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04




「えっ、あいつ泊まんの!?」
 俺のこの先の一週間の悲劇は、この言葉から始まった。
 いや始まったのはたぶんあいつがリトル・ヒューストンのドアを軽快にノックした時だけど、なんかあの一連の騒動はいきなりすぎたしわけわかんなすぎたし、俺の中では『意味不明な出来事』としてさっさと忘れようという結論に至っていたからノーカンだ。
 イーハの言葉っていうか思考は笑えるくらいの高速で順次展開されまくるから、追いかけるだけで手一杯になる。他人に理解させようという努力を全力で放棄するとこんなんなるのか、と身をもって体感した。ひたすら宇宙の専門用語羅列してる時のノルに似ている。ていうか『説明』している分だけノルの方がマシだ。
 ブチギレた状態でリトル・ヒューストンに乗り込んできたアイルランド人は、なぜかしらんけど『もっと真剣に自分を叩き潰せ』とか言ってたのに、その五分後には自分が悪いと頭を下げた。感情の振り幅どうなってんだほんと。顔に出ないだけで、かなり感情豊かというか、めちゃくちゃ多感なやつなんだろうか。
 チャットで短いやり取りをしてたイメージじゃ、『言いたいことは言うけれど最低限理性的な紳士』って感じだったけど。もしかしたら、結構ガキっぽいのかもしれない。とにかくキャラを統一してほしい。対応できなさすぎて俺がバグったみたいになる。
 なにはともあれ俺は、よくわかんない謝罪をとりあえず受け入れた。……筈だ。混乱してたから記憶あやふやだけど。
 でかい男は怖いし、キレてる人間も怖い。それにリトル・ヒューストンのメンバー以外とあんな近距離で話したのも久しぶりだ。頭が一回白くなって思考能力ぶっとんでも仕方ない。と俺は全力で言い訳する。
 しばらく自室で呼吸を整え、精神統一して回復する為に普段やってるルーチンワーク(仕事のチェックだとかWebページの更新だとかヘクセンハウスの仲間のSNSにくだらないコメントをつけるだとか)をこなし、そのうちにいつの間にかうとうととしていた。
 普段は仕事上がりのアイルランド人とゲームに勤しんでいる時間だ。やることなくて手持ち無沙汰で寝ちまったんだろうと思う。この前デカイ案件片付けたばっかで、急ぎの仕事もない。
 気がつけばすっかり陽が暮れている。そういやなにも食ってねーなと思った俺は、薄暗い自室を出てキッチンに行った。
 そしたらソファーにイーハとチリが座ってた。
 ……いやいや。いやいやいやなに普通に談笑してんだ三十三歳アイルランド人。
 帰れアブダビに。つか帰ったと思ってたよアブダビに。
 とりあえずチリを手招きし、あいつなんか用事でもあんのか暇なのか、と間接的に探りを入れてみたところ、『暇だからしばらくリトル・ヒューストンに泊まって休暇を楽しむって』という頭の痛すぎる回答が返ってきたわけだ。
 そして冒頭の俺の台詞に戻る。
 つか休暇っておまえ一週間あるんだろ知ってるんだぞ。そんな手ぶらでよく海外に来たなとしか思えない軽装の男は、俺が呆れた視線を送っていることに目ざとく気がつき、無表情で首を傾げた。
 しれっとした顔しやがって。さっき怒鳴り込んで来た時の気迫はどこにもない。ハリケーンの中でもその無表情貫いて紅茶飲んでそうな顔だ。
 どうやら本当に泊まっていくらしい。
 いつもオフェリアとグレッグがトランプゲームに興じるローテーブルの上には、飲みかけのジンジャーエールとハイネケンが置いてある。
 そういやチリは酒が好きだ。俺は好んで飲まないけど、たまに夜中に付き合わされるからチリの酒豪っぷりは知っている。
「チャックも暇でしょ?こっち来てほら座れ。座れってばチャック。しばらくはおっそいイースター休暇だって喚いてたじゃん。暇なんでしょほら座れ近う寄れ近う寄れ!」
「オダイカンサマかよ……チリ、ハイネケン一本くらいじゃ酔わねーだろーが」
 と思ったらシンクのところに空き瓶二本見つけたし、なんならチリの向かいのイーハの隣にも二本くらいビン転がっていた。ジンジャーエールのグラスを両手で持ったイーハと目が合う。俺を見上げたアイルランド人は、小さく肩を竦めてみせた。
