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髑髏男は泳ぎたい



 画面の中には髑髏男が立っていた。
『ええーと、こんばんはー……こんちには? あ、おはようございますの人も、いるかな……なんか、全部合わせた挨拶あるといいですよね、日本語にも。チャオとかハァイみたいな……あ、ええと、そんなのどうでもいいんですけど、とりあえずおはようございました』
 鼻に抜けるような不思議な声だ。不安定でかなり高い。それでも女の声とは違うことはわかるから、骸骨メイク野郎は男だ、と断定できる。
 いつものように少しだぼついたシャツの上にごついエプロンをしている。こういう殺人鬼いたよなぁと思うが、それが何だか思い出せない。俺はホラー映画は見ないから、そもそも脳内にストックがあるかどうかもあやふやだ。
『今日はですね、えー……もうすぐ夏なので。夏なのでってわけでもないのかな、まあいいや、その、夏なので、夏っぽいものを作ろうかなって思ってます』
 顔は白塗りで、目の周りはパンダみたいに真っ黒で、口の端には縫い目のような模様が書き足してある。
 どうみても髑髏なのに、動画の投稿者名は『ね岸愚者』だった。ね岸髑髏の方がキャッチーじゃねえのと思う。
 愚者と書いて『ふうる』と読む名前もなんとなくしっくりこないが、世の中の若者や子供はふーさんだのふーちゃんだのとわいわい慕っているようで、ネット社会わっかんねぇなぁ、と目を細めてしまう。
『うん、あの、夏なので。アレ作ろうかなって。夏だから、人体模型』
 いや何で夏だから人体模型なんだよ。
 そうは思うものの、動画の男に突っ込んでも仕方ない。さらっとスクロールしたコメント欄は大盛り上がりで、夏と言えば人体模型ですもんね、さすがふーさんわかってる、やっぱ人体模型がないと始まらないよね夏。などとノリに乗った言葉が乱舞していた。
 一歩引いてみてしまうと寒いと感じてしまうが、そう思ってしまう自分はこの動画の客じゃねーんだろう。好きな奴が好きなように見ればいい話で、強要されているわけではないのだから。嫌だと思えば動画を閉じればいいわけだ。
 そう思いつつも動画止めないのは、なんとも言い難い、いかんともしがたい理由があるからだが……とりあえず自分の感情には蓋をした。
 動画内の髑髏男はひょこひょこと動き、思いのほか手際よく必要なものを並べていく。既製品の人形、粘土、着色道具。ペンキで汚れた作業机の上は乱雑だ。
 それでははじめましょう。というテロップの後は軽快な音楽とともに髑髏男は二倍速で動く。ひょこひょことした動きはせかせかに変わる。カメラワークは机を上から映すアングルに変わり、まな板のような作業台の上の人形はどんどんと不気味な肉付けをされ、魔法のように気持ちの悪い人体模型が出来上がっていった。
 いつ見てもえぐい。完成度だけはやばい。
 目を細めながら本当に半歩程度頭を後ろに引いてしまう。俺が思う存分引いているうちに、エプロン姿の髑髏男はさくさくと作品を完成させた。
 完成! の文字の後に、異常に不気味な人体模型がどーんと映される。その横には『夏の人体模型/ね岸愚者』の署名がぽん、と押された。
 ね岸愚者は所謂ユーチューバーと言われる人間だ。あまりネットに馴染みのない俺は詳しくは知らないが、自称不気味アート系ユーチューバー……らしい。他にも似たような人間がいるのか、世界にね岸愚者だけなのかはわからない。とりあえず俺が知る『不気味アート系ユーチューバー』はね岸愚者ただ一人だ。
 チャンネル登録者数は百万人以上(これがどの程度すごいのかわからないが少ない数字ではないことはわかる)。
 新規投稿された動画は一時間で十万単位の再生数に達する(前途と同じだ)。
 ね岸愚者はいつも白塗り髑髏顔で、少し挙動不審で、さくさくと不気味なものを作り上げていくユーチューバーだ。
「……みーちゃん、あの……そんな苦そうな顔するなら、ぼくの動画見なくてもいいんだよ……」
 そしてね岸愚者は、俺の自宅であり職場でもある修繕屋呉喜楽にやたらと通ってくる男、鈴木恋仁郎の別の顔だった。
「いや……だってよ……これ昨日のド深夜アップの新作だろうがよ……うちのチビどもが帰ってきたら見せろ見せろってぇ、迫られんの目に見えてるだろうがよ……夕方までに倫理的にいけっかどうか確認しとかねぇとだろうがよ……」
「えー……? でも動画の審査は通ったからR18Gじゃない筈……」
「ばっか、一般的におっけーでも直子さん的におっけーじゃなかったら駄目なんだっつの!」
「え〜? じゃあなおこさんが見たらいいのに……」
「直子さんは! ホラーがダメなんだよ! つか夏だから人体模型ってなんだよ!? なんでだよッ」
「え。夏だから……人体模型かなって……」
 だめだ今日も会話が地味に繋がらがない。
 いや会話は繋がるんだが、いまいち意識というか根本的な部分で共感ができないっつーかすれ違いがあるっつーか分かり合えないっつーか。そもそも、鈴木恋仁郎(または、ね岸愚者)のあたまン中を理解しよう、なんて思う方が無理なんだろうと結論付けた。
「だいたいアンタの大丈夫は信じらんねぇんだっつの。この前も全然グロくないもんとか言いやがって十二指腸出てただろうがよ……」
