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02




「慣れないわー」
 だらり、と零れたオフェリアの言葉は、午前のリビングに響いた。世間はすっかり春らしく、リトル・ヒューストンの室内もそれなりに暖かい。
 優雅に午前中から日光浴かますオフェリアに対する俺の答えは『いい加減慣れたら?』だ。
「もう一週間? くらいはちゃんと午前中にグッモーニンできるえらい俺をその目で直に見てんだろ。現実受け入れろっての。昼間に活動する俺ってばそんなに不気味かよ」
「不気味よ。不気味だわ。不気味以外に表しようがないくらいね。チャールズ・ヘンストリッジが陽が昇ってるうちに起きて、暗いうちにベッドに沈むだなんて。吸血鬼が太陽の下を歩いている場面を見ている気分」
「そりゃ確かに不気味だわなー」
 ソファーで雑誌を眺めるオフェリアの横をさくっと通り過ぎ、フリッジから珈琲を取り出してカップに注ぐ。
 イギリス人は延々紅茶飲んでるんじゃないの?なんてチリには言われるけど、マズイ紅茶飲むよりそこそこの味の珈琲飲んだ方がマシだという理由で、俺は珈琲派だ。
 午前中にベッドから這い出る事に俺自身は慣れたものの、俺の素直な同居人たちは昼間の俺に全く慣れないらしい。
 まぁ、わからんでもないけどさ、と苦笑いひとつ零してひっこめ、シリアルに牛乳をぶっかけた。
 朝といってももう十時過ぎだ。勤勉な学生やら社会人やら、所謂普通の人間は昼飯時に向けて午前中を必死に消化してる頃合いだろう。優雅にシリアルをかき混ぜる俺は小忙しい世間から見たら、寝坊扱いされるかもしれない。
 こんな時間に起きてるなんて悪いクスリでも飲んだの?なんてびっくりされる普段の俺の生活リズムってばやばい、なんてことは重々承知している。
 夜行性なんていうのは生易しい表現だ。
 俺が太陽に出会うことなんて稀で、カーテンの隙間から覗く外の世界は大概真っ暗だ。日によっては昼くらいまで起きてることもあるけど、だいたい十二時すぎると力つきる。そんでやっぱり眼が覚めるのは夕方だから、ほんと太陽というか午後の世界に縁がない生活を続けていた。
 まぁ、たまには生活サイクル一周しちまって、昼間に仕事してる時もあるけど。でもそれはイレギュラーで、別に朝起きて夜寝よう!と思ってそうなるわけじゃないし、結局また夜型に戻っていくのが常だ。
 夜の方が動きやすい。近所のガキンチョの声も聞こえない。
 昼間しか開いてないスーパーマーケットに立ち寄る必要もない俺は、昼間起きている必要性がまったくない。その上仕事でやり取りをするチームリーダーはアメリカのシアトル在住で、時差は七時間もあるもんだから、それこそ夜の方が都合がいい。シアトルの午前十時は、イギリスでは午後五時だ。
 以上、夜型生活の言い訳だ。
 その俺が、この一週間、しっかりと午前中に起きだし、日付が変わる前に寝るようになった。この異常事態に驚きを隠さなかったのはノルと、チリと、オフェリアと……グレッグも確か昨日三度見くらいしてやがったから、つまりはリトル・ヒューストンの面々全員だ。
 なんと失礼な、とは思わない。俺だってよくもまぁ昼前に起きるなんていう健康じみたマネができるもんだ。と、己のことながら驚愕している。
「できることならそのまま一年くらいは昼型健康生活続けてほしいわね。そのくらい経てばあんたが不健康な吸血鬼だったことなんて、あたしたちも忘れそう」
「いや不健康なのは変わんないだろ……朝起きたくらいじゃ人間の寿命は伸びないと思うわ俺は」
「若いうちから無茶すると十年後に急に身体に負担が来るわよ。それこそ寿命が縮む。……スポーツか運動で対戦できるようなゲームを作れば、あんたの運動不足も画期的に解消されたりしないかしら。ついでにアブダビの紳士も健脚になれる」
