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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -




魔法使いは兎を作る。

●10月25日/雨/ラジェ


ビニール傘が折れた。
なんかやーだなーと思いつつ、骨折したみたいな傘を差していたら、ヒトを拾った。
多分、ヒトだと思う。珍しいから持って帰った。面倒だしつめてーし重いし後々考えたらアホかな俺って話だけど、その時はなんとなく、それが最善だと思えた。

寒い。もうすぐ白いふわふわが降る季節だ。
さっさと壁を直さないと、今年こそ風で家が壊れるかもしれない。




○10月26日/晴れていたように思う/ホリック


目が覚めた時の壮絶な絶望を覚えている。

身体は温かい毛布に包まれ、濡れていた記憶がある服の感触は無い。横たわっている場所は、どう考えても土ではない。風もない。雨もない。なぜなら屋根があるからだ。

どうやらぼくは、またもや死にそこなったらしい。

その事に気が付くと、居心地の良いあたたかな布団の中が絶望に満たされた。
生きている実感と言うモノは残酷だ。酷くぼくの心を蝕む。今度こそは死ねるかとささやかに期待したものだ。もうとっくに階層は千を超えた筈だ。ここから先は地獄だという落書きがされた階堺看板を目にしたのは、そう昔ではない。

200階層で一度、飢えで倒れた。その際は裕福な魔女に介抱され、三日間世話になった後に地下牢に入れられそうになったので逃げた。
500階層で一度、凍えて動けなくなった。その際はアメリアの集落に担ぎ込まれた。神として生きるように強要されたので逃げた。
800階層で一度、脱水で倒れた。その際はデザートシーフに捕えられ、見返りに金のようなものを大量に作らされた。

どいつもこいつも、どうしてもぼくを殺す気はないらしい。
いっそ新興宗教団体の生贄にでもしてくれたらいいのに。しかし、千階層を超えてしまった今、宗教という概念すらもなくなってきたことを肌で感じた。

この原始的な世界なら、やっと命が尽きるかもしれない。
そう思ったのに。どうしてぼくは、柔らかなベッドの上で目が覚めてしまったのだろう。

暗澹たる気分のまま軋む身体を動かし、上体を起こすと、額から生乾きの布が落ちた。
……今度の命の恩人は、随分とマメらしい。
体温が高いくらいでぼくは死なない。飢えと渇きが酷くても、一カ月は生命を維持できるということも、先日知った。そうでなくても、ぼくたちは死に遠い。いや、その程度の知識もないのかもしれない。

さて、ぼくは逃げるべきだろうか。
それとも礼くらいは述べるべきだろうか。

そんな事を考えているうちに、また睡魔が襲ってくる。
食べなくても死なないのに、何故か寝ないと生きていけない。ぼくたちの身体は、多分睡眠で出来ている。ならば寝なければ死ねるのではないかと思ってもみたが、自分の意思だけで睡魔と闘うことは想像以上に難しいことだ。

ここは何階層だろう。
ここは誰の家だろう。
ぼくの命を救ったお人よしは、どんなモノなのだろう。

そんな事を考えているうちに、ぼくはまた、深い眠りに落ちて行った。




●10月27日/くもり/ラジェ


帰ってきたら二日間オレのベッドを占領してた死にそこないが起きてたから、生姜スープ飲ませて言いたいことだけ言って聞きたいことだけ聞いて、あとは勝手に寝かせといた。

良く寝る奴だなって思ったけど、ばっちりと開いた目を見て納得した。
左目はごく普通のライトグリーンだけど、同じ色をした右目は猫の目だった。

銀髪に猫の右目の魔法使いの噂はこの辺でもたまに聞く。名前はホリックというらしい。
魔法使いってやつは、飯は食わない癖にやたらと寝る。




○10月28日/おそらく曇り/ホリック


ぼくの今度の命の恩人は、ラジェと名乗った。
ラビットジェイソンという通り名で、略してそう呼ばれるのだと言う。確かに、彼はその名そのままの姿をしている。兎耳のパーカーを被り、ジェイソンマスクの口元には、にっこりと笑った形のチャックが付いている。

