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林檎と電話とあちらの友人。




どうしよう、と呟いた後に俺の方を見上げたアボットはいつも通りの全く動揺していないスーパーポーカーフェイスと淡々とした声で、しかし眉だけ少々下げて言葉を続けた。

「……電話をかける相手を間違えた、かもしれない」
「――ん?」

アボットと会話をする時は、なんだか妙に時間がかかる。そう思うのは、この男の不思議で独特なテンションに、まだ慣れていないからかもしれない。

携帯端末を少々耳から離したまま、アボットは首を傾げて困ったような仕草をした。

「えーと、それは、電話番号を間違えた……ってことじゃ、なくて?」
「あー。うん。合ってるんだよね、番号は。と、いうか、僕がかけようとしていた電話はちゃんと繋がっていてちゃんと想定していた相手が、出てくれたんだけど。ええと、なんていうか……あー、こっちじゃない方が正解だったなーって……」
「こっちじゃないほう?」
「二択だったんだよね。わりと迷ったんだけど。僕はね、この前葬式の時に会った旧友に、そういえば礼の一言も告げてないなぁなんて思い出しちゃってさ。僕は友人が少なくて、子供の頃からの友人は二人しかいないんだよね。その二人は今NYで暮らしていて割と頻繁に会っているっていうから、じゃあどっちかに電話して、必要な事は伝えてもらえばいいかなって、思ったんだけどさ」
「あー。それで、二択……」
「そう、二択。……ヨナなら、どっちにする? 『良い奴だけどかなりよく喋るお調子者』と、『良い奴だけどちょっと無口な人』」
「…………久しぶりなら、前者かな、と思うけど」
「だよね。僕もそう思った結果がこれです」

そう言ってアボットが寄越してきた携帯のスピーカーから流れ出てくるのは、とてもじゃないが俺の耳では聞き取れない程速くて煩い英語の濁流だった。

声はちょっと高い、んじゃないかと思う。別に海外留学したわけでもないし、英語圏の友人が多いわけでもない。正直俺の英語力なんて、アボットの淡々とした言葉を聞き取るくらいしか活用されてないし、他には翻訳前の海外ゲームでちょこっとリスニングするかなーという程度だ。
ゲームに声を当てている俳優さんたちはわりとはっきり喋るし、アボットはぼそぼそと喋る代わりに割合ゆっくりと言葉を紡ぐ。とんとんとん、と一定の距離で石を置いていくような、本当にまったりした英語を話す。

対する電話口から漏れ聞こえる声は速くて速くて本気で何言ってるのかわからない。そういえばこういう喋り方する俳優いたよななんだっけなんとかバーグみたいな名前、と思ってぼけっとしてしまった。

茫然とするしかない。
聞き取れない言葉は言葉として機能しない。言葉を返すことはできないし、俺が口にできるのは『落ち着いてゆっくり喋ってもらえないか』という旅行先の日本人のような言葉だけだった。

『落ち着けだって!? ワォ、なんて無理なご注文してくるんだろうねだってあの林檎野郎からの初めての電話なんだ落ち着いていられるわけがないよ全くとんでもないよ明日世界が終わるって言われても僕は信じちゃうし実際明日世界が終わったら絶対にアボットのせいだって僕は思うしっていうかちょっと、え、何? アボットじゃないような気がするね、もしかして僕はアボットの電話を取ったと思ったら途中から違う誰かと混線してた!? SF映画も真っ青だね深夜の映画二本立ての世界だ!』

……アボットか? みたいな言葉だけはかろうじて聞き取れた。
あとはサイエンスフィクションダブルフューチャーって聞こえた。どうにも元気すぎて耳に煩い電話向こうの人は、落ち着いてはくれないようだ。

