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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -




08



「お前ら、今日オフにしていーぞ……」

朝一番のマイルズの声は、旅の疲れ以上の疲労を滲ませ、若干投げやりでもあった。

車の中の荷物整理を手伝っていた有磨は、ミッチと顔を見合わせて苦笑する。
このところ、撮影に関して随分と苦心し悩んでいる事を知っている為、迂闊に笑ったりはできない。

本人の自己申告にあるように、マイルズは口が悪く思った事を割とそのまま言葉にする。己の短所を心得ている為、今のは言い過ぎだと諫めれば素直に謝るが、マイルズの性格を知らなければただ腹の立つ男と捉えられてしまうかもしれない。

どうも配役の一人と揉めているような気配は察していた。

基本的に有磨は、マイルズとミッチの仕事にはノータッチというスタンスで、誰にでもできるような雑用をこなしている。当初は二日程度で帰路につくつもりだったが、気が付けばもう四日目の朝を迎えていた。

マイルズは口が悪くても悪い男ではないし、身体を動かす雑用は割合嫌いではない。何よりミッチとの旅は想像以上に心地よく楽しい。
元よりあまり悩まずに楽しい事だけ考えよう、と思い出発した旅ではあるが、初日の夜にミッチとベッドを共にしてから、有磨は完全にリラックスして彼の隣で過ごす事ができた。

何かが吹っ切れたような気がする。うだうだと悩み、先の事を考えても仕方ないと思えるようになった。
素直に旅と雑用バイトを楽しむ有磨とは裏腹に、マイルズは目に見えて疲労していく。

「僕は別にいいけど……まさか、グレッグ本当に帰っちゃったの?」
「知らん。いないってことはそうなんじゃねーのか」

呆れたように肩を竦めるミッチは、俳優の子と喧嘩してるんだよと有磨に小さく耳打ちした。現在一行はレイクパウエルに滞在している。空港があるとはいえ、本当に一人で帰ったとは思い難い。
一人でシナリオを考え直すと言ってきかないマイルズをレイクパウエルに残し、ミッチと有磨は車に乗り込み八十九号線から州道に入った。

有磨は時折自由時間をもらってはいたが、基本的にミッチはマイルズと共に一日中映画製作の現場にいた。
二人そろって暇になる頃には日も落ち、自称体力がない音楽家は思いのほか早くベッドに沈んでしまう。二人きりの場合は少々じゃれ合う時もあったが、丸一日暇なミッチを独占できる機会などなかった。

降って湧いた休日は、ありがたく有意義に消費したい。
ミッチも有磨もマイルズの事を案じたものの、煩いから早くどっか行ってデートでもしてこい、と追い出されてしまえばどうしようもない。
緩やかに車を走らせながら、凝り性なんだよねぇとミッチは苦笑した。

「一人で全部やらないと納得できないみたいでさ。僕なんかは、自分が出来ないことは喜んで他人に任せちゃうんだけど。マイルズは駄目みたい」
「あー……俺も、どっちかっつったらマイルズ寄りかも。他人に任せんのが不安っていうか、自分でやった方が簡単っていうか、相談すんのも面倒っていうか。……ところでどんな映画撮ってんの?」
「えーと……西海岸に住む少年がオーパーツの謎に巻き込まれて、インディアンと共に古代の恐竜の末裔と戦うんだけど、確か主人公は実は忍者の継承者で、ハーフエルフのヒロインと共に滝で修行を……みたいなところまでは僕もちゃんと台本読んだよ。その後は知らないけど」
「…………ぶっこみすぎじゃね……?」
「僕もそう思う」

あははと笑って、ミッチは緩やかにステアリングを切る。
どう考えてもB級以下の映画のあらすじだ。レンタルDVDショップで目にしたら、その場で大いに酷評してしまうだろう。観なくてもひどい出来だと想像できてしまう。

有磨の言いたいことを察したように、運転席の優しい男は相変わらずふんわりと苦笑した。

「うーん。マイルズ本人も言ってるけど、やりたい