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06



 冷たいレモネードを一気に飲み干してから、やっと一息つく。
「……あなたのその、体力は、一体どこから湧き上がってくるんですかね」
 小さいテーブルをはさんで向かいに座った男は、しれっとした顔でルートビアフロートをすすりながら、小首を傾げた。
 サイラス・シモンズはお世辞にも健康とは言い難い生活をしている。一週間、仕事合間に観察していれば、彼の生活習慣は嫌でも把握してしまう。
 食事は不定期、油と塩と砂糖を好んで摂取しているわけではないが、身体のわりに小食で彼の食事の六割程度は携帯カロリー食品だ。その上今やNYでは肩身が狭すぎる喫煙者。運動はほとんどしない。彼が太らないのは単に摂取する栄養が足りていないからではないか、と思う程なのに。
 仕事では一切椅子から動かない彼の休日は、私の予想の三倍くらいは精力的だった。
 朝から容赦なく連れまわされ、気が付けば夕刻が近い。目的地以外にも少しでも興味が湧けば、サイラスは積極的に寄り道をする。仕事柄、そして多少は趣味で身体を鍛えている私でも、後半は流石に休息を要求した。
「体力? 体力はないよ、おれ。貧弱だしねぇ、でもなんか、集中しちゃうとなんでもできちゃうっていうか、好きな事に関してはぶっ倒れるまでできちゃうっていうか……」
 加減がわからない人なのだろうか。そういえばミレーヌが『彼にはメーターがぶっ壊れている』と言っていた事を思い出す。限度のリミッターが、確かに、ぶっ壊れているのかもしれない。
「あなたの生活を見ていると、早死にしそうで怖いですよ。もっと規則正しくほどほどに生きた方がいいんじゃないでしょうか」
「わぁ、正論。いやぁ、きみが言わんとすることはわかるんだけど、たぶんあの会社にいる限りは無理だねぇ」
「転職などは?」
「無理無理。別におれはウィズメディアに拘る理由はあんまないけど、ミレーヌが泣いちゃうでしょ」
「……彼女たちを連れて、独立する、という考えは」
「あー……そうねぇ。いやぁ、でもなぁ、おれあんまり上に立つタイプじゃないし、うーん。責任負う勇気、まだ無いんだよね。いつか湧き上がってくるのかわかんないけど。……こんなひ弱な事言ってるから、特定のパートナーと続かないのかなぁ、ケントはすごいよねぇ家族を養っててさ。えらい。すごい。格好いい」
 ケントがえらくてすごくて格好いい男だ、という部分には大いに同意する。彼はよき同僚であり、友人であり、そして私が見ている範囲においてもよき夫であり父親だ。
 時折私は、彼の家に友人として招かれる。ケントは時折文句を零すときもあるが、それは絵に描いたような幸福な家だった。
「……シャオフーは、恋人居ないの?」
 同僚の眩しい家族を思い出し、些か感傷に浸っている私に、サイラスは追い打ちのような言葉をかけてくる。かなり不躾な質問だ。しかし、不快には思わない。
 質問を放つ彼の方が、早くも傷ついたような真剣な顔をしていたからだ。
「いる、と答えたら今すぐ泣きそうな顔をするくらいなら、訊かなければいいのに」
 思わず少し、笑ってしまう。私の意地の悪い回答をきき、サイラスはずるずるとフロートを啜った。すねた子供のようだ。……正直、少々、可愛いと思ってしまう。
「だって気になるでしょう。ただでさえ好きなのに、今日はもうほんと舞い上がるくらい楽しいし、どんどん落ちちゃう一方なんだ。それなのに脈ナシどころか実は恋人がいました、なんてオチがついたら本当に泣いちゃうよ」
「いまの恋人から奪う、という選択肢は?」
「ないよ。ないない。きみが恋人に暴力を振るわれて別れたいのに脅迫されていてどうしようもないんだ助けてサイラス! っていうのならいくらでも相談に乗るけど、基本的におれは他人の恋路を邪魔したくない。不倫、不貞、浮気、大嫌いだね。フリーの人たちはいくらでも乳繰り合えばいいじゃないのと思うけど、隣から手を出すなんて最悪だ」
「その意見には賛成です。では、私に恋人がいた場合、あなたは諦めるんですか」
「……がんばる」
 どうみても、頑張れる顔ではない。
 つい、声に出して笑ってしまい、恨めしい視線を受け止めることになる。降参した私は素直に『いないですよ』と事実を告げた。
「あなたと同じく、仕事が人生のよりどころです。この先、家庭をもつつもりもありません」
「え、そうなの? でもきみ、割と子供好きでしょ? すれ違う子供に手を振ってあげちゃうくらいには好きじゃないの」
