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14



「うわ……」
 思わず、微妙なテンションの声が喉から漏れてしまった。
 俺ってば大変素直だ。素直な俺の声に振り返った部屋の主は、いつも通りのほとんど動かない表情のまま首を傾げた。
「……やはりホテルに直接お送りした方が良かったですか?」
「いや……そうじゃなくて……。なんつーかさ……」
 そこはどっからどうみても、イーハ・オコナーの部屋! って感じだった。
 すっきりと物がなく、家具の色は微妙に適当な癖に、一つ一つの趣味はまあまあだ。どうでもいいようなタペストリーや置物は俺も同じものを持っている。見覚えのあるアラビックランプもある。絶対にノルの土産だ。アラブ土産をアラブ在住の奴に渡すか? と思わなくもないがノルならやりかねないのでたぶんアレはノルが買って押し付けたモノに違いないと確信をもって断言できる。まさかのお揃いだ。
 棚の上は妙に乱雑なのに、部屋自体には机と椅子と本棚とベッドくらいしかない。ほんと何もない。あー、これぞって感じでマジで想像通りのイーハの部屋だ、と思ってしまって俺が勝手にテンパってしまっただけだ。
 ていうかこんなことになるなんて、想定外だった。
 まずいきなりイギリスに乗り込んできて五日間俺の生活を引っ掻き回したアイルランド人に、キスなんか許しちまった事自体が想定外だ。それだけでもやばいのに、本当に予想外だったのはその後だ。
 何となく流されただけだ、と思っていた。別にイーハは恋人になったつもりではなかったと思う。今後もめげずに口説きますみたいな感じではあったけどさ、でも俺は三日もすればいつもの俺に戻ってお互い何となく落ち着くもんだと思っていた。
 それがこの様だ。この様っていうのは、つまり、あー。耐えられなくなって海越えて会いに来ちまうくらい俺の方がなんでかイカれてるっていうこの状態の事だ。
 マジで意味わかんない。いまだに何で俺今アブダビにいるんだよって笑える。
 フラットから一歩でも出ると眩暈がする。空港なんて近寄りたくもない。それなのに俺は全ての苦行をノルの手を握ってチリに背中撫でられてオフェリアに叱咤されてグレッグに引きずられてこなして、結局、無事にここまでたどり着いてしまった。
 俺の方から会いに来ちゃったとか馬鹿かよ。馬鹿だ。意味わかんない死にたい。俺なんか死ねばいいとかそういうアレじゃなくて、単純に恥ずかしくて消えて無くなりたい的な意味で死にたいと思う。
 一歩歩くごとに、一回呼吸する度にアブダビの夏を感じる。あほみたいに暑い。死にそう。物理的にも死にそう。
 ここが異国だと実感すればするほど、精神的にもガンガン死にたくなる。
 消えて無くなりたい俺はイーハにハチャメチャ介抱されながらタクシーにつっこまれて、でかい屋敷にたどり着いた。
 ラティーフ・オマール・アブドゥッラーの屋敷の外観はノルが送って来た写真で見た事あるけど、実際に三次元状態で見上げるとちょっと引くくらいデカい。
 存分に引きながらエントランスを抜けて、中庭を抜けて、ぽつんと敷地の端に建つもう一棟の家に入って、そのあまりの『イーハ・オコナーの家』感にもう俺は動けなくなっちゃったわけだ。
 何これ恥ずかしい。だってここ、滅茶苦茶アンタの部屋って感じじゃん。
 しかも生活感がわりとある。
 脱ぎっぱなしのシャツが椅子に掛けてあったり、読みかけっぽい本が伏せられてたり。なんでもかんでも完璧そうなのに、微妙なところっていうか自分の事に対してはちょっとズボラっていうところが、もうほんと、イーハ・オコナーって感じで嫌だ。
 挙動不審な俺の事を存分に心配しているらしいイーハ本人は、ベッドに座った俺の前に膝をつく。見上げる顔はいつもの涼やかな顔だ。でも、すげー心配しているのが表情の端々に滲み出ているのがわかってしまう。
「――飲み物をお持ちしましょうか。私は普段、屋敷の書斎で生活しているせいで、この部屋には食料も飲み物も常備しておりません。少々お待ちいただければ何か軽食も……チャールズ?」
