いて、そして、私の愛がもうどこにも行けない事に泣いた。可哀想な私の感情は、どこに行くんだろう。そんな事を考えたら食欲も無くなって、ベッドの上で日曜を過ごした。

失恋をすると何も食べたくなくなる。
何も食べないと人間は活動を徐々に制限してくる。
多分このままだと死にたくなるな、という限界まで来ると、私はダルイ身体に煙草を一本吸わせて、ミントタブレットを放り込んで、そしてPINKY CHICKPEA‘Sの扉を叩く。薄暗いカウンターでタマちゃんの作ったおなかに優しいご飯を食べながら泣くのだ。

食べて寝ると不思議なもので、なんとなく生きていけるような気分になった。
人間は所詮、生きるために出来ているんだろうなって思う。恋なんて感情で死ねないんだろう。感情なんていう副産物は、生命維持には些細な干渉しかしない。

その前の彼女も、その前の彼女も、結局駄目で失恋して泣く度に、私はタマちゃんにご飯を作ってもらって、トキに一緒に泣いてもらう。この前はシナも、ぼんやりと隣で煙草を吸ってくれた。
世界で一人じゃないと思うことは大切だと実感する。
もうこんな思いをするくらいなら、私は仕事だけして生きて行こうと決意するのに、暫くするとまた女の心と体が恋しくなった。

病気ねと、タマちゃんは苦笑いを零す。

「ねえ、たまには仕上がってる女じゃなくて、もうちょっと違う子を開拓してみなさいよ」
「……仕上がってるって言い方どうかなって思うよ。主婦じゃない人にしろってこと?」
「お料理されてるお豆ばっかりつまみ食いしなさんなってこと。人のモノは美味しいわよ、だってその人が美味しく料理してくれた後なんだから。でもねぇ、たまには自分で最初から料理してごらんなさい」
「だめだよ私料理下手だもの……調味料の加減も火加減も全然ダメ」
「努力なさいな。それに、案外素材だけでも美味しいかもしれないわよ」
「……豆好きじゃないんだよね」
「フライドビーンズ好きでしょ。そんだけぼりぼり食べててよく言うわぁ」
「でもこれは既製品が美味しいやつだ。自分で作るなんて面倒だしレシピもわかんないし油怖いしやだやだ、面倒」
「どっかの誰かさんも恋なんかしないしないヤダヤダって言ってて、すとーんと落ちちゃったわよねぇ。ねえ、結局感情なんて崇高なもの、アタシたち人間にはコントロールできないのよ」

まあ、それとこれとは別問題でいい加減本当に料理は覚えなさいなとお小言を貰い、そんな風に私を叱ってくれるのってタマちゃんとシナくらいだなぁって笑ったところで、私のコートの中のスマフォが鳴った。

珍しい。
こんな時間に電話してくるということは仕事関連じゃないだろうし、数少ない友人の筆頭であるトキは多分仕事中だ。
誰だまったくと表示を確認し、その名前に首を傾げる。

「どうしたんだろ、シナだ。今日飲み会だって言ってたのに」
「あら、お迎えコールかしらね? でもシナちゃん、お酒弱くないでしょ?」
「ばかすか飲むよ、あいつきっとザルだ。ちょっとごめんね。――……はい、萱嶋ですけど」

どうも、『もしもし』という言葉が昔から恥ずかしくて、丁寧に名乗ってしまうのが癖だった。
電話口から聞こえてきたのはやっぱりシナの声で、なんとなく後ろに喧騒も聞こえる。最近はあまり騒がしいところには行かないから、少し、懐かしいような気分になる。

「どしたの。珍しいじゃん、時間外に電話とか」
『あー……その、ですね、はい、ええと、おれ案外交友関係狭くって、もうカヤさんしか思い浮かばなくてですね……あのー、今暇っすか』
「タマちゃんとこでだらだらしてた。暇っちゃ暇だよ。ちょっと飲んでるけど」

