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「#幼馴染」のBL小説を読む
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04



珍しく定時に仕事を片付けて、タイムカードを押したところで携帯が鳴った。

最近は木ノ瀬クリニックの予約か、それとも父親の定期連絡くらいでしか鳴らない壱の携帯だったが、画面に表示される名前を見て慌てて通話ボタンを押す。
挨拶は済ませていたので、電話を片手にそのまま部署を出た。

「はい。……ええと、どうしたの」
『あはは! お兄ちゃんって電話出る時いっつも挙動不審だよねぇ。「はい」だって、かわいいーの。ごめんね、仕事終わってた?』
「今丁度終わったところで、まだ会社だよ。……仕方ないだろ。電話、苦手なんだし」
『知ってるー。いつまでたっても初々しいお兄ちゃんで仁奈は嬉しいよー』

からからと笑う声が電話越しに気持ち良く、自然と表情がほぐれた。
普段は動かすこともないような生活を送っている壱の表情筋は、まだ、どうにか笑えるらしい。微々たる変化であったし、少々伸びすぎた前髪のせいで、すれ違う同僚達は壱の変化に気が付く事もない。

いつものように階段を駆け下り、エントランスに向かいながら、電話の用件を訊いた。
あまりマメな方では無い壱は、自分から誰かに連絡を取ることがまずない。その血を分けあった妹の仁奈も、友人は多い割に連絡無精だ。
まさか親父に何かあったのだろうか、というところまで思考は飛躍し、思わず足を止めてしまったが電話口の仁奈の声はからりと明るい。

『あのねー秋の式の日取り。お兄ちゃんにも確認して希望きいとこうかなって思って。一応祝日の月曜日が狙い目かなーって思ってるんだけど、向こうの親族さんは結構いつでもいいって話だし。ほらうち、お兄ちゃんとお父さんがメインじゃない』

どうやら、大した内容の電話ではなかったらしい。
それがわかるとほっと胸をなでおろし、また歩みを再開させる。

「あー……俺は、別にいつだって平気だし、いつだって絶対あけるから平気だけど。書類さえ出せば休めるからさ。日曜じゃなくていいんだ?」
『うーん、地元で式あげるし、秋の日曜は倍率高くてさ。無理して予定詰めてぎゅうぎゅうな式にしたくないし。じゃあお兄ちゃんはいつでもオッケーってことで、お父さんに確認してまた連絡するね。女の子いっぱい呼ぶから、張り切って来てね!』
「そういうプレッシャーやめろよ……」

仁奈の言葉に思わず苦笑いを零してしまう。だが心情としては、笑い事ではなかった。

高校を卒業してすぐに家を出た。そこから、壱の症状は悪化したが、学生時代はまだ吐く程の症状はなく、どうにか妹には隠し通せていた。せいぜい、一人が好きで騒がしいところが嫌いな兄、という認識しかないだろうと思う。電車に乗れないのは酷く酔うせいだということにしてある。

流石に父親には打ち明けているが、妹に知らせるつもりはない。他人に触ると吐くなどという症状を伝えたところで、ただ心配をかけるだけだ。壱がまだ子供なら皆で助け合うことが必要だろうが、れっきとした成人男性だ。今も、どうにか一人で生きていけている。

お兄ちゃんは恋人作らないの? と、何度か訊かれた事もある。
正直、恋人というものにまで意識が行かないので、どう答えたらいいかわからないというのが本心だが、とりあえず仕事が忙しいという月並みの言い訳で誤魔化してきた。

恋人が欲しいのかどうかなどわからない。親しい友人さえ居ないし、女性と喋ることも稀だ。
外見を見て美人だなと思う事はある。それでも、触りたくないという気持ちが強い。対人関係のスタートラインにも立てない自分には、恋など未知の領域だった。

妹的には兄にも早く結婚して欲しいと思っていることだろう。
恋人との式を控えた彼女は、おそらく幸せな時間を過ごしている。それを、兄にもと求めてくるのは、嬉しくもあり申し訳無くもある。
きっと自分は恋人などできない。いつか体質が改善される時があったとしても、壱の性格では恋など無縁の人生になりそうだと思った。

