ブロッコリーとの戦い方
サクラちゃん台所貸して、なんて珍しい事言うもんだからなんだついにスワンハイツの死にかけのコンロが逝ったか、と思った。
だってあのコンロ二回に一回くらいは火が消えるしなんかガスくさいしさ。いい加減有賀さんの健康と安全の為にコンロ変えてくれってことあるごとに進言してんだけど、電化製品全般に慄くほど興味がないらしい俺のスーパーハイスペックかつ社畜な恋人様は『うーんこの幅にぴったりハマるコンロ探しに行くのがね……地味に、面倒でさ。あのー、ほら、僕あんまり電器屋さんとかでテンション上がるタイプじゃないし……』なんてイケメン面でぽやぽや答えやがる。
イケメンだからって何でも許されると思うなよクソ。今年の誕生日こそガスコンロだ、絶対に。そう決意したのはそう昔の事じゃない。
年に一度のそれなりに大事なイベントに電化製品贈る男にならなくて済むならそれはそれでありがたい。
だってできれば格好つけて時計とかマフラーとかアクセサリーとか、欲を言えばドヤ顔でペアリングとか贈りたい。
ハッピーバースデー! なんて歌いながら電器屋の段ボール運び込みたくない。
一年に一回くらい俺だって格好つけたいわけだ。
今年の十二月七日はガスコンロの設置日にならずに済んだのかと若干浮足立ったというのに、コンロ壊れたの? とできるだけサラッと訊いた俺に対し、いつものぽやぽやした顔のイケメンは真顔で頭を振った。
「んー。うちのコンロは実はまだ生きてるんだけど、ちょっとスペース不足でさ。ほら、僕の部屋の台所、結構こう……ぎゅっとしてるでしょ」
「はぁ。まあ、狭いっちゃ狭いわな。有賀さんひょろ長いからそんなに不便そうには見えないけど、二人で立つのが精いっぱい感はある」
「そうそう。ね? 二人が限界だよね。僕もそう思います。というわけで三人くらいはどうにか収納できそうなサクラちゃんのお家のキッチンを拝借させていただきたいな、と思ってさ」
「三人?」
「三人。僕と、唯川くんと、シナくんで、三人です」
「なんだその内訳。うちの台所でカラフル忘年会でもやんの?」
別におかしな内訳ではないことはわかっている。
亮悟は相変わらず有賀さんとこの事務所にバイトで通ってるし、なんならうちにもしょっちゅう顔を出す。唯川君は俺と個人的に遊ぶ事は稀だけど、亮悟を通しては良く会うし、有賀さんだってつまりは亮悟越しに接触する機会も多いだろう。二人とも不定休のような仕事だったし、よく平日やド深夜にふらっと歩き回っているイメージがある。
トキくんはコンビニの仕事辞められなくて有賀さん並みの社畜スケジュールになってるみたいだし、壱くんも新人教育や上司の移転で毎日残業が続いているらしい。唯川倉科コンビが手持無沙汰な由縁はまあ、お互いのパートナーの多忙も関係してるだろう。
あの二人が有賀さんと仲いいのは良いとして、なんでキッチンで集会すんのよ。
素直な疑問と共にちょっと首をかしげると、同じように首を傾げた有賀さんがふっと息を漏らして笑った。くそ、今の良い。すごくいい。うっわかっこいいって感じだった。話の途中じゃなくて真昼間じゃなけりゃもしかしたらベッドの隅にじりじりと追いやってもっかいやってってねだったかもしれないくらい良かった。
今のすこぶる俺好みの有賀さんショットは今度再現してもらう事にして、俺は余計な事は言わずに有賀さんの言葉に耳を傾ける。
「実は僕、ブロッコリーのレシピを教える講師役に抜擢されちゃってね」
「………………ブロッコリー……? え、なんで。ブロッコリーの時期って初夏? 梅雨前? なにどっかの誰かの実家のブロッコリー畑で死ぬほど採れたブロッコリーが段ボールに山積みとかそういう田舎のオカンからの仕送りあるある的な? そういう話?」
「いやブロッコリーの旬はちょっと、わからないしたぶん、そういうたくさんあるから困ってるみたいな話じゃないと思うよ。なんかね、ダイエットと筋トレ始めたんだって」
