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「#学園」のBL小説を読む
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冬の初めはだるいので



 わけもなく『ああ、今日はだめだ』って思うこと、あるでしょう?
「めっ、ずらしーね……隈浮いてんじゃん」
 うはは、と笑うサクラちゃんの声はちょっとだけ控えめで、そんな些細なことにも愛を感じてしまってもうだめだ。
 今日はだめだ。朝から、というか寝起きから、なんなら眠れなかった夜半過ぎからだめで、目を閉じても動いていても仕事をしていても物を口に入れて咀嚼していても、なんとなくだるいし意味もなく悲しい。
 そういえばこのところ忙しかった……ような、気がする。年末進行で……いや、年末進行は来週あたりからだな。え、じゃあなんであんなにバタバタしたんだろう。雪ちゃんはミスしてないし椎葉ちゃんに怒られた記憶もないし、でもなんだかゆっくり談笑するようなタイミングもなかったんだけど……だめだ、ちょっと記憶も怪しい。
 サクラちゃんを出迎えるために立った、拍子にぐらりと眩暈に襲われて、たくましい恋人に寄り掛かってしまう。外は昨日から雨が降ったり止んだりで、バイクを飛ばしてきたであろう彼の身体は、上着を脱いでもうっすらと冷たい。
 外のにおい、雨のにおい、サクラちゃんのにおい。それに混じってちょっとだけ煙草のにおいが鼻先を掠めた。
「……サクラちゃんこそ、珍しいね。喫煙ルームは苦手じゃなかったっけ」
「んーあー、煙草ニオイついちまってる?」
「若干」
「カラオケの中でバカスカ吸いやがる奴が居たんだよ。子供生まれてからは家じゃ吸えないからーとかなんだかんだ言ってたけど、子供に害だって思ってんならトモダチ相手にも気ぃつかえよって話だよなー」
「もう忘年会の時期なんだねぇ……」
「年末は会社の忘年会で忙しいからって、先行招集されただけだよ。俺が酒に呼ばれて、有賀さんがぐったりしだすと冬来たなーって思うよな」
 大丈夫? なんてのぞき込んでさらっと頬に手を当ててくれるからサクラちゃんは今日もイケメンだ。イケメンすぎて心配になる。普段はそんなに気にしていない嫉妬心が急に湧き上がって、僕のなんていうかこう……胸の奥? みたいなところからじわじわと這い上がってきて、どうしようもなくなった僕はあーとかうーとか唸りながらサクラちゃんをぎゅっと抱きしめてしまった。
 何と言っても今日の僕はずっとだめで、ぐらぐらで、わけもなく悲しいからだ。
「え、どしたの有賀さん。具合わりーの?」
「悪い……のかなぁ。どうだろう。自分ではそれなりに健康なつもりなんだけど、そういえば頭が痛いし目も痛い」
「低気圧のせいじゃね? 有賀さん、夏の雨は平気なのに寒い日の雨はなんかうだうだしだすよなー」
 爆弾低気圧だってさ、とサクラちゃんはさらりと笑い、だらりとしなだれかかったままの甘ったれた僕を引きずって歩く。
 いつものようにベッドの中ほどに腰を下ろした彼は、当たり前のように両手を開いて『はいよ』と笑う。
 ああもう、その、そのね、きみのその僕に甘いだけの顔が大好きでちょっと泣きそうなんだよ僕は。
「サクラちゃんが僕に甘い……」
「んだよーいつだって俺は有賀さんにはデロ甘だっつの。てかあんたがデロ甘だからだろ。おら、さっさと来い」
「しつれいします……」
「……まあ、熱はねーな。むしろなんかつめてーな。やっぱ暖房、ハロゲンだけじゃ足りないんじゃね?」
 サクラちゃんの足の間に腰を下ろした僕は、お言葉に甘えて好きなように腰に抱き着く。
 抱きしめ返すように、背中をさすってくれる手がほんとうに、なんていうかこう、甘くて優しくて、少しだけ息が楽になる。 ゆっくりと吸う。じっくりと吐く。あとは、体温と声をゆるやかに感受することに集中する。
 僕は実は花粉症じゃないし、風邪もそんなにひかない。外出したり人の多いところに行く事が少ないから、単純にウイルスとか細菌とかに触れる機会が少ないだけなんだろうけど。
