花と揚豆
「ほんっとサーセン……」
情けない声でひたすら謝ってくる亮悟の声に、苦笑いで気にすんなと答える作業にもちょっと飽きた。
「いいっつってんじゃん。俺はさーわりとなんでも屋さんだし、まあ給湯機なら本業のうちだし、水洗トイレつまったからどうにかしてよとか言われる毎日なんだから気にすんな。どうせ今日暇だったし」
がちゃがちゃと配線を弄りつつ、切れかかっていたコードを交換する。
職場のわりと新しめの給湯機のスイッチが入らなくなった、と亮悟からヘルプがあったのは金曜の夕方の事だった。
俺は相変わらず従業員二名の工務店でひいこらと働いていたし、きっちりと土日は休みだ。そんで有賀さんは最近はそこまで酷い残業をする事もなくなったけど、ここんところ個人的にやりたい仕事が溜まっているとかで忙しいらしい。
日曜日は絶対に休むからごめんと先に謝られてしまうと、いや別に付き合いたての高校生じゃないんだからずっと一緒に居なきゃダメとかそんなこたぁないし、良いよ別にでも程々にな? と笑うしかない。
ほんとは許される限り一緒に居たいとかそんな重い愛情相変わらず持続してるわけだけど。
俺ってこんなに依存するタイプだったっけ、なんて首を捻りつつ、暇な金曜の夜をどうしようかと考えていた所だったから、亮悟の呼び出しを受けた時は本当に暇だった。
「スタジオ、明日も使うんだろ? 私服で来ちゃってアレだけど、安めに見積もり出しとくから」
「ほんっとサーセン……いやもう吹っかけて請求していいっす今回これ払うの所長なんで。アイツこの前換気扇直したお前の友達に声かけてみろよとか適当な事抜かして帰りやがってフザケンナって話ですよ……今度、肉、おごります……」
「あ、肉は嬉しい。そういや最近食って無いなー肉。亮悟今日はトキくんと待ち合わせ?」
「あ、はい。なんか、珍しく向こうが週末休みで」
「やー、そうじゃないかと思ってたなんかそわっそわしてっから。あとちょっと良い服着てるから」
「……無駄に察し良いの恥ずかしんで勘弁してください……来週絶対肉おごるんで……」
「おごんなくていいから肉食いに行こうって。よっしゃ終わったぞー配線切れかかってただけだから、どんなに吹っかけても一万円以上にはならないわ。あとは片づけるだけだから、亮悟帰る支度してくれば?」
俺も後片付けしたら帰るから、と声をかけると、煙草も吸わずにずっと作業を見守っていた律儀な年下男は素直に給湯室を出て行った。
このスタジオの給湯室に入るのはこれが二度目だ。
最初に換気扇を直しに来た時は有賀さんの紹介で、亮悟とはまだぎりぎり顔見知りくらいの関係だった。
なんかすっかり懐かれたし、俺も良い気になって兄貴面しちゃってるし、その上お互い恋人との関係までばれちゃったわけだけど、それでも良好に歳の離れた友人をやってるから人生っておもしろいよなーと思う。
別に、今までの人生辛かったり寂しかったりしたわけじゃないけど。有賀さんと出会ってから、俺は確実に友人が増えているしいろんな事を経験してるよなーと思う。
感慨深く深呼吸をして、固まった肩を伸ばすように背伸びをした。
亮悟くらいでっかいと、手を伸ばせば換気扇に指先が届きそうなもんだけど、生憎俺はわりとちっさめだ。女の子よりはギリギリでかい筈だけど。有賀さんと並ぶとやっぱり見上げてしまう。
仕事道具を仕舞い、パーカーを羽織り、ごりごりと首を回していると、給湯室の扉が開いた。
亮悟かと思って気を抜いていたのに、入って来たのは美人なねーちゃんだったから一瞬どう対応していいのかわからず固まった。
お互い目が合ったまま息をのみ、ああ、そっかここカメラスタジオでまだ社員さん残ってんだと気が付き、慌てて佇まいを正す。といっても、特別何かしてたわけじゃないから突っ立つ以外にできる姿勢もない。
やばい俺不審者じゃないのか。やっぱり気を抜かずに仕事着で来たら良かったんじゃないか。そんな事を考えながらこんばんはって声かけてだいじょうぶなのかなと固まっていると、背の高いねーちゃんは『ああ』と声を漏らした。
「……電気屋さんの人、ですよね。あーびっくりした……なんかうちの事務所のキッチンに知らないメンズが居ると思って、いろんな事考えちゃった……シナの、知り合いの人?」
表情を変えず、割合低い声で滔々と喋る。なんかこう、無表情で淡々と喋る所がめちゃくちゃ亮悟に似ていて、ちょっと笑いそうになった。