 イーハの言葉を最後まで聞かず、俺は首を振る。
 朝からろくなもん食ってないけど、腹なんて減ってない。息を吸って腹に力を込めて、俺は死にそうに恥ずかしい気持ちを全部飲み込む。
「いい。なんもいらない。なんもいらないから、あー……あの、えーとさ。座れ。とりあえず」
「はあ。……貴方がそれを望むのならばお隣に失礼しますが……顔色が相変わらずよくありませんよ。やはり何か食べた方が」
「いいってば。いいから、キスしたい」
 人生で初めてかもしれないくらいに、素直に己の感情を吐き出した。
 こんなこと言うの初めてだ。オンナノコ相手に、こんな恥ずかしい俺を曝け出した事はない。口説いた経験はあるけど、甘えた経験なんてない。
 素直に俺の隣に座ったイーハは、しばらく反応がなかった。
 下ばかり見ていた俺は訝しみちらりと隣を見て、ああもうほんと見るんじゃなかったと後悔する。
 馬鹿みたいに赤くなった十歳上の男の顔がそこにあった。
「…………あんたそんなにわかりやすく顔に出るタイプだった……?」
「一か月で貴方に対する免疫がすっかり薄れているんですよ……手加減してください。私は今相当に浮かれていますからね。ほんの少しの甘い言葉で崩れ落ちて溶けてしまいそうです」
「俺が会いに来てさ、嬉しい……?」
「私が喜んでいないとでも?」
「キレんなよこえーから」
「キレてなどおりません。顔に力を入れていないとだらしない表情を晒してしまいそうなんです。……どう頑張って調節してもあと二か月は貴方に会えない予定でした。もしかしたらあまりにも恋しすぎて鬱憤が貯まりすぎた故に私が私に見させている大変リアリティのある夢なのかもしれませんが、今朝までの私は確かに現実を生きていたと思いますので今現在も現実であると信じたいと思います」
「落ち着けまじで。なんであんた大体完璧なのに時々テンパるんだよ」
「何度も申しますが私はただの凡人です。ミスが嫌いではありますし、見栄を張るのも得意です。ですが私が自我を失くしてうろたえてしまうのは、いつも貴方に関する事ばかりだ」
 一か月振りに聞きたい言葉を存分に浴びて、俺の耳がほんと痒い。どろどろに甘いイーハの言葉は、じわっと指先に痒い。求めていたものをくれる男に自分から抱き着くのは結構な勇気だった。でも顔見て喋るよりはマシだ。
 チャールズ・ヘンストリッジが四年ぶりにマジで恋なんかしちゃったなんて事実、俺だって素面で口にできない。でもここは酒もドリンクゲームもない国だ。理性を人任せに溶かすことはできない。
「俺だって馬鹿なんじゃねーのって思うよまじで……でもさ、無理。一週間目くらいからマジで耐えられなくなって死ぬかと思った。ぼーっとしてるとアンタの事考えてるし、今なにしてんのかなとか思っちゃうし、メシ食うときもアンタのサンドイッチの味思い出しちゃうしさ。もー……どうしてくれんだよほんと……マジで、ほんと、こんなつもりじゃなかったんだよ……」
 こんなつもりじゃなかった。
 こんなに好きになってる筈じゃなかった。
 どんだけそう言い聞かせても我慢が出来ない脳みそは勝手にイーハの事を考える。その度に馬鹿みたいに会いたくなって、結局我慢止めた俺は皆に手を握ってもらって飛行機に乗り込んだ。
「どうしてくれんだ好きだよ馬鹿」
 絞り出すように吐き出した言葉は、イーハの唇に塞がれて食われるみたいに奪われる。
 相変わらずキスがうまくて腹が立つ。まだ冷房が効いていない室内は暑くて、そのせいでイーハの舌も唇もちょっと冷たく感じた。俺の体温が上がっているせいかもしれない。この国は俺には暑すぎるし、恋とか愛とかもやっぱり俺には熱すぎる。
「…………やっぱり夢かもしれませんね。貴方に対するリアリティがなさすぎる。チャールズはそんなことを言わないような気がします」
 唇を離したイーハはものすげー失礼な事を言いやがる。
 容赦なく眉を寄せた俺は、思い切り下唇を噛んでやった。痛い、と軽薄な悲鳴が耳に届く。知るか、と俺はもう一度噛む。
「チャールズ、痛い、あの……痛……っふ、」
「知るかばーか。生意気な俺じゃないと好みじゃねーの? アンタ、好きな子はずっと追いかけていたいタイプ? 振り向いたら興味無くすやつ?」
