花と雪
本当に、情けなくて涙がでてきた。
「すいま、すいませんんん……っ! わた、わたしがっ、私が至らない、ばっかり、に、ああああ」
「あー……ええと、俺は別に、うん、平気なんでそんな頭下げないでいいっすよ、ほら泣かない、泣かない。化粧崩れちゃうしね、ね?」
「うええぇぇえ……」
困ったように笑いながらもフォローをしてくれるサクラの言葉に、また涙が滲んできた。
化粧などもうとっくに崩れていた。
そもそも炎天下の中のガーデンパーティなど、化粧キープも髪型キープも難しい。むしろ体調をキープすることすら難しい状態だった。
誰が企画してどうして通ってしまったのか。
一番悪いのはこんな状態になるまで対策を打てなかった雪見自身だという自覚はあったがしかし、どうしても主催者にもの申したくなる。
某出版社の恒例夏のパーティが、新しくオープンした避暑地のホテルでの開催となった旨は、招待状が届いた時点で知っていた。
知ってはいたが、まさか屋外での立食パーティだとは思わなかった。
盛夏も終わりの頃とは言え、まだ日中は暑い。ニュースでは熱中症対策の注意を毎日のように報道している。確かに木漏れ日の下なら些か涼しい、ような気がしないでもなかったが。
ワンピースの女性に比べて、基本スーツの男性陣は暑さも違う。
雪見の主たるデザイン事務所社長の有賀は、爽やかなサマージャケットを着用していた。元来涼しい美貌の持ち主であり、あまり表情の動きもない。やっと入社一年目の雪見は、未だに有賀のテンションの差がよくわからない。
先輩の椎葉などは、有賀が出社した段階で『体調が悪いなら帰って寝てください迷惑です』と言い放つほどだというのに。
その椎葉が今日は居ない。だから自分がしっかりしなければならなかったのに。
「ゆきちゃんごめんあたまにひびく……もうちょい、しずかに……してもらえるとぼくはとてもうれしい……」
「あああ社長すいません、い、いまサクラさんがご到着されましたので……!」
気がついたときには有賀はもう瀕死の状態で、雪見に寄りかかり『ごめんはくかも』と力無く呟いた。
慌てた雪見が救急車を手配する前に、ぎりぎり倒れなかった有賀はロビーでサクラに連絡をしていた。
サクラというのは日々有賀がのろける恋人であって、それが男性だということを雪見は最近やっと知ったのだけれど。
サクラちゃんむかえにきてくれるから、と言われてしまい、雪見は自分の無力さを思い知った。
全くもって、役立たずでつらい。
その上へろへろの有賀にさえも、雪ちゃんのせいじゃないからと気を使われてしまった。マスカラが全部落ちそうだ。
どうしていいかわからない雪見を落ち着かせながら、サクラはロビーでぐったりとする有賀に、スポーツ飲料水を渡した。
「立食パーティで熱射病って馬鹿?」
「いやぁさぁ……うん、僕もそう思うけど、いいわけしていいなら最近あんまり体調よくなくってその上酒を強要されてさー……いやぁ……おえらいさんってこわいねぇ……」
「ザルだからってちょっと油断してたんだろ」
「わぁ。ずぼしですねー……」
「立てんの?」
「……ちょっと、わかんない。吐き気とかは、収まったんだけどさ……」
「お姫様だっことおんぶと担ぐの、どれがいい?」
「…………おひめさまになるのはぼくがもうちょっとげんきなときがいい……」
「それだけ会話できてりゃ元気だよ」
心配して損した、と笑って、サクラは有賀に肩を貸し立たせた。慌てて荷物を抱えて、雪見は後を追う。
顔面蒼白な割に口調はしっかりしている。ぜえはあと苦しそうに息をしてはいるが、どうにか歩けそうだ。
このまま帰っていいの? とサクラに訊かれ、雪見は大きくうなずく。
「体調が優れないので退席する旨はお伝えしてありますし、なにより大切だったのは最初の挨拶くらいなので……! うちの事務所も本日はお休みなので直帰で大丈夫ですっ」
「了解です。じゃあ、ええと……雪見ちゃん? も、一緒に送ってこうか。忘れ物ない?」
「は、はい……っ」
申し訳ないとは思ったが、非常にありがたい申し出だった。タクシーで帰るのも心細いしなにより有賀の容態が心配だった。
ロータリーに停めてある普通車の後部座席に有賀を放り込んだサクラは、助手席の扉を開けてくれる。
恐縮しながら乗り込むと、有賀の死にそうな声が後ろから聞こえてきた。
「あれ……ワゴンじゃない…………」
「そうそう。里倉さんちから借りてきましたよ普通車。だって有賀さん鉄錆の臭いとか苦手でしょ。吐くでしょ。あれ後部座席無いしさ。荷物で埋まってるし」
「さくらちゃんかっこいい……すき……」
「知ってる。いいから黙って寝てろ病人」
少しロビーで休んだのが良かったのか、それともサクラの存在に安心したのか、幾分か有賀の様子もまともになってきているようだった。
本当に、死んでしまうかと思った。
徹夜明けの有賀も、納期開けの有賀も、出張帰りの有賀もずいぶんと死にそうな顔をしているが、先ほど寄りかかってきた時の表情は特にひどかった。
病院に行った方がいいのではないか。このまま家に帰して大丈夫なのだろうか。
不安でパニックが収まらない雪見に、サクラは優しく笑う。
「まあ、何かやばそうなら俺がすぐ連れてくし、たぶん熱中症までは行ってないから平気だと思うよ。もっとやばいときはしゃべらないしこの人」
