×
「#学園」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




蟻と台風。



こんな仕事をしていると、世界って世知辛いなぁとかアホばっかだなぁとか現実は小説より奇だなぁとか思うことは多々あれど、世界って狭いなァなんて思って尚且つその狭さに感謝したのは初めてに近かった。


その日は特別特記するようなこともない比較的平和な日だった。

いつも通り朝起きて、一階下の事務所に出勤して、一日の業務を確認して、お昼に春さんの作った親子丼を平らげて、特別面倒な客が来店することもなく、トラブルが発生する事もなく。
大変順調に日が暮れるまで事務作業をこなしていた。

春さんはここのところ夜はずーっとキャバクラのバイトに引っ張られていて、大変眠そうではあったけれども。
一人やめたとかバックレタとか、もーもーそんなの放っておけばよろしいのに優しいんだからそういうところも好きだけれどやっぱり夜ご飯を一緒できないのは中々寂しい。

相変わらずボクは全く料理ができない。掃除もできない。壊滅的に生活能力がない。
なわけで、しゃーないなーって溜息ひとつと苦笑でお掃除とか晩御飯とか作ってくれる恋人の存在がそれはもう大変貴重なわけですよ。

別に、春さんはそこにいるだけで貴重なお方だけれどもね。
かわいいし。かわいいし。格好良いし。優しいし。仕事もそつないし。もーなんであんな大したことない会社でこき使われてぼんやり生きてたのって今でも頭傾げちゃうくらいに、深川千春その人はお仕事ができる方だった。

そんな完璧な恋人様が居ないと、ボクは途端に暇になるわけです。
大した趣味もないし。テレビは苦手だし。最近買った本は軒並みハズレで、途中で読むのを辞めたものばっかりだ。

春さん迎えに行くついでに、本屋にでも行こうかなぁ。

ぼんやーりとそんな事を思い立ち、なんとなーくいつもより早い時間にジャケットを羽織った。
面倒くさいから今日もスーツだ。というか、面倒くさくて着替えて居ない。ついさっきまで残業してたし、わざわざ部屋着になってから外出することもないだろう。

フラットな状態で迎えに行くと、春さんはともかくリリカ嬢達が大変楽しそうに冷やかしてきて煩いったらない。
好意故の弄りだということは理解していても、相変わらずからかわれるのは苦手だ。集金帰りにちょっと寄ったんですーというスタンスが一番、面倒がない。

いつもは持たない財布をつっこんで、うーんそう言えば買ってたシリーズがあったなぁどこまで読んだかなぁ、この前ネットで書評読んだアレはどこの出版社だったかなぁ、なんてことをごねごねと考えながら繁華街を横切った。

書店を一周して、買い続けている好きな作家の最新作と、なんとなく目に付いたものを数冊買った。
ここの書店は紙袋に入れてくれるから好きだ。今はみんなスーパー袋で味気ない。
ちらっと伺った時計はまだまだ夜が更けるには早い時間で、財布持ってるしなぁということで珍しく喫茶店に入った。

駅前の喫茶店は程良く寂れていて好きだ。
多分、去年できた若者向けのコーヒーチェーン店に軒並み客を持って行かれてるんだろうと思う。時々顧客とのお話合いに使うせいで、新人店員にはうっかりビビられているけれどマスターは知り合いなので、見るからに怪しいスーツのボクでも安心して足を踏み入れられる。

案の定手前に座っていた女性二人組に二度見されましたけれど。
ボクなんて最高に無害なのに全く失礼な話だ。

「こんな時間からお仕事ですか?」
「いやいや、個人的な時間つぶし。たまにはボクだって一人でぼんやり珈琲飲みたくなる時もあるんですよーってことでブレンドください」

馴染みの店長にさっくりと注文して、奥の席に座り、珍しく混んでるなーと店内を見渡すと、向かいの位置にあるテーブルについている数人の人間と目が合った。
四人掛けの席に三人。僕に背を向ける椅子の席には金髪の男性。その向かいのソファー席にはスーツの男性二人。

