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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -




06



顔はどうにか隠す、と明言していたカヤさんが用意したのは不透明ゴミ袋と紙袋で、それをならべられた上でさあ選んでいいよと言われたトキチカさんは、溜息一つついただけだった。

なんというか、流石だ。
おれは結構予想できていたけど、カヤさんのセンスというものは被写体に大概優しくない。

普段は女の子ばかり撮るせいもあって、まず衣装やセットでどん引きする彼女たちを優しくたらし込みながら撮影するのがカヤさんの常套手段だった。
最終的に女の子たちはカヤさんの甘い言葉に乗せられて、相当えぐい指定もほいほいとこなしてしまう。さすがタラシ、と感心する所以だ。あんな痒い言葉も声も、おれには一生無理だと思う。

痒くなるほど褒めちぎり、甘い蜜をたっぷりと与えながら撮影するカヤさんの写真は、壮絶な色と香りに満ちている。
被写体はカヤさんと二人きりの世界に入る。ちょこまかと動き回るおれはいつも、蛾か蝿にでもなった気分だ。

トキチカさんに対しても、あんな風にどろどろの甘い空間を作るのか。と、ぼけっと考えつつ照明の準備してたらカヤさんのいつも通りの低い声が聞こえた。

「じゃ、まず脱いで。そんで袋かぶって。はい、そしたら撮ります」

思わず、カヤさんの方を思いっきり見てしまって、目が合う。

「……何?」
「え。いや、あー……随分、今までの撮影と違うんすね、と、思いまして」
「そらそうだよ、トキは友達だからね。あと男だし。どこ褒めろっていうの。おっぱいがあったらもうちょっと優しくしてあげてもいいけど」
「おっさんか……」

呆れつつもトキチカさんに目をやると、慣れている様子でパーカーを脱いでいた。
なんとなく、腕を握った感触を思い出す。細くて、皮と骨しかないんじゃないのと思うほど、痩せている手首の感触。パーカーの下から出てきたTシャツはやはりすこしぶかぶかで、鎖骨がくっきりと浮いている。Uネックからのぞく肋骨の陰影をもろに見てしまって、何事もなかったかのようにそっと目を反らした。

貧相だと思っていい筈の体型なのに、頭の中に赤がちらつく。
あの写真も骨が浮いている男の裸体だった。赤い、鮮烈な色と浮いた骨の滑らかな凹凸。
その凹凸を指でなぞる妄想を追い払い、上半身裸になって『寒い』と呟くトキチカさんを見ないようにした。

何もない、砂っぽいコンクリートの空間に、肌の色がちらつく。
女性の裸体にもいい加減慣れたが、毎度一応どぎまぎはしてしまう。感情が顔に出ないタイプだから、気が付かれることはないし、流石に興奮してしんどいというほどではないけれど。そこに晒された肌があれば、どきりとしてしまうのが人間だ。

「カヤちゃんこれ、どこまで脱いだら正解よ。全裸はいやーよ。すね毛剃ってないし」
「たいして剛毛でもないじゃない後で加工で消せるよ、って言いたいところだけど別にそのジーンズのままでいいわ。最終的には脱いでもらうかもしれないから覚悟だけしておくように」
「やだ、こわい、ぞくぞくしちゃう……コンセプトは退廃?」
「そう。この世の終わり。まさに今のトキにぴったり。好きなようにやっていいよ。最終チェックもしてもらうから、NGあればその時抜いてもらっていいから。BGMいる?」
「あー。いやまあ、無音でいいわー。なんかこう、ここ、何も聞こえなくていいね。サヨナラ世界って、飛び降りるのに最適なご環境」
「一階だから飛び降りても首痛めるだけだよ」

カヤさんが笑って、カメラを構えた。
トキチカさんはドラッグストアのぼろぼろの黒いビニール袋をかぶって、肩の力を少し抜いた、様な気がした。

撮影は無音だった。

時折、風が吹いて外の木々が揺れる。
シャッター音。ガサガサと袋の音。雑音は静かに聴こえる。
それなのに、耳が痛いほどの無音だと感じたのは、緊張感からかもしれない。

今日のトキチカさんは髪の毛も洗いざらしで、眠そうな目に眼鏡を乗せていて、あーなんか、典型的なインドア派という感じだなと思っていた。
それなのに。

その溢れる色はどっから来るの?