「嫌いではありませんが……私は、一度結婚に失敗しているので、再度挑戦する勇気がないだけです」
「え、ああ、そうなの? 意外。きみは真面目だし好青年だし絶対に恋人を大切にするだろうし、外見も中身も格好よくてかわいい人なのに」
 さらり、と褒められて一瞬言葉を失うが、彼が無自覚で言葉を垂れ流す人だということは承知していたので、あえて突っ込まずに流すことにした。サイラスはいつでも嘘をつかない。どんな些細な言葉でも、彼は嘘をつかない。
 だから私も真摯に言葉を選ぶことにした。昼間のカフェでするような話でもないのだが、殊更何でもない風に聞こえるように注意する。実際私はもう、悲しんではいない。少しだけ、棘になり、運命だと受け入れるようになっただけだ。
「彼女との、関係は基本的に問題ありませんでした。私の出生にも、仕事にも理解を示してくれていた。ですが結婚を控えた時期に、私が子を成せない身体だと発覚しました。それで、反故に」
「あー……そっか、それは、うん、無理な場合も、あるのか」
 サイラスは、詳しい病名をきかない。病気というか、そういう体質でしかないのだが、言葉少ない私の説明でもなんとなく理解してくれる彼の頭の良さと配慮がありがたいと思う。
 子供を成せなくとも、恋はできる。人を愛せる。けれど、家庭を作ることはどうしても難しい。特に彼女は愛する人との子供を欲しがった。その想いに、私の身体は応えることはできなかったのだ。
「おれが言うのもなんだけど……どうしようもない事情ってやつは、やだよね。諦めるまでに、ちょっと時間がかかっちゃう。だったらせめて、感情が冷えた方がマシだなって思う時、あるよね」
 彼の言うとおりだ。
 私は彼女を愛していたし、彼女だって私を受け入れてくれていた。それでも、家庭を作る環境が整わなかった。
 仕方ないことだと諦めたつもりでも、数年は引き摺ってしまった。
「いまはもう、すっかり過去の出来事だと思えますよ。ただ、どう頑張っても家族を作ることはできません。妻を娶る事は出来ます。養子という選択肢もある。それでも、私はもう家族を夢見ることはやめてしまったので……」
「ああ、なるほど、それで『家庭をもつつもりはない』か。まー子供作れないのは、おれも一緒だけどね」
「……あなたは、恋人は?」
「いると思う?」
「まあ、そうですよね。恋人がいるならあなたはきっと、他人と二人きりで出かけたりはしないでしょう。そんな暇もないでしょうし」
「暇がない……うーんそうなんだよね、やっぱり転職しないと人生の春はつかめないのかね……別に、仕事楽しいからいいっちゃいいんだけど、シャオフーはどう思う? 忙しい恋人は嫌?」
「特に嫌だとは思いません。どうせ私も忙しい身ですし。時折会う方が情熱的になると思いませんか?」
 私の問いかけに、暫くサイラスの表情が固まる。
 眉を上げて、気まずそうに視線を逸らす。どうやら、『情熱的な逢瀬』を想像してしまって気まずくなってしまったらしい。
「……きみはあれなの、そんなかわいい顔して小悪魔なの?」
「私のことをかわいいだなんて表現するのは世界であなただけですよ。小悪魔かどうかは知りませんが、若干好戦的な自覚はあります」
「ギャップが心臓に悪いよほんと。かわいい、恰好いい、頭がいい、そしてちょっとだけ意地悪で挑発的だ。なんかねぇ、きみがそうやって、おれ以外には紳士な好青年なのにおれには素で喋っちゃうところ、ほんと勘違いしちゃうよよくない」
「あなたは……どうしてそうやって、すべて口から垂れ流してしまうんですか……」
「癖。癖だね。これでも普段は気を付けてるんだけど今日は駄目だね、舞い上がっちゃって無理」
「……恋人がいないなんて嘘でしょう? そんなに素直でかわいい人なのに」
「…………………」
 ゆっくりと、顔を伏せて机に突っ伏す彼の耳が明確に赤い。私には口説くような言葉をバンバンと浴びせるくせに、自分が言われると照れてしまうだなんて。……本当に、恋人はいないのか? こんなかわいい人を、どうして皆、無視できるのだろう。
 私は己のことを異性愛者だと思っている。今も、そう思っているし、明確には彼に口説かれているわけではない……筈だ。どう考えても彼は私のことが好きだが、恋や愛を要求してくることはない。
 どうして私なんかを好きになってしまったのか、甚だ疑問だが。……どうあれ、私に嫌悪感はないし、なんというかむしろ少しだけ浮かれていた。
 ほだされているのだろうか。流されているのかもしれない。