「内臓は教科書にもあるじゃん……こう、ほら、生きたまま指がすぱーんと飛んだりとか、脳みそもぐもぐしたりするのがさ、グロいってやつでしょ? えーと、ハンニバル・レクター的な……」
「誰だよその強そうな名前」
「映画の人。あたまのいいさつじんきさん」
 俺の横にちょこん、と正座した男はかくん、と首を傾げて両の指先をちょこんと合わせる。
 だぼっとした服を好んで着るせいで、いつも萌袖なのが嫌だ。三十過ぎのおっさんなのにちょっとかわいいと思えてしまう俺が嫌だ。
「べつに、倫理的? に駄目なら、ぜんぶ禁止にしたらいいのに。これはだめ、これはいいよって見せるから、もっと見せて見せてってなるんじゃないの」
 おっさんなのに頬をふくらませやがる。おっさんのぷくーとしたほっぺたにグッときてしまう俺はグッと来たことを絶対に悟らせないように細心の注意を払いながら眉を寄せる。
 みーちゃんは怒ってばっかりいる、とコイツはよく喚く。ばっかおまえ怒った顔しとかねえとにやけんだよなんて事は一生言いたくない。絶対に。絶対に一生言いたくない。絶対にだ。
「アンタのコンテンツがなー課金制の映画とかだったら俺だってこんな苦労しねえの。今や子供の娯楽はユーチューブだぞ。昨日のテレビみた〜? くらいのライトさで学校で話題にされてる人気者が『禁止したらいいじゃない』とか言うんじゃねーっつの」
「……べつに。人気者になりたくってやってるわけじゃ、ないんだけど……」
 それは知っている。生きる為に手をだした動画配信がうっかり意味のわからないヒットをかまして引くに引けなくなった、という事情を、俺だって知っている。
 じゃあまっとうに会社で仕事しなさいよ、などと言えない。鈴木恋仁郎が世界にうまくなじめない事を、俺だって嫌という程知っている。夏といったら人体模型な男が、どうやって世間になじめるってんだ。無理に決まってんだろうが。
「……ヨシ。まあ、今回は大丈夫だろ。内臓てらてらしてねえしな」
「…………内臓光らせたら駄目……ふーおぼ……」
 細めた目で動画を見終わった俺は、俺にしかわからない裁量で『小学生の義弟と義妹に見せても義母には文句言われねえはず』という判断をかましてからパソコンの電源を切る。ぐっと伸びをする、隣でなぜかちょこんと正座していた男も猫のように伸びをした。
 猫って程可愛くもない。髑髏メイクを落とした鈴木恋仁郎は、普通に虚弱で不健康そうで不気味に髪の長いオッサンだ。
 ……冷静に見れば見るほど、別に美人じゃない。三十三歳の男としてはまあまあ綺麗な顔かもしれねえけど、十個も下の俺からしたら普通にオッサンだと思う。
「みーちゃんお仕事終わった?」
「……仕事じゃねえけど終わったよ。あと今日仕事は入ってねえよ残念ながら閑古鳥だ。っつーわけでプール行くぞオラ、立て立て、貧弱運動音痴」
「えー……合ってるけど……貧弱運動音痴で合ってるけど、せめて個人を認識する名前で呼んでほしい……」
「さっさと行くぞ鈴木恋仁郎」
「うわあフルネーム」
 可愛く呼んでよと真顔で膨れる男の歳を考えて頭が痛くなりそうになる。でもこいつはこういう奴で、こういう奴にうっかりグッとしたりきゅんとしたりしちまうのは俺で、なんつーか全部まとめて受け入れるにはまだ度量が足りないわけだ。
「れんじろうってなまえ、嫌いじゃないけど。みんながふーさん、って呼んでくれるの、結構うれしいから、みーちゃんにもふーさんって呼んでもらえるとれんじろうは嬉しい」
「つーかみーちゃんって呼ぶな。辰爾だっつってんだろ。普通はたっちゃんだろ」
「えー。普通なんて、もったいないじゃん。普通じゃないほうが、不思議でいいよ」
 ……もったいない、って言葉の感覚がやっぱり俺には理解できないけれど。三十三歳の男の社会不適合なその感性はまあ、嫌いじゃねえなとは思う。
 いいから立てと蹴ると、妙な照れ笑いをしてから虚弱な三十三歳――ふーさんはよろよろと立ち上がった。
 修繕屋といっても何でも屋みてえなもんだ。なんでもかんでも来る仕事には食いついているけれど、残念ながら食っていけるほど稼げていねえ。急におっ死んだ親父の後を継いだとは言い難い現状だ。
 だから俺はバイトをしている。まあ、それなりにいろんなバイトかけ持ってきたけど、今はほぼ一つに絞っている。
 その副業ってやつは、この虚弱で小学校以来プールに足も突っ込んだ記憶もねえっつー三十三歳に、泳ぎを教えることだった。
 死ぬ前にでっかいイソギンチャクが見たいから。
 そう言ってはにかんだ男の感性は、やっぱり俺にはわからんけども。
「つーかバタ足くらいはできるようになったんだろうな……今日ビート版で進めなかったらマジでスクワットとランニング追加すっぞ」
「えー。えー? えー……筋トレやだ……走るのもやだ……ふーはーってなる……」
「なんだそりゃ」
 普通に立ってるはずなのにぐらぐらと頼りなく揺れる男のケツを蹴り、いたいと呟く後ろから、はーほんとなんでこんなのがこんなに可愛いんだと頭を捻った。
 俺の副業は、不気味アート系ユーチューバー野郎が泳げるようになるまで特訓する事。
 んでもって俺の恋の期限ってやつもまあ、コイツが泳げるようになるまで、なんだろうが……あと二年くらいは余裕あるんじゃねえのか? なんて思っていた。