実際には三敗目だったが、まだ酔っては居ない。
シナも私もザルだけれど、私は潰れない代わりに酷く気が大きくなる。
二人で飲むと結局私ばかりが喋ってしまうから、最近はシナとは飲まなくなった。珈琲と煙草がつまみでも、私とシナは楽しく会話ができる。だからシナが好きなんだけどさ。

そのシナはかなり情けない声で、今から動けますかと言った。

「うん。うん? ……あー、まあ、大丈夫だよ。何、なんかあったの?」
『何かと言うかまあ普通に驚くほど集まった面子が酒に弱くて半分沈んでるっていう状況なんですけど、いや救急車とか呼ぶほどじゃないんですよ。でも、あー、おれとシャチョウがね、一人づつ世話して送ったらもう一人残るんですわ……』
「あー。なるほど」
『おいてくわけにもいかないし、知り合いの番号とかわっかんないし、しかもオンナノコだからウチに連れて帰るわけにもいかなくて、最悪シャチョウが事務所に連れてくっていうんですけど、シイバさ、あー、シャチョウがおぶってる人家がめっちゃ遠いとか言うし。その間店に転がしとくわけにも……カヤさんがもし大丈夫だったらすいませんマジですいません、ちょっと手伝ってもらえたり、しねーかなって……あー、ダメっすかね』
「まあ、私は構わないけど。うち、来客布団は常備してあるし。でもその子が平気かなぁ、私節操無しじゃないけど一応ほら、マイノリティな人だし」
『あ、それは多分平気っす。偏見とかはマジでない人なんで。ほんとスイマセン。他に頼れる大人が思い浮かばなかった』
「……シナにそう言われるの弱いんだよなって最近気がついたんだよね。いいよ、今度煙草奢ってくれたらチャラね。どこ行けばいい?」

経緯を聞いていたタマちゃんは、甘いんだからと洩らしていたけれど。だってシナ好きだし、頼られると悪い気はしない。
面倒だなァ知らない子を泊めるのって、気を使うしなって思わなくは無いけど、シナがあんなへなへなした声でカヤさんしかいないとか言うから、私もついつい見栄を張りたくなる。

駄目な女は、少しでも好きな子に頼られると大人ぶってしまって、よろしくない。
せめて後でシナに文句言わないようにしたいな、と思いながら、カウンターにお金を置いてまたねとタマちゃんに手を振ったのは、まだ日付が変わる前の事だった。



* * * 



それから数時間。
私は、ああそうかー酔っぱらいって怖い生き物だったなぁそう言えば、と言う事を真摯に思い出していた。

「ああほら、そっちじゃない、そっちは違うの、そこはベッドじゃなくて玄関マット……あーだめ! 寝ちゃダメだよ、歩いて、せめて部屋まで……!」

ふらふらとした身体は玄関先に崩れ落ちそうになって、そのまま壁に激突して、抱き上げるのに時間がかかる。
昔は機材も自分で運んでいたし、それなりに体力もあったのに。歳を取ったな、と、変なところで実感してしまって嫌だ。特に最近は重いものは全部シナが持ってくれる。できる後輩がいると、私は弱くなっていくのかもしれない。

大衆居酒屋チェーン店よりは少しだけランクが上な、なかなか洒落た店でぐったりしている人間というのは面白い絵面だった。
でもふわふわした酔っぱらい達はみんな楽しそうで、根本的に酒に弱いだけで無理矢理飲まされたとか、そういうんじゃないんだろうなってわかる。

シナほどじゃないけれどそれなりに背の高い金髪の男性が、しきりに申し訳ないと頭を下げていた。シナは従者A顔だけど、彼はどう見ても麗しい王子様で、思わず見惚れてしまったのがちょっと不覚だった。

私はこのデザイン事務所の仕事に酷く興味があったので、これはチャンスと彼のコートのポケットに名刺を一枚ねじり込んできた。
伝手は作ったもの勝ちだし、仕事は繋がったもの勝ちだ。いつかシナに紹介してもらおうと機会を伺っていたが、これは良い機会だとすこし得をした気分になったものだったけれど。