「……えーと、俺はアボットじゃなくて、友人の日本人です。だから、もうちょっとゆっくり喋ってくれるとすごく嬉しいし、ロッキーホラーショーはタイムワープが最高」
『うはははわかってくれてありがとう僕も久しぶりにライスシャワーとトイレットペーパーを投げに行きたいよ! ゆっくりだね、オーケイジャパニーズフレンド。え、何? ああ、わかってるってばはいはい深呼吸だね、するよ、するするふーーーーはーーーーーおっけー? うん、よし、それで、あー……リンゴ野郎の友達だって?』

この問いかけには果たしてイエスと答えていいのか、それとも正直に恋人だと答えていいのか。ちょっとわからなかったので曖昧に肯定するにとどめた。
俺の微妙な返答など気にした風もなく、異国の人は大げさに声を上げる。アボットの無くした言葉の抑揚を、この人は全部吸い取ってしまったんじゃないか、と思う。そのくらいに大げさでけれど気持ちがいいくらい速くて元気だ。

アボットの滔々とした英語は静かな歌みたいだ。でも、この人の流れるようなアップテンポな英語も、タンゴとかあの辺の歌みたいだと思う。

『友達! 友達!? ちょっとハニー聞いた? あの林檎野郎に友達ができ、え、ちょっと嘘でしょほんと僕を騙したって何も楽しいことなんかないんだからね!? どうしよう今すぐこの電話を切ってノーマンに『きいてよ林檎野郎の友人ってやつから電話がきたんだ僕はどんなSF世界に来ちゃったの?』って電話したいくらいだよ! ああ、ごめんええと、それじゃあ僕とキミは初めましてだね、挨拶しなきゃ! はじめましての挨拶をするのは好きなんだ。はじめまして日本の友達、僕はスタンリー・ジャックマン。馬鹿みたいに喋るからあだ名はスピーカー・ジャック。僕の友人連中はみんなどっちが本名かわからなくなって面倒になってSJなんて短縮して呼ぶよ、よろしくね!』
「よろしくSJ……あー、えっと、俺はヒメノキヨナガです。ヨナでいいよ。アボットもそう呼んでる。ところでこの電話は、えーと……アボットちょっと、何話すために電話かけたの?」
「いや、なんとなく、ふと思い出して、近状報告と、あとヨナを紹介したいな、と思って」
「え。そうなの? ていうか俺もSJもどうしていいかわかんないからアボットが説明してよ」
「えー」

なんで嫌そうな声出すんだよ。

珍しく本当に嫌そうにしているアボットだったが、知らないアメリカ人と電話越しに何を話していいかわからないし、あと電話口の相手はゆっくり喋ってプリーズという言葉をたぶんもう忘れていて、半分くらいは何言ってんのか聞き取れない。
俺の拙い英語が伝わっているのかも正直あやしいのだけれど、妙に楽しそうな電話口の雰囲気からするに、言葉なんてどうでもいいのかもしれない。

たぶんアボットは本当に友達がいない。それは本当で、そしてきっとSJというこの人は、そのことをひどくもったいないと思っていたに違いない。
アボットは良い奴だからだ。自分から関わらないだけで、一回関係を築いてしまえば本当に静かで甘くて最良の隣人だ。……いや甘いのは俺にだけかもしれないし、正直俺も誰かれかまわず甘くしてもらったら困るし嫌だけど。

ともだちが少ない友人に、新しいともだちができる。
これはすごくうれしくて、ちょっとだけ寂しいことなのかもしれない。

携帯を押し戻した後、そっとアボットの隣に寄り添った。いつも、座る時は隣に座るので違和感はない筈なのに、アボットが電話中だと思うとなんでか妙に気恥ずかしい。
しれっとした顔でしれっと英語を吐きながら、アボットは床についた俺の手を握ったり摩ったりしてくすぐったい。

「うん。うーん、あー……いや、どうかなぁ。帰っても、いいんだけどちょっと仕事が忙しくて、あんまりまとまった暇がなくて。ヨナもいるし。……え、いや、一緒に連れていくのは別にいいんだけど、ヨナは僕よりも暇がない――、え。えー、まー、それならそれで、いいけど、スタンリーも忙しいんでしょ? ニールは……ああ、いや、いいや。自分で電話する」