 細いのにわりと元気ですねとか、社長徹夜しても隈できませんもんねとか、そんな事を言われまくる僕だけどどうしてか寒い日に急に何もできなくなる、時がある。特に年の瀬が近づくと、シンプルに忙しいのも相まって、眩暈のような憂鬱の頻度も高まった。
「……あーーー……いや、ほんと今日、なんでだろうね? なんかこう、ずっとうっすーらネガティブっていうか無駄に悲しいっていうか……」
「急にさみーしなぁ。明日最高気温七度だってさ」
「うっそ……ええ、冬じゃないの……僕まだ冬のコート出してない……」
「先週ドライブ行っちまったもんなー。いい天気だったからつい。……いい天気だったから洗濯掃除衣替えするべきだったのか? 俺達」
「えー。でも楽しかったよ。紅葉って初めてちゃんと見たけど、視界が原色で埋まるの、面白くてすごかった」
「有賀さん土産にそば茶買ってなかった?」
「……買った、かも」
「あれ飲んでさ、ちょっと息吐きゃ多少はマシになんじゃね? つか別に今日なんかもう飯食って寝るだけっしょ。具合悪いってわけじゃねーなら、このままだらだらして横になっちゃえばいいじゃん」
「でも、サクラちゃんのご飯……」
「俺だって親子丼くらい作れますー」
 頭をわしゃわしゃ、とされて、気持よくてくすぐったくて少しだけ笑ってしまった。
 僕は時々、なんていうか本当に意味も分からずにああだめだなぁってぐらぐらする時がある。
 忙しかったりだとか、仕事で嫌なクライアントに当たったりだとか、人の悪意を浴びた時だとか、憂鬱な雨がやまない時だとか、台風が近づいて遠ざかる時だとか。後半それ気圧じゃんねーって元気な時には苦笑いできるんだけど、いざぐらぐらしているときは『僕ってなんでこんな些細なことで体調も維持できなくなっちゃうんだろう貧弱か……』って思ってしまう。
 そういう時に、サクラちゃんがからりと笑って雨のせいだ寒いせいだ気にすんな寝ろって言ってくれるのは、すごく、とても、きっと僕が思っている以上にありがたいことなんだろうな、と思う。
「メンタルはそこまで弱い方じゃないんだけどね。……なんでだろうね」
 サクラちゃんの太腿に頭を乗っけて息をする。ジーンズのにおいが好きってわけじゃないけど、なんとなく人の気配というか、生きている人のにおいは落ち着く、気がする。
「有賀さん、あれだよなぁー。儚い王子みたいな見た目なのに鋼メンタルだもんな。牛丼屋もカフェも焼肉も余裕で一人で入れますみたいな」
「え、ああ、いや、入れって言われたらまあ、普通に行けるけど、一人で焼肉は焼いてる時手持無沙汰になりそうだね……本もタブレットも油でべたべたになっちゃいそう。焼肉行くならサクラちゃんと一緒がいいなぁ……あ、そういえば雪ちゃんが焼肉行きたがってた……のを、いま、思い出した」
「え、なんで? 雪見ちゃん肉食系なん?」
「食の好みはしならないけど焼肉屋行ったことないんだって」
「……マジ? マジで言ってんの? 嘘でしょ現代女子が? 食べ放題女子プランだってある世の中なのに?」
「まあ、そういうこともあるんじゃない? 選べない程選択肢がある世の中だし」
「まー言われてみりゃ、そうだけど。んじゃ、今年の忘年会鍋じゃなくて肉にすっか?」
「みんな肉大丈夫だったっけ?」
「良悟は食うだろ。唯川くんはわかんねーけど食えなかったら勝手に野菜焼いて食ってそうだし気にしないんじゃね? 夏のキャンプでカレーに入ってた肉は食ってたし。えーとトキくん……は無理か今年も」
「この時期いつも、忙しそうにしてるもんねぇ……」
「壱くんは?」
「あー……肉、駄目かな。聞いてみようか」
「あーあーそういうのは後でいい。後回し。つか俺が明日空いた時間にやっとくから有賀さんは気にしない!」
 頭を起こして携帯を探そうとしたのに、結構な力で引き戻される。ひどい。いや、優しいキュン……とは思っているよ、うん。……サクラちゃんは優しい。本当に、小さな重しさえも全部取っ払って、ハイハイもう寝なさいって笑ってくれるから、優しい。
「でも、タスク作っとかなきゃ忘れちゃうし、やんなきゃーって思ってるだけでも疲れちゃうし……ええとあと萱嶋さんにも連絡して――」
