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忙しない三月



三月は忙しい。
というイメージがあるのは日本に居た頃の名残だ。

「あー。日本はあれだろ、三月の末に二度目の年末があるんだろ?」

どこから手に入れた知識なのか想像するに容易い言葉を放った僕の恋人は、相変わらず嫌に似合っているモノクロの冬用コートを着込み、耐熱用のカップを軽く振ってみせた。
当たらずも遠からずな不思議な解釈だけど。まあ、年度末は確かにもう一つの年の数え方だし年末と言っても過言ではない、筈だ。
きっと情報源はSJだろうけど。彼の囁く知識は大体間違ってはいないけど微妙にニュアンスが違っていたりする。

「二度目の年末っていうか、ええと、日本の会社っていうか国の税金の手続きの締めが三月っていうか。あと学生も四月から翌三月までが一区切り。会社も四月から三月までが一年の業務って感じのところが多いかな」
「あんな忙しない雰囲気を二度も味わうなんて御免だね。日本人は『忙しい』が好きすぎじゃないか?」
「うーん好きっていうか……あー、でも、確かに忙しないかなぁ……好きってわけじゃないとは思うけど」

本店勤務だった時の提出書類と年度末の業務を思い出し、僕の凍えた頬はかすかに苦笑いを作った。

僕達が昼間から珈琲をたしなんでいる場所はNY市内のカフェだ。ただし笑えない程に寒い。
テラス席でもいいですか、なんて聞かれていいですよと笑うんじゃなかったと後悔する寒さだ。三月半ばのNYは、正直言ってまだ冬だ。普段は僕よりも寒い寒いとNYの街の寒さに文句を言っているニールなのに、なんでか今日はさらりとした顔でスマートに足を組んでいる。

今は悠々とカフェのテラスで向かい合っているけれど、正直年明けから忙しいのはニールの方だった。
僕の方は新店の応援出張もなくなり、新人の教育も今はダイアナが率先してこなしてくれる。当たり前だった残業も今はほとんど無くなった。それなのに僕の恋人が勤めるカリテス社NY支店が移転するとかで、この一か月のニールはそれこそ日本の社畜って感じの忙しさだったと思う。

やっと新装開店したお店の売り上げは好調で、これまた馬鹿みたいに忙しいらしい。
日本人はよく『欧米人はもっと休暇を取っている』と叫ぶけど、あれはほとんどヨーロッパの人たちの事を指していると思う。ニューヨーカーは残業だってするし、バカンスだって一週間もない。

しばらくぶりのデートは僕の見たかった映画から始まり、その後は二人で春用の服を買った。別に僕は去年の服を着てもいいんだけど、ニールはあれこれと僕に試着させるのが好きみたいだ。
似合うよとさらっとした顔で微笑まれると、ちょろい僕は勝手に浮かれてつい財布を握りしめてレジに並んでしまう。薄給の異国住まいだけれど、たいした趣味もないし、多少は無駄なものを買っても生きてはいけると思っているし、……なんてことを零せば僕の高給取りな恋人が勝手にカードを切りそうになるので絶対に言わない。

さっきも気が付いた時には昼食の代金の支払いが終わっていた。
今度こそは僕が、と張り切って入ったカフェは満席で、どうにか滑り込んだテラス席は当たり前のように寒い。
普段なら失敗したと肩を落とすようなデートだけれど、今日のニールは本当に上機嫌で始終鼻歌を歌いそうな程だった。

