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01



 魔法の呪文が使えたらなぁ、と思う。
 ホーカス・ポーカスでも、アブラカタブラでも、ビビディ・バビディ・ブーでも、どれでも構わない。
 ちちんぷいぷい! の一言で、全部なかったことにできたらいいよなぁ、そしたら現実もっとイージーモードなのになぁと思うものだけれど、まぁ、勿論のこと戯言だしただの妄想だ。
 残念ならがおれには魔法使いの素質はないし、魔法の呪文を吐いたところでなんの効果もない。
 いきなり魔法の呪文をぶっぱなしても、『サイラス、頭は大丈夫?』って心配されちゃうだけだね。
 そんなわけでささやかな現実逃避は頭の隅に追いやって、どうにか己の思考を引っ張り上げて息を吐いた。
 がんばれサイラス・シモンズ。あんたやればできるよ大丈夫だよ。今までだってやっばい案件どうにかこうにかこなしてきたし、詰んだなぁって感じの壁も乗り越えて……いや、乗り越えて来たっていうか迂回してきたって感じかもしんないけど、とにかくどうにか生きて来た。
 サイラス・シモンズを知る人類はみんな『あいつほど適当に生きてる奴はいない』って言いそうなもんだけど、おれ的には結構がんばって生きてるんだ。頭も使っている。身体も酷使している。うん、そう、頑張ってる。
 だから今日だって、今だって、頑張れるさそうだろう? よし、己の鼓舞は終わり。さて、現実を見よう。
『というわけで、今日から二週間、我がウィズメディア社はオリエンタル・セキュリティガードと契約を結ぶことになった。要するにボディガードだな! こんな体験めったにないぞ〜ぜひとも僕も体験したかったが、生憎と今すぐ走って参上できる状態じゃない。非常に残念だが……ああ、彼らへの報酬に関しては心配無用だ。きみたちの給料とは別にきっちりと僕が用意するさ! 二週間、僕がいなくてもどうにかなるだろう。マッドもトリクシーもいないが、まあ、うん、どうにかなるだろう! あとはサイラスに頼んだからね、よろしく頼むよ。それじゃあ、次の刊行を楽しみにしているよ! 幸運を!』
 プツン、と映像は切れる。
 今時普通に画面通話できるのになんでビデオレターなの? とか、いやおれ何も聞いてないけど? とか、その辺はまあいいや。よくないけど、まあいい。
 とりあえず一番つっこみたい単語は、ただひとつだ。
「……『幸運を!』ってうちのボスはまたなんか古臭い決め台詞が飛び交うドラマにハマってんの?」
「サイラス、あんた、コレみて最初に出てくる感想が、ソレ?」
「冗談だよ怖い顔しないでよミレーヌ。だって現実見たくないんだものー」
「あんたが見たくなくても、現実って奴は残念ながら容赦なく存在してんのよ、そこのイケメン二人とかね」
「んーあー……えーと、ボディガード? なんだっけ、オリエンタル、セーフ、コーポレーション?」
「オリエンタル・セキュリティガードです」
 すぱーん、とした声が寝起きの頭にずばっと響く。
 寝起きじゃなくっても重い瞼を二、三回ゆっくりと瞬いてから、おれは見慣れた職場のど真ん中にスッと立つ東洋人の二人組にようやく視線を当てた。
 自慢じゃないが他人なんて生き物に一切の興味がない。まあたまにセックスしてくてる相手を探すときくらいしか容姿なんか気にしないもんで、そんなもんだからNYのど真ん中に居を構えていてもいまだに誰が何人でどの大陸系列なのかとか、マジでとんとわからない。
 肌の白いお隣さんの人種だってわっかんないんだもの、そんなおれが東の果ての人たちの見分けなんかできるわけがない。
 というわけで日本人だか、中国人だか、韓国人だか、タイ人だか……全然わかんないけどなんとなくアジア人、と思うのは独特な顔のパーツの配置と黒髪と、あとわかりやすくアジアテイストなシャツを着ていたからだ。
 なにそのお洋服ケンポーの達人? と喉まで出かかったけど飲み込んだ。たまに自戒しないとダメなんだけど、そういえばおれの言葉は無駄に多いし大概の人間を若干不快にするらしいから。
 でもまあ、顔に出てたかも。いやでも、普通に疑問に思うでしょ?