「おん。唯川君と亮悟が?」
「そう。唯川くんがダイエット。シナくんは体力作り。夜時々ジョギングしてるみたいだよ」
「え、待って情報量多いちょっと落ち着いて。いや落ち着きたいから待って何それくそみたいに面白い絵面じゃん。は? 亮悟が? ……亮悟が夜中走ってんの? なにそれ初耳……あー、まあ……この前階段でへばってたもんな……」
俺の目の前の顔面偏差値だけは誰にも負けない恋人もなかなかのひ弱人間だけど、亮悟も負けちゃいない。
身長があるせいである程度の力仕事はノリでカバーしている、と見せかけてすぐに体力が尽きる。多分あいつが貧弱な原因は確実に煙草だ。それでもわりと減っているような気がするけど、完全に禁煙に踏み切る勇気はまだないらしい。
身長あるのにもったいねーなーと常々思ってはいた。
手も長いし足も長い。ある程度筋肉がつけばスポーツ選手みたいで絶対に格好良い。背中の筋力が鍛えられれば猫背にも効く筈だ。肩こりも腰痛もそれなりに改善するだろう。
俺は毎日それなりに肉体労働こなしているし、実はたまに走ってる。
ジムに通うわけじゃないけど、里倉のおやっさんに付き合ってラジオ体操やったり、商店街のガキのサッカーに混じったりもする。三十過ぎたら体力一気に落ちると言われているけどまあ、今のところどうにか筋力は保っている、と思う。
きっかり十歳違う亮悟的には、もはやおっさんと言ってもいい歳の俺がぴんぴんしていて、自分がぜえはあ息を乱している現状はちょっと、というかかなり悔しいのかもしれない。だから俺には言ってくれなかったのかなーなんて、ちょっといじけた気分になったりもしたけど、有賀さんは相変わらずふわっとした雰囲気でふははと笑う。
「どうかなぁ、シナくんはちょっと僕が嫉妬しちゃうくらい、サクラちゃんの事尊敬していると思うけど、張り合っているわけじゃないと思うんだよねぇ。たぶん、言うタイミングがなかっただけじゃない? わざわざ用事もないのに『実は筋トレ始めました』なんて言わないでしょ?」
「まあ、確かに。そういや最近あんま会ってなかったかな。なんで……あ。あー、俺最近ずっと有賀さんと映画三昧してたな?」
「うん。そう。僕が観たい映画にサクラちゃんをつき合わせてずっと連れ回してました」
「GWから夏って映画公開多いよな。おかげさまで映画デート満喫できて良いよな。俺有賀さんと映画館で手とか繋いじゃうの嫌いじゃない……じゃなくて、亮悟と唯川君のジョギングがなんでブロッコリーになんの」
「なんかね、ブロッコリーは痩せる身体作りに最適というか、まあダイエット食品なんだって」
なんとそれは初耳だ。
いやでも昔『ブロッコリーと卵食っとけばいい』みたいなスポーツ選手のインタビューを見たような記憶があったようななかったような気がしないでもない。少なくともかぼちゃやイモ食うよりは確かに痩せるだろう。なんか栄養もありそうだし。知らんけど。俺ほんと料理しないから知らんけどさ。
俺の飯を作ってくれる愛妻こと有賀さんは、減量と筋力アップを目論む若者共に『ブロッコリーの茹でるだけ以外の調理方法教えてください』と懇願された、というわけだ。
……いや情報整理しても情報量多いな。なんだそれ。
確かにブロッコリーってあんまり料理の中に入っているイメージない。玉ねぎとか人参と違って、ブロッコリーがないと成立しない料理って奴はパッと思い浮かばない。中華炒めとか? でもブロッコリーなけりゃないで白菜とかセロリとかで代用できそうだ。
玉ねぎがないとカレーは出来ないし、ジャガイモがないとコロッケはできない。
ブロッコリーがないと成立しない料理が思い浮かばないということはつまり、ブロッコリーの代表レシピってないんじゃないの? って事だ。