「もっとやばいとき……社長、どんだけひ弱なんですか……」
「ほんとだよ、もっと体調管理しっかりしろって言ってやってよ。まあ、仕事大変なんだろうし俺はさー、こうやって迎えに行くくらいしかできないけどさー」
「でも社長、春先から随分健康になったような気がします。お煙草もやめられたし、お昼ご飯もパンじゃなくてお弁当になってるし……あ、あのお弁当ってもしかしてサクラさんが……!?」
「あ。ごめんそれ有賀さんお手製。なんか俺の分と一緒に作ってるっぽい」
「……社長お手製のおべんとう……」
なんだその非常にずるいものは、と、場所も状況も忘れて唾を飲んでしまった。
有賀は料理がうまい。それは一度椎葉家主催のホームパーティにお招きされた時に、彼が持ち寄ってきた料理で知ることとなった。
適度におしゃれで、見た目もきれいで、そしておいしい。普段は自炊は面倒でしないけれど、たまに時間があると無性に料理をしたくなる、と話していたのを覚えている。
「おいしそう……」
「うん、おいしいです。ちょっと自慢だね。俺も料理うまかったら何か返せるんだけどさ」
「さくらちゃんはそんざしてるだけでもういいんだよぼくのとなりでわらってるだけでいいんだよ……」
「わかったから黙ってろってば頭煮えててちょっとまじ痒いしなに言ってんのかわっかんないから。雪見ちゃん引いてるだろが」
「いえあの、……お仕事中も、たいがい、こんな感じなので……っ」
「…………仕事しろよ有賀さん……」
信号待ちの合間にそんな会話をすると、照れたらしいサクラはハンドルに乗せた腕に顔を埋めてしまう。
正直、サクラという人物の想像がつかなかった。有賀の恋人というだけでもハードルが高いのに、それが同性というのがもう不思議だった。
どれだけ男前なのか。または美少年なのか。そんな風にごねごねと想像していたが、実際目にしたサクラは非常にふつうの好青年だ。
二人の雰囲気はごく親しい友人のようで、恋人と考えるのは不思議なきがしていたが、今のサクラの照れようを見れば、恋人だというのもすんなりと受け入れられた。
「あの……社長、いつもあんな、ええと……あまい、な感じなんです……?」
実はちょっと気になっていた。
有賀はあまり自分の感情を隠す方ではない。表情は動かないなりに感情表現は豊かで、むしろ言葉でつらつらと表現する。
仕事合間の恋人ののろけはなんというか耳に痒く、散々新妻ののろけを連発していた椎葉でさえも耳を押さえて赤面するほどだった。
「甘……あー……甘い、かな、うん……ていうか有賀さん仕事中なに喋ってんの……?」
「社長も椎葉さんも皆さんも、しゃべりながらお仕事できるタイプの方々みたいで……たいがい椎葉さんの『今日のおくさん』と社長の『今日のサクラちゃん』のコーナーが存在します」
「なにそれちょうこわい」
「うちの事務所全員、たぶんサクラさんの好物が焼き鳥と豚骨ラーメンとタコサラダっていうことくらいは平気で暗記してますよ……」
「はえ!?」
「あと食べられないものとか好きな動物とか犬が好きだけど若干アレルギーっぽくて近づくとくしゃみでちゃうとかええと、あとはお酒飲むとからみ酒で笑い上戸とかー……」
「ま、待った、わかったもういい! もうやめて! 後で有賀さん絞めとくからもう勘弁してください……!」
「……でもわたし、社長がサクラさんのお話してるのを聞くの、ちょっと好きです」
幸せ、って言葉からもこぼれるんですよね。
えへへと笑って少し恥ずかしくなってしまって反応を伺うと、雪見よりも赤くなったサクラの首筋が目に入ってしまった。
……あ、この人本当にかわいい人だ。
そう思い、後ろの座席をのぞき見ると、これまた少し赤くなった病人に『あげないよ』と言われてしまった。
「さくらちゃんはモノじゃないけど、個人的心情だけで言って良いならあれだね……ぼくをたおしてからにしな、ってかんじ」
「くっそ弱そ……腹筋割ってから出直してこいって話ですよ」
「……え、割れてた方がすき?」
「いや、別にひ弱な有賀さんの腹筋でも俺は別に構わな、ってなに言わせてんの。女子が居るんですよ、女子が。うら若き女子が」
「ゆきちゃんはさー身内枠だからいーの。家族みたいなもんだから、ほら、おにーちゃんの彼女の話を聞いてる妹みたいなそんな雰囲気だと思えば……」
「思えるかよちくしょう黙れホモ兄貴。スワンハイツにおいてかえるぞ」
「え、やだ、かんびょうしてよ……ぼく、さくらちゃんがつくったおかゆをあーんって食べさせられたいです」
「元気じゃん。まじで置いて帰ろうかな……」
ぼそりと呟くサクラに対し、有賀は真剣にもう一度一緒にいてよと言う。本当に真剣だったので、よりいっそうサクラは恥ずかしそうだった。
成る程、有賀は甘いし、そしてたぶん、サクラも甘い。
雪見は車の中で恐縮しながらも、家族と言われたのがうれしくてどきどきとしていた。新参者で、まだまだ仕事もうまく行かないけれど、でも、有賀はきちんと指導してくれるし椎葉も優しい。雪見は有賀デザイン事務所が大好きだ。
ぐったりした有賀の声と、照れてぶっきらぼうになったサクラの声を聞きながら、不思議な幸せのお裾分けをもらったような気がした。
end