寒くないの、と問えば、寒いと言って笑う。

「寒い。馬鹿みたいに寒い。冬だぞ三月なんて。日本じゃサクラが咲く時期?」
「いや桜は四月の半ばかなぁ……東京はもうちょっと早いのかも。僕の地元だと四月の下旬。そのくらいになったらこっちも少しは春っぽくなる?」
「いやまだ寒いよ。春なんて五月過ぎてからだ。ていうかセンセイ去年もこっちにいただろ。春の思い出はないの?」
「…………春、なんかこう、いつも忙しない感じがして。あんまり観光とかも行かないし……」
「あー……まあ、確かに。俺もどっか行こうと思わないなそういや。夏はわりと遠出しようって気分になるんだけど」
「ニール、夏好きだよね」
「……そう? かな? ……そうかもな。あー。なんでだろうな。寒いのは嫌いってハッキリ言えるんだけど。サンディエゴ出身だからか?」
「僕は雪国出身。だから寒いのは結構平気だけど夏はぐったりしちゃう」
「知ってる。夏にやられているセンセイは最高にセクシーだ」
「…………外だよニール。まさかええと……結構浮かれてる?」
「勿論。何日ぶりの外出だと思ってるんだ。家に帰って寝るだけの生活なんてもうしばらくはごめんだ! 道端で煙草を吸う権利なんざなくていい。その代わり道端で思う存分恋人に愛を囁くくらい許されていいだろ!」
「外だよニール」

苦笑いを零してみるものの、僕も正直あんまり本気で諫めているわけでもない。

確かに、ニールにとってはとても忙しない三月だった。そういえばこの前の休みはクロエさんの家のパーティーに無理やり連れていかれたし、その前の休みはエイミーの子守をしていたような気がする。
どうりでなんだかお互い浮かれているわけだ。

暖かいカフェオレを飲み干してもまだ寒い。
ニールの飲んでいたカップをちょっと貰おうとしたけれど、中身は甘いチョコレートドリンクで、一口でギブアップした。

「そんなにくそあまくもないだろう。ここのチョコレートドリンクはまだマシな方だけど。……寒いなら帰る?」
「でも本屋行きたい……あと夕飯の買い物……」
「デリでいいだろ。帰り道にあるデリじゃセンセイは満足できない?」
「うーん。僕は基本、何を食べてもおいしいと思う人だけど……なんていうか、その。たまには、ニールといちゃいちゃしながら、ええと、ほら、キスとかしちゃったりしてさ、料理作りたいなぁ、とか、」
「オーケー、本屋とスーパーだな」

僕と同じくらいにすぐに調子にのる恋人は、まだ外だって何度言っても頭に響かないみたいで席を立ちながらテーブル越しにキスをしてきた。
触れあう唇はチョコレートの味がする。甘い。

「春になったらやりたいことあったらリストに……あー、待て。思い出したぞ、俺が春に出歩かない理由」
「え、何?」
「花粉症」
「……あー。え、そうなの? スギ?」
「カエデだ。というわけで四月から俺はできるだけ家に閉じこもってるんだ思い出したいつものことだからすっかり忘れてた」
「ああ……そうだね、そういえば四月くらいが花粉症の薬の売り上げのピークだ。そういえば飲んでたね去年も」
「四月も結局ゆっくりデートもできないわけか。くそ」
「家の中でだらだらしてたらいいじゃない。僕、きっちりコート着込んだニールも格好良くて好きだけど、ちょっとざっくりしたニットの部屋着のニールも、ええと……セクシーで好、待っ、ほんと、外だから」
「俺はいい加減『センセイが悪い』以外の言い訳を考えなきゃいけないな。いつまでも我慢の効かない男でいたくないんだけど。……だってセンセイがかわいいから悪い」

悪戯に笑った人にキスされて、カップの空を取り上げられる。周りの視線はそこまで気にならないものの、キス自体は普通に恥ずかしい。何度したって恥ずかしいし嬉しいしどきどきするから、もう一生慣れないものだと諦めている。

慌てて立ち上がって追いかけると、上機嫌な僕の恋人は当たり前のように手を繋いでくる。かわいい。かわいいのでもう僕もどうでもよくなってちょっと笑った。

「……三月、忙しかった?」
「くそみたいにな。だからと言って四月が忙しくないとは言えない」
「花粉も飛ぶしね」
「……センセイ、なんでちょっと嬉しそうなんだ?」
「んー。ニールが何かに対して文句つけてるの、ちょっと可愛くて好きだなーって」
「…………相変わらず変な趣味だな」

不思議な顔をした恋人と手をつなぎながら、僕はまず本屋へ。そしたらスーパーで適当な食材を買って、二人でゆっくりと料理を作る休日を過ごすのだ。

三月は忙しない。
恋人はいつもと同じくらいに、甘い。


End