「とんでもない。振り向いていただけたら存分にその手を繋いで甘やかしたいと思っているタイプです。少し現実に頭が追い付かないだけです。おとといのチャットでは酷く簡素に私を罵倒していたあのチャールズが、私の部屋で、愛の言葉を口にしながら私に凭れかかっているだなんて現実だとは思えないでしょう?」
「チャットで好き好きうふふするようなキャラじゃないだろ俺……いや、まあ、リアルでもそういうキャラじゃないんだけどさ……だってアンタ、俺がちゃんと言葉で言わないと信じないだろ」
「確かに。……ああ、そうですね。私はどうも頭が固い。貴方は決して私を嫌ってはいないし多少は受け入れていただけている、と思い込んでいたせいで、愛を返していただこうなど傲慢だと思っておりました」
「なんか微妙にネガティブなんだよなアンタなー……なんかこう、チリっぽい」
「それは喜んでいいお言葉ですか?」
「馬鹿みたいにポジティブな奴は俺の方が疲れるんだよ。ノルだけで腹いっぱい。アンタくらいがちょうどいい。てか、その……アンタが良い、んだけど、あーもうやめよ言葉の愛情表現やっぱ向いてねーわ俺……」
 正面からぎゅっと抱き着いて、あーあー唸ると同じように言葉に撃沈しているイーハも抱きしめてきた。
 知ってたけどチョロイ。このにーちゃんほんとチョロイ。
 でも俺なんかにサクサク堕とされてるアイルランド人は嫌いじゃない。わりと良い。ここまで来た甲斐がある。
 しれっと何でもないような顔して俺を翻弄してくる大人より、一緒にテンパってわけわかんなくなってる馬鹿なアンタがやっぱり良い。
 もっかい、とねだって溶けるキスをしてもらう。
 何度しても毎回気持ちよくて馬鹿になりそうだ。腹立つ。好き。腹立つけど好きで訳が分からない。
 とろとろに溶けそうな気分そのままに、俺はどんどんイーハに乗り上げる。気がついたらイーハはベッドに仰向けに倒れていて、俺は跨るみたいに見下ろしていた。
 私は貴方に見下ろされると興奮するとかなんとか言ってたの思い出してまたあーあーしそうになったけど、そんな事より今は大事な事があった。
「イーハ」
 腹を決めて、名前を呼ぶ。二度瞬きした男は、馬鹿正直に返事をした。
「はい。なんでしょうか」
「セックスしよ」
「はい、わかりま…………は? え……え?」
「聞き間違いでしょうかみたいな顔すんじゃねーよ。つかまさか延々ちゅーして今日を終える気かよ。んなわけねーよな? それともやっぱ男とそういうことすんのナシ?」
「え、いえ、あの、そんな事は、ないのですがチャールズ貴方その、……貴方こそ、男性にそういう事をされるのは……」
「そりゃトラウマ全然克服してねーけどやってみなきゃわかんねーじゃん。状況違えばいけるかもしんねーじゃん。大体俺はさ、辱め受けたのがトラウマになってるだけで、俺の事好きだとか傅きたいとか言ってくるあほな男相手ならなんかいける気がするし。つかぶっちゃけると誰かほかの女に取られる前に手つけときたい」
「唐突に爆弾発言をしないでいただきたいです私の顔が酷くなる」
「赤いアンタかわいーから問題ない。朝方とかさ、考えちまうの。あーアブダビは今昼かぁ仕事中かぁパーティーとかもあんのかなぁあるよなぁ社交界とかあるだろうしなぁそしたら世界の美女とかそうじゃなくてもキャリアウーマンとか通訳とかそういう女が放っておかないだろうし今事アイツの隣に女がしたり顔で座ってたりすんのかな最悪だなーって」
「情報量が多すぎます。もう少し簡単にしてください私がパンクする」
「アンタを俺だけのものにしたい。そんで俺をアンタだけのものにして。…………駄目?」
 実際ダメな事はないだろうと思ってはいるけど、問題はここがイスラム圏だという事だ。
 しかも俺たちは今、イーハの主であるラティーフの屋敷の一角に居る。クソ真面目なイーハが、主の家の隅で背徳的な行為に及ぶとは思えないし、俺だってフラットの中でそう言う事したくないから気持ちは存分にわかるつもりだ。
 俺の誘惑は万能だなんて思っていない。何よりコイツの強靭すぎる理性は割と好感度高いポイントだ。