 ボディガードと言われて想像するのはサングラスのブラックメンか、セレブのお付きでよく見るラフな格好のナイスガイだ。
 いま目の前でシャキッと立っている二人は、どう見ても映画のセットの中から出て来た武闘家なんだもの。
 おれが飲み込んだおれの疑問を、おれの顔からしっかりと読み取ってしまったらしいボディガードさん(右)は、眉一つ動かさずに口を開く。
「仮装か何かかとよく問われますが、こちらは我が社の制服の一部です。当オリエンタル・セキュリティガードは、アジア人の警護を主な仕事としています。海外から渡米される東方の方々は、この国に何を求められているのか知っていますから」
「あー……まあ、そうね、格好いい民族衣装の兵隊さん連れてたら、確かにいけてるかもねぇ。なるほどそれはきみたちの戦闘服か、理解した。理解はしたけど頭が全然仕事してないんだよね、ちょっとごめん、煙草吸っていい? ミレーヌ、シンディは?」
「しばらく泊まり込みになるかもって話したら着替え取りにいった。から、ここで吸っていいよ」
「えー、おれのパンツでよけりゃ貸すのに」
「あんたのパンツじゃだめだからに決まってんでしょうが。下心がなくってもセクハラは成立すんだから気をつけなさい」
「うっわ世知辛い……てーか、えーと……」
 どこまで何を話したっけ? とぼんやり頭をかきながら、とりあえず自分のデスクに座って煙草に火をつけた。
 最初から思い出そう。……と言いたいところだけど、正直どこが最初なのかよくわらかない。人生って奴は連続しているしそれぞれのエピソードが絡みつくように干渉しあっているし、動画みたいにスパーンと始まってスパーンと終わるわけじゃない。
 生まれたところから話す必要はまあ、ないだろう。おれの出生にはなんの面白みもない。そこそこ嫌な思い出があるけど、そんなものわざわざ御披露する気もないし思い出したくもないので割愛する。
 人生の転機は三回あった。自分がゲイだと気が付いた日(ついでに初めて振られた日)、母親が死んだ日、ウィズメディア社に入社した日。まあ、この辺も割愛だ。絶対とは言い切れないとはいえ、たぶん今回の件には微塵も関係ないだろう。
 おれのそれなりに健気に生きて来た三十三年間についてはまた今度。ということにして、今おれの頭を悩ませている一連の出来事について、そうだなぁ……三週間前から始めることにしよう。
 三週間前、いつも通りの日常にそれは突然ぶっこんできた。おれはその時徹夜三日目で、ミレーヌは吐いて仮眠中で、シンディは生理痛が酷くてトイレで泣いていた。
 とてもいつも通りなそんな日中。おれたちのボスは、同僚であるマッドの交通事故の知らせを受け取った。
 確か、交差点で信号待ちしてたら車がつっこんできて全治二か月。わお、そこそこの重症だ、とちょっとだけ目が覚めたことを覚えている。
 それだけで終わればよかった。いやぁ不幸だったねマッド、一生分の不幸ぶっこまれたんだからこっから半年はきっとハッピーだよなんて笑っていられなくなったのは、直後バイトのトリクシーが地下鉄のホームに落ちたからだ。
 これは事故じゃなくて事件になった。本人の証言通り、第三者が電車待ちをしていたトリクシーの背中を押した、ということが確定したから。あわやマジで死ぬとこだったトリクシーは、持ち前の運動神経で迫りくる電車を避けて一命をとりとめた。なんなら無傷だ。でもまあ、鬱状態になっちゃって、今は自宅療養をしている。
 おれだって自分めがけて猛スピードで迫りくる電車見たら、一生のトラウマになるよ。そういうアクション映画だってちょっと怖いくらいだもの。トリクシーはあと半年休んだって良い。
 そして極めつけ。一昨日、うちのボスが階段から転げ落ちた。
 残念なことに監視カメラ外での出来事だ。本人は誰かに押された気がすると主張しているけれど、証拠はない。
 確実なのはウィズメディア社の貴重なスタッフ三人が怪我をしたということ。流石にこれは、偶然の出来事と片付けてしまう方が強引じゃない? と思う。
 おそらくボスが急にボディガードなんてものを雇う気になったのも、この一連の事件のせいだろうけど。
