×
「#オメガバース」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




一月二日のパンツのはなし。




さて自他ともに認める引きこもり人間のボクが、何故に正月早々人間で溢れる外界に繰り出しているのかと言えば、その理由は至極簡単でアホらしかった。

食料が尽きた。
なんていう、それはもう、とんでもなく原始的な理由だ。
まあそんなボクを指さして笑うだろうリリカ嬢はお友達と沖縄旅行だと言うし、マキ嬢はご実家に帰っている。そもそもその辺の女性陣がこの年末年始にいつも通り歩いて数分の距離にお住まいになっているなら、ボクはまずスーパーよりもショッピングモールよりも先に、彼女たちの家を訪ねただろう。

物乞いかと呆れられる方が、人混みの中に飛び込んでいくよりずっとマシだ。
いやあ、まあ、結局誰もいないので、お外に出ているなうなんですけれどねうはは。

女性陣だけではなく、なんとシャチョーも今年は不在だ。実家に帰る春さんを車で送っていくついでに、関西の友人達の家を回ってくるという話だった。
というわけでお察しの通り、春さんもいない。

元々仕事以外で他人と付き合う事がない。
故に、シャチョーと春さんが居なくなってしまうと、びっくりするくらいというか当たり前のようにボクの生活は静かになった。わぁ引きこもりみたいーだなんて笑ったのは最初の年末三十日だけで、あとは凪いだようなぼんやりした日々だった。

そういえば去年は盛大に忘年会をしたし、年越しは春さんと一緒で、年始はシャチョーの家でだらだらしていた。
年中ボクは家と職場以外で遠出することもなく、春さんにも旅行やアウトドアな趣味はない。
こんな風に一人で取り残される事は稀すぎて、なんだか調子が狂う。狂うついでにボクの生活能力もダメになってしまったらしく、米もパスタも乾麺もパンもきれいになくなりカップラーメンの一つもない状態になって初めて、『これはもしかして餓死するのでは?』という事に気が付いた。

そもそも引きこもろう、と思って年末を迎えたわけでもない。

なんとなく一人だなー暇だなーと思いながらも寒さでしんどい時期に外に出る勇気もなく、だらだらと詰んでいた本を消化して元旦を過ごした。
相変わらずまったく料理ができないボクの家の台所に立つのは九十八パーセント春さんで、つまるところボクはそこに何があるのかもわからない。

そういえば春さんが行ってしまう前に、あれとそれとそれがあるからみたいな話はしていたような気がするけど。
うーんボクは春さんがいない休日が五日も続くなんてこの世の終わりよりも辛いと泣きつく事に全身全霊すぎて、正直大事な話は全部聞き逃していたのかもしれない。

空腹に耐えかねて仕方なく服を着替え、近場にでかけて仕事関係の知り合いやお客さんに会うのも嫌だなーと思って、ふらっと電車に乗ったのが、まず、間違いだった。

正月なんだからみんな家でゴロゴロしているでしょー、なんて思っていたわけじゃないけれど、ちょっと、想像以上に、世界は人間で溢れていた。

ボクは引きこもりなので、初売りなんていう単語を思い出すまでに随分と時間がかかってしまった。
普段はそれほど混んでもいない筈のショッピングモールに入った途端、福袋の山を見かけて『あーしまった』と思ったけれどもう遅い。食料ついでにインナーでも買おうかなぁなんて思ったのが、多分一番の間違いだったわけだ。

年末に済ませておきなさいよ下着の買い物なんて、とお思いでしょうで、ほらボクは、五日間も留守にする春さんにまとわりついてぎゃーぎゃー騒ぐことに全身全霊かけていたんですよほんと。

わいわいと賑わうショッピングモールの喧噪が耳と心に痛い。
うーんでもここまで来てしまったのに何もしないで帰るのもなんだかしんどい。
一人で牛丼屋に入るのも面倒で、なんだかんだとボクは毎日人間と一緒に生きていたんだなーと実感する。誰かと一緒じゃないと、ボクはどうやら、何をするにも面倒がるらしい。

勇気なんてものはもうそこをついていたので、ぎりぎり残っていた意地のようなものでモールの奥の有名量販店を目指し歩いているところで、メンズファッションのフロアの人形の前で足を止めた。
別に、わーこのお洋服素敵! と思ったわけじゃない。
ボクは前途の如く全く外出しないので、お洒落な服を持っていても仕方がないし、なんならファッションセンスというものを持ち合わせていないのでまったくもって何がどうかっこいいのかもよくわからない。