なんかの勧誘かなーと目を細めた時に不自然に視線を逸らされて、おや、と思う。

……どうにも、見覚えがあるような、気がするんだけど誰だろう。
多分知り合いじゃない。自慢じゃないが交友関係はアホみたいに狭い。ボクの周りは素敵な御老体と女性ばかりで、男性の知り合いなんかこの界隈には皆無に等しい。
うーんそうなるとお客様なんだけど基本的に借金をなさるお客様ってどうもきちんと返済していても『闇金から金を借りるなんて心苦しい事』だと思っているらしくていついかなる時も目を合わせてくれないし挨拶なんかもってのほか状態だ。

もっとこう、気軽に声かけてもらってもいいのに。普通に返済してるなら、入用の時にご利用いただくのは恥じることじゃないと思いますけどね。まあ、世間のイメージっていうのもあるのは存じておりますので、ボクも声など掛けずに本を――開こうとしたところで急に思い出した。

あ。
あのおっさん長期御滞納でこの前シャチョウが事務所ごと逃げられたクソがって超絶悔しがっていた事務所の人じゃね?

「……うわぁらっきー」

スーツ着てきてよかったぁと思う。
ボクは剣呑な顔つきをしている自信はあるけれどイマイチ体つきが細くて迫力がない。私服姿はただのそこらへんのおにーちゃんになってしまう。いや実際そこらへんの若造なんですけどねーやっぱりこう、お仕事中は迫力が欲しいじゃないですかぁ。

というわけで時間つぶしの読書タイムは無かったことにして、大変怖いと皆さまから絶賛される目が笑って無いらしい笑顔を作ってスーツの襟を正して立ちあがった。



* * *



帰りたいなぁ、と思うのは今日もう何度目だろう。

結構僕は最初から帰りたくて、もーほんとこの仕事紹介してきた住倉さんはあれだね鬼だね僕に何の恨みがあるのかねって全力で恨みながら赴いた。うっかりよく確認しなかった僕も悪い。ちょっと調べれば怪しいクライアントだってわかったことだし、もっと調べれば一人で来るべきじゃなかったなぁなんてことはわかりきっていたことだった。

言い訳をするなら眠かった。判断力がアホみたいに落ちていた。
まあ、その、流石にいきなり刺されたり財布取られたり拉致られたりすることはないだろうと思っていたんだけど、ちょっと雰囲気的に笑えなくなってきている。

仕事を依頼してきたクライアントと途中経過報告かねてのミーティングをしていたと思ったら難癖つけられて顧客情報を寄こせと言われている。
……何を言っているのかわからない。僕にもわからない。どうしよう日本語が通じない人間って怖いっていう感想しかない。

もう面倒になって、トイレに立つタイミングで逃げるしかないなーと算段していたし、逃げられなそうならサクラちゃん呼ぶしかないなーって情けない救援算段もしていた。

情けなかろうがなんだろうが、暴力沙汰やらカツアゲになる前にどうにか逃げることが先決だ。
これ、帰って報告したらしーばちゃんにめっちゃくちゃ怒られるやつだなぁ。それはそれで胃が痛いけど、剣呑な方向にお話が進みまくっているこのミーティングの方がまずい。
胃じゃなくてリアルに僕の身体が危ない。自慢じゃないが貧弱な自信だけはある。もし本当に腕力に訴えてきたら屈しない精神はあっても骨くらいは持って行かれそうだ。こわい。とてもこわい。うーんサクラちゃん呼ぼうかなぁ。

と、本格的にトイレに立つタイミングを見計らっているところだった。

「わぁこんにちはー箕輪さん所澤さんお揃いで! やぁやぁお久しぶりですねぇもー全然連絡がつかないものですからすっかりお亡くなりになったものだと思っておりましたー」

妙に能天気なトーンの声が後ろから聞こえた。

能天気だけど、声自体が笑って無い。もう今度は一体何、と思って恐る恐る振り向くと、さっき喫茶店に入って来たばかりのスーツの青年が立っていた。

人を外見で判断するのは嫌いだけど、例えるならキャバクラの違法客引きとかしてそうというかあんまりまっとうなお仕事してそうな格好じゃない。真冬に開襟シャツだからかもしれない。

「あ、ちょっとおにーさんお隣失礼しますね?」

剣呑な笑顔の青年はにっこりと笑ったまま流れる動作で僕の隣の空いている椅子を引いた。

僕はもうとっくの昔に書類やら何やらはそっと片づけて膝の上に抱えていて、いつでも全力で逃げれる状態になっていたので特別問題はない。
どうぞ、なんて間抜けな返事をしてしまったけれど。もう眠いし帰りたいししんどいし、どうにでもなれと思っていた。

