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「有賀さん、里倉さんに連絡ついたよ! 今からこっち寄ってくれるって。本当にごめんなさいねぇ、きちんと業者さんには見てもらったんだけど……修理費はこちらで出すから、ごめんなさいね」
「はあ、まあ、……どうも。ありがとうございます」
「引っ越し早々、本当に申し訳ないったらないわー……あ、里倉さんはね、ご近所の工務店さんなのよ。昔からの付き合いでねぇ、今はお部屋管理にそういう専用のリフォーム? 清掃? 業者さんがあるけど、やっぱり最初から里倉さんちに頼めば良かったねぇ」
「はあ……」

そうですね、とも、そうですか、とも言えずに、有賀は相槌の様なものをひたすら垂れ流し続けた。

鷹揚のない低めの声と、冷めたような面相が相まって、感情が読みとりにくいとよく言われる。今も精一杯の困惑を一応表明してみているものの、アクシデントと新しい住人に浮かれている大家の御夫人には一向に伝わる気配がなかった。

『近所のおばさん』像が服を着て歩いているような今村夫人は皺と肉が共存した日本のおばさん独特のころころした顔で、次いで世間話に突入したところだった。

どうでもいいから煙草が吸いたい。
昨日は引っ越しで一日が潰れ、それまでの過酷な仕事状況も重なり死んだように寝た。今朝も印刷所と納品先のミスとクレームで叩き起こされ、予定にない出社をして今し方やっと帰って来たところだった。
小さいながらデザイン事務所を構える有賀は、泡のように消えて行く時間に疲労しつつもそれなりに充実した人生を送っている方だと思っている。思ってはいるし仕事は好きだが、だから寝なくても楽しいというわけではない。日々の疲労はまた別の話だ。

いくら真昼間といえども、ここ最近ろくに睡眠も取っていない有賀にとっては立派な仕事上がりの休養時間だ。さあ休暇前に軽く飲んで寝るかと、古めかしいキッチンに立ち蛇口をひねったら水道管が爆発した。実際はどうなったのかさっぱりわからないが、有賀にとってはそれは爆発のような衝撃だった。

ずぶぬれのまま水を吹き出し続ける壊れた管をどうにかするために、まず大家という肩書の女性に助けを求めた。水道管の元栓を閉めればいいのではないか、との知識はあっても、どれがそれなのか有賀にはさっぱりわからなかった。

大家である今村の説明で、どうにか水道の元をしめ、水は止まったがその後どうしたらいいか、呆然としてしまったのが今思えば敗因だったと言える。
すぐに携帯端末で水道修理業者を探してコンタクトをとれば良かった。『どうしましょう、これ』などと今村に助けを求めるような発言をするべきではなかった。

高身長で身なりのいい若い男に頼られたと思った今村夫人は、意気揚々と近所で馴染みの工務店とやらに連絡をとりつけてしまった。別にそれはそれで構わない。確かに引っ越し二日目で暴発する水道管は大家の管理ミスであるし、それを直すのは大家の仕事であろう。
ただできればそれは、自分が居ないところでやっていただきたい。
玄関前で仲良く、里倉工務店の到着を並んで待つ必要は無い筈だった。冬は過ぎたと言えど、まだ外は肌寒い。

自分はホテルに泊ることも可能なので、今すぐ直していただかなくてもいいんですよ。と、控えめに二度ほど伝えたが今村夫人の返答は『こっちが悪いのにそんなことはできない』の一点張りで、最終的には抵抗することを諦めた。
壮絶に眠い。煙草が吸いたい。できれば酒も飲みたいし小腹も空いた。今村夫人のかなりつっこんだ私生活話に適当に返事をしながら、そういえば桜が咲く時期も近いなと、そんなどうでもいい事を考えていた。

特別桜が好きというわけではない。むしろ大衆が騒ぐと白けてしまうタイプだという自覚がある有賀にとって、花見のようなイベントは大して興味のあるものでもない。
それでも純粋に美しいものは美しいと思う。そういえばこのスワンハイツの脇にも、桜の木が植えてある。どう見ても古めかしい木造二階建てアパートのどこら辺がスワンなのかわからないし、いっそ桜ハイツにしたらどうかと手持無沙汰に提案すると、向かいのアパートが桜ハイツさんなのよと笑い返された。
だからと言ってどこがスワンなのかは教えてもらえなかった。多分理由なんてないんだろう。
モノの名前なんて、大概はそんなものだ。

眠気と戦いながら、どうでもいい相槌を気づかれない程度の適当さで繋げていた。
今村夫人はよく笑う。快活なのは好ましいが、睡眠不足の頭には少々響く。脳みそが声の振動で揺さぶられているんじゃないかと思う。
それでも釣られてささやかな笑顔を返すと、夫人の調子は更に高まった。悪い人じゃない。むしろイイ人だ。段取りは悪いが誠意はある。そう言い聞かせていないと引きつっている笑顔が無になりそうだ。