「……二本立て続けに空けたあたりで一度、四本目に手をつけたところで再度、飲みすぎでは、と止めてみましたが、まぁ、無駄でした。曰く、ビール程度で酔っ払うチリ嬢ではないそうで……」
「ハイネケンは度数五パーセントくらい? チリなら五本くらいは余裕だろうけど、こいつ酔うとハチャメチャに面倒クセーぞ。絡む笑う泣く喚く挙句寝る」
「はぁ。最初の二つはすでに体験済みです。私はチリ嬢と砕けた話をする仲ではありませんし、酔っ払いを身近で見ることもあまりありませんから、彼女の陽気な笑いは果たしてアルコールのせいなのかどうなのかと心のうちで首を傾げていたところでした」
「酔っ払いの生贄状態じゃん」
「貴方も名指しされておりますよ。諦めて座ったらいかがです?」
 別に、こいつらと仲良くテーブルを囲まなきゃいけない義理はない。
 チリはとりあえず喚くかもしれないけど、俺が付き合い悪いなんて今更な事だし、たぶん勝手にやってろと言い捨てて自室に引きこもっても誰も怒る奴なんていない。……と思ったが、ため息ひとつで諦めて、大人しくアイルランド人の隣に座った。
 断じてこの男と親睦を深めようなどと思ったわけではない。単にある程度のところでチリから酒を奪う役目を自分に課しただけだ。
 チリは喜んで俺の前にもハイネケンの瓶を置いたけど、イーハはなんか微妙なかんじで俺を見ていた。
「……なんだよ。座れっつったのあんたじゃん」
「いえ。こちら側に腰を降ろされるとは思っていなかったもので」
「バッカ、泥酔してるチリの横に座ってみろよ。一時間後には枕にされんだからな」
「まだ!泥酔! してない! でしょ! てかビールでそんな吐くほど酔わないし! というわけでワイン開けよ〜! みんなで飲も〜!」
「おま……大丈夫なのかまじでそんな飲んで……」
「だいじょーぶー休暇まだ沢山余ってるしー。元々十日の連休だからさぁー」
 チリの勤める美術館は改装だかなんだかで、暫く休館している。若干早すぎるサマーバケーションを、チリは年に一度の帰郷に当て、そんで予定より数日早く颯爽と帰宅した。
 確かにチリの休みは残っているから吐くほど飲んでも仕事には支障ないが、潰れた酔っ払いを介抱したくないという俺の願いには関係のない事実だ。つか、全力で飲まれた方が迷惑なんだけど。生憎今日は健康おたくのオフェリアも、やたら理性的なグレッグもいない。
「ジンジャーエールで割ればいけるって。赤がいい? 白? 白ワインのジンジャーエール割りってオペラ?オペレーター? 名前かっこいいよね?なんかこう、白い機体感あるよね?」
「酔ってんじゃんかよ。なんだよ機体ってまたロボットアニメ見てたのか」
「SFアニメは日本の文化!! ほらイーハも飲も飲も〜無礼講! 今日は無礼講! みんな休日なんだから羽目外して遊……キングカップしよ!!」
 だばだばと勝手にイーハのグラスに白ワインぶち込んだチリこと酔っ払いは、強引な陽気さで好きなことを喚きやがる。
「ドリンクゲームなんて三人でやってもただクソみたいに酔って終わりだろうが……」
「キングカップとは、パーティゲームの一種ですか?」
 淡々とした疑問を挟んだのは隣の男だ。
 テーブルの上のサンドイッチとクラッカーで小腹を満たした俺は、顔色も変えずにワイン入りのジンジャーエールを飲むイーハに適当に頷いてみせた。
 キングカップゲームは、あー……詳しく説明すんの面倒だからぜひググって、とだけ言っておく。まぁ要するに飲みゲームだ。
 トランプ引いて出たカードに充てがわれた罰ゲームをこなす、みたいなイカれた酔っ払いゲーム。
 この罰ゲームってやつは大概酒を飲むことだ。6なら男が飲む。4なら女が飲む。5なら両隣の人間が飲む。とか、そういうやつ。
 最後四枚目のキングを引いた奴は、真ん中に置いたでかいパイントグラスの酒を飲まなきゃいけない。
 このゲームのルールを説明されたチリは、王様なのに最後に酒の処理をさせられるなんて理不尽だと驚いていた。日本の『王様のゲーム』は、もっと恐怖政治ぶっているらしい。王様の命令は絶対なのに、とつぶやいていたことを覚えている。
