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01



 学者という輩はとにかく箇条書きが好きだ。
 仮定も考察もとりあえずは要点を箇条書きにして並べ、長ったるい説明はその下にだらだらと連ねる。これって要するに学者さん達に好き勝手喋ってもらうとどこが重要なのかわからない取っ散らかった長丁場になるからなんじゃないのかなぁ、なんて、僕は勝手に思っている。
 かくいう僕も、お前の話は長いとかどこが主題かわからないとか煩いとか少し黙れとかいい加減落ち着けとか、とにかくその類の言葉を頂戴する事が多い。誰かに何かを説明しようとすると、特にひどい。という自覚は一応僕にだってあるので、僕は学者になりたい普通の二十一歳で決して学者なんていう名誉ある身分じゃないんだけれど、とにかく彼らを見習い敬意を持って、彼らの流儀に乗っ取りこれまでの事実を簡潔に並べ立ててみようと思う。
 主題は決まっている。
 僕こと、オリヴァー・グレイが何故、アラビア半島の端の国の街角で警察っぽいお兄さんたちに取り囲まれているか、ということだ。
 まずは場所。立っているだけでも息苦しいような暑さが喉元まで入り込むこの国は、アラブ首長国連邦。その首都は実は今や世界的にも有名な観光都市ドバイ……ではなく、その隣のアブダビだ。ビーチやショッピングモールや派手な高級ホテルにわき目も触れず、僕達一行は一昨日アブダビの街に降り立った。
 次は目的。僕がアブダビを訪れた目的は観光ではない。通訳の仕事を請け負ったためだ。
 少し無駄話を付け加えると、観光なら何も夏前でも死ぬほど暑くその上断食期間真っ最中のイスラム圏内になんて立ち入らない。
 だって絶対面倒だもの。
 僕は宗教とかそういうものにとても疎くて、別に差別しているとは思わないし尊重したいとも思うけど、とにかくデリカシーがないと言われる。なるべくならば思想宗教政治あたりの人たちとは適切な距離を取っていたいと思う。
 旅行に行くなら種子島かヒューストンがいいし、そうでなければ涼しいところでひたすら本を読んでいたい。
 まだまだ僕には知識が足りない。言葉が足りない。計算する能力だって足りないし、体力ももう少し欲しい。足りないものを補う事に手いっぱいで、とてもじゃないけど観光する余裕なんてない。
 というわけで時間なんていくらあっても足りない所だったけれど、僕の所属している研究施設の職員の紹介で、これも経験だからとか伝手を作っておくのは悪いことではないからとか、とにかく山ほど理由をつけられて半ば強制的に僕はアブダビに一か月滞在する事となってしまった。
 半年前までの僕はただのイギリス人だったので、勿論たしなむ程度の外国語以外は英語を使って生きていた。しかしながら本当に些細な縁でアラブ人の友人を持つ機会があり、アラビア語に関してだけはわりと人並に理解できるただのイギリス人となった。
 人生、何があるかわかならい。確率の神様は何処を向いているのかわからないから面白いなぁと思うし、時々は困るなぁこのタイミングで意地悪されるのはなぁと思う。でも人生とか運命ってまぁ、そういうものだよね、仕方ない。
 仕方ないけど仕方ない、で全て片付けて諦めてしまうと、最悪僕は今ここで人生終了しちゃうかもしれないから話を戻そう。