頭の中で懸命に目の前のころころと丸い夫人の良いところを箇条書きにしていた時、階段下に車が停まる音がした。

やっと夫人と寒空から解放されるのか、それとも里倉さんとやらも似たような下町のオヤジさんでやかましさが二倍になるのか。安堵と憂欝が混ざり合い、複雑なため息が漏れた。

「あら、やっと来たわね。もー遅いわよー体がすっかり冷えちゃったじゃないの、ねえ?」

ねえ、と、言われても。有賀は相変わらずの曖昧さで頷き返すことくらいしかできない。
そもそもここで待っている必要はあるのかという根本的な疑問は、最初に言えなかった段階でもう口にはできなかった。

いかにも工務店らしい古びたバンが目の端に映り、派手な音を響かせながら数度扉が開閉される。今村夫人は二階の柵からにころころとした体で乗り出した。落ちるとは思わないが、それでも少し心臓に悪い。

「あらやだサクラちゃんじゃない! 里倉さんはどうしちゃったのー」
「おやっさんはねぇ、今日商店街の会合って名目のドンチャン騒ぎだよ。夕方からなんだけどさぁ、張り切ってもう行っちゃった! 俺でごめんねぇ」

夫人の言葉を受けて、下から返って来たのは思いもよらず若い男の声だった。
軽く掠れた、明るい声だ。鷹揚がついた言葉は軽やかで、嫌みがない。

「あらあら! 来週もお花見って言ってたのにいやぁね男連中はこれだから! 私はいいのよぉ若い子に挟まれておばちゃん眼福なんだから!」

言葉通り、夫人の調子はサクラという男が来てからうなぎ登りで、柵から落ちてしまうのではないかと流石に心配する程だ。
危ないですよと声をかければ、あらやだうふふと照れたように笑われる。若い男に興奮するのは構わないが、こちらは仕事明けの水道爆発で精神が摩耗している。無駄な笑顔を振りまくのも疲れるので、できれば大人しくしていてほしいというのが本心だ。

「よかったわねぇ有賀さん、サクラちゃんはうちの町内のアイドルでねぇ。仕事も早いし、爽やかだし、かわいいし、もう言う事なしのイケメンよ。もうちょっと身長があればねぇ、同世代の子にももっとモテてすぐお嫁さんも見つかりそうなのにねー」

有賀が聞いても中々勝手な事を言っている今村に対し、階段を登って来た男は苦笑気味の声を返した。ああ、鷹揚がうまい。

「ちょっとちょっと今村さんったら、俺の悪口言いながらハードルあげんのやめてよーどっちかにしてよー。あること無い事吹き込んでさーもー」
「いやだねぇ全部ある事じゃないの。サクラちゃんの酔っぱらった時の常套句でしょ、あと十センチあればっていうの。有賀さんに分けてもらえばいいのよー。あ、有賀さんこちら里倉電機工務店のサクラちゃん。口は軽いけど仕事は早いからね、安心して任せちゃってね」
「……電機工務店?」
「……アリガ?」

今村夫人のさらりと他人任せな紹介を聞き、次いで現れたツナギの男と同時に疑問の声を上げる。
待て。電機工務店とはどういうことだ。壊れたのは水道ではなかったか。そういう意味で眉を寄せた有賀だったが、何故かサクラの方は有賀の名前に反応した。

仕事上の付き合いは数あれど、電機工務店に知り合いなどいない筈だ。名前が売れていると言っても限られた業界の中での事。マニアックな美術趣味の人間なら名前と顔くらいは知っているかもしれないが、そんな人間には出会った事は無い。
知人の知人か、人違いだろう。そう思って不自然に棒立ちになっている男に目をやり、しばらく記憶をたどった有賀は、同じく愕然とすることとなった。

「……………」

頭にタオルを巻いた上に、小汚いツナギを着ていた為、すぐにはわからなかった。
流石に直視すれば思い出す。たった一度会っただけとはいえ、比較的最近ベッドを共にした相手を忘れるほど、有賀の記憶力は馬鹿ではなかった。

すこぶる気まずそうな相手を見て、まず最初に気の毒になった。
あの日ベッドの上で目覚めた彼は、非常に居心地悪そうで、そして一刻早く帰って記憶を抹消したいと思っていることが伝わって来た。だから連絡先も聞かず渡さず、そういう出会いだったと思うことにしてこちらもすっかり忘れていた。

夜のお相手と、仕事先で再会するだなんて、不運にも程がある。
有賀は特に気にしていないし、むしろ比較的良い思い出なのだが、サクラの方はそういうわけにはいかないだろう。

それでも、最初に笑顔を作ったのはサクラだった。
引きつった笑顔は目が全く笑っていなかったが、それでも頑張った方なのだろう。有賀も有賀で、眠気と疲れと空腹で、うまく気が回らない。結果、あまり雄弁ではない表情筋を、少々笑顔寄りに動かしたくらいの変化しかなかった。

「……あー……、どう、も?」
「うん。どうも」

お久しぶり、と言わなかったのは、少々残っていた気遣いの気持ちからだった。



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