 メンソレータムのきいた煙をすーっと吸い込んで、肺を満たしてからゆっくりと吐く。血液によくない物質がどんどんめぐっていく感覚。脳みそがやっと元気になってくる、あの感覚が心地よくてようやく人間に近づいてる感じがする。
 隣のデスクのミレーヌは、頬杖ついて口を開けて斜め上を見ていた。彼女が考えごとしてる時の癖だけど、眼鏡がちょっとズレてるのも相まっていつ見ても普通に怖い。
「……ミレーヌ、どう思う? うちが襲われる心当たりある?」
「ありすぎてどれかわかんないから困ってんでしょ。もう、ほんと、こんな事なら毒にも薬にもならないファッション誌を延々と作ってたら良かったんだわ……」
「おれはきみが隣にいると毎日楽しいからボスが引き抜いてくれたこと感謝してるよーたまにはいい仕事するじゃんって思ったもの。まあ他にはろくなお手柄思いつかないけどね」
「あの豚に良いとこなんかないしこの会社にもいいとこなんかないわよ。仕事は山積み! 誰も助けてくれない自分のことで手一杯! おまけに看板雑誌は低俗ゴシップ誌! サイラス・シモンズがいなきゃとっくに辞めてる!」
「うわー両想い。ゲイでごめんね?」
「結婚すんなら絶対あんたじゃないから安心して右手と仲良くしてなさい。つーか雑談してないで考えろ、何がどうなってどうしたらいいのか」
「うーん……そういわれても」
 ミレーヌがばっさり切り捨てたように、正直うちの発行している雑誌『NESSA』はお上品とは言い難い。世界の真実を独自の視点で追いかける、なんて口上は建前だ。結局はタブロイド紙の見出しの焼き増しを量産している。
 うちの記事のせいで人が死んだという話はきかない。でもまあ、ひっそりと不幸になったり、不利益を被ったりした人はいるだろう。
 火炎瓶のひとつくらいは投げ込みたいと妄想している人間、山ほどいそうでどれがヤバいのか、どれが地雷だったのかさっぱりわからない。いや、もしかしたら――。
「……これから書くネタを出させない為、とかある?」
 過去の記事ではなく、これから出版されるNESSAの記事。それが、誰かにとって非常に都合が悪いとしたら。
「あー。いやぁ、自分で言っておいて何だけど、ないか。うん。まあ、そうだとしてもどれかわかんないし、出版取りやめとかしたら会社潰れるし、今更どうにもできないから出版するしかないんだよね。まあ……おれたちが恙なく仕事できるように、ボディガードさんがいらっしゃるんだしね」
「そうだとしても一応ネタの審査はするべきだと思う。どうせ豚はそういうのやる気ないんでしょ三週間も病院暮らしのくせに」
「そこの椅子に座ってたってたぶんボスはやんないよ。いつものことでしょ、はー煙草廻って来たー生きてるって感じするーよぅしじゃあ、とりあえず普段通りに仕事続行ということで……そういやダニエルは?」
「今日オフで家。出勤するの怖いから、そのままリモートワークするってよ」
「ジーサス。なんてずるいんだろう」
「あんたどうせここに住んでるようなもんじゃない」
 まあ、そうなんだけど。
「とにかく、なにか変な事あったらすぐに言いなさいよ。あんたはいいけど、シンディになんかあったら流石にやばい」
「はいはい。承知してますよ。おれとミレーヌはともかくね」
「非日常がいきなりやってくると、いつもどおりのサイラスの煩い言葉が気持ちよくって嫌だわ」
「お互い様ぁ。……そういや彼ら、二週間付きっ切りなの? この部屋に?」
「自分で聞きなさいよ。私は自己紹介済ませたわよ」
「ええー」
「コミュニケーションを面倒くさがるな。やればできるんだからやんなさいサイラス。たまには同僚以外の人間と会話しなさい、異文化コミュニケーション楽しそうでしょ?」
「疲れそう。おれパクチー嫌いだしなぁ」
「安心なさい、二人ともタイ人じゃないから」
 なんだかすごく偏見まみれの会話をしてしまって、普通に怒られそうだと思う。おれの悪いところはあまり考えないで言葉を放り投げるところで、ミレーヌの悪いところはわかっているくせに毒舌家を装うところだ。