「……全然得じゃない……」

見た目よりも重い彼女を引きずりながら、安請け合いした自分の見栄を呪った。
オンナノコってもっとふわふわした生き物だと思っていた。ここのところ年上の女性しか触っていなかったし、そういえば思い返せば年下の彼女って作ったことはないかもしれない。

若い彼女達をベッドに引きずり込むのは中々の勇気が必要だ。全てが、私の責任になりそうで怖い。
道を踏み外したのは貴女のせいよ、と言われるのが怖くて、私はいつも少女達のきらきらした眼差しを避けてきた。

だって、お料理方法間違えたら私の責任じゃない。そんなの怖い。
焦がした料理は捨てればいいけれど、人はそうはいかない。だから私は、きれいに盛りつけられて食べられるのを待っている大人の女にばかり甘えてしまうのかもしれない。

いや、そんな考察は、どうでもよくて。

とにかく自宅まで引っ張って来たはいいものの、始終楽しそうにふらふらしている彼女をどうにか布団まで運ばなければならない。
お化粧を落としている余裕も、お風呂に入っている元気も、たぶん無いだろう。まだ若そうだからきっと大丈夫だ。明日の朝ぼろぼろの肌に涙しても、一日寝ればきっと張りを取り戻す筈。若さって偉大だなと思いながら、ふわふわの彼女を支えて歩いた。

シナは彼女のことをユキちゃん先輩と呼んでいた。
相変わらず見た目に似合わず他人を面白おかしく呼ぶ男だ。そういうところも好きだし、やたらコミュニケーション能力が高いのも羨ましい。

ユキというのが苗字か名前かは知らない。
シナは泣きながらこの仕事しんどいけど好きですと訴える男性に肩をかしていたし、件のシャチョウ様は眼鏡の男性にかかりきりだった。とても、彼女のフルネームを尋ねられる状況ではなかった。

名前の知らない女とベッドを共にすることもある。
別に、名を呼ぶわけでもないし。特別必要だと思わない。

今必要なのは名前なんかじゃなくて、この子を支える筋力と、酔いを醒ますスポーツ飲料水だった。
冷蔵庫に入っていたかな。どうだったかな。最近吐くほど酔っていないので忘れてしまった。

「ええと、ユキちゃん? ああ、一応聞こえてはいる? あのね、ベッドはすぐそこだから、あー、もうそのまま寝ちゃっていいから、そこまで行ける?」
「おうちがー……ぐわんぐわんしてますー……」
「うん、そうね、ぐわんぐわんしてるのはうちじゃなくてきっと貴女の頭の方……気持ち悪くは無いの? 平気?」
「ふわっふわです……ふふふ、わたし、おさけこんなにのんだの、はじめて」

ユキちゃんは、ほのかに赤い顔で柔らかい笑い声をあげた。

いくつかな。結構年下だと思う。シナよりは上だろうけれど、二十五歳くらいだろうか。
普段は絶対に触れない若い身体に食い込む指を少し意識してしまう。柔らかな胸元に目が行きそうになって、だめだめ預かりものだからと自制する。

そこまで即物的だったかな、私って。
女の身体は好きだけど、道行く女性を裸に剥く想像をする程じゃないと思っていた。
ああ、そうだ、この子の胸、ちょっと好きなサイズなんだなぁ。あと、顔もかわいい。頭が小さくて、髪の毛は柔らかいセミロングをまとめていて、清潔感がある。

ひざ丈のシフォンスカートも、甘すぎないシャツも、そう言えば好みの範疇だ。おしいのは年齢と出会い方だ。この子が初々しい様子でビアンのバーの扉をくぐってきょろきょろしていたら、私はうっかり甘い声をかけていただろう。

まあ、ノンケなんだろうけど。
無垢な女性を手込にする趣味は無い。

大人しく寝てもらって、明日の朝帰ってもらおうそうしようと思うのに、ベッドに辿りつかないうちにユキちゃんは脚をもつれさせて、私共々崩れ落ちてしまった。

「……っ、つ、ちょっと、大丈夫……もう、酔っぱらいって、怖いなぁ、しばらく私、お酒やめようかな……」
「おねえさん、いいにおいがするー……」
「いいにおい? 煙草の匂いじゃなくて?」

