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最近、妙に売り上げがいい。
「……どっかのインスタで流行ってんのか……?」
特別暑いわけでもなく、何かしらイベントがあるわけでもない。ごく普通の初夏のビーチは観光客で毎日賑わってはいるものの、しがないアイスキャンディの屋台が流行るような要因に心当たりはない。
メディアではなくSNSで流行りが作られる時代だ。個人発信のインスタやフェイスブックが起爆剤となり、どうしてこんなものが? というコンテンツが爆発的な人気になることもある、らしい。
テレビも見なければインターネットに触れる事もない田舎の老人のような生活をしている有磨にとっては、流行のきっかけなど正直どうでもよかったが、それが仕事の売れ行きに関わるのならば話は別だ。
古いスピーカーから流れるラジオミュージックを聴きながら、クーラーボックスの中に残ったアイスキャンディの在庫を確認しつつ、有磨は釈然としない気持ちで首を傾げた。
「ついに俺の時代が来たか?」
自重気味に呟いてみるものの、勿論本心ではない。
正直なところ、四年間も同じアイスキャンディを売って生活できている現状がおかしいとさえ思っていた。菓子職人を目指していたわけでもないし、料理が得意なわけでもない。この四年間有磨が作り続け観光客に売りつけているアイスキャンディの味は、ひいき目に見ても普通だと思う。
他のアイスキャンディと違うところがあるとすれば、少し奇抜なカエルのフォルムをしていることくらいのものだ。
カエルを模したアイスキャンディを売る事。それが、有磨が立ち上げた企業と名乗ったら世界の起業家に怒られそうな小さな屋台、フロッグマンアイスの仕事だ。
正直フロッグアイスだけではあまり売上は見込めず、今はジェラードからシェイクまで扱っている。下宿先のダイナーの奥方が作る冷たく凍ったプリンが目玉と言っても過言ではない状態で、カエルの名前を付けたただのアイス屋というのが現状だった。
それが何故か、この数日やけにメイン商品の売り上げがいい。
いつも数本残ってしまうフロッグアイスを齧りながらとぼとぼと帰路につくというのに、三日前からは日が暮れる前に売り切れてしまった。
地道な商売が実った、などとは思わない。
そもそも一見さんばかりの観光客が購買層だ。やはり誰かが口コミで広げたとしか考えられないが、何度見てもただのカエルの形をしたフロッグアイスに特別な魅力を感じない。作って売っている有磨がこの調子なのだから、どう考えた所で売り切れの要因などわかるわけがなかった。
まあ、売れないよりはいいか。
そう思う事にした有磨は、順調にフロッグアイスの在庫を減らしつついつものように浮ついたビーチ・シティの片隅で欠伸をした。
目前の海はキラキラと輝く。綺麗だな、と思うには思う。しかし泳ぎたいだとかはしゃぎたいだとかましてや誰かとその海の素晴らしさを共有し共に遊びたいだとか、そんな事は全く考えられない。
恋人はいない。ビーチは出会いで溢れているように思われがちだが、異国のアジア人で、目つきが悪く背も低く、その上ゲイな有磨に有益な出会いはそう簡単には転がってはいなかった。
そもそも有磨は、恋などしている場合ではない。本当はビーチでアイスを売っている場合でもないのだが、先の事を考えると胃の痛みで立ち上がる事すらできなくなりそうで、言い訳ばかりで頭を満たして何も考えないようにした。
これだから知人友人に屑だと言われるし、全くその通りだと思う。アメリカのビーチで特に何の目標もなくただひたすらカエルのアイスを売る二十九歳男が、屑でないわけがない。
せめて清潔で誠実そうな見た目ならばまだしも、有磨は自分の外見が決してスマートではない事を知っている。
髪の毛は日本人男性にしては長めだし、前髪の毛先には少々緑のメッシュが入っている。髪型に関してこだわりはないものの、下宿先の友人が煩く指定してくる。
前髪が長いと視界が隠れて面倒な為、普段はピンやヘアバンドで視界を確保している。それがまたナンパな外見に拍車をかけていたが、勝手に髪を切ると何故か怒られるので仕方ない。
どう見ても、夢も希望もないヤンキーの露天商だ。
自覚があるだけに、有磨は苦笑いですべてを棚上げするしかない。
ラジオからは軽快なアバが流れる。アメリカンドリームの象徴のような陽気な曲はビーチにはお似合いで、そして有磨にはひどく不似合いだ。
明るい日差しの下で思う存分憂鬱に浸った有磨は、よっこらせとクーラーボックスを締め、今日の売り上げをまとめて屋台を畳み、すっかり無くなったフロッグアイスに気分を良くするどころか首を捻りながら帰路についた。