ただ、彼の出現により目の前の箕輪さんと所澤さんが非常にひきつった顔になったことは見逃さなかった。
もしかしてこれ、ものすごい助け舟なんじゃないか。
固唾を飲んで状況を見守っていると、青年が驚くほどの勢いで喋り出した。

「まぁまぁ元気そうでなによりでございますよー、あ、もうすっかりボクのことなんかお忘れですかね? いやぁお久しぶりでございますいつも笑顔で皆さまのお役立ちを胸にツバメのような機敏さで駆けつけさせていただきますどうもツバメキャッシングの海道と申します思い出していただけました? ええとそうですねぇ、あはは春ぶりですかね! いやぁ随分と長い間うちのお金を預けております、どうでしょう私どものキャッシュはお役立ちしたでしょうかねーもしもうご用が無いようでしたらお貸出ししたもの耳揃えて返していただきたいのですけれどー見たところホームレスになったとかじり貧だとかそんな風な身なりには見えないもので」
「いや、……その、」
「あ、ご商談最中でしたかね? それは申し訳ありませんですが契約は私どもの方が先でございましておにーさんちょっとスイマセンねぇほんの十分で大丈夫なのでこちらおふた方のお時間いただきますねぇ」

正直帰りたかったけれど、聞いた感じどうもこの人は味方というか天の助けらしいので、藁をもすがる思いでどうぞどうぞと頷いた。
一味だと思われなくて良かった。僕も一緒に巻き込まれることだけは回避できそうだ。

さっきまで金髪男相手にだらだらと凄んでいた箕輪所澤コンビは、今は顔面蒼白でうろたえている。わぁ、すごい。この青年が何者かわからないしツバメキャッシングさんが如何なるところかわからないけれど、とにかく彼らにとってはよろしくない相手だったのだろう。

あれよあれよと言葉を連ねる海道青年に、うろたえた大人達はなんだかんだと言い訳をつけて席を立とうとする。その度に凄みのある笑顔で彼らをその場に座り直させた。

でも、どうするつもりなのだろう。
推測するに借金を返さない云々のお話なんだろうけれど、じゃあ今ここで返せってわけにもいかないだろうし、会社ぐるみで逃げている様な人間はまた雲隠れしそうだし。えー僕これどこまでお付き合いしたらいいの? と不安になり始めたところで、喫茶店のベルががらりと鳴った。

「……どうも。ご連絡ありがとうございます陣さん」

反射的に顔をあげて、そこに立っていたあまりにもどう見ても堅気じゃないでしょうっていう顔の眼鏡スーツの男性を見て、思わず息を飲んでしまった。
うわぁ。……すごい、ヤクザさんだ。そんな、頭の足りない感想が出てくる。後ろに控える二人組もどう見てもヤクザさんだ。パンチパーマって久しぶりに見た。

「いえいえとんでもないですよーというかわざわざ御足労いただいて申し訳ないです。ちょっとボク一人じゃあ無理かなぁと思ったものでっていうかわざわざ城内さんが来てくださるとか思って無くて今ちょっとビビってますー」
「近場に居たもので。ではこちらのおふた方は、ウチの方で預からせていただきます。エコノミーサイクルファイナンスには最近苦情が多かったもので、非常に助かりました。ツバメキャッシングさんへの返済の件に関しては轟社長にご連絡を入れされていただきます」
「いやぁ、お気を使っていただいてありがとうございますー」
「……そちらの方は?」

ここで初めて城内さんと呼ばれたヤクザのドンみたいな人が僕を見た。
すっかり空気だったので空気よろしくぼんやり映画を見ている気分だったんだけど、そうだ僕関係者だったと思って急に汗が出た。

「ええと、いや僕はその、こちらのエコノミーサイクルさんに仕事の依頼を受けたものでして……どうやって諸々断ろうかなぁと困惑していたところで……」
「ああ、被害者未満の方でしたか。こちらの会社は非常に悪質な詐欺グループの一環でして、御無事で何よりでした。もし何か被害があるようでしたらそうですね、陣さんに言っていただければ。……極道と喫茶店で名刺交換などしたくないでしょうから」