また連絡するねという明るい声の通話を切り、会社のドアを押しあける。
週初めは雨が酷かったというのに、今日は春を思い出したかのような青天だった。流石に日も暮れかけているが、暖かい空気が春の陽気を残している。

この時間なら近所の総菜屋にまだ間に合う。
あまり料理が得意ではないが、外食は極力行きたくない壱は商店街の総菜屋を贔屓にしていたが、如何せん店じまいが早い。夜七時閉店も、近所の主婦の夕飯がターゲットでは仕方がないのかもしれない。

走る程ではないけれど、心なしか速足で帰路を急ぐ壱の後ろから声がかかったのは、一つ目の信号で立ち止まった時だった。

いちさん、と呼ばれ。
思わず振り返り、息を切らせて自分を追ってくる蛍光色の男を確かめ、それが誰かわかると、気がつかなかった振りをしてそのまま走り去ってしまえばよかった、と後悔した。

ピンク色が黄緑色を羽織っているような奇抜な色合いの男は、壱の目の前まで迫ると両手をあげてお仕事お疲れ様ですと笑う。
そのふわふわしたピンクに近い髪の毛と、バランスの良い長身には覚えがあった。先日木ノ瀬に言われ、頭の中で自分の隣に立たせてみた唯川だった。

「唯川さん?」

うっかり名前を呼んでしまうと、唯川の派手な顔に笑みが広がる。
へらへらとしている、と思っていた男だが、しっかりと見据えると、へらへらというよりきらきらの方が勝る。きっちり上がった口角が、きっと唯川の魅力なのだろう。

今更何の用なのだろう。
確かに先日、自分は彼の好意を無駄にしてしまうような反応をしたが、きちんと木ノ瀬が説明したならば恨まれるようなこともない……とは思っていたが、やはり気に障ったのだろうか。
今度あった時にでも、とりあえず自分からも謝っておこうとは思っていたが、まさか会社帰りに道端で会うことがあるとは思わず、壱はどうしていいかわらかず固まってしまう。

唯川がまくしたてる言葉もあまり耳に入らず、ひたすら呆然としていたが、どうにか最後の言葉だけはききとることができた。

「だからちょっとだけおれに謝るだけの時間くれませんか?」
「…………は?」

耳には入ったが何を言っているのかわからない。

頭の整理がうまくできず、思わず首を傾げてしまった壱に対し、目の前の男は少し目を見張ってから驚く程奇麗に笑った。

落ちつこう。落ちついて、とりあえず話をきこう。そう思ったのはここで逃げてもどうせまたあのサロンで唯川に会う事になる、ということに思い至った為だ。
急いでいると言ってかわすのは簡単だ。けれど、一度距離を取ってしまうと次からは恐らく顔を合わせるのも気まずくなる。秋までに、自分はどうにか体質を改善したい。先程の仁奈の明るい声を思い出し、どうにか壱は覚悟を決めた。

ゆっくりと息を吸って、満たして吐く。

どうにか頭の中が落ちついた頃合いで、とりあえず道端は人通りもあり体質的に不安があるのでこの場は避けたいこと。だからと言ってコーヒーショップなど混雑しているチェーン店はより一層避けたいことを告げると、じゃあと笑った唯川は壱を先導しマンション前の公園にたどり着いた。

喫茶店などに入られたら逃げようがない、と警戒していた壱にとってはありがたい。
もう暗くなり始めているが、上着を着ていれば寒いと思うこともない気温だ。

公園と言っても小さな滑り台と動物の形をした乗り物とベンチが置いてあるだけだ。あとは派手な色を塗られたタイヤがぽつぽつと埋められている。ベンチに隣に腰掛けるのもどうか、と思っていた壱だが、唯川がパンダの上に座ったので、少し離れたタイヤの上に落ちつく。
ゴムの弾力は懐かしく、座るには少し低い。

「さすがにこの時間は子供もお母さんも居ないですねぇ。あ、壱さん今日はお仕事上がりに無理やり拉致ってしまって、すいません。ていうかもう、あのー。全体的にすいません。……お身体は平気ですか?」

ああもう惣菜屋は閉まった時間だと公園の時計を見上げていた壱だが、最初に謝られてしまうと怒る気も失せてしまう。
もっと、自分の事ばかり喋るような男だと思っていた為、つい壱は面食らい、正直に平気ですと返事を返してしまった。