ただ、『春さんにお似合いだなぁ』と思っただけだ。
最初はイケメンで腹立たしいと思っていた春さんのお顔も、勿論今は世界で一番格好良い美人だと思っている。キャバ嬢たちに洋服を買い与える男たちの事を馬鹿にしていたボクだというのに、その気持ちがわからなくもないのだから、恋とは本当に恐ろしいものだ。

しかし足を止めたボクを待っていたのは正月セールでハイになった店員の猛攻だった。

「おにーさんお一人ですかぁ!? そちら、この冬の新商品なんですけど、あと一着なんですよ〜! 新商品は本当はセール料金にならないんだけど、ラストワン! で、店長太っ腹大売り出し! なんと半額!」
「え、あ、はぁ……えーと、お安いですね? あーでも、ボクが欲しいわけじゃないので、」
「あ、プレゼントかな!? 合格以外も卒業祝いもその他お祝いも大歓迎! なんといっても半額だけどほら、新商品だからプライスレスだなんてバレないバレない!」
「いやぁ、お安いのはわかりますけど、今手持ちが少ないのでありがたいですしお値打ちですがボクはちょっとこの先に用事が、」
「あ、カードもいけるよ!?」

ボクは自覚のあるコミュ障だけれど、人と喋れない事もない。普段見知らぬ人間と話す機会がやたら多いので、会話はそれなりに出来る。という自負はあるのだがどうもこの、洋服屋の店員という人種が苦手でダメだ。

なんでか知らないけどタメ語なのが一番気に障るのだけれど、ボクの心が狭いだけだろうか。狭いだけかもしれない。え、でもボクより年上だとしてもいきなりタメ語ってどうなんです? 今の世の中そんなフランクな感じなんです? ボクの感覚がおじいちゃんなんです? 轟シャチョーの昭和感覚が移ってきちゃったんです?

と、眉を顰めつつ店員に捕まれた腕を振り払ってもいいものか悩んでいたところ、背中を叩かれた。

びくっと全身で飛び跳ねてしまったボクの動揺といったらない。
思わず全力で振り返ったボクの後ろに立っていたのは、なんとも言い難いカラーリングの二人連れだった。

知らない顔の男たちだ、と思う。でも、なんだか妙にその髪の毛の色合いに既視感がある。

ひょろりと背の高いバンドとかやってそうな男性の長めの髪はうっすーいピンク色。
その隣の男性のふわっとしたアシメの髪はオレンジに近い色。

うーんと唸ってボクはやっと、彼らとボクは初対面ではない事に気が付いた。

「…………っあ! あれ、あのー……有賀さんのところに、いらっしゃった!?」

ボクのすっとんきょんな声に、オレンジさんの方が大げさに手を叩いた。

「ほら! ほらやっぱりー! あのーほら! スイカの人! スイカの人だって言ったじゃん正解じゃんー!」
「おま、スイカの人とか呼ぶのやめろよ失礼だろ……」
「いやぁ、スイカの人で相違ないですよぅ。夏にキャンプ場にいらっしゃった方ですよね? というか今思い出したピンクのお方は有賀さんの事務所にたまにいらっしゃいますよね、あーボクなんで気が付かなかったんだろう。どうも、お久しぶりですスイカお食べになりました?」
「うはは、あれですねー、有賀さんがスイカ割に挑戦して見事失敗して結局包丁で割っておいしくいただきましたよー。その節はお世話様です」
「あ、どうもこちらこそ」
「いやーここで会ったのもなにかの縁ですからー。あ、ごめんなさーい店員さん、おにーさんお借りしますねー?」

にこにこと笑顔を崩さないオレンジさんは、割合強引にボクをひっつかみ、まるで連行するようにボクを挟んで歩き出した。あーそっちはユニクロの方向じゃない……と思ったけれどまあ、ここから離れられるのはありがたい。

歩きながらそっと顔を寄せてきたオレンジさんは、顔はにこにこしたまま、若干低い声を出す。

「わーほんとすいませんいきなり声かけちゃって……あの店員めっちゃ押しが強くて面倒くさいって有名な人だからー困ってるんじゃないのーかなーと思って奪還しちゃったんですけどー……」
「奪還するにしてもお前もうちょい言い訳考えてからにしろよ……ほんとすいませんご迷惑じゃなかったっすかね」