「そうですそうです、いや、すいません俺も私服で来ちゃって。もう終わったんで、すぐ帰ります」
「時間外でしょ? お疲れ様です。あ、換気扇も直してくれた人?」
「そう。一年前くらいに」
「それも大変助かりました。シナとわたししか、煙草吸わないから」
ということは、いつも亮悟が口にしている上司の人かと思い当たる。
名前はなんだったっけか。亮悟はわりと自分の生活を外に出さない人間で、固有名詞を出す事は稀だ。
確か有賀さんもこの人の事を言っていた気がする。個展がどうとか、雪見ちゃんの時計がどうとか。
どうやら置きっぱなしにしていたライターを取りに来たらしい彼女が部屋を出て行く寸前で、俺はその名前を思い出した。
「……っあ、カヤシマ、さん?」
「あ、はい。そうです。おにーさんは、あれだ。オウスケさん」
「ふはは、それですそれです。あーなんか、名前だけ知ってるって感じの人に会うと、面白いっすね。あ、いつも亮悟に遊んでもらってます三浦桜介です」
「こちらこそ。いつもシナに手伝ってもらってます、萱嶋君江です。三浦さん、見た目若いですね……わたしと、あまり歳違わないんじゃなかったっけ?」
「俺今年三十三」
「うっそ。わたしの一個下だ。見えない見えない。わっかい。すごい」
「いや一個上の方が絶対おかしい。ぜってー見えない」
「あはは、よく言われるな。いや、ちょっと、なんか、楽しいなー……ていうか、その指輪、有賀さんと一緒」
「…………あ」
師弟共々目ざとくて嫌だ。
気を抜いて私服のついでに付けてきたペアリングをさっと隠すけれど、萱嶋氏はにやりと笑う。
「世界は狭くて好きだな。そっか、三浦さんが有賀さんのソレかぁ……あー、でも、わかる、そんな感じする。ていうか、三浦さん、ゲイでしょ?」
「……同類こっわい。やっぱなんかこう、わかる?」
「わかるね。わかっちゃうよね、なんでだろうね? 今日も良い日だなー仕事もキリがいいし、明日は休みだし、ランチの予定あるし、ちょっと面白い出会いをしちゃった」
表情はあまり変わらないのに、萱嶋さんは鼻歌でも歌いだしそうな軽やかな声だった。
身長は俺とあんまり変わらない。とびぬけてでかいわけでもないけれど、まあ、女子の中では背が高い方だろう。
「面白いついでに、三浦さん、今日暇ですか?」
急に首を傾げられ、思わず瞬きを繰り返してしまう。
仕事柄いつも接しているのはご老体か主婦ばかりだし、私生活ではあんまり女性に近づかない。妙齢の女性から夜の予定を尋ねられる、なんてことは稀すぎて固まってしまった。
勿論、萱嶋さんになんの下心もないのは分かっている。俺の恋人が誰かバレテしまっているし、彼女も同性愛者だということは察していた。
「恋人と予定ある?」
「恋人は仕事とランデブー中っすわ。暇ですけど、え、ナンパ?」
「うん、ナンパ。シナを誘ったんだけど、アイツは恋人とランデブーだっていうから、じゃあ、暇な同類同士、コイバナでもどうかなぁと思って」
「うはは! コイバナ!」
「いいでしょ?」
「……いいね。コイバナしちゃおうか」
女性とこんな風に喋るのは実はほとんど経験がない。
割合人に好かれるもんで、ちょっと仲良くなるとすぐに告白されてしまってものすごく申し訳ない気分になる。男女間の友情は存在しないんだな、と切なくなるばかりだったから、あんまり同世代の女子には近づかないようにしていた。
そう言う意味ではめちゃくちゃ新鮮だ。
有賀さんの事を知っていて、その上隠さず話せるというのも結構面白い条件ではある。亮悟や壱くんとかは、なんていうか友達だからこそ言えないような話もあるし、何よりみんな俺より年下だ。
年上のおねーさんとコイバナとか、なにそれめちゃくちゃ面白い。
後で有賀さんに自慢しよう、なんて早くもにやにやしていると、帰り支度を整えた亮悟が給湯室に帰って来た。
「……え。何してんすかカヤさん。つかカヤさん飲みに行くんじゃなかったんすか」
「行くよ。行くから今三浦さんをナンパした」
「は?」
「ね、三浦さん」
「うん。ナンパされた」
「…………頭痛くなるんでいきなりわけわっかんねえ洒落言うのやめてください」
本当に頭が痛そうに眉を寄せるから亮悟はかわいい。
同じ事を思ってそうな萱嶋さんがうははと笑うから、俺も一緒に笑った。
お互いにあまり酒癖が良くなく、お互い恥ずかしい程の絡み酒だと言う事を知るのはこの三時間後の事だった。
end