「ヘッドレス? フェイスレス?」

不躾にそう訊いたぼくに対し、テーブルの上で頬杖をついた彼は首を傾げたままけだるそうに答えた。表情が無い割に、なかなか感情の表現が豊かに思える。不思議な人物だ。

「顔ナシだよ。この辺じゃぁみんなケムリかヒトデナシばっかだから、アメリアだって珍しい。フェイスレスはオレ含めて数える程しか居ないかな。あんたみたいな五体満足どっから見てもヒトの姿かたちっていうのはもっと珍しいけどさ」

その上魔法使いだなんて、と言われてしまった。
どうやらぼくの顔は、看板レベルに有名なものらしい。大した善行も悪行も積んでいないというのにこんな世界の果てまでまったく不思議なものだ。別に嬉しくない。

「今日はお休みなのかい?」

昨日彼は夕方に帰ってきて、そして自己紹介をした程度しか会話をしていない。特にぼくも彼自身に興味は無かったし、まだ眠気が残っていたのでそのまま、また眠ってしまった。目が覚めた時は一人ではなく、久しぶりにすっきりとした気持ちで身体を起こすと、朝食を出された。
温かいパンと豆のスープだ。それにとろりとした半熟の卵。不思議とどれもすばらしい味で、彼がフェイスレスだということを疑った。フェイスレスは得てして味覚が無い事が多い。

卵の殻を叩きながら、先ほどの問いかけをしてみたところ、仮面の彼はこくこくと数回頷いた。

「そー、おやすみ。この辺って大して荷物のやりとりねーし、毎日配達してたら仕事なくなっちゃうんだよなー」

どうやら、荷物の配達員をしているらしい。
仕事をして金を稼ぐ、という社会形式は500階層あたりまでの文化だと思っていたので、少しだけ驚いた。その感想を素直に告げれば、この辺は特別だと言う。どうも、『街』を作り『社会』を形成した人物がいるようだ。恐らくそれが、この1024階層の魔法使いなのだろう。

何も成さないぼくとは大違いだ。
物質を思うままに生み出せるという能力を持ちながら、ぼくは、何も成さなかった。

卵を食べ終え、そうだぼくは死にたかったのだと言う事を思い出し、せめて命の恩人にささやかな礼をしてからこの地を発とうと思った。ぼくが猫目の魔法使いだと言う事を、彼は知っている。12階層の魔法使いは好きなものを生み出せる。その話も恐らく知っている筈だった。

「助けてくれたお礼をしたいのだけれど。何か、欲しいものはあるかな」

隠すこともないだろう。そう思い、直球で訊いたというのに。

「んー……んーあー? 欲しい、うんー。いや特に無いかなぁ……」

仮面のウサギは首を傾げてそんなとんでもないことを言う。

「――は? いや、ひとつくらいはあるだろう。何でもいいんだよ。宝石だって何だって、ぼくは作りだせる。疲れるからあまりやりたくないけれど、生きているモノだって、頑張れば……」
「いや別にペットとかいらないし友達はいるし、金も別に困って……あーいや、そこそこ貧乏だけどさ。でもまあ、毎日働く理由になるじゃん。アンタ拾ったのはでっかいゴミ持ち帰ったような気持ちだし、急に礼とか言われてもこれと言ってなァー」
「いやいやいや。あるだろう。何か。絶対にあるはずだ」
「無いってば。あー、じゃあさ、アンタの好きなもん作ったらいいよ。オレ別になんでもいいし。欲しいもんって言われても困るし。もらえるもんは貰う主義だけど、おねだりするほど必要なもんって今無いわ」
「――…ぼくの、好きなもの」
「うん。他人の好きなもんってさ、ちょっと面白いよなー。橋横住みのシーハーはさ、包装紙のリボン集めるのが趣味なんだってさ。オレも何かの時に一個貰ったけど、誰かにとって価値のあるものって、ゴミみてーなもんでも、なんか宝物っぽく思えるよなー」

不思議な事を言う、と思った。
皆、ぼくを拘束してまでもアレを出せこれを出せと迫って来たというのに。ゴミのようなリボンひとつ、誰かの宝物だからと価値を見出すと言う。その感覚は、多分ぼくには一生わからない。わからないけれど、面白いし不思議だし、嫌いではないと思った。