両サイドからダブルで謝られ、ボクはうははと笑ってしまう。
有賀さんの御友人だという先入観が、どうにもボクの分厚い対人フィルターを薄くさせたらしい。

「いやもう大変お困りだったのでありがたかったですよーぅ。この辺普段来ないのでー、もう全くそういうお店やらなにやら疎くて疎くて。お二人のお陰で無駄な買い物をせずにというか誰もご不快にせずに切り抜けることが出来ましたどうもありがとうございます」

はじめましての挨拶をするには、一月二日のショッピングモールは煩すぎる。
けれどどうも、名前も知らない人たちと和気あいあいするのはしっくりこない。

フードコート奥の喫煙ルーム手前まで歩いてきたボクらは、共犯者のようなにやにやした雰囲気を湛えながらやっと足を止めた。

どうもはじめまして、と言うのは慣れている筈なのに、どうしてかむず痒い。たぶん僕がその台詞を馬鹿みたいに繰り返す相手はいつもお客様で、ごく普通の知り合いに対して挨拶をする事なんて一年に二度もないのではないか、と気が付いた。

有賀さんの事を友人と称していいのかわからない。けれどたぶん、この人たちは『友人の友人』という立ち位置なのではないかと思い当たり、またどうにもむず痒くなった。

「はじめましてどうも、海道と申します。こちらボクの怪しい名刺ですどうぞよしなにー」
「……ツバメキャッシング……金融の方っすか?」
「本業はそっちですが有賀さんとの出会いはまあお仕事関係ないので、なんというかデザイン事務所さんの資金ぶりは恐らくは問題ないかと思いますよその辺は風評被害になりそうなので僭越ながら公言しておきますけれど」
「あーおれ名刺こっちのジャケットじゃねえや……、倉科です。スタジオカメラマンやってて、有賀デザインには事務バイトで雇われてます」
「っあー! それで見覚えが……」
「おれはちゃんと名刺あーるよーどうもユイカワヒジリです。シナシナは! おれのこと! ひじきって呼ぶけど! ひじり! です!」

洒落たワインレッドが基調になった名刺には、洒落た美容室の名前が記載されていた。言われてみれば、確かに美容師さんっぽい。ボクとは一番縁が薄い職業だと笑えて、なんだかまたにやにやしてしまった。

普段なら絶対にすれ違っていただけの人たちなのに、なんでか新年早々初めましての挨拶をして名刺を交換している。
それがどうにも不思議で面白く、まあ人混み満載のショッピングモールも悪い場所ではないのかもだなんてことを考えた。

ボクは昔から現金で、そして今も現金だ。

「お一人で買い物ですか?」

多分年下の倉科氏も、もしかしたら年上かもしれない唯川氏も、割合気持ちのいい敬語を崩さないところに好感が持てる。接客業だものなーと納得し、見た目よりかなり気持ちのいいカラフルな男二人に対して割合恥ずかしい例の言葉をそのまま告げた。

「いやー実は食料が尽きましてぇー。親族も友人もすべからく旅行的なものに行ってしまったので仕方なく一人でふらーっと」
「……あー……割合残ってる人間って少ないですよねわかります」
「実家あると帰っちゃうもんですよねー! おれもシナシナが居なかったら今年は帰ろうかなーって思ってたし」
「え。お前実家とかあんの」
「え。おれのことなんだと思ってたの? 木から生まれた天使?」
「海産物」
「それひじきじゃん!! ちょ、やめてよ〜新しい出会いなんだからかっこいいおれを演出させてよ〜ひじきって刷り込みしないでよ〜!」

ぽんぽんと会話のラリーを繋げる二人は非常に仲がよさそうだ。
その感想をそのまま告げたら倉科氏は細い眉を寄せ、ひじきさんこと唯川氏は気持ち悪いくらいに嬉しそうに首を傾げた。

「わーい嬉しい〜ほらシナシナやっぱりおれたちは〜はたからみても仲良しなんだようへへへ」
「気持ち悪い笑い方すんなひじき。おれがお前と二年連続で初売りに来てんのはうちの連れが二年連続でバイト三昧だからだっつってんだろひじき。そこんとこ間違えんなひじき」
「ひじきって刷り込みすんのほんとうにやめてーシナシナー。いいんだよ毎年付きあってくれてもいいんだよ壱さんはお正月絶対に帰る人だからね、おれ暇だしね、最高だよねシナシナハジメだよね。正月はやっぱシナシナときゃっきゃしながらお買い物して散財してなんでこんなの買ったのかなー! って後悔するとこから始めないとね?」
「後悔すんならへんなもん買うなよ……お前なんでそんなクソみたいな柄のパンツとか好きなんだよ……」
「あ、パンツ。あーパンツ、ボクもほしいですそういえば」
「え、パンツ? 海道さんもパンツ買います? え、一緒にパンツ買いに行きます??」