「君江さんなんか雪ちゃんがしてくれるっしょ。いーのいーの、今年の幹事は良悟あたりに任せりゃいいじゃん。なにも有賀さんがまとめなくたっていいんだし、つかトモダチで集まるだけだし、来たい奴だけ来たらいいんだよ。来年になったら世界滅亡してる、なんて可能性ほとんどないっしょ?」
「……まったくない、とは、言い切れないけどね」
「有賀さんはさー、なんつーか、体力ないのに頑張りすぎんだよ。たまにはだらっだら甘えて俺の手を焼かせりゃいいんだよ」
「えー……サクラちゃんにはいつもすごくお世話になってるのに……これ以上甘えたら僕嫌われない?」
「有賀さんに甘えられて嬉しいならまだしも、嫌いになんかなんねーっつの」
 ふはは、と笑う、からりと暖かい声が気持ちいい。
 気に入ったのかなんなのか、サクラちゃんは僕の髪の毛をわっしゃわっしゃとかき混ぜて、時々梳いて、たまにいたずらに耳を撫でる。
 くすぐったい。それはずるい。ふふ、と笑ってしまうのは仕方ない。
 僕の湿った気持ちも、ちょっとずつマシになっていく。きみのからりと乾いた優しさが、水っぽい憂鬱を吸い取っていく。そんな妄想をしながら、僕はゆっくり息を吐く。
「……ちょっとは落ち着いたか?」
「うん。……ちょっと、息が楽になった……かな?」
「有賀さん働きすぎなんだーっつの。この前も無償でなんか引き受けてたっしょ。有賀さんは一人で身体も一つしかねーんだから、俺といちゃいちゃする分の体力と時間も残しといてもらわねーと」
「……愛想尽かされちゃう?」
「尽かさねーですよばーか。俺が寂しいっていうだけの我儘だよ」
 かがんだサクラちゃんの唇が、ちょっとだけ僕の頭に触れる。
 サクラちゃんはなんていうか……キスがかわいくてずるい。僕がふぁーってしてしまう。
「つーか気分落ち込むのに理由なんざいらないっしょ。なんか悲しいとかなんか辛いみたいなときもあんじゃねーの? ま、大体は身体の不調っしょ。寒いとか頭いてーとかそういうのだって結局は不調だ、不調。お湯沸かして茶飲んで好きな事して寝ろー」
「うん。……でも、もうちょっと、サクラちゃんとだらだらしていたい……っていうかこの体勢がとても、なんていうか、いい」
 ぎゅ、と腰に抱き着くと、なんとも言い難いとても満足そうな声が頭の上から降って来た。
「ふふふ。いやーなんか、いつも俺が有賀さんにぎゅーぎゅー抱き着いてばっかだから、こう、新鮮でいいなーこれ。癖になる。つか年下男子じゃね? 今日の有賀さん、めっちゃ年下の恋人ムーブじゃね?」
「……年下の恋人が好みだったっけ?」
「自分の好みなんか忘れたっつの。強いて言うならアンタが俺の好みだよ」
 ……今ちょっとドヤったなぁサクラちゃん……と思って顔を上げたら、耐えられなくなったらしいサクラちゃんが恥ずかしそうに『ごめんいまのなし』と笑っていて本当に可愛くて僕の不調なんか正直どうでもよくなった。
 いや、うそ、本当はぐらぐらします。頭も痛いし、食欲もよくわからないし、気を抜くと急に悲しいことを考えちゃったりします。でも、ほら、サクラちゃんがそうやって『なんか食って寝ろ』って言ってくれるからさ。
「……お茶、いれようかな」
「んー。お湯くらい俺が沸かすけど?」
「ていうかご飯、作る。作ります。材料、買ってあるから」
「大丈夫なん? 俺は有賀さんがメシ作ってくれるなら、そりゃありがたく食うけど」
「ん。炒め物にしようと思ったけど、カルビクッパにしちゃう。そしたら僕も食べやすいし、ぶちこんで煮るだけだし、期限切れそうな卵も消費できるし。ええと、さくっと作って、さくっと食べよう。そしたら、そのあと、もうちょっとだけ甘えていい?」
 かくん、と首を傾げる様が、きみの性癖に刺さるってことを、僕は学習してしまっているので。
「………………あざと。いまのちょっとあざといっすかわいい三百万点」
「それ、何点満点中?」
 ふふ、と笑う余裕が出て来たのは、きみの声と言葉と体温のおかげなんだろうな、と思うよ。
 今日はだめだ、本当に。そう思った時に、僕はしばらく『食って寝ろ』と言ってくれるきみの言葉を思い出すんだろうな。