うーん、ブロッコリーがゲシュタルト崩壊しそう。こんなにブロッコリーの事真剣に考えた事ないかもしれない。だってアレ、基本茹でてサラダに乗っかってるかシチューにインされているものだと思ってたから。減量の救世主だとは知らなかった。
「まあ、サクラちゃんはほら、減量の必要もないしちゃんと筋力も体力もあるからね。ブロッコリーと卵とささ身に頼らずとも見事な肉体じゃないの」
なんか知らんけどフォローされてしまった。俺そんなに怪訝な顔していただろうか。
そんな事より見事な肉体っていう言い方の面白さがすごくて、ついうっかり噴き出した。
「ふっは。俺さ、別にそんなほら、ビルダーみたいな肉体美じゃないっしょ。今のところ幸い贅肉は少な目だけど、気ぃ抜くとぷくぷく行きそうでさぁ。親父が最近メタボっぽくて……」
「ああ……うん、そう、かな。そうだね。ちょっと下半身がゆるっとしてらっしゃったねぇ……」
「だからブロッコリーレシピ俺も知りたいわ。今度帰った時に親父に教えたいしなんなら親父の遺伝子怖いから俺もブロッコリーに今からあやかりたいです」
「えー、サクラちゃんはいいよ、そのままで十分。十分だよ……ね? だってほら、それ以上格好良くなって僕よりウエイト増えたら今度こそ僕は抵抗できない……」
「いやいやいや何人聞きの悪い事言ってんの。俺別に有賀さんの事襲ったりしないっしょ。押さえつけて劣情をぶちまけたりしないっしょ」
「押さえつけて……劣情をぶちまけたいの……?」
「乙女みたいに怯えるのやめろ。しないっての。俺は有賀さんの隣でだらだらいちゃいちゃできてりゃそれで二百パーセント幸せなの」
「…………え、やだ、うれしい。今ちょっとブロッコリーとかどうでもよくなりそうになった」
「どうでもよくないんだろ? 亮悟達この後来るんじゃねーの?」
「来ます。なんならさっき最寄り着いたっていうからもうそろそろピンポンされると思います」
「すぐじゃん。んで先生、今日の献立は?」
「うーん……ちょっと調べたけどブロッコリーってあのー……茹でただけが多いよねぇ」
だよなーと笑ったタイミングで、計ったかのようにドアチャイムが鳴る。
ハイハイ、と声を上げて立ち上がる。ついでのように有賀さんの首筋にちょっとキスして、俺のベッドに沈んだ恋人を尻目に玄関のドアを開けて、俺よりでっかい二人組を見上げた。
「おう、いらっしゃい筋トレブラザーズ」
「なんすかその呼び名勘弁してください……つかほんとスイマセンお邪魔します」
「お邪魔しまぁ〜す! わぁサクラさんちすごいサクラさんって感じするー!」
「え。唯川君初めてだっけ俺んち。うそマジで?」
「マジマジ。マジですーだって基本集まる時ってスワンハイツじゃないですかぁ。あの狭ぁい部屋、慣れるとなかなか味があって癖になるんですよねぇ。下町! って感じでおれは好き〜でもサクラさんのお家もいいですねすっきりしててかっこいい〜あははゲーム機シナシナんちよりあるー」
「つか社長あれ何してんすか?」
「照れてる」
「なんで」
「俺がさっき首にチューしたから」
「…………桜介さんそういうのはおれたちがいない時に存分にやってください。ここぞとばかりにのろけんのやめてください。二人そろって休日だからって調子に乗りやがってコノヤロウ羨ましいなクソ」
「そうですよーう今日は! いちゃいちゃよりも! 優先されるべきものがある!」
ドーン、なんて頭の悪い効果音の後に唯川君が机の上に置いたのは、スーパー袋いっぱいのブロッコリーだ。
何個買ってきたんだよ君は、って呆れるのも面倒なくらい大量の緑。
小さな木みたいな見た目の野菜は、密集すると最早森だ。わらわらした緑の塊はちょっとこう、微妙に気持ち悪い。
「というわけで有賀さん!」
「そう、というわけで社長!」
「おれたちに! 茹でるだけ以外のブロッコリーの食べ方を! お願いします本当に信じています有賀さん!」