うははと笑った唯川氏に、ノリだけで行きます行きますと即答するボクはたぶん、ちょっとおかしくなっていたとは思うけれど。
まあ、いいんじゃないのたまにはこういうのもだってお正月だもの。なんてよくわからない事を言い訳にした。

「そもそもインナー買いに来たんですよ。そしたらあの元気な店員さんに捕まってしまって、まー都会ってば怖いわって思っていたところです。良心的な知り合いに見つけてもらって本当に良かった。あと良心的な知り合いがパンツを買い求めていてよかったです」
「新年初売りって言うけど、割とひっどい在庫清算セールしてきますよね〜正月早々の服屋のラインナップとかヤバいもの。あ、パンツの福袋とかあるのかなー」
「どっかで見た」
「え、なんで言ってくれないのシナシナ」
「いや……ほしいとか言いそうで嫌だなと思って……」
「パンツの福袋とかちょう欲しいじゃん。だってとんでもない柄でも外に履いていくわけじゃないんだし無駄にならないし最高じゃん。おっけーパンツ袋買いに行こ? そんで山分けしよ?」
「やだよなんでお前とパンツ山分けしなきゃいけないんだよ……」
「えーじゃあ海道さんパンツ山分けしよ……」
「山分けしてもいいですけれど、そういえば最近ボクの事を清く正しく名字で呼ぶ人間なんて皆無に等しいので一瞬『海道って誰?』と思ってしまってよろしくない事に今気が付きました自己紹介しといてなんですが、よろしければボクの事はあだ名でお呼びいただきたいなーと思いますけれどこれって距離ナシってやつです?」

あまりにも普通の出会いがないせいで、あだ名で呼んでくださいなんて言うのは不躾かと不安になる。
直球すぎるボクの言葉を笑いもせずに、二人はごく普通に会話を続けた。

「……別に、いいと思いますよこいつは割と最初からおれのことずっとシナシナっつってますし。なんかもう慣れたし。確かに倉科さんとか言われんのちょっと仕事思い出して痒いし」
「いっせーのであだ名にすんのも素敵。なんかマブダチっぽくて素敵……あ、おれ感動してきた。どうしようシナシナもしかしておれトモダチ増えちゃう?」
「そりゃお前のウザさがどこまで抑えられるかによるだろ」
「うざいこと前提なのよーくなーい。で、おれたちは海道さんのことなんて呼んだらおっけーなんです?」
「はあ、ええと、改まって言う程のものでもないような気がしてきたんですけれど、大概の人間はボクを『ハイエン』と呼びます。漢字で書くと海の燕ですね」
『かっこいい!』
「……え、そうです? えーうれしい」

間髪入れず声を被せて絶賛してくれた二人に、思わず本当ににやけてしまった。
あーよろしくない。ボクが春さん以外の人に本音で笑っちゃうなんて。でもまあ、ほら、お正月だから。多少平素と違う事があっても、そう言う事だってあるだろうと思って流していただきたい。

「いーなーおれひじきなのに……おれもかっこよく自己紹介したい……」
「いや、聖充分かっこいい名前だろ。お前のことヒジリって呼ぶ奴おれは知らないけど」
「それなー! もっとおれが聖っていう名前だということを! アピールしていかなきゃってこと!?」
「あ、じゃあボクは聖さんって呼びます?」
「えー! やだなんかそわってしちゃった……え、でも聖くんの方がいいかな〜海燕くんに聖くんって呼ばれた、痛いシナシナ痛い知ってるねえシナシナこれって暴力って言うんだよシナシナ」
「おれはお前のその急に他人を口説き始めるところを安藤さんにチクったほうがいいんじゃないかと思い始めた」
「えーやめてー違うー浮気じゃないもんー違うもんーだって海燕くんかっこいいんだもんー好きー顔が好きー」
「わかるよお前の好きな顔なのはわかるよもういいから早くパンツ買って帰れ……」

後で連絡先教えてとまるでナンパのように手を取られながら、ボクはまたうははと笑ってしまった。


さてパンツを買ったボクたちはそのテンションのまま夜まで結局同行してしまい、なんだかマブダチみたいなテンションで別れを告げ、結局ボクは正月の買い物でパンツと食料と不思議なテンションの友人を得てしまったようだった。


End