 ここはアブダビで、六月の半ばで、そして僕はとある共同研究企画に参加するイギリス人天文学教授と宇宙力学教授の通訳として訪問ビザで入国した。ここからが、僕の運命ってほんと酷いなって笑っちゃう不運続きだ。
 不運その一は、どこかの誰かの手違いで、僕の分の宿が手配されていなかった事。
 初めての海外とはいえ、自分の宿くらいは自分で手配すべきだったと反省した。これから先世界中を行き来したいと思うのだから、良い練習だと張り切って、現地のホテルに電話をしたらよかったのだ。のうのうと全て言われたとおりにただ飛行機に乗った僕は、教授を出迎える派手な高級車から降りてきた民族衣装の男性が眉を寄せた時に、初めて嫌な予感という奴を覚えた。まったくもって鈍感だ。そして僕は馬鹿だった。
 一昨日はどうにか安宿を見つけ、昨日はゲストハウスに潜り込んだ。昼間はとにかく通訳で教授に付きっ切りだし、腰を据えてホテルを探している時間の余裕もない。
 前途の二つの宿は安いと言っても割高だ。さすが潤っている国は違う。物価が違う。最終的に経費で落ちる算段は付けたけど、ちょっと流石に、一か月暮らすにはなぁと思って宿を変えようと思ってさっき教授をホテルに送り届けてからふらふらしていたら急に手首を掴まれ、とんでもない力で裏路地に引きずり込まれた。
 あまりの勢いにかぶっていたキャップが取れてしまったけど、僕は本当にそれどこじゃなかった。
 僕の不運その二は、うっかりふらふらしていたら暴漢に目をつけられてしまったことだ。
 この旅の前に、フラットをシェアしている同居人達は口を酸っぱくして僕に言い含めた。彼らはいつも博識で、そして僕は無知が多いからとても助かるしとても心配をかけていると思う。寝る前に暗唱させられるくらいには刷り込まれた言葉を、僕はこの日もきちんと守っていた筈だ。
 かの国では絶対に酒を口にするな(ドバイやアブダビは飲酒をしても死罪とかにはならいしバーもあるけど、運が悪いと観光客でも捕まる)。
 かの国では絶対に昼間に何かを口にするな(僕が入国した日は断食月であるラマダンの終盤で、異教徒はそこまで強要されることはないにしても、日が暮れるまではできるだけ何も口にしない事が望ましい)。
 かの国では絶対に髪の毛を縛っていろ(男が女の格好をすることは罪で、そして僕は筋骨隆々という訳でもないし、その上髪の毛が括れるくらいには長い)。
 ちゃんと守っていたのに、僕の不運は僕が思っていたよりも強めだったらしい。
 衝撃で落としたキャップはそのままどこかに行ってしまって、三人程度の男に抑え込まれた僕は結構なパニックのままもがいて足掻いて蹴ったり殴ったり噛んだり声を出したりして、服を半分くらいはぎ取られたあたりで道行く親切な人が気付いてくれた。
 すぐに警官が来て、全員でどこか屋内に引っ張られて座らされて拘束され、逃げ遅れた二人が何か言い訳をしている間、僕は自分でもびっくりするくらい茫然としていた。順風満帆でずっと幸せだったと胸を張れる人生ではないけれど、そういえばレイプされかかったのは初めてだった。僕のデイバッグは逃げて行った一人が持ち去ったけど、けれど彼らは大きな荷物には手を付けず、まず僕のボトムに手を掛けた。
 アラビアって同性愛禁止じゃなかったっけ?
 ていうか異性であってもレイプはオッケーじゃないよね?
