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チラチラうつる、沈んで笑う




「……サクラちゃん、視力落ちた、の?」

おずおず、というか、こわごわ、というか。
なんかそんな風に妙に不安げに言葉を投げられて、一瞬何のことかと怪訝に眉を寄せてしまいそうになる。

固まること三秒。
怪訝な顔をしているのは有賀さんも一緒で、何とも妙な沈黙が通り過ぎてしまった。ああ、いや、俺が悪いんだけどさ。なんかこう、目に見えるもの以外ってやっぱり意識からスポーンと抜けてしまいがちだ。

そういや今日の俺は眼鏡してた。
と言う事に、三秒怪訝顔晒してからやっと気が付いた。

「あ。あー、いや違う違う。違う、ます、えーとこれ度は入ってない。つか有賀さん今日暇だっての嘘じゃん仕事してんじゃん俺やっぱ帰る?」
「違いますこれは自主勉強なので仕事ではないです、今サクラちゃんが踵返して帰っちゃったらね、ちょっと僕は泣きそうだから困るね」
「しれっとした顔で口説きやがって今日もかわいいなちくしょー」
「え、じゃあ伊達メガネ?」
「うんにゃ。紫外線カットグラス」
「あー。……サングラスか」

納得した、という顔をした有賀さんの視線がふっとスワンハイツの窓に向かう。まあわかるよ今日そんな日差し抜群ってわけでもねーよな、曇りだし。
サングラスとか必要なの? という疑問を表情から感じ取った俺は、よっこいせと腰を下ろしながら頬杖をついた。

「あのー、な? これ、割とマジで有賀さんだから言うっていうか他の奴には死んでも言いたくねーんだけどさぁ。実は飛蚊症がさーここんとこ酷くってさーぁ」
「ひぶんしょう」
「うん。あの、目の、ほら。なんかチラチラするやつ」
「あ、はい。勿論わかるし僕もそんなに眼球健康ってわけでもないから身に覚えはあるけど、なんていうか……サクラちゃんって隅から隅まで健康優良児だと思ってたから、今ちょっとびっくりしてる……」
「いやーわかる。わかるって言っちゃうのもどうかと思うけどわかるわ俺だって自分の事健康だけが取り柄ですーって思ってたもん」

なーんか壁見てるとチラチラするんだよなーなんて思い始めたのはこの春先で、一応馴染みの眼科で戦々恐々と診察を受けたのは先週のことだ。
飛蚊症っていきなり出てくると網膜剥離の前触れだとか言うじゃん? ほらボクシングとかでバーンって殴られて網膜剥離になるときとか、あるって言うじゃん?

俺はボクシングが趣味なわけでもないし、別に頭バーンってした記憶もねーけども一応人生何があるかわからんし、放っておいてヤバい事になっても困るしさ。
まあ、それなりの覚悟で診察室の椅子に座っていたわけだけど、そんな俺に吉野眼科の吉野じいちゃんセンセイが言い放ったのは『歳だね』の一言だった。

無情。
無情すぎて一瞬何言われたかわかんなかったもんよ。
え? なに? とし? としっていった? って固まっちまったわけだ。

って話を嫌だけど真摯に包み隠さず有賀さんに打ち明ける。と、年下の恋人は休日だってのに麗しい顔面を『びっくり』みたいな顔にしてしばらく驚愕晒していた。
いやーわかるよ。俺もね、びっくりだったもの。

「……え、老化? ってこと? サクラちゃんが、老化……老化?」
「いや何回も言うのやめて。心に刺さっからマジで。わりとぐっさり来たからマジで」
「え。ええ……いやだってまだ三十代じゃないの。この前今村さんのお見舞い行ったけど、回診してたお医者さんずーっと『まだお若いですから大丈夫ですよ』って言ってたよ……?」
「あー今村さんぎっくり腰で入院だっけ。足腰系はなー五十代なんてまだ若い扱いされるよなー。言うても三十代だしなぁーってなんか、わかってたけどちょっとショック受けちまってさー」
「ああ……うん……僕もなんか『え?』って気持ちがこう……ずしんと来てる」
「だよな? やっぱそうだよな? いきなり歳ですから仕方ないですねとか言われると『うわー俺そういう事言われる年齢になっちまったのかー』って思うよな?」
「思う。思います。サクラちゃんなんか見た目が若いから余計にそう思っちゃうよね」
「若いっつーか落ち着きないだけでしょ俺はさ。なんかこう、もっと順当に歳とってかっこよくオッサンになれたらいいんだけどさー……なーんかいつまでも若いにーちゃんのつもりなのがダメだよなー」

つーか現状、周りの人間の年齢が高すぎるってのもよくない。
友人はさておき、俺の職場周りの平均年齢はざっと六十歳だ。なんなら七十歳かもしれない。そのあたりの人間に『サクラは若造だから』と言われまくっていると、いまいち自分がオッサンになっているという実感がない。

そっかー俺、加齢で身体に影響が出始める歳かー、ってのがじわじわと心に来ていて、いやまあどうしようもないし別にどうでもいい事ではあるんだけど……。

例えば人生の目標みたいなもんもないし、何歳までに出世が目標みたいな社会にいるわけでもない。家庭を持つことは諦めている。というか持つつもりはない。元からなかったけど一生物のパートナーが隣にいるわけで、今更どうにか女性と結婚してという方向に舵を切るつもりは毛頭ないわけだ。