ただ、彼の言葉は毒のようにぼくの内部をえぐっていった。

ぼくの、すきなもの。

そんなものはひとつもない。
このせかいに、ただのひとつも存在しない。
金も宝石も甘い食べ物も頬に触れる空気でさえも、ぼくにとっては醜悪なものでしかない。モノも、ヒトも、何もかも。恋や愛などもってのほかだ。

十二区の魔法使いは愛がわからず恋を知らない。
中身が無く軽くなった卵の殻を眺めながら。そんな、懐かしい皮肉までも思いだした。




●10月29日/雷/ラジェ


ガタガタの扉と壁を直す前に嵐が来た。恐れていた事態ってやつだ。絶対絶命。って程でもないけど比較的ヤバい。
オレの住んでる一軒家は友人一同のお手製で、なんか適当に柱を立ててなんか適当に板とか継ぎ接ぎしてなんか適当に色塗って出来ている。つまりぼろいってこと。

やべーこれ避難した方がいいかなーと思いながら、雨漏りしてるところに小皿を敷く作業してたら、じっとこっちを見つめてた魔法使いがいきなり外に出てってそんで暫くしたら帰って来た。それと同時になんか風と雨漏りが止んだ。
すげえ。魔法使いは天候まで左右できんのかってちょっと感動したら、家の周りに塀を作っただけだと言った。……いやまあ、それでも十分すげーんだと思う。

外出て様子見ようと思ったのにそれは出来なかった。魔法使いがオレの膝の上に倒れてきたからだ。
なんだどうした具合わりーのか。多少慌てて息を確認したら寝てるだけだった。こんちくしょうびびらせんな。寝る時は寝るって言ってから寝ろ。あと出来ればオレの膝の上以外のところで寝ろ。

無造作に頭どかしても多分起きない、とは思ったけど、一応家を救ってくれたわけだし、邪険にすんのもなぁと思ってそのままぼけっとしてたらうっかりオレも寝てしまった。

多分明日、目が覚めたら体がばっきばきになってるやつだ。
ソファーで寝ると、大概次の日後悔する。




○10月30日/快晴だ/ホリック


目が覚めたら、誰かの膝の上に居た。

それがどういうことかわからず、数分間パニックのようなものが襲った。眠気で思考がうまく働かなかったせいもある。あまり体力が回復していない状態で、随分と真面目に力を使ってしまった。
ぼくは『生産』しかできない。例えば物質を強化したり変質させたりはできない。家を丸々ひとつ作る程の体力は無く、仕方なく雨風を凌ぐ壁だけ作った。それでも卒倒してしまう程の負担だったらしい。

ふらりと倒れたような記憶はある。けれどそれがラジェくんの膝の上だったかは覚えていない。その膝の主は座ったまま寝ているらしく、頭がおかしな方向にがっくりと垂れていた。……首が痛くなりそうだ。

耳をすませば、鳥のさえずりが聞こえる。
嵐は去り、朝が訪れているようだ。
まだ眠気が取れず、仕方なく彼の膝の上でうとうととした。他人の太股など、頼まれても触りたくはないと思っていたが、どうにも寝心地は悪くない。むしろ、大変素晴らしい。温かくて、柔らかい。

そしてぼくは、何故か胸がどきどきと煩く鳴っている事に気が付いた。

これは何の動悸だろう。確かに力を使ってへとへとだが、死ぬような状況ではない。具合が悪い時だってぼくの心臓は高鳴らない。そんなことで心拍数を変えるようなものではない。魔法使いは死なない、老いない。血液は常に緩やかに循環する。こんな動悸は初めてだ。

原因は何だろう。
何度か死にかけたせいで、ぼくの身体は魔法使いよりは一般的な生き物に近づいているのだろうか。
それともただ単に、彼と、そしてこの状況のせいなのか。

――……ああ。そうなのかもしれない。

唐突に恋という言葉が降ってきて、どうしてかぼくは、天啓を受けたようにすとん、と納得してしまった。
恋というものがわからず、何人かに聞いてみたことがある。その時に恋とは理由も無くふとした瞬間に発生するものだと聞いた。成程そういうものなのかと思った記憶がある。ただ、それではどうやって恋を見つけたらいいのかわからないと、溜息をついたような覚えもあった。