 この人がかわいいと思う。見た目に反して柔らかく生真面目で見た目通りの変人だ。知識が多く、話していて飽きることがない。先ほども本屋でその知識のお世話になったばかりだ。彼の助言のお陰で、ケントの娘に贈るプレゼントは比較的簡単に決まった。友人として申し分のない性格の人間だ。
 嫌いではない。では、好きかと言えば、……どうだろう。
 キスをしろと言われたら困るかもしれない(別に気持ち悪いとは思わないが)。この程度の好意は、同性同士の恋愛にカウントされるのだろうか。
 私が昼間のカフェでこんなことを真剣に考えてしまうのは、仕事の終わりが見えているからだ。
 ウィズメディア社の警護は二週間。それは、NESSAの次回発売日までの期間であり、この仕事が終われば基本的にはサイラスとの縁は断たれる。
 友人として申し分ない男だからこそ、私はまた彼に会いたいと思ってしまう。けれど、中途半端な気持ちで付き合い続けることは、彼にとって望ましいことではないのではないだろうか。
 いっそ魔法の呪文で、一瞬で恋に落としてくれたらいいのに。
 童話に出てくる王子を惑わす惚れ薬のように、さっさと私の感情を追い詰めて書き換えてほしい。これは完全に思考の放棄だ。よくない。大変失礼なことを考えている。と、わかっているけれど、悩むことに疲れた私はつい、そんな事を考えてしまうのだ。
 顔を仰ぐサイラスをぼんやりと眺めつつ、でもこの人が他の男とセックスしている想像は腹が立つな、などと昼間のカフェに不向きなことを考えているときだった。
 ふいに周囲がざわついた。遠くから喧騒が聞こえる。
 随分治安が良くなったとはいえ、一時期は犯罪都市と言われた街だ。喧嘩やもめ事、犯罪は今も絶えない。
 騒がしいですね、と呟けば、サイラスはこんなものでしょうと頬杖をつく。
「NYなんてうるさくてなんぼだよ。市議会選挙も近いし、市警察もなんかぴりぴりしちゃってるよね。たまには田舎の別荘地とかでぼんやりしたいなぁ」
「似合いませんね。別荘地。静かな湖畔の隣のテラスでパソコンと資料を広げて仕事してそうです」
「うわーひどいな、でもそうだな、たぶん仕事しちゃうなぁ。だって仕事してると考えなくていいでしょ? おれねー暇な時間があるとダメ。ネガティブなことばーっか考えちゃって、ぐるぐるすんの。だから休みの日も、誰かと一緒がいい。一人だと考える時間が多すぎる」
「それは確かに――」
 そうだ、と肯定しようとした時だった。
 人混みの中から飛び出した男が、まっすぐにこちらに向かって歩いてくることに気が付いた。
 どうしても、周りの気配を伺う癖がついている。
 遠目から見ても、正気とは思えない歩き方だ。ふらふらとしているし、周りに目を配っていない。東洋人だ。随分とみすぼらしい格好をしている。国籍はわからないが、少なくとも中国人ではない。そして私の知り合いでもない。
 私の知り合いではない男は、当たり前のようにサイラスに向かって真っすぐ歩く。
 腰を浮かして前に出てしまったのは完全に職業病だ。そしてその判断は正解で、男は私の後ろのサイラスにとびかかろうとした。「サイ……! 久しぶりじゃん……うは、うははは、なぁこれ、新しい彼氏!? また東洋人かよお前ほんとアジア人のケツが好きだなぁ……」
 男は喚く。唾が飛び、私は憚ることなく顔を顰める。
「ねえ相変わらず早漏野郎なのかよ、ねえねえねえ金ないんだよ金、俺お前に貸してたよな、返せよ金このクソマザーファッ、う、ぐ!」
 男が胸糞の悪い暴言を最後まで吐けなかったのは、私が腕を捻りあげ彼の身体をテーブルに押し付けたからだ。
 すっかり呆然としてしまっているサイラスを見下ろし、お知り合いですか? と尋ねる。
「え、あ、うん、お知り合い……だった、人」
「すいません、ポケットにサバイバルナイフのようなものが入っていたので、とりあえず取り合押さえてしまいました。……あなたは、コレに借金を?」
「まさか! してないしてない! ていうかおれが金返してほしいくらいだよ。別にもういいけど、ええとシャオフーありがとう命が助かったのかも」
「どういたしまして。もうこの男に用がないようならば騒ぎになる前にお暇しましょうか。私はそのあたりに捨ててきます。申し訳ありませんが、少々待っていてください」
 平日とはいえ、それなりに人通りもあるカフェのど真ん中だ。呼ばなくても、すぐに騒ぎをききつけてNYPDが駆け付けるだろうが、取り押さえたまま待つのも面倒くさい。