凄みのある顔に静かな笑顔を添えて、本物の方は颯爽と帰って行った。
……僕はまだしも、店内にいた女性客が完全に引いている。店長らしき人は苦笑いだったから、多分そういう事が多い街なんだろうなぁということは予想がついた。

暫くこの辺には来ないことにしよう。そうしよう。こわいし。
そう思ったところで、隣にいた青年が目の前のソファー席に移動した。

「……やあ、改めましてどうも。なんだかとんでもない事に巻き込んでしまいましてすいません。お邪魔かなぁと思いはしたんですがボクもお仕事がありましてー、ガチでお邪魔させていただきました」
「いえ、あの……本当に助かりました。走って逃げる勇気を出す時かなぁとぼんやり、考えていたところで」
「あはは! そうですねぇ賢明ですねぇ、いやぁ本当にお邪魔してしまいました。お邪魔しましたしちょっとアレな人達に巻き込んでしまいましたしさっき城内さんにも言われちゃいましたし珈琲一杯おごらせていただいて自己紹介だけさせていただきたいんですが平気です? 帰ります? 別にボクは、これ以上関わりあいになりたくないと申されるようでしたらそれはそれでかまいませんけれど」

そう言われると、少しだけ悩んでしまう。
疲れたし眠いしもう帰りたいというのが本心だけれど、今後エコノミー何某さん関係で揉めた時にさくっと問題解決するには、先ほどのどう見てもヤのつく眼鏡男性にお話をつけてもらった方が早い、と、思うわけで。

もう少しだけ関わる覚悟を決めて、お言葉に甘えて珈琲をいただくことにした。

「あー……一応、今後何かあると社員に怒られそうなので、名刺いただいて帰ります。どうも、この界隈に強い方のようにお見受けしましたので。……僕、小さいながらデザイン事務所をやっております、有賀と申します」
「あ、御丁寧にどうも。海道陣と申しま――……アリガデザインジムショ?」
「はぁ。特別、大した功績もないんですけれどね」

僕の名刺を持ったまま、きりりと細い一重の瞼を何度かぱちぱちと瞬かせ、海道さんは首を傾げる。
どうもアクションが大きい人だ。大陸の方の人なのかなぁでも日本語お上手だしこっち育ちなのかなぁとか、結構不躾に観察していた僕も一緒に首を傾げてしまう。

「…………『逆さまと貝の木』の装丁の?」
「わぁ、よく御存じで。あんまり本の装丁はしないんですけれど。どうも僕はあの作者さんが好きでして、何度か御縁をいただいて」
「存じております有賀さんの装丁の御本何冊か購読しております……!」
「え。え? ……『砂吹雪く夜潜る』とか?」
「あああ本当に素晴らしい本でしたねぇ最初から最後までしっかり騙されましたよ素敵な叙述トリックでした……! しかも後味が良い! 装丁がまた素晴らしくて思わずイラストとデザインの方のお名前を確認した程です。ボクですね、砂吹雪くは表紙買いだったんですよ。それまで作者の杜環さんとやらは恥ずかしながら全く知らないお方でして。それからはすっかりファンで、新しい本が出る度に買っております。あ、さっき丁度買った本が杜環さんの御本です新刊です……!」
「ああ。それ僕がお仕事させていただいたものです多分」

海道さんは小脇に抱えていた紙袋の中から、とても見覚えのある装丁の本を取り出した。
そうそう、この本の装丁は比較的一発で決まったしなかなか良いんじゃないかなーって自分でも気に入ってるものだ。ハードカバー本のデザインはやっぱり、きもちいいし楽しい。本文装丁は全部しーばちゃんだけど。ちょっと僕はそこまで手が回らなかった。

小さい出版社の小さい作家さんで、しかも編集さんに御縁があったから我がままを聞いてもらい、杜環さんの装丁をやらせてもらっている。うちは本の装丁はしないから、海道さんが知っている僕の装丁の本は大概はこの出版社のものだろう。