「あー……てか、そうか。……UAEって、酔っ払いゲームないのか」
 考えてみれば確かに、酒が罪となる国だ。浮かれた酔っ払いがトランプばらまいてゲラゲラ笑いながら酒を飲みまくるなんて光景、あっちの国ではお目にかかれないのか。と、今更ながら不思議に思う。
 地球すげーな広いんだな本当に。
 俺はよくノルに宇宙の広さを切々と説明されるけど、正直この数年イギリスどころかフラットからも外出してない引きこもりにしてみれば砂漠の国だって信じられない程遠い異文化だ。
 俺の心中を察したのか、イーハは淡々と言葉を繋ぐ。
「バーが無いとは言いませんので、酔っ払いが一人もいないというわけではありませんが、その内訳はほぼ外国人観光客でしょう。UAEの国民はイスラム教の戒律で酒を禁じていますし、国民の近場で働く我々異教徒も、あえて面倒な手続きや証明をしてまで酒を飲もうとは思わない者がほとんどですね。外国人観光客ですら、泥酔して往来を歩けば逮捕されることもあります」
「こわ……なにそれこっわぁ……チリなんか真っ先に豚箱行きじゃんよ」
「そんなに毎日酔っ払ってないし! たまにだし! たまにオフェリアがいない日にちょっと飲むだけだし!」
「あっいつ、健康オタクだからなぁー。禁酒禁煙適度な運動とストレッチ、正しい食事と睡眠と日光で人間はできている、みたいなさ」
「うはは! わかる〜めっちゃわかる〜! オフェリア、健康オタクだよねぇあんなさ、ハイソなマダムみたいな美人なのにさ。でもオフェリア、みんなに甘いから、やりたくなーいって断っても全然怒んないし、仕方ないわねぇなんて笑うから好きだなー。あんなさ、冷たいオンナみたいな顔しといて熱くてどろどろに甘いのー」
 オフェリアが熱い女だという見解には賛成だ。あいつはマジで熱い。熱すぎてよくどうでもいいような案件をヒューストン会議に持ち込む。
 熱い女は話し合いコミュニケーションが好きらしい。
 熱いか冷たいかなんて分類すれば俺は確実に冷たい方だろう。あんまり他人に興味ないし。勝手に生きて勝手に死んでも構わないと思ってるし。みたいなことをさらっと零せば、チリはケラケラと笑った。
「ん〜チャックのそのさぁ、冷たい男だぜ俺は……みたいなの、なんてーかツンデレ? みたいに思えんだよね〜。ほんとはそんなに冷たくないと思うけどなぁチャック。熱くなるものに出会ってないだけじゃない?」
「二十三過ぎてまだ人生の熱に出会ってないとかアレじゃね? ダメじゃね?」
「いやいや。死ぬまでなにがあるかわかんないよ人生なんてさぁ」
 小生意気に笑いながら、チリは上機嫌に酒を注ぐ。俺のグラスにもじゃんじゃん注ぐ。ドリンクゲームなんかしなくてもガンガン酒を飲まされている気がする。チリの笑い声は頭に響いてイラっとするけど、まぁ、鬱々と泣くよりはかなりマシだ。
 実家から帰って来た時のチリは、ふさぎ込んで酒飲んで泣くか、空元気で酒飲んで笑うか、だいたいその二択だ。笑ってんならまぁいいやと思う。俺は慰めたりすんの下手だから、オフェリアかグレッグがいるときに泣いたらいいと思う。適材適所ってやつだし、きっとチリもその方が安心できると知っているからだ。
 チリはケラケラと笑う。
 俺は顔を顰めながらも、楽しそうだからまぁいいかと、よくわからない妥協をしてため息を吐く。
「オフェリアとか、リトル・ヒューストンの奴らがやたらと熱いってのには大いに賛同するけどさ」
 そう言いながらちらっと隣を見やった俺に目ざとく気がついたチリは、前のめりでイーハを見た。表情が変わらない男は身体を引くこともなく見つめ返していた。いや近くないかお前ら。どっちか身体引けよ。パーソナルスペースの概念どうなってんだよと、なんか勝手にハラハラしてしまう。
「イーハはなんか……冷たくはないけど、凄く熱い感じもしないなぁ……なんかこう、プラスチックみたい。すべすべしてて、たたくとカツン、って音がする感じ……あ、ごめん、わたしまた失礼なこと言った!?」
 チリが赤い顔晒しながらも急に謝ったのは、イーハの無表情がそれと分かるほど確実に動揺していたからだ。
 微妙に眉を避けていた男は、チリの謝罪を聞くとハッと表情を和らげまた無表情に戻る。