 幸い、ここは分署が近い。一応NY市内の分署の位置は頭に叩き込んでいる。明らかに薬物を摂取しているし、面倒な事にはならないだろうと踏んだ。
 目論見通り顔なじみの制服警察は『ご協力感謝』と笑って男を引き取ってくれた。カフェで休んでいたら急に絡まれたと申告したが、間違ってはいないだろう。
 もしやこいつが他のウィズメディア社員を襲ったのかと一瞬考えが、あの千鳥足で監視カメラの隙間と死角を狙えるとは思えない。
 だとしたらただ偶然にチンピラに――というか、昔の恋人に絡まれただけか。何も今日を狙って遭遇しなくてもいいものを、と思うが今日だったからこそ、サイラスを護ることができたと考えれば幸運だったと言える。
 私の仕事はウィズメディア社の警護であり、社員の護衛ではない。
 しかし、友人を災厄から守ることは、人としてなんら不自然ではない行為だ。ともあれ、サイラスに傷一つつかずに良かった、と安堵する。
 一応後で、あの男の詳細を調べた方がいいだろうか。今後、サイラスの邪魔にならないとも限らない。そう思案しながら分署を出たところで、サイラス本人とぶつかりそうになった。
「わ、……っと、ああ、すいません、大丈夫ですか。というか待っててくださいと言ったのに、どうしてこんなところに……」
「いや、捨ててくるとか言うから、その、心配になっちゃって。その辺の路地でぼこぼこにしちゃったらどうしようかなって……」
「……あの男が心配でしたか?」
「ちがうちがう。きみ。きみの心配。負けるとは思ってないけどあんなチンピラぶちのめしてもし怪我したらとか、仕事にケチついたらとか、いろいろ考えたらそわそわしちゃって……」
「………………」
「シャオフー?」
 真剣に他人に心配される、なんてことはあまり経験がなく、なんというか……どんな顔をしていいのかわからなくなった。
「ああ、いえ、その……ありがとうございます。御覧の通り正々堂々と警察に引き渡してまいりましたので、御心配には及びません。ちなみに彼は暴行とレイプの常習犯だそうでほとんど顔パスの流れで引き渡せました」
「うわぁ……」
「……あなたとお付き合いしていた時は、あのようなチンピラではなかった?」
「え、うん、そうね、まあ。……よく怒る子だったけど、うーんどっちかと言えば真面目な感じだったけどね。どうも新しい彼氏に影響されちゃって薬物に手を出しちゃったみたいで。っていうとなんか言い訳みたいだけど、いや言い訳かなぁ、結局三か月くらいでダメになっちゃったし原因たぶんおれの仕事だし」
「別れた理由が何にしろ、急に暴言を吐きながら絡んでくるだなんて理解できない。あなたが勧めたわけではないのなら、彼の犯罪と薬物乱用はあなたの責任ではありません」
「まあ、そうだね。うん。……シャオフー、なんか怒ってる?」
「はい。あなたの休日をぶち壊したあの男に怒りを覚えます。私が怒ったところで、どうしようもないのですが……ほんの些細なことでも、嫌な過去は、思い出したくないものでしょう?」
「……うん、そうね。でもそうやってきみが、おれを気遣ってくれるの、すごく嬉しいからなんかどうでもよくなっちゃうね」
「まだ、帰る時間には早いですか?」
「え、うん、そうだね、でもきみ疲れちゃったでしょ?」
「倒れる程ではありません。まだいけます。この近くに中国茶を出してくれる店があるんです。食べて飲んでばかりで、どうかと思ったんですが、あなたは香りの強いものが好きなようなので、お気に召すかなと思って」
「行く。楽しそう」
「……良かった。ではご案内します」
 何事もなかったかのように、連れだって歩く。本当は、私はまだ苛立っていたし、きっとサイラスは少し悲しい気持ちを引きずっている筈だ。
 悲しい過去は心を乱す。忘れるしかないと分かっていても、実際に日ごろはすっかり忘れていても、ふいに思い出した時に擦り傷のように爪を立てる。
 少しでもサイラスが、考えることを止めたらいい。そう思う。そのために、私は少し速足で歩く。
「シャオフー、あのね、おれに優しくしてくれて、ありがとうね」
 少し後ろから、そして少し上から、柔らかな声が落ちてくる。私は喉を、胸の奥を、内臓を、ぐっと締め付けられたような気持ちになり、『こちらこそ』と言うタイミングを失った。
 優しいのはあなただ。
 小さく呟いた私の言葉は、あなたに届く前に雑踏に消えた。




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