「久しぶりに、あそこまで盛大に吐きましたけど……多分、相手の体温高いと、より一層あー、そのー……無理っていうか。そういう感じになるんで、久しぶりと体温のコンボで、……すいません、俺の方こそ初対面で失礼な事をしました」
「いやおれは別に平気っていうかなんというか、ちゃんと説明してもらいましたし。正直あの時は何が起こってるのかまったくわからなくて、きちんと謝罪できなかったのが心残りでした。本当に申し訳ありませんでした」

姿勢を正して、奇麗に礼をして謝る唯川の姿を不思議な気分で見つめ、壱は返す言葉を探していた。
接客業のたまものか、唯川の謝罪はとても礼儀正しい。服は蛍光色の私服だし、挙句小さな公園のパンダの上ではあったが、唯川が心から謝罪していることは伝わって来た。

へらへらきらきらしている、と感じていた顔も、今は真剣だ。
笑顔が消えると、少し男前になって、怖い雰囲気がある。目鼻立ちがはっきりしすぎていて、迫力があるのかもしれない。

その迫力に押されるように壱は目を逸らす。俯いた先に見えるのは、ドット柄が派手なハイカットのスニーカーだ。

「きっちり、反省しています。今後、壱さんの身体に相談、または許可なく触れたりはしません。なので、お願いがあるんですけど――……壱さんの担当の美容師、おれにしてもらってもいいですか?」
「…………え? 担当、……唯川さんに?」
「はい。もうなんか、おれ一回盛大に吐かれてるし、もうここまで来たらなんでも来いみたいな気分になっちゃってるんですよね! あ、木ノ瀬さんにご相談したんですけど、多分由梨音チーフでもおれでもどっちでもあんまり変わらないし、キミが協力してくれるならそれでもいいよって一応了解は得てます。ちょっと詳しめに事情も伺っているので、……事後承諾になっちゃって、壱さんには申し訳ないんですが」
「いやそれは……俺も、迷惑をかけているので……事情を話すのは、勿論、構わないんですが…………唯川さん、それでいいんですか」
「問題ないです。ていうかむしろ大歓迎です。利害の一致だと思うんですよね。壱さんはどうにかその症状押さえて髪の毛切りたい。おれは、壱さんの髪に触りたい!」
「髪……え?」
「あ、大丈夫ですおれ壱さんに恋したとか壱さんに触りたいとかそういうのじゃないんで。安心してください。おれ、髪の毛フェチ? みたいなやつなんです。それで、壱さんの奇麗な髪の毛にヒトメボレしました」

にっこり笑って首を傾げるお所見上げたまま、今度こそ壱は言葉を失った。

「毎週土曜日、夜八時十分にお待ちしています。もし都合が悪い日は当日に連絡してもらってもいいです。まずは、軽く切ることが目標で。徐々に馴らしていく感じで、おれと一緒に人に触る練習しましょう!」

ね? と奇麗な笑顔を向ける唯川に触れられることが出来たなら、殴っていたかもしれない。それほどその笑顔は魅力的でムカついたが、好意なのか興味なのか茶化しているのか真面目なのか、まったくわからなくて壱の口は開いたままだ。

誰もが振りかえりそうな程派手で男前の美容師は、壱の髪の毛に一目ぼれをしたと笑う。
何がどうしてこうなった。
そう、思わずには居られない。

「壱さんお口開いてますよー」
「……口も、開きます、ちょっと。……頭がおかしくなりそうだ」
「あはは。まったくもって同感です。おれもアホなこと言ってるなって思いますよ。でも結構本気です。壱さんの髪の毛好きってのも本当なんですけど、でも、その吐いちゃうアレ、治してもらいたいなっていうのも本気です」

妹さんの結婚式、何も考えずに参加してもらいたいじゃないですか。

そう言う唯川の顔は真面目で、それを直視してしまった壱は、またスニーカーに視線を落とすこととなった。

(……なんだこいつ、なんか、……変、)

へらへらしてて煩いだけの男だと思っていた唯川の二度目の印象は、多少強引で、けれど真面目で、そしてとにかく変な男だった。


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