「なんで俺とあいつセットなの」
「セットでしょ。あんたが昼間に起きていそいそなにしてるかなんてみんな知ってるわよ。彼と楽しくゲームするために早起きしちゃうなんて。チャールズ・ヘンストリッジが他人に興味を持つなんて、オリヴァー・グレイが恋をするくらいにあり得ないと思っていた事だったわ」
 興味なんざもっていないっつの、と反論しようと思って開けた口は、結局微妙な間の後に閉じた。
 午前中のオフェリアは強い。どうせ言葉の濁流で丸め込まれてしまう。こいつの言葉を聞きたくない時は喋らないのが一番だ。
 吸血鬼みたいな俺を昼型人間に戻しつつある原因は確かに、認めたくないけど、まぁ、事実、あー……アブダビ在住のあの男だった。
 イーハ・オコナー、三十三歳。俺よりもきっかり十歳上の男。
 アラビア半島で大富豪の秘書なんつーブルジョワな仕事してやがるけど、本人はアイルランド人で白人だ。仕事が早くて主人に忠実で、冷めているように見えて愛情深い――というのはノルの評であって、俺は未だに名前程度の知識しかない。
 ほんの数回見かけたことはあるし、若干なら喋ったこともある。そして二カ月前あたりからは、ネット経由でゲームの対戦をしている仲だ。仲っつーか不可抗力っつーかなりゆきっつーか。
 どっかの暇な金持ちがパーティで使うから、というわけわかんない理由で『とにかく難しいボードゲームアプリ』をご所望してきたのは冬の終わりだったと思う。理由はわけわかんなくても、金が出るならば正式な仕事だ。
 わりと自由な仕事だったから、まぁ、そんなに面倒なアクシデントもなく数本のテストプログラムを作った。そんで俺はそのテストプログラムを添付したメールを、なぜか間違えてイーハ・オコナーに送りつけてしまったわけだ。
 多分寝てなかった。寝てなかったし、アレキサンダー(Alexander)とイーハ(Aichear)の綴りが寝てない頭だと区別つかなかった。もちろんこれはひどい言い訳で、間違いメールぶっかましたことにわりとすぐ気づいた俺は、慌てて訂正のメールを送った。
 つか今時事務連絡にチャットツールじゃなくてメールを指定して来るのほんとやめてほしい。なんつっても訂正できない。送ったメールが届いてしまえば、こちらからメールを消すことは出来ない。ほんと勘弁してほしい。そういうとこだぞアレキサンダー、いや俺はアレキサンダーのこともよく知らないけど。ただのクライアントだから。
 つーわけで間違って試作品ゲームアプリを送りつけてしまったが故に、なぜかイーハと俺はネットゲーム対戦を延々繰り返す仲になったわけだ。もう面倒だから色々割愛したけど、俺にもあんまよくわからん。
 わかるのは、イーハ・オコナーはそれなりに頭がいいこと。でもそれなり止まりなことは本人も自覚した上でプライドが高いこと。でも負けたからって口汚く罵ってきたりはしないこと。その代わりやたらすばっと不平不満をぶつけてくること。まぁ、そのくらいだ。
 別にお互い個人的な話はしない。だから俺がどうしてリトル・ヒューストンから一歩も出ない生活してるのかとか、具体的にどんな仕事しているのかとか、普段どんなもの食ってるのかとか、そういう話はしたことがないし、向こうも興味ないだろうから今後するつもりはない。
 イーハ・オコナーは俺にとって最良の暇つぶし相手兼テスターだ。別に友人になりたいとか思わない。友人ならば口煩いリトル・ヒューストンのメンバーで事足りている。
 だからイーハに興味を抱いている、というのは間違いだ。ゲームの向こうの人間がどんな顔でどんな性格でどんな生活をしているのかなんて、知りたくもない。
 ただ、イーハは本当にそこそこ頭が良くてそれなりに要領もいいけどここぞという所で騙されてくれる最高のテスターだ。楽しい。正直楽しい。ここだ、というタイミングで見事負けてくれるから超絶楽しい。
