散歩の途中で鍋のこと
散歩のときに何か食べたくなるのって誰でしたっけ、と呟いたら、白菜をだばだばと鍋に投入していた有賀社長がいけなみしょうたろうかなと首を傾げた。
ほんと、無駄な事アホみたいに記憶しているからこの人はすごいし面白い。
ちなみにひじきはなんだそれみたいなアホの真骨頂みたいな顔しながらエノキを裂いている。
「僕はエッセイあんまり手出さないし、時代小説もあんまり読まないから内容は知らないけどね。有名だよね、食通だったんだっけ。よく知らないけど。急にどうしたの」
「いや。さっきひじきが、なんで急に鍋? って訊いてきたから。あーなんでだっけなぁって思い返してたらあれだ、散歩の途中で急に鍋くいてえって思ったんだ、って」
「ああ。うん、なんか、わかるよ今日寒いしね」
社長は料理うまいわりに変なとこ適当だったりして、白菜も鳥団子も豆腐もなんだかごちゃまぜだ。こういうのきちんと並べて料理本みたいな鍋を出してきそうな顔してんのに、最終的にうまけりゃなんでもいいらしい。
そういうとこが微妙に桜介さんじみていて、やっぱ一緒に生活してると性格似るもんなんかなぁと思う。
確かに今日はやたら寒い。
まだ十一月に入ったばかりだというのに、雪でも降りそうな程指先が凍えている。暖を求めて擦り合わせたり息をかけたり足の下に挟んだりしてみても、寒いもんは寒い。
結局暖房を入れてしまい、非常に負けたような気分になる。冬の初めはいつもそんな敗北感から始まる。
食べれば暖かくなるよと笑う社長の横で、エノキをコマ切れにしている唯川は妙に薄着だ。そういやこいつに季節感はあんまない。
「いやーでもおれびっくりしたぁよーいきなりシナシナが鍋したいとか連絡してくんだもーん」
「……別に、飯くらいわりと誘うじゃんか。つかひじきいい加減それほぐすのやめろ確実に食いにくいもんが出来あがる」
「え。そうなの? これ全部ばらすもんじゃないの? てーか、ご飯も飲みも買い物もシナシナは結構ホイホイ誘ってくれるけどさ、なんていうのかなー。鍋限定だったのがなんか不思議だったっていうかぁー。シナシナが? え、鍋? 鍋って言った? みたいなー」
「おれだって寒けりゃ鍋食いたくなるっつの。そしたら一人で寂しく食うより大人数でつついた方が鍋っぽいだろ。……おまえ馬鹿なの? エノキ触ったことねーの? どこのバカがエノキ一本ずつ分解すんだよバカか」
「オ料理ニガテデース。シナシナがみんなとお鍋ってやっぱおもしろいよーまぁおれもそうなんだけどうはは」
なんたってエノキ触ったこともないもの、と笑った唯川は白い糸くずみたいになったエノキの山をトッピングするみたいにふわふわ鍋に入れやがる。
それを苦笑いで許した社長は、無言で抗議するおれに対して『エノキがコマ切れでも味は変わらないよちょっと食べにくいだろうけど』と控えめにフォローした。
鳥団子鍋の筈が、見た目はすっかりエノキ鍋だ。存在感が半端ない。
休日の散歩の途中、本当にふらっと鍋が食いたくなった。
一人用の鍋も持ってるし、夜中にぼんやり白菜と豚肉を煮こむことだってある。だけど今日は土鍋をぐつぐつと沸騰させ、それを四方八方から箸でつつき合いたい気分だった。
寒いからかなぁと零すと、社長がそうだねぇと同意する。
「寒いとあったかいもの食べたくなるし、汁もの恋しくなるし、ついでに誰かとだらだらしたくなるよねぇ。集まってご飯を食べてどうでもいい話をしたりするの、結構いいよね。って、実は僕は最近気がついた」
「あー。おれも、そういや家にあんま人呼ばないかな……なんか、ふらっと声かけてふらっと集まって、気ぃ使わないでいい相手って、そうそう居ないもんっすよね」