 俺が見込んだ頭の固い男が愛とか恋とかに流されて、素直にオオカミに変貌するとは到底思えない。
「あの、私が貴方とそういうことをしたくないという事は、勿論ないのですが。如何せん普段から準備している物もなく」
「ゴムならある。ジェルも持ってきた」
「……イギリスから?」
「だって次いつ会えるかわかんねーじゃん」
 予想通りものすげー微妙な顔したイーハは、十分に赤い顔のまま天井を見上げて存分に時間を空けてから、諦めた様に息を吐いた。
「……チャールズ、もう一度外に出る体力はありますか?」
「あるある。アンタ見てたらわりと元気になってきた。あとこの街くそ暑いのは嫌だけどあんま街中に人歩いてなくて好き。暑すぎるからだろうけど。……男同士でどっかしけこむとこあんの? アブダビなのに?」
「同性でそういう行為に及ぶ専用の場所など勿論ありません。イスラムの国ですから、婚前性交ですら御法度ですよ。ですが隣人の事情に首を突っ込むな、という素晴らしい戒律もあります。それなりの値段のホテルに外国人ぶって入ればまあ、見て見ぬふりをしていただけることでしょう。実際チャールズは外国人ですし、私も厳密にはイスラムの人間ではありませんし。路上でキスをしたら通報されますが、ホテルの一室の中で他人に気づかれなければ通報はされません」
「あー……口塞いでシタ方がいい?」
「マニアックですね。普通にしていただいて大丈夫です。……たぶん」
 不安だ。めっちゃ不安だ。やっぱりコイツがイギリスに来る日まで待ってた方がよかったんじゃないか、と思った俺は突然ある事に気が付いた。
「てかあれじゃん? イギリスとアブダビ間移動しようと思うからさぁ、時間無理だったりするんじゃねーの? 中間で会えばいいんじゃね? ギリシャとか。いやギリシャが中間なのか知らんけど」
「金持ちのプライベートな別荘が多そうですねぇギリシャ……ここから近い国ならばそうですね、トルコ……はイスラム圏ですね。やっぱりギリシャじゃないですかね」
「あ、そうなの?」
「ペルシャ湾近郊はほぼイスラムの国ですからね。アッラーの戒律を避けるならばギリシャまで行かなくてはいけないでしょう。ただ本日これからギリシャへ、という訳にもいきませんからホテルで妥協いたしましょう。というわけでチャールズ、どいてください。貴方がそこで私を見下ろす光景は中々、悪くはありませんがこのままでは私は動けません」
「俺もこの格好割と悪くないと思う。てことは騎乗位が良いって事か?」
「………………想像してしまうのでやめてください」
「ふはは。童貞じゃないくせにさー」
 からりと笑う余裕が戻る。さっきまでは人間の視線と暑さにやられていたのに、俺ってば現金だ。
 最後にもっかいキスをして、イーハの手を引っ張って起こしてからまたキスして笑った。あー。なにこれラブラブじゃん笑える。なんか幸せだからより一層笑えた。
 死んじゃえばよかったな、なんて思いながら生きてるより、恥ずかしくて死にそうだって喚いている方がいいに決まってる。正直生きるのしんどかったけど、死ぬのも面倒くさかったから死ななかっただけなんだけど、最近は普通に人生それなりに楽しいなと思える。それは多分口うるさくて友人思いすぎてウザい愛ばら撒くリトル・ヒューストンの奴らと、勝手に俺の事好きになって勝手にテンパって勝手に傅きたいとか言いやがったアブダビの秘書のせいだろう。
 そう思うから素直に言えるうちに言っとこう精神で、俺はさらっと口にした。
「なんかこう、普通にこの歳までちゃんと生きててよかったなーって思うわ。わりとせーので死にたいなって思ってた時期長かったけど。面倒くさがって死ななくて良かったな」
「……………」
「……え、嘘泣いた? 泣いてんの? あんたそんなに感動屋だった?」
「誰も彼も本当に私を何だと思っているのか。何度でも言いますが、私は年下のイギリス人男性に恋するただの凡人です」
 目頭を押さえるイーハの手を取って、なんか俺も泣きそうな気分誤魔化すようにふははと笑った。


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