 楽しすぎて調子に乗りすぎたかなーと思って、この数日は意図的に勝負を引き延ばしてみたりしたけど、それはつまりもう暫くはイーハにこのくそみたいなオリジナルゲームに夢中になっていて欲しいからだ。何と言っても俺は、イーハが仕事を切り上げてゲームにログインする時間に合わせて昼前に起きちゃうほどだ。
 いやいやイーハなんていう男に微塵も興味ないっすよ、なんて言っても白々しいかもしれない。ほんとに微塵も興味無いんだけど。いや、末長く俺に負けて欲しいとは思ってるけど。
 実はあのわけわかんないルールてんこ盛りのクソムズゲームプログラムは、適当な所で体裁整えてすでに納品してある。
 俺たちが毎日楽しく罵りながらカチカチと遊んでいるプログラムは、なんつーかもはやただの余興だし必要ないものだ。テスターの必要すらない。でも楽しいから切り上げるタイミング逃しちゃってて、結局俺の作った正式名称のないゲームは、どんどん無駄にバージョンアップされていく。
 なんかこのままだとほんと普通にリリースできちゃいそうだ。若干いろんなとこからちまちまと要素パクリしてるけど、イーハが目ざとくいらん機能を指摘したりあれしろこれしろと提案してくるせいで、微妙にゲームバランスが整ってきていた。
 シャクシャク、シリアルをかっこみながらノーパソを開いて、うっかりいつものようにゲーム画面開きそうになってから動きを止めた。
「……あー。今日からだっけ?ノルの旅行」
 なんか色々書き込んでありすぎて日付読めねぇ状態のカレンダーをどうにか眺めてスプーンを咥える。そうよ、と答えるオフェリアは落ち着いたもんだ。
 確かオフェリアも午後には出発するって話だった気がするのに、全くノルとは大違いだ。
「朝から大変だったのよ、よくあんたあの騒ぎの中で寝れたもんだわ」
「いや俺は昨日大変だったからそんくらい許してまじで。まじで大変だったから。あいつなんであんなファッションセンス死んでんの?ぶっさいくならともかく顔だけはいいから余計ひでーのなんの。一週間分のコーディネートに三時間もってかれた」
「それに関してはお疲れ様。そしてノルを無事に空港に送り出したあたしもお疲れ様。今頃飛行機の中でいちゃついてるかしらね」
 そう、忙しない同居人のノルは、今日から一週間程の予定で恋人と旅立った。あのノルが、どんな服を着たらいいのかなんて相談してくるなんて思いも……まぁ、うん、その話はいいや。とにかく、俺はあの宇宙オタクがアラブの富豪様と末長く幸せになってくれたらいいと思っている。
 そんでノルとその恋人のラティーフが旅行ということは、ラティーフの秘書であるイーハはオフになるんだろう。
 いつもあの男は、アブダビで仕事がおわる十五時にログインしてくる。どうやら残業の片手間にゲームしてるみたいだけど。つーことは今日はもうログインしてんのかな?と思って開いてはみたが、二人だけのゲームルームには俺のログイン表示しかない。
 まぁ、うん。休日は本でも読みながら音楽を聞いていますみたいな顔してっしな。知らんけど。
 若干落胆したなんて死んでも顔に出したくない。咥えていたスプーンを皿に放り込み、そのままシンクに放り込む。適当にくくっていた髪を頭の高い位置で結び直してから、適当に皿を洗い、残っていた珈琲を飲み干した。
 もうすぐ昼だ。
「えーと……グレッグはアメリカ? んで、オフェリアが午後から……チェコ?」
「トルコよ。取材旅行なんて柄じゃないけど、旅費持ってくれるって話だから楽しく観光してくるわ。あんたほんとに一人で大丈夫なの?」
「ガキじゃねーですから平気だっつの。チリは今日帰ってくんだろ?」
「本家とかいうのが彼女を離してくれればね。帰ってくるにしても夜でしょ。いやだわ急にあんたのことが心配になってきた……」
「なにがよ。俺なんてどうせ部屋から出ないんだからみんなが居ても居なくてもかわんねーじゃん」