あれだけ探しても見つけられなかったものが、今ここに存在した。
それは奇跡のように降ってきて、そしてぼくを捕え、心臓を高鳴らせた。触れる頭と頬が、温かい。すうすうと、聞こえてくる寝息がかわいい。

そうだ、かわいい。ぼくはラジェくんを、とてもかわいいと思っている。

彼はぼくを『魔法使い』としてではなく、個人として扱う。あまつさえ拾ってきた動くゴミのような扱いをする。まあ、間違いではない。
あまりこちらの事を詮索しない割に、どうでもいい会話を好むらしく、天候の話や占いの話題でだらりと数刻、おしゃべりが続いたことがあった。その時間が、どうにも楽しく感じた事を、今更ながら思い出す。

とても楽しい。とてもかわいい。彼が喋るとぼくはうれしい。彼に触るとぼくはうれしい。ああ、これはもう、そうだきっと恋ってやつだ。
そう思うと急にたまらなくなって、思わず目の前の腹にぎゅうと抱きついたら、目を覚ましたラジェくんに全力で引きはがされそうになったから手錠を作ってぼくと繋いだ。何とでもいうが言い。ぼくはいま感動していてそれどころではない。

記念すべき恋に落ちた一日目だ。怒るだろうなと思ったけれど、判断する力もなくただくっ付いていたい一心で抱きしめた。

「ちょ……待っ、何っ、え、……おま、これ何、てか離せ!」
「いやだ。キミ、この手を離したらぼくを放り出すだろう。家を救った報酬に朝の暖かい時間をぼくに分けてくれたっていいんじゃないかと思うわけだよ」
「いや夜中散々オレの膝を拝借してたくせに何言ってんの痺れてうごけねーんすけどっ! つか手錠作る元気あんじゃん!」
「なけなしの魔力だよ。どうにも眠い。まだ本調子じゃない。ねえ今日は一緒に寝ていよう。というか一緒が良い。仕事は一日おきだと言ったよね? ならば今日はお休みの筈だ。じゃあぼくと一緒にベッドに行こう」
「微妙にアレな表現すんのやめろよなんだよアンタ本性はヘンタイか……!」
「ヘンタイではないと思うけどね。好きな子と一緒にいたいと思うのは、純粋な衝動だろう?」
「…………多分聞き間違えた」
「多分間違えてはいないね。じゃあもう告白しよう。ぼくはキミに恋をした!」

絶句する彼もかわいく、『恋は盲目』などという言葉を実感する時がぼくにも来たのだと思うと、どうにも浮かれたような気分になった。

好きなものを作ればいいとキミは言った。
すきなものなんてひとつもないぼくは、大変困ったものだけれど。
今日からぼくは、同じ言葉を言われれば迷わず兎を作ることになるだろう。

うまれてはじめて恋をした、記念すべき朝だった。




●10月31日/雨/ラジェ


なんか知らんけどヘンタイはウチに居つく決意を勝手に固めたらしい。
やばい。やばいうざい。うざいし面倒くさいしんどい。どうしてこうなった。
やっぱ最初の日に見捨てるべきだったしなんか適当に放り出すべきだったと後悔したってもう遅いけど頭いたい。どう考えたって判断ミスった。ヘンタイは多分産まれてこの方ずっとヘンタイだろうからそいつを招き入れたオレが悪いんだろうなちくしょうあーあーもういいよなんとでもなれだ。

とりあえず仕事が見つかるまではキミの手助けを仕事にするって煩いから、出かける前に傘を直してもらった。
骨折してない傘を差してみたら兎柄が入ってた。あほか。ファンシーすぎんだろ。でも『すごく似合ってるかわいい』と本人はご満悦だった。魔法使いはセンスがぶっとんでるらしい。
まあ、黄緑とピンクの色合いは最高に好きだったので許すことにした。

あと外出てびっくりした。ウチの周りだけ、でっかい卵の殻みたいな感じで丸い壁ができていた。これ、壊せんのかな。お隣さんに見た目がキモイって文句言われそうだ。

多分、明日からもヘンタイは煩いんだろうな。
明後日も、その次も、ずっと煩いんだろうな。
オレよりきっと長生きだから、ずっと死ぬまで煩いんだろうな。

まー。でも。うん。
人生静かよりは煩い方がマシかなって思うことにする。


End


こちらの人たちのお話です。