「ポン酢! ポン酢とめんつゆ以外でお願いします!」
「わっかる! ポン酢飽きた! もうポン酢は嫌なの! マヨネーズ禁止がここにきて地味に痛い!」
「わっかるー! マヨネーズ元々好きじゃねーし別になくても死なねーとか思っててサーセンって本気思ったー!」
「それ! ほんと、それ! いやおれは元々わりとマヨは嫌いじゃないけどあいつ結構無敵の調味料だったんだなぁって実感なう二週間目ですよぅ……はーしんどい。でも痩せたい。あと三キロは素敵に落としたい。サクラさんになりたいとは言わずともつまめるお肉は排除したい」
「おれは痩せているからじゃなくてちゃんと筋肉つけて腹筋を割りたいっすわ」
「あー……亮悟、筋肉の筋浮いてるもんなぁ贅肉無くて……」
ぺらっぺらな亮悟の腹を思い出し、まあ有賀さんも似たようなもんだけど、の一言はちゃんと飲み込む。
後の方で顔パタパタ仰いでいる料理人は、ちょっと深呼吸してからよし、と何事もなかったかのように立ち上がった。
「えーと……ポン酢以外ね。じゃあ中華炒めとあとは玉ねぎ甘酢ドレッシング作ってみようかな。あ、ポン酢もニンニク入れてマリネみたいにしたらわりといけるかもしれないよ。ブロッコリーでやったことないけど。何事も挑戦でしょう」
「ブロッコリー山ほどあるしな。今日の夕飯はブロッコリーか……」
「サクラちゃんは親子丼にする?」
「え、ブロッコリー食うよ。食う食う。有賀さんのメシはなんでもうまいもん」
「のろけるのは戦いの後にしてください」
「いやのろけてねーし事実だし。亮悟は戦いの前に前髪括って手を洗え」
「ウッス。おらひじきおまえも髪止めろ。お前の髪の毛入りのメシとか死んでも食いたくない」
「わお酷い、言葉のナイフが特に強い。シナシナはぁ、筋肉と一緒にこう、大人の包容力をーぜひともー身につけてほしいとおれは思うー」
「るせーひじきおれはお前以外にはわりと寛容だっつの」
「わぁ、特別ってことねー! あはは痛い痛いシナシナほんと痛い抓らないで痛いやめいたたたたたた」
「仲いいなお前らマジで」
うはは、と笑った俺の手が急に引っ張られて、よろけてトスンと有賀さんの胸に支えられる。うっすいけど俺の好きな細い身体に受け止められ、見上げるとふわっと笑われてちょっとでこにキスされた。
……うっわ珍しい。他の人がいるとこで、こういうことする人じゃないのに。
どうしたのなんて訊かなくてもたぶん、俺と亮悟たちが仲良しこよししてたのにちょっとだけ嫉妬しちゃったとかなんとか、どうせそんな可愛い事を言うに違いない。
社長まで! 有賀さんまで! と煩い二人をハイハイと宥めながら俺の麗しい恋人様は、ブロッコリーとの戦い方を教える為にスワンハイツよりはちょっとだけ広いキッチンに旅立った。いや部屋の隣だけど。普通にこっから見えるけど。
デコを押さえた俺はさっきの有賀さんみたいにベッドに倒れ込んで、ちょっとだけ唸る。
あーもう、なんだこれ。はーもう、痒いなこれ。
まあ、でも、たまにはこういう甘ったるくて痒くて恥ずかしくてうーわーあーあーってなるのも悪くはない気がして、にやにやしながら天井を眺めた。
さてブロッコリー料理が食卓に並ぶまで、俺はダイエットにきく筋トレのやり方でも探してやろうかなと思う。そのうちマジで俺も必要になるかもしれない。三十過ぎてついた肉はそうそう落ちないって聞くし、そういや食生活が有賀さんのお陰で豪華になったし、体脂肪率計れる体重計が必要かもしれない。
「え、ブロッコリーってそんな根本の方から切っちゃって、いいんです……?」
「…………ひじきお前いままでどんな細切れブロッコリー食ってきたんだよ」
なんか怖い会話聞こえてきたけど、有賀さんが楽しそうに笑ってたからつっこまない事にした。
俺も後でブロッコリーとの戦い方を教えてもらおう。
END