いやしかし嬉しい。嬉しいし、変な縁もあるのもだなーと感心してしまった。

目の前の青年はと言えば、こちらもやたら嬉しそうに胸の前で手を組んでいた。わぁー、なんか、ちょっと照れる。すごく羨望の眼差しを向けられている気がする。

「いやーまさか怪しい金貸し家業のボクが繁華街の片隅の夜の喫茶店で憧れの方にお会いできるとは思いませんでしたよ……! すごい! うれしい! いやあの有賀さんは非常に面倒な揉め事に巻き込まれたわけでしてあんまりこうわいわい騒ぐのもどうですかねぇと思わなくもないんですがうれしいです……!」
「憧れ……え、でも僕はほら、作者さんではないですし」
「それでもボクが砂吹雪くに出会えたのは表紙のお陰なんです。大変好きな本なんです。あ、サイン貰ってもいいです?」
「サイン…………」

別に、それは構わないけれども。僕のサインなんかでいいんだろうか。
時折社交の場で女性にサインをねだられることもあるけれど、なんとなく格好つけるのもどうかと思って漢字で『有賀』と書いてしまう。
そもそもサインが必要な人種じゃないので。うん。うん……でもなんか、名前だけだと味気ないかな。すごく期待されてる感ある……。

鞄の中から常備してる筆箱を出して、サインペンで差し出された本に名前を書く。
ちょっとだけ考えて、名前の下に目の前の青年の顔をちょっとだけデフォルメしてつけ足した。

似顔絵はあんまり得意じゃないけれど、コミックイラストは描けないこともない。

ちょっと気恥ずかしい気持ちを抑えつつどうぞと返すと、海道青年は大変嬉しそうに笑った。
しっかり笑うと、途端に子供っぽくなる。若いんだろうなーと思ってはいたけど、倉科くんと同じくらいなのかもしれない。

「わあああすごいかわいいですね! アハハこれボクですね似てる……! 感動です。あーほんと今日は素晴らしい日です。逃げてた債務者は見つけるし! 杜環先生の新刊は購入できたし! おまけに有賀さんにサインまでいただけた! ああもう素晴らしいですねもうこのまま帰って大人しく寝ることにします! あ、この辺にもう来る用事は無いかもしれませんが、どうぞ何かお困りの事がありましたらいつでもお呼び出ししてくださって結構ですんで。まあしがない金貸しなんですけれども、多少の揉め事ならなんとかできるコネやら何やらは備えてあります。なんぞありましたら、ボクの名前出してもらっていいんで。ええと、馴染みの人間には『海燕』って呼ばれてますのでどうぞ覚えていただけると嬉しいです」
「はいえんさん。……いいですね、なんだかかっこいい。映画の中の人みたいですね」
「アハハそれ良く言われますねぇまあ極道映画だろうなって思いますけどね? あ、駅までお送りしますよ。すぐそこですけど、人生何が転がってるかわかりませんしねぇ〜」

全くその通りだ。

そう笑って、温かい珈琲を飲みほした僕は、自称ファンの不思議な青年と連れだって店を出た。

なんだかよくわからないけれど悪い人じゃないのはわかった。あと、ちょっと怖い人間関係を持ってるけど、本人は怖い人じゃないこともわかった。

悪徳業者に絡まれていたら闇金業者とやくざさんに助けられた。その上闇金青年は僕のデザインのファンだと言った。
……何を言ってるんだろうなーって自分でもやっぱり思う。今日は不思議な日だ。眠いから夢かもしれない。

「……有賀さんあのー、他の本も持ってきたらサインしてくださいます?」

でも、おずおずと訊いてくる彼はちょっとかわいいなーと思ったから、ふんわり笑っていいですよと言った。
だって助けてもらえなければ、僕は最悪五体満足じゃなかったかもしれない。僕の汚い字でよければいくらでも提供する。

「というか、結構真面目に助けていただいたので、ウチのデザイン事務所でできる仕事があれば、お手伝いしますけれど――…うーん、名刺デザインと広告デザインくらいしかできないか」
「名刺まだ死ぬほどあるんですよねぇ。ボクも確かに有賀さんみたいなお洒落な名刺にしたいところなんですが。うちの事務所で早急に必要なのは暖房直してくれる業者さんですかねぇ」
「あ。それならお手伝いできるかも」
「え?」

首を傾げる青年と歩きながら、サクラちゃんになんて説明したらいいかなぁって考えていた。




End