「あんたが野たれ死んだら誰が見つけてあげるのよ。不健康ってのは突然命を奪うことだってあんの。せめて救急車両くらいは手配できるように、携帯電話は携帯してなさいよ」
「おかーさんかよ……」
「失礼ね。愛溢れる友人よ」
 ぱたん、と雑誌を閉じたオフェリアに見上げられ、はいはいと適当に返事を返すものの、どうにもかゆいような気持ちが顔に出て居たような気がしないでもない。
 口が悪いというか、ずけずけ叱るくせにまじで愛情深いからオフェリアは苦手だ。好きだけど。好きだけど苦手だからほんと困る。
 困ったり照れたり見栄張ったりすんのは疲れるから、なるべくどうでもいいみたいな顔して手を振った。
「どうせ一歩も外出ないんだから、安心してチェコでもトルコでもシンガポールでも行ってこいって。あ、土産は切手。切手がいい。残った小銭でもいい」
「知ってるわよあんたに食べ物なんて誰が渡すもんですかもったいない。だいたい――」
 ドアチャイムの音が、オフェリアの言葉を遮った。
 続いてコンコンコン、と軽快なノックが響く。俺なんか頼んでたっけ?ノルの服かなんかをノリで何着か買ったっけ?と首を傾げつつ、さっさとドアに向かった。
 来客は嫌いだ。ていうか人間全般が嫌いだ。だからさっさと応対して、さっさと帰ってもらうに限る。
 適当な返事をしながらドアノブを握り押し開いた先に立っている人を見るまで、俺はもう一眠りするかなーなんて考えていたのに。
「………………は、え……?」
「どうもおはようございます。こんにちは、が妥当な時間ですかね?貴方が起きていてよかった。ああ、オフェリア、どうぞそのままで。貴女はこの後出かけるのでしょう?先程空港でノルに伺いました。どうぞ私にお構いなく」
 びっくりしすぎると人間は言葉を忘れる。そういえば去年、こいつがいきなり現れた時、ノルはびっくりしすぎて言葉を失っていたことを思い出した。
 てーかなんであんたこんなとこにいるのアイルランド人。
「イーハ……オコナー」
「お久しぶりですチャールズ。想像していた以上に健康的そうですが相変わらずの隈ですね」
「……ご主人様の付き添い?」
「いいえ。彼は私がいなくても飛行機に乗れてしまうそうですから。私がリトル・ヒューストンを訪れた目的は貴方ですよ、チャールズ」
「は?」
「私は大変、それはもう、稀に見るほどに腹が立っています。あまりにも腹が立ったのでこれはもうご本人の口から説明していただこうと思いたち、主人の旅のついでにイギリス行きの飛行機に乗り込みました」
 一気にまくし立てる不思議な訛りの英語は不思議すぎて耳から入って通り抜けそうになって、いやいや待て待て、と慌てて言葉の尻尾を掴んで引き戻す。
 いやいや。待て。なにいってんだこのおにーさん。てかなんでガンギレしてんのこのおにーさん。完全にキレてんじゃん。こわ。え、こわい。なにこれこわい。
 って俺がドン引きしているのも気にせずに、イーハはずいっと間合いを詰めてくる。普通に怖くて二歩下がるのに、ツカツカと近づいてきやがるから間合いは広がってくれない。
 今初めて気が付いたけどこいつ俺より身長あるじゃんこわい。身近で俺よりでかい奴なんてグレッグくらいしかいないからやたらとこわい。なんかでけーなとは思っていたけど。いざ見上げると五センチくらいは差があるような気がする。俺の背筋が伸びたらもう少し差は縮まるかもしれないけど。
 なんかしらんけどキレてる男は、なんかしらんけど至極真面目な顔で俺に詰め寄る。
「さぁ、説明していただきたい。……貴方が、ここ数日私たちの勝負について明確に手加減していた理由を」
「…………は?」
他の言葉を返せる奴がいたら、俺の代わりにまじなにいってんのって言ってやってほしかった。


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