「失礼しました。いえ、チリ嬢は特に失言をされたわけではないのでどうぞお気になさらず……ただ、昔、同じような事を言われたな、と思い出しまして」
「おなじような?」
「あなたの言葉はプラスチックみたいだ、と。そういえば言われたことがあります。……あなたの言葉が、私の性格を批判しているとは全く思っておりませんので。ただ多少というか、存分に、不思議な気分を味わっております。以前におなじように表現した方は、私の性格を存分に責める言葉としてプラスチック、と発言していたものですから」
 あー、まぁ。そうだろうな、となんか妙に納得した。確かにこいつの言葉は熱がないのに冷たくもなくて、鉄とか水とか氷とかじゃなくてすごく合成樹脂っぽい。
 チリは客観的に表現しただけだろうが、あんたの言葉ってほんと冷たくも熱くもなくてわけわからないわ、なんて昔の女にでも言われたんだろうなぁと容易に想像できる。
 ただ俺としては昼間の一件が頭の隅に引っかかっていて、素直にあーそうねプラスチックっぽいかもなーとは言いがたい気持ちだ。
 あの時のこいつは、プラスチックっていうか熱しやすく冷めやすい金属みたいだった。常温で溶ける金属とかなかったっけ?なんつーか、あんな感じ。急に固まったり急に溶けたりするから俺の理解が追いつかない。
 プラスチックかな。プラスチックか? と微妙な顔晒していたらしく、隣の男がごく数ミリ眉を上げた。
「……なにか?」
「いや。べつに。なんでも。……なんだよちけーよさっきも思ったけどあんたのパーソナルスペースの概念どうなってんの」
「失礼。普段はお互いの距離の取り方に慣れきった主人と二人きりの生活なもので……。ところでそのサンドイッチ、お気に召したようですが」
「あぁ、えーと、まぁ。うまいけど。これあんたが買ってきたの?」
「はい、とお答えした方が貴方にとっては心穏やかかもしれませんが真実を告白しますと私が先ほどキッチンを拝借して作りました。マスタードの加減がわからず適当にぶちこんでしまいましたが、お口に合ったようでなによりです。普段あまり料理を振る舞うような機会はないで気がつかなかったのですが、己の作ったものを存分に腹に詰めていただくというのは少しこう、いいですね。うん。とてもいいです。相手が貴方というのもとてもいい」
「なに言って――」
 んの、と最後まで言葉を繋げる前に気がつく。そういえばこいつは、酒が存在しない国の住人だった。
「まさか酔っ……あんた酒苦手なの!?」
「というか人生でほぼ口にした事がないので苦手なのかどうかすらわからない状態です。どうやら私は顔や態度に酔いが現れないらしいですね。存分にふわふわとした気分ではありますが。コップ一杯でこのように気分が高揚する液体ならば、確かにラティーフの神は禁ずることでしょう」
「いやぐびぐび飲みすぎなんだよワイン度数たけーんだよ! ちょ、だからグラス置……チリは注ぐな!」
「キングカップしよ!! これはもうキングカップやるしかない!!」
「うるせーよチリ落ち着けほんと勘弁して。あーもう明日から禁酒しろお前ら!」
「チャールズ」
「なんだよクソ、だから飲むなっつってんだろこのポーカーフェイス下戸!」
「私は、貴方に対してはプラスチックでいれなくなる」
「……なにそれ。勝負に熱くなっちまうってこと?」
「それもあります。ありますが、たぶん、もっと俗世的な感情が強いと思います。私は貴方に傅きたい」
 I want to serve you、と聞こえた気がした。
 私は貴方に仕えたい? 傅きたい? なにそれあんたご主人様いるじゃん。ってとこまではわりと冷静に考えてたんだけど。
 ……待てこれまさか告白のわけないよな?
 という最悪な可能性に気がついて固まる。
 は? とえ? の中間くらいの自分の声の後に、やっと思考が追いつきそうになったのに。
「トランプあったー! キングカップゲームしーようー!」
 チリのでけー声で遮られて、結局何もかもが有耶無耶になった。


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