 イスラムって戒律のせいで犯罪に厳しいって言ってたのチャックだっけオフェリアだっけチリコだっけたぶんグレッグじゃないけれど。
 そんなことをぼんやり考えて自失していた僕は、唐突に耳に入り込んできた単語でようやく背筋を伸ばした。
 ジャリーマ、イムラァ、タザーハー、イグラー。
 罪、女、偽る……飛び飛びで聞こえて言葉を拾い、どうにか集中して翻訳した。そうして僕はやっと、僕を襲った彼らが警官に対し『この男が女の格好をして俺たちを誘惑した』と説明している事に気が付いた。
 僕は馬鹿だと自分でも思って生きてきたけど、本当にここまで大馬鹿だと己を罵った事は今回が初めてかもしれない。
 僕は馬鹿だ。無知だし、話は長いし、荒唐無稽な事ばかりに興味が湧いて普段はフラットのみんな以外の人間になんてほとんど興味がないし、だから人とのコミュニケーション能力が馬鹿みたいに低いし、誇れることなんてちょっと宇宙とか地球外生命体とかの話に詳しくてアラビア語が話せることくらいしかない。僕は馬鹿だ。馬鹿だから犯罪に巻き込まれて茫然としているうちにいつの間にか犯罪者になろうとしている。
 僕は馬鹿だけど反省はできるし取り返しが付くものならばどうにか挽回したいという気概はある。努力できる馬鹿だと思う。だからなりふり構わず彼らの言っている事は嘘だと叫んだし訴えたしありとあらゆる単語を動員して全然自重なんかしないで僕は無実ですと喚き散らした。
 僕の不運の三項目目に付け加えてもいいのだけれど、身分を証明するものの半分がデイバッグに入っていた。腰に巻いたポーチを最初に取られるとは思わなかったから。というのは、今となっては言い訳でしかない。
 カード類は無事だったものの、パスポートとビザはデイバックと共に消えてしまった。ついでに携帯もその中だ。先ほどホテルに送り届けた教授の個人的な電話番号を覚えているわけもなく、ホテルに連絡してほしいと訴えても困ったように首を傾げられるばかりだった。
 これはまずい、とてもまずい。イギリス大使館ってどこにあったっけ。ドバイだっけ。まずくない? 遠くない? いやでも、恥ずかしいなんていう理由で渋って逮捕されるのは流石に困る。
 僕は異星人の研究をしているけれど、そうだ、別の国や宗教の人は異星人のようなものだ。
 どんな言葉が通じるのかわからない。放った言葉がきちんと同じ意味を持って受け取られているのかわからない。思考回路の先がわからない。だって彼らは、僕とは違う環境で、僕とは違う人たちに囲まれ、僕とは違う言葉と感覚で生きている。
 そう思った途端、なんだかとても怖くなって、それと同時にちょっとだけわくわくしてしまった。いや、ええと、わくわくしている場合なんかじゃないのは十分承知しているのだけれど。
 そうかこれが環境の違う人たちとの会話なのだ。
 もう僕が何を喚こうが、半分も言葉は通じていないと思った方がいい。そう理解すると同時に、僕はある人の名前を思い出した。
 これはたぶん、今回の不運な旅の中で、最初の幸運だった。そうだ僕は、僕の言葉が通じるアラビア人を知っている。
「……イーハ! イーハ・オコナーって人に連絡してください! ええとたぶんアブダビの石油関係のどっかの会社に勤めている偉い人の秘書だったと思います、イーハ、オコナー!」
 幸運その一。僕にはアラビア語を教えてくれるメール友達がいて、彼はアブダビに住んでいた事。
「誰だって? ……石油って言われても、この国は、石油会社だらけだぞ……」
「パスポートが盗まれたっていうのは本当なのか? まさか、本当に客を取っていた娼婦なんじゃ」
「成人していないのか? 我々のルールを知らないのか?」
「もう、ちくしょう! だから僕は宇宙センターに通ってる通訳で……! ええとわかりましたイーハという名前の人を探し出せとは言いません、じゃあ、ラティーフならわかりませんか?」
「…………ラティーフ?」
 幸運その二。イーハという名前のメル友はそれなりに地位のある所謂富豪と言われる人の秘書であり、彼は主と仲が良く頻繁にその名前を綴っていた事。
「ラティーフ・オマール・アブドゥッラー。彼に、ノルというイギリス人が困っていると秘書に伝えるように言ってくださいお願いします。僕は彼の秘書の友人です!」