漏れ聞こえてくるSJの声は陽気で、どこからそんなに湧き出てくるのかっていうくらいに延々と言葉が途切れない。すごい。すごいキャラだ。アボットも結構濃いキャラだと思っていたのに、たった二人の旧友のうち一人がこれなんだから、もう一人の人も正直気になってしまう。
ちなみに俺はアボットのマネージャーのサイモン氏ともたまに電話でやりとりするけれど、サイモン氏も結構濃ゆいキャラで、八木沢さんなんてまだ真っ当な人間だよなって思うくらいだった。

アボットの周りはちょっと変で、でもなんか、それが面白くて不思議だ。
その面白い人間の中に紛れ込んでしまえば俺なんて無味無臭のただの日本人だろうに、アボットはヨナがいいとことあるごとに手を伸ばして甘やかしてくる。

近状を話すというか、一方的に喋られてげんなりしたらしいアボットは、サイモンさんにするみたいに結構無理矢理電話を切った後、僕は何を言いたくて彼に電話したんだっけ、なんて首をかしげていた。

「この前はほら、積もる話をしている時間はなくてさ……いやでも、積もる程たいした話もないんだけど。いやでも、スタンリーはこの前スウェーデンにちょっと滞在してたっていうから、そういう話できたらおもしろそうだなと思った記憶はある……けど、なんか、ひたすらヨナの事を聞かれて最終的に絶対に日本に遊びに行くから絶対に紹介しろって言われて終わった……」
「……なんか、ごめん?」
「え、いや、僕が勝手に巻き込んだから別に。なんだかね、友達に、恋人とか友達とか、とにかく自分以外の誰かを紹介したことがなくて、すごく不思議な気分だった。そわそわっていうか。なんていうか」
「…………こいびと……」
「あ。恋人って、紹介したらまずい、かな? 友達ってことに、しておいてもいいけど」
「いや、その、俺は、あー……嬉しい、です。ほんと……うーはーだめあっついなんかこう、どきどきしちゃったなんだこの青春感……ちょっと水飲、アボットあの、離し」
「……ぎゅってしたくなっちゃった。ヨナ、抱きしめてもいい?」

急に甘くなるのやめてほしいし、何食わぬ顔で急に口説き始めるのやめてほしい。

それでも俺は、嫌だなんて言えないし、ていうか俺もそういう事言って首を傾げるアボットが滅茶苦茶好きだしほんとたまんない気分になってあーあー言いながら抱き着いてしまった。全然駄目だ。全然落ち着けない。

ふわっと甘い匂いがして、まあ俺も相変わらずあの甘い煙草を吸っているから似たような匂いがするんだろうけど、相変わらず林檎と俺に狂ってる恋人を抱きしめて照れ隠しみたいに笑ってキスをした。

「……アボット何食ったのめっちゃ甘い……」
「ムースかな。コンビニで秋の林檎フェアやってたから。つい。ヨナも食べる?」
「…………甘いものばっか食ってたら太りそう……」
「じゃあ、散歩に行こうよ。僕ね、わざわざ目的もなく動き回るのは好きじゃなかった筈なんだけど、ヨナと一緒にスーパーまで歩いていくの、すごく好きだよ」

ほらすぐそういうこと言う。そんで俺はすぐ赤くなってあーあーしてしまうからダメなんだ。ほんとだめ。ぜんぜんだめ。全然、アボットに慣れない。

本当にアボットの友人が遊びに来ることがあるなら、それまでにこう、もっと余裕で手を繋げるくらいには成長しなくちゃと、よくわからない目標を立てた日だった。


End




ニールとSJの友人、アップルアボットが日本で恋人を見つけるお話同人誌で出しましたよろしくさんです。
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