「……シナ、あんたが息すんの忘れてどうすんの」

あまりにもおれがふらふらしているせいで、ついにカヤさんからお声がかかってしまった。
その瞬間、トキチカさんから非日常感が消える。被写体じゃなくて、人間に戻る。

「…………だってカヤさんなにこれ、こわい。このひとこわい。……どっから出てきたんですか、今の色」
「色?」

答えたのはゴミ袋の下から顔をのぞかせたトキチカさんだ。

「そう、色。たぶん、透明っぽい、白です。すりガラスみたいな、ざらざらした色。あ、これ、感覚的な話なんすけど……トキチカさん、本業モデルとかじゃなくて?」
「いやただのフリーターですし、まあ、表現するお仕事は興味あるし、たまに友達のご紹介でステージパフォーマンスとかしてますけども。比較的慣れてるかなーという自覚しかないんで色とか言われたのハジメテ」

喜んでいいのかなと首を傾げられたので、思わず詰め寄って手を取ってしまいそうになるのをぐっとこらえ、もちろん、とだけ答えた。
その様子を見てカヤさんが呆れたように笑う。今日は本当に、撮影以外でよく笑う。トキチカさんのことがやっぱり好きなのだろう。

「シナはね、色マニアだから。それも奇抜な色が好きなタイプ。まあ確かに今日のトキは透明な白だね、ちょっと希薄ですぐ死にそう。別にそういう写真撮りたかったからいいんだけど、もっと鮮烈な香りがほしいかなー……そうだシナ、ちょっとお手伝いしてよ」
「嫌な予感しかしないんですか一応聴きます何をっすか」
「ちょっと向こうでトキにちゅーしてきて。どろっどろに変態っぽいやつ」
「は?」

目を丸くしたトキチカさんと声がかぶった。
なんだそれ。そう思うが思い返せば確かにカヤさんは色気が足りないと被写体の女の子に濃厚な口づけを仕掛けていた。ことを思い出して、頭を抱えた。

「いいじゃない。一回抜いてきてよって言ってるわけでもないんだし、トキはお金ないんだし、シナは写真撮るためのアシスタントでしょ。別に付き合えとか言ってないから大丈夫……あー、キスが嫌だったら別にマスターベーションでも私は構わないし音楽でも聴いて待ってるから、気にしなくていいよ?」
「いやあのそういうことを言ってるんじゃなくて、カヤさんあのね、おれはだからゲイとかじゃないってあれほど、」
「トキとは気持ち悪くてキスできない?」
「できないことはないですけど。別に気持ち悪くもないですし。でもねーちょっと道徳的というか人道的というか脅迫じゃないっすかそれ。つかおれの意思はいいとしてトキチカさんはいいの?」
「え」

振りかえり顔を見て、あーしまったと思った。
目が合った瞬間さっと反らされた視線は甘く、ほんのりと頬が赤い。

もう! なんでアンタそんなにチョロいんすか大丈夫か! と、何度目になるかわからないつっこみを内心で入れつつ頭を抱えた。
そんな顔をされてしまうとおれが困る。別に恋とかされてないの知ってるけれど、キスという単語に頬を赤らめてしまうゲイって、なんだそれちょっとかわいいだろう。

「もー! 照れない! 反論しろ!」
「え、いや、うん、オレはだってさー今日しがないバイト君だしさー。あ、別に倉科クンと何かしら致したいとか一切思ってないんだけどさー。カヤちゃんって言い出したらそれが絶対だし、あと判断間違えないし。えーっと。……オレ相手はイヤな感じ?」
「イヤじゃないですけど、だから、えーと……もう、しらねーっすからね」