老いるまでにやるべきことがない人生だ。
じゃあもう別にこのままオッサンになってジイサンになって行っても問題ない、わけだけど、心情的にはがっくり来ちまう。

そっか俺の目の飛蚊症って歳のせいかー。
老眼が始まったわけじゃねーけど、やっぱりショックで俺はうだうだとしてしまう。
一週間ずっとうだうだしている俺の対面で、俺より先に老化ショックから立ち直った有賀さんは机の上に開いていたなんかの参考書だか専門書をぱたんと閉じて、几帳面にマーカー類を仕舞い始めた。
よく見りゃ有賀さんも眼鏡だ。有賀さんのはちゃんと度が入ったやつで、休みの日はわりとコンタクト入れるの面倒くさがって眼鏡をかけていることが多い。

「老化って言われると、えーそんな嘘でしょって気持ちになるけど、三十過ぎたら体力落ちるってよく言うもんねぇ。体力が落ちるんだから目も悪くなるよね。って思ったらちょっと飲み込めてきた。サクラちゃんが老化とか歳とか言うから、ほんと、えええって思っちゃったけどそりゃ僕たちずっと若いわけでもないしね、うん。仕方ないよね、うん」
「めっちゃ言い訳飲み込んでるじゃないですかぁ。有賀さんもあと五年もしたら老化来ますよ。まずは頭皮が剥げると思う」
「やめて。ちょっと気にしてるんだから」
「じゃあそのブリーチ辞めたらいいのにさ。別に俺、有賀さんが金髪王子じゃなくて黒髪王子でも性癖にぶっ刺さる自信あるよ?」
「性癖……うん? うん。ええと、その自信は嬉しいんだけど、似合わないからね僕。いっそ早く白髪になっちゃえば軽い色に染めるだけでいいのなぁって思ってるくらいだからね。サクラちゃんは眼鏡も似合ってていいよね」
「あ、ほんと? すげー悲しい気持ちで適当に紫外線カットのやつ買ったんだけど、いけてる? まじで? でも有賀さんの言葉って信用できねーからなぁ」
「わぁひどい。こんなに好きなのに」
「好きすぎて濁ってんだよ、主に目が」

ふはは、と笑う余裕が戻ってくる。

別に仕方がない事だと分かっていても、沈んでしまう気持はどうしようもない。そういう時に口に出して一緒にうだうだして、まあどうしようもないしとりあえず飯食ってチューしようぜって言える相手がいるって、すげー幸せなんだろうな、と思う。

あー。
……すげー幸せなんだろうな、俺。
ちょっとなんか涙出そうになってきたわ。やばい。心無い眼科医の一言のせいで情緒が迷子だ。

「あーりがさーん」
「え、なに、うわっ……」
「……好きって言って」
「好き。大好きです。え、どうしたの急に、ちょ、眼鏡当たる、当たる、カツカツいってる、どっちか外さないとこれキスできない……」
「え、じゃあ俺外、」
「待って待って勿体ない。あ、写真、撮る。写真撮ればいいんだそうだ待って外さないでサクラちゃんダメ、あ、ひどい、どうして……!」
「いや後でもっかいつけたるから泣くなよ……」
「泣いてないけど悲しい。似合ってるのに。眼鏡って、本当に印象変わるよね……僕は割とオタクっぽくなっちゃうんだけど、サクラちゃんはファッションっていうか、かっこいいねぇ……はー好き。今日はずっと眼鏡のサクラちゃんを眺めて酒を飲みたいです」
「いや仕事してたんじゃねーの? なんかいそいそしまっちゃったけどいいの?」
「本当は駄目なんだけど明日の僕に期待して今日はもういい事としたい」
「希望系かよ。有賀さんがいいって言うなら、俺はとやかく言わんけど。眼鏡取っていい?」
「えー……」
「だってカツカツしてチューできねーじゃん」

いやほんとに、お互いのフレームがカツンカツンとぶつかってキスどころじゃない。ぶつかるとちょっと痛い。軽く響く音が面白くて笑っちまって、腹筋震えて変なツボに入っちまって、おかしな体勢のまま二人でくつくつ、ふはははと笑ってしまった。

眼鏡一つで心底へこんで、眼鏡一つであほほど笑う。
人生わりとどうでもいい事に労力裂いちまってるのかもしない。けど、まあ、何もない凪いだ日々よかマシでしょと思うから、笑って息吸って眼鏡取ってチューしてまた笑って息を吐いた。

なんとなく、まとわりついていた憂鬱が消えた、気がする。
どうしようもない。年をとるのはどうしようもない。生きているし、時間は経つし、そういうものだと分かっているけどでもああこうやっていつか死ぬんだなぁなんて悲しい事考えそうになる気持ちを、あんたの存在一つで『でもまあ幸せだよな』と変換できるから、やっぱすげーわ有賀さん、と思う。

やっぱすげーわ有賀さん。出会ってくれてよかったよ。
……飛蚊症と眼鏡きっかけで感謝されても微妙かもしんないけど、でもやっぱすげーからもっかいチューしといた。


オッサンになっても、ジイサンになっても、隣で笑うのは有賀さんがいいなぁ、なんて。
俺はそう思っちゃうわけだよ。