「うん。そう、それね。だから僕は今結構楽しいし嬉しいよ。散歩の途中で食べたくなった鍋の会に呼んでもらえて嬉しいなーって」
「……社長、その、比較的好意抱いてる相手に対してガチでデレてくるのどうにかしてくれませんかね……」
「え。え? 唯くん今の僕だめだった?」
「だめだめアウトアウトおれまで飛び火していまひゃーってなっちゃったアウト……!」
「……サクラちゃんは最近慣れたって言ってるけど」
「あのスーパー男前旦那と一緒にしないでくださいよおれたち若造なんす。まだまだ免疫ないんす。手加減してください手加減」
「えー。……嬉しいから嬉しいって言っただけなのになー」
理不尽だ、なんて笑うのがまた嬉しそうで、唯川と一緒に痒い痒いと笑う。
ぐつぐつ、鍋の中でエノキが踊る。
生憎土鍋はあったけど机の上に出せるコンロが無かった為、風情は無いが電気鍋だ。安ものの電気鍋は温度調節がトチ狂ってる。保温にすると煮えないし、弱火にしても沸騰する。
ぼこぼこと蓋が浮き上がる程沸騰し始めて、慌てて蓋を取ったら湯気で部屋が真っ白になった。
「ねー鍋ってこんなぼこぼこ沸かすもん!? 沸かすもんなの!? おれオトモダチと鍋とかしたことないからわっかんないんですけどねぇ有賀さん!」
「いや僕もこのタイプの鍋あんまり使わないからわかんない……でもまあ、お湯は百度以上になることは無いし、煮えないよりはきちんと煮えた方がお腹的にも安全……」
二人がぎゃーぎゃー騒いでいると、ドアチャイムが鳴る。
ひじきうるせーから煙草吸って来ようかな、と思ったタイミングだった。多分、仕事帰りの桜介さんだ。
煙草掴んで玄関先に降りて、ドアノブ開いた時に背後の部屋でビービー変な警報が鳴って思わずびくっとしてしまった。
「何!? この音何!?」
「あー……シナくんどうしよう火災報知機鳴っちゃった、え、これどうしたら止まるの? ていうか鍋続行できるの?」
「……桜介さんお疲れっす」
「ウッス。あー、とりあえず俺はアレを止める係かな」
寒そうな息を吐いて、おれの憧れのにーちゃんこと桜介さんは苦笑いではいはいそこどけと他の二人を蹴散らして、ベッドに乗って天井ごそごそしていた。まったくもって頼りになるにーちゃんだ。
頼りになる桜介さんは、おれたちがすっかり買いだしで忘れていた酒やお茶も買ってきてくれた。頼りになりすぎて泣けてくる。
結局煮ている間は唯川が一生懸命仰いで湯気を散らす、という戦法で鍋は続行されることになり、男四人各々だらりと席に着く。
何繋がり? なんて聞かれたら思い出して説明するのが面倒なメンバーだ。でもおれは、結構このさらっと集まれる感じが気に入っていて、柄にもなく人間ってそんな悪くねーななんてしんみりしていた。
多分寒いからだ。
寒いから鍋が食いたくなるし、寒いから人恋しくなる。あとここんとこトキチカさんが深夜番ばっかで全然会えてない。今日もロングで入ってて朝まで仕事らしい。
恋人を抱きしめられない冬にはもう、鍋を囲んで飯を食うしかない。
そんなよくわからない理論に達したのもやっぱり、寒くて頭がおかしくなっていたせいだと思った。
「……つかこれ何鍋? この白い細長い糸切れみたいなの何……?」
「!? サクラさんまで!! どう見たってエノキじゃあないですか!! ザッツエノキ鍋!!」
「いや僕は鳥団子と白菜の鍋を作った筈で、別にエノキはメインでは……」
「……まあ、煮えてりゃ食えるっしょ」
散歩の途中、次は何が食いたくなるだろうか。
暫くは、また鍋が食いたくなるような寒さが続くだろう。
冬の始まりは人恋しい。
ヒトの集まりは騒々しい。
がやがやと、心地良い雑談をききながら、次はトキチカさんと一緒にエノキを裂こうと思った。
end