なんだか立ちあがるのも面倒になって、酔っぱらいの下敷きになりながら天井を見上げた。
隣にはやっと出した炬燵がある。作業をして、ご飯を食べるだけのスペースだけれど、今日はここが寝どこも兼ねそうだと思った。

ユキちゃんは、ふわふわ笑う。

「なんだか、甘くて、すうっとするにおい……」
「あー。ミントタブレットかな。そういえば、私無意識に口に入れてるかも」

シナは気がつけば珈琲を飲んでいるけれど、私はタブレットを口に放り込んでいる。
今日のはなんだっけ。ヒットミントのシナモンタブレットだったような気がする。クラシカルな缶にピンクのタブレットが気に入って、仕事が終わるとよく口に放り込んでいる。仕事中はフィッシャーマンズフレンドだ。

「ミントがすき? シナモンが好き?」
「みんとはわかんない、です、でもシナモンアップルパイ好き……」
「ああ、おいしいよね、アップルパイ。自分で作ったりするの?」
「……おりょうりはにがて」
「じゃあ、私と一緒だね」

私もニガテだ、と笑うと、胸の上の重い酔っぱらいもくすくすと笑った。
私はミントとシナモンの匂いらしいけれど、彼女はピーチとお酒の匂いがする。ピーチフィズかな、ピーチウーロンかな。少しだけ香る煙草の匂いは、シナの煙草かもしれない。
なんとなく、彼氏の煙草の匂いだとは思いたくなかった。

「気持ち悪くなったら言ってね、私は結構今日はお人よしだけど、流石に自分の上に吐かれたくないから。水ならいくらでもあるし、そのくらいの世話はしてあげる。あと一応言っとくけど私はレズビアンだから、もし嫌なら自力でどいてね」
「…………おんなのこがすきなんです?」
「うーん。おんなのひと、かな。女の子は、ちょっと怖い」
「こわいの?」
「こわい。未知の生物だから。ああ、そうだな、私はきっと私としか恋愛できないんだな。弱虫だから」

知らない人は怖い。
知らない思考回路は予測できない。
だから私は私と同じ駄目な女にばかり嵌って、結局共倒れしてしまって、それでも相手の方が強いから、あなたじゃ駄目だったわって捨てられるんだろうなぁ。

そう思ったら少しだけ泣きそうになって、年下のオンナノコを胸の上に乗せながら自分が可哀想になって泣くなんて、あとでタマちゃんにしこたま呆れられそうだなと思った。

「……ユキちゃんは、こわいものないの?」

なんとなくぽつりと呟くと、胸の上の生物が少しだけ考え込んだ気配がした。
思考回路は、まだ一応動いているらしい。

「…………しゃちょう」
「え。結構優しそうな人だったけど。あの王子様、実は鬼畜なの?」
「やさしいから、こわい」
「……すきなの?」
「もう、あきらめました。そういうのじゃないって、知ってるから。でも、すぐにやっぱりすきかもしれないっておもって、いろんなひとにもうしわけなくて、時々、涙が出るのが、すごくこわい」
「すきなんだね」
「…………わかんない」

確かあの金髪男子は恋人が居た筈だ。そんな話をちらりとシナに聞いた気がした。ソレに今日も、彼の左手の薬指には細いリングが嵌っていた。
アレを送ったのは同性だと思った。女性の趣味じゃない。直感でそう思った私は、ユキちゃんがどうにも愛おしくなって悲しくなった。

他の女に取られたのなら、もっと嫉妬もできただろうに。
きっと、彼の恋人は素敵な男性なのだろう。恋になる前に恋を封じている少女は可哀想で哀れで可愛くて、私は泣いてしまって、それにつられてユキちゃんも泣いてしまった。

年下の女の子はわからない。
わからないけれど、少しだけ、ちゃんと人間なんだなぁと思って、触れている胸が熱くなった。


明日目が覚めたら、自己紹介をしよう。
名前なんか知らなくてもいいけれど、私の名前をこの子に覚えてもらいたいと思った。



End