 さっさとジェスチャーで追い払われて、でもまあボスにはビデオレターで任せたよよろしくねと言われちゃったし、ダニエルは在宅ワークでしばらく不在というのならこの場の責任者はとりあえずおれなのかなぁと思うわけで、そしたら挨拶くらいはしなきゃいけないのかもしれない。
 シャキッと立った二人の男は、あんまり愛想がよさそうには見えない。……いつでも眠そうでだるそうだっていうおれに言われたかないだろうけど、それにしてもアジア人は表情が読みにくい。
「えーと……ボスに聞いてるかもしんないけど、一応この場所だと仮の責任者になるっぽいのでよろしくね、サイラス・シモンズです。……どっちがボス?」
 おれが首を傾げると、男(左)は軽く腰を折って礼をする。あちらの人の礼は、なんていうかきちっとしていて、ちょっと気持ちいい。
「私と彼は同僚であり上下関係はありません。なにかご要望があればどちらに声をかけていただいても問題ない、ということです。この度はよろしくお願いいたします。私はテラヤマ・ケントです」
「自己紹介ありがとう、ミスター・テラヤマ。って言いにくいねぇケントでいい?」
「勿論結構ですよ、シモンズさん」
「サイラスでも問題ないよ」
 ケントの英語は少しだけきっちりしすぎている。それに、名前の響きがカタカタしているから、日本人かなぁとあたりをつけた。
 アジア人にしては背がでかい。おれよりちょっと低いくらいかな。きりっとした短髪は清潔感の塊って感じで悪くない。
 爽やかな握手を交わしたあと、男(右)に向き直る。
「きみもよろしく。過ごしにくい部屋だと思うけど、どうぞ仲良くしてやってね?」
「……ありがとうございます」
 ああ。声が、低くて、いいな。うん。
 アジア人の声って、なんでこんなにきれいに低くて気持ちいいんだろう。だから好きなんだけど勿論そんなことは顔に出すべきじゃないからしれっと手を握る。握手に慣れている様子から、観光客じゃなくてニューヨーカーなんだと実感する。
 こっちの人の方が、スタンドカラーのシャツが似合っている。長めの髪がざっくりと肩にかかっているのに、だらしないと感じないからすごい。
 ていうかこっちの人なんか妙に、うん。
 え、なんか、すごく、格好よくない?
「シモンズさんこそ、窮屈な思いをされるかもしれません。どうぞお気兼ねなく、気が付いたことや相談があれば声をかけてください。私はフー・リーキョウ。英語圏の方は発音しにくいでしょうから――」
「シャオフー(フーさん)?」
「……中国語に、ご堪能ですか?」
「いや、雑学程度の知識しかないよ。たまーに中国系の人と付き合いでお話することあるからね、あだ名の付け方くらいは知ってるってだけ。シャオフーって呼んだら失礼?」
「とんでもない。テラヤマも私の事をそう呼びます」
「おっけー。それじゃあこれから二週間、よろしくシャオフー」
 背は低い。低いっていうかたぶんおれがでかいだけ。だからきっとシンディと並べば彼の方が大きいし、きちんと男性感がある。声が気持ちよく低い。髪の毛を伸ばしているのはさっきの『アジア人に求められている容姿』の話のせいかも。だって、異様に雰囲気がある。
 黒い意志の強そうな瞳ときりっと結んだ口を凝視していたせいで、後ろからミレーヌに叩かれてやっと正気に戻った。小声で食っちゃだめよと言われて流石に笑う。いや食わないよ、ひどいな人をさ、レイプ魔みたいに言うのはそれセクハラだよとこそこそ笑う。
 笑うけど、内心ちょっと笑えないなぁと思ってこっそり、誰にもわからないようにため息をそっと吐いた。
 魔法の呪文がつかえたらいいのに。
 ホーカス・ポーカスでも、アブラカタブラでも、ビビディ・バビディ・ブーでもいい。なんでもいいから一言おれが唱えたら、たちどころにそこにあるものはきれいさっぱり消えるのだ。
 そういう呪文があれば、おれは真っ先に、この日芽生えた青臭い感情を真っ先に消しただろう。
 生憎とおれは魔法使いじゃない。ただの仕事が趣味の雑誌ライターだ。
 だから残念ながら、崖の下に転がるみたいに見事真っ逆さま、青臭い感情をきれいに育てて恋に落ちてしまうのだった。




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