 僕の情けない程震える叫び声を聞いて、彼らは暫く話し合った後に恐る恐るといった様子で電話に手をかけた。僕の必死の呼びかけが心に響いたというよりは、お偉いさんの関係者を拘束している事を至極面倒だと思った様子だった。
 それから僕は、ただ時間が過ぎるのを待った。電話を終えた警官らしき男は、助けが来るとも来ないとも言わなかった。ただ困ったように同僚に目配せをしただけで、僕が何を聞いても曖昧に首を傾げた。
 じわじわと、疲労が身体の隅から這い寄ってくる。
 アブダビは暑い。その上湿度がほぼ百パーセントもある。その夏は過ごしにくく、観光客の足も遠のく。湿度の高い夏は汗を逃がさないから体調を崩しやすい。
 言葉では何度も説明されたけど、実際体験するとやっぱり辛い。息苦しい暑い空気をできるだけゆっくりと吸い込みながら、僕は狭苦しい空気のない世界に思いをはせてどうにか意識を保った。
 このまま半日か一昼夜くらいは待たされるものだと思っていたのに、待ち人は思いのほかすぐに現れた。三十分も待っていないのではないかと思う。僕の訴えは正確に、そして迅速に目的の人に伝わったのだと思うと、感動で涙が出そうになった。
「……ノル? あー……オリヴァー・グレイだな?」
 不運始まりの旅で、僕が幸運だったことの、その三は、彼が、僕の名前を憶えていてくれていた事だ。
「まったく酷い恰好だな……君たち、椅子はいいから彼の腕を解いてくれ。それからイギリス大使館に連絡を――」
「そちらはもう済ませました。明日パスポートの再申請とビザの確認をいたします」
「そうか。悪いな、イーハ。本当にお前は仕事が早すぎて気持ち悪いな」
「一言多い愛情表現は嫌いではありませんよ。ノル、平気ですか? 立てますか?」
 僕の前に屈んでくれたのは背の高い白人男性だ。彼の名前はイーハ・オコナー。アイルランド人で、アブダビの石油企業に秘書として勤務している外国人労働者。三十三歳で独身、趣味は辞書を捲る事とウクレレの音楽を聴く事。
 そしてそのすぐ後ろには、絵に描いたようなアラビアの白い民族衣装を纏った男性がいた。
 ラティーフ・ビン・オマール・アル=アブドゥッラー。二十八歳、独身、面倒くさいから一言で言うとたぶん石油王とか言われる人々の一員。
 イーハも背が高いけれど、彼も背が高い。百七十センチの半ばくらいの僕は、若干見下ろされてしまうかもしれない。
 ネットでたくさん見たアラブ人のように、印象的な彫の深い顔立ちだ。琥珀を思わせる肌は、黒いとは言い難いけれど、白人とは違う独特の輝きを持つ。とてもハンサムなのにどこか違和感があって、三秒くらい見つめてからその違和感の正体に気が付いた。彼は他の現地男性が必ずといっていいくらい当たり前に生やしている髭を、きれいに剃っていたからだ。
 黒くて濃い口周りの髭に馴染みのない僕にとっては、彼のつるりとした肌の方が安心感がある。そうでなくても、地位も名誉もある筈のその人はとても丁寧に僕の手の埃を払い、静かに息を吐いた。
 少し甘い匂いがする。このあたりの人は、やっぱり香水をつける文化なのだろうか。僕は香水とかそういう装飾品には、とても疎いのだけれど。
 甘い匂いのするハンサムなアラブ人は、近くで見てもやっぱりハンサムで、多分街で彼とすれ違ったら王子様とか王様とかじゃないかと思ってしまいそうだった。さっきとは違う動悸がしてきて、ちょっとだけ手が震えたけど、僕は努めて冷静になるように息をする。
 頭の中でみんなの声がする。特に、僕の事をとても心配してくれているオフェリアの声。気をつけなさいよ、あの国の人たちは、あたしたちの事をエイリアンだと思っているから。まったくその通りだと思う。彼らは僕にとってエイリアンで、そして僕は彼らにとってエイリアンだから、三回呼吸をしてからありがとうございますと頭を下げた。
 優しい王様は笑わないけれど、怒っているようには見えない。僕が想像しているままの彼ならば、きっと怒らずにため息を吐いてくれると信じていた。
「ようこそ、ノル。この国の事を、嫌いにならないでくれたら嬉しい」
 暑い砂漠の国の王子様めいた彼は、ひどく丁寧に僕の手を取り、小さく優しいため息を吐いた。



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