有磨の下宿先であるダイナーは、ビーチのメインストリートの裏にある。
いつもよりかなり早く店じまいした有磨は、ダイナーの裏手に回り外付けの階段を半分まで上がったところで急に足を掴まれた。
「ひっ……! お、ま……ケイティ、お前、窓から俺の足掴むのほんとやめろっ言ってんだろびっくりホラー嫌いだっつってんだろーが……!」
階段の横の窓から身を乗り出した少女に向かって怒鳴るものの、当のケイティは悪びれもなくいつもの眠そうな冷めた目線を寄越すだけだ。
有磨が間借りしている部屋の下に住む、所謂大家の娘であるケイティは、いつも窓から乗り出して有磨の足を掴んで引き留める。
何度その罠にかかっても、つい有磨は警戒をせずに階段を登り、そして無様な悲鳴を上げてしまった。この友人は、慌てる有磨の声が好きだと公言しているから性質が悪い。
「帰ってきたら日本人らしく『タダイマー』って言えって言ってんじゃん」
「表から入るとエマの邪魔だろ」
「マンマはアルマにオカエリって言うの好きだからいいんだよ。タダイマオカエリってほんと最高な日本語。最高。超クール。世界に誇っていい。またオネーサンから電話きてたよ。アルマ今いないって答えといたけどほんとさ、いい加減自分の携帯持った方がいいよアルマ。あたしの携帯にかかってくる電話、ほとんどアルマ宛なんだけど。電話係じゃん。ケイティ、アルマの電話係じゃん」
「電話係じゃなくてトモダチだろ悪かったよねーちゃんには後で折り返すし時差と俺の仕事時間もっかい言っとくよ。話はそれだけ?」
「あとアルマに客来てる」
「客? ……俺に?」
それを先に言えと言う前に、有磨の眉が寄る。
ただでさえ剣呑な顔が余計に物騒になるが、有磨にすっかり慣れたケイティは特に気にした様子はない。
普段から非社交的な有磨には、友人などほとんどいない。いたとしても日本の学友や昔の職場の仲間程度で、アメリカ人の友人といえば今目の前で眠そうな顔を晒しているケイティくらいしかいない。
有磨が客とは誰だと聞く前に、ケイティは首を傾げて口を開く。
「なーアルマはさー、ミッチェル・ウォーカーって知ってる?」
「ミッチェ……あ? 誰だそれ」
「まーそうだよなー知らないだろうなーと思った。ネットもテレビも映画も観ないんじゃなー情報枯渇して死にそうにならない?」
「情報溢れてるほうが死にそうになるからいいんだよ。ニュースならラジオと隣のホテルのじーさんの噂話のおこぼれで事足りてんの」
「グーグルの無い生活信じられない……調べたい事あったらどうすんの」
「ケイティに聞く。するとケイティがグーグルを開いてくれる」
「うわーケイティあれじゃんーアルマの電話かつグーグルじゃんー。便利なケイティちゃんじゃんー。仕方ないからー便利で優しいケイティちゃんがーケイティちゃんのアイパッドを貸してあげようほらこれMr.ミッチェル・ウォーカー」
「うん?」
ぬっと差し出された平たい端末に表示されているのは、どうやら個人のSNSのようだ。
インターネットに疎いどころかこの数年触れてもいない有磨には、その画面がフェイスブックなのかインスタグラムなのかその他のサービスなのか、さっぱりわからない。
わからないが、どことなく見覚えのある白人男性が、とても見覚えのあるアイスキャンディを手に持って笑っている様子はしっかりと確認できた。
どう見てもそれは、有磨が毎日嫌と言うほど売っているフロッグアイスだ。
原色に近い緑色と紫色がマーブルに混ざり、中々に毒々しい。少し黄味掛かった独特の写真色調のせいで、もはやカエルの形をした禍々しい何かとしか言いようがない。
「…………え、うちのアイスじゃん。何これ有名人? ……あ、最近妙に売り上げが良かったのはこのおにーさんが俺のアイスを宣伝――――っあ!?」
男性の顔に見覚えがあるのは、彼が芸能人か何かだからだと思っていたがしかし、有磨は実際の彼に出会っている事をようやく思い出した。
こんなに爽やかな笑顔ではなかったし、真正面からきちんと見たわけではないので思い当たるまでに時間がかかった。あと一か月もすればきっと、思い出す事もできなかっただろう。夕暮れのサンタ・カタリナ島で一瞬だけ言葉を交わした客の顔など、覚えている方が奇跡だ。
しかし確かにそれは、ぼんやりと海を見つめていた背の高い白人男性の顔だった。
サイドを刈りあげた髪型は流行りらしく、のちにケイティが無駄に教えてくれたのだがあれはショートサイドアンドバックというらしい。顔のパーツは派手なのに、全体的に優しい印象だ。少し目が垂れぎみだからかもしれない。
大きな口はきゅっと口角が吊り上がり、まるで女性のように笑う人だと思う。サンタ・カタリナの港をぼんやりと見つめていた時の彼は、勿論こんな風に笑ってはいなかった。
「思い出した?」