もだもだと言葉を連ねるトキチカさんの手を乱暴につかむのは照れ隠しだ。

カヤさんは判断を間違えない。それに、恋愛吹っかけて遊ぶようなこともしない。付き合うのは勝手だし惚れるのも勝手だけれど背中を押したりからかったりはしない、そういう人だ。
カヤさんがしてこいというなら、するしかない。それが仕事の上で一番の近道なんだと思う。

壁一枚隔てた小さな個室に連れ込んで、壁際に追い詰める。
元々どんな建物だったのかは知らないが、きっと浴室のようなスペースだったんだろうな、と予想がついた。天窓から入る光はささやかで、ほんの少しだけ薄暗い。

おれよりも背の低いトキチカさんは、見上げるように首を上げる。
黒猫男子のその仕草、あーもう、大変、よろしくない。こういうところがこの人の恋愛遍歴に支障をきたしてる要因なんじゃないかと、勘ぐってしまう。

チョロい上に、相手を無意識に落とすのがうまそうだ。ホイホイと引っかかったアホな男ばかりを相手にしていそう。だからきっと、振られて傷ついて泣く。
自業自得なのかもしれないけれど、魅力なんてコントロールできるものじゃない。なんて、トキチカさんに都合のいいフォローをして、ホイホイと引っかかりそうなアホなオトコゴコロ部分を押しとめた。

瞳の黒がきれいだとか。
髪の毛と肌のコントラストがきれいだとか。
首筋の陰影がきれいだとか。
そういうの、考えるなと思うほど目が行く。よろしくない。大変、よろしくない。

なんでこんなことになってるのかとか考えだしたら沼にはまりそうなので、とりあえずさっさと命令をこなしてしまおうと思ってトキチカさんの顎に手をかけ腰を抱いた。

「ひっついてもらっていいっすよ。……なんか癪なんで、本気だしていくんで。まあでもおれ別にたいしてキスうまい方でもない……と思うし、なんかこう、好みの人間の妄想でもしながらどうぞ我慢してください。好きな芸能人とか、そういうの」
「うわぁ難題ね。ていうかオレ服着てきた方がよかったんじゃない? きもちわるくない? へいき?」
「平気っすからもう黙ってほら、こっち向いて、はい口あけてー」
「……歯医者さんみたいね」
「歯医者さんは舌を絡めたりしませんけどね」

そんな戯言垂れ流しながら、開きかけた唇をとりあえず塞いだ。

思っていたより柔らかい。
男も女も唇の硬さなんてそう変るもんでもないか、と思う。髭もないし、ほとんど女子のようだ。

ゆっくりと唇を触れあわせ、何度か食べるようになぞった後に開いた口の中に舌を入れた。
熱い舌が絡む感触が、柔らかく、正直なところ、気持ちいい。

「……ん、…ふ……っ、……あ…それ、ヤダ……」
「ん? ……どれ?」
「したくちびる、あまがみする、やつ、……腰に、くるから、……っ、ん、ぁ」

そんなかわいいことまで言ってしまうのだからこの人は本当にもうアレだ。タラシというか、砂糖みたいな生き物だと思った。

甘い食べ物に、虫は群がる。
でも虫は、甘ければ何でもいい。食べ物にも意思があるなんて、おそらく、夢にも思っていない。

甘いのが悪い。甘いから虫は勘違いする。でもおれは虫にはなりたくない。トキチカさんの色も、声も、今のところのコミュ障じみた人柄も、嫌いじゃないからこそ快感に流されたくない。
そう思いつつも、目先の快楽を追いかけて舌を絡めてしまう、下唇を甘噛みしてしまう。

嫌だと言われたそれをすると、抗議するようにぎゅっと袖が引っ張られて、正直かわいいと思ってしまった。
だめだこれはたしかにはまる。よくない。だってこの人はとても甘い。

「……はっ、……ぁ、も……だめ、足しぬ……」

くったりと、崩れ落ちるようにおれにもたれかかる熱い体を受け止めて、ちょっと興奮しちゃったの気がつかれなきゃいいなーと、そんな情けないことを考えた。


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