「あー……あー、思い出した。思い出したわ俺あれだ、サンタ・カタリナ島にエマのお使いでほら、プリン納品に行ってさ……ついでに、ちょっと商売しようと思ったんだけどこれが笑える程売れなくて、もう捨てて帰ろうかなって思ってたんだわ……。思い出した。俺が捨てようと思っていた売れ残りを五ドル払って引き取ってくれたカエルのおにーさんじゃん……何、この人有名なの……」
「ミッチェル・ウォーカー、二十九歳。出身はカリフォルニア。配偶者無し。母は女優のヴァネッサ・ウォーカー、妹も女優のイヴ・サランデル。音楽学校を卒業後、マイルズ・ラウスと共に舞台音楽を中心に作曲家として活躍する。昨年公開したミュージカル映画『リトル・リトル・キッチンガール』で大きく評価され、アカデミー賞も総なめした。……ってウィキに書いてある」
「作曲家? 俳優とかじゃねーの?」
「残念ながら演技の才能は僕にはなかったんだよねぇ」
唐突に投げられた声は、ケイティのぶっきらぼうな声ではなく、少し甘い抑揚のついた男のものだった。
外付けの簡易な階段に座り手元の端末を眺めていた有磨は、いつの間にか窓から身を乗り出す人物が二人になっていた事に気が付かなかった。
ケイティの身体を避けるようにひょっこりと窓に手をかけた男は、インターネット上の画像と同じように口角を上げて魅力的に笑った。
「やぁ、こんにちはフロッグマンアイスの人! 先週はどうも、命を救ってくれてありがとう」
「………………えーと……どうも……お元気そうで、あーっと」
「キミのフロッグアイスのお陰でさ、なんだか人生悩んでいたのが半分くらい解決しちゃったんだ。だからちょっとお礼と、あとどうしても伝えたい事があって、ごめんね勝手にネットでキミの事調べたり訊いたりしちゃったんだけど」
成程、やはりこの男のおかげでやたらと売り上げが上がっていたらしい。
俳優やミュージシャンなどの分かりやすいスターではないようだが、著名人ではあるらしい。ケイティの端末でさらっと画像検索してみたが、レッドカーペットの上で笑うミッチェルの画像がそれなりに引っかかった。恐らくSNSを見ているファンや知人も大勢いる事だろう。
そこで名前や商品を出されれば、ミーハーなファンや頭の隅に残っていた人々は、噂のカエルアイスを買ってしまうかもしれない。
この数日の謎が解け、有磨は若干すっきりした心持ちだった。
大して美味くもない普通のフロッグアイスが、まさかなんの努力もなく軌道に乗り人気になる事などあり得ない。どうにも気持ち悪いような気分でアイスを売る毎日に、やっと理由が付いた。タネが明かされてしまえば、有名人に宣伝してもらってむしろありがたいという気持ちが残った程度だ。
「いやもう、全然、なんてーか、むしろありがたいんでいいんだけど。俺、命を救った以外になんかしましたかね?」
ミッチェルの前で縮こまるケイティが怪訝な顔をして初めて、あまり人生で縁のない言い回しをしてしまったことに気が付いた。
命を救うだなんて大層な事はしていないが、本人がそう言っているので言葉遊びに乗っかっただけだ。しかし命以上に大事な用件って何だと訊いてしまった有磨は、改めて言葉のおかしさに苦笑した。
そして有磨は、次のミッチェルの言葉を聞かなければ良かったと数日後悔することになる。
何ならこの日ケイティの手を振り切って逃げるべきだったし、もっとさかのぼるのならばサンタ・カタリナ島で死にそうな顔で海を眺めている男に声をかけるべきではなかった。何も見ないふりで通り過ぎ、余った一ダースのアイスキャンディは素直に捨ててしまえば良かった。そうすれば、この先の言葉を聞くこともなかったのだ。
窓から身を乗り出したミッチェルは、爽やかに、にっこりと笑う。親族が俳優業をやっているだけのことはある、誰もが振り向く美丈夫というわけではないが、愛嬌のある魅力的な笑顔だ。
「あの島から帰った日から、どうしても、キミの声が耳から離れなかったんだ。三日間くらい忘れようとして、四日目に諦めて、二日間考えて、一週間目でようやく結論を出したんだけど、僕はキミに恋をしちゃったみたいなんだ」
「――――は?」
「というわけで、トモダチから始めてほしいんだけど。ダメ?」
ダメだと、咄嗟に言えなかったのは単に頭の処理が追い付いていなかっただけだ。
足を止めなければ良かった。聞かなければ良かった。あの日島で声をかけなければよかった。悔やまれる事は山ほどある。
しかし暫く無言で茫然としていた有磨の前で、やっぱり駄目だったかなぁと首を傾げる同い年の男の仕草に一瞬だけ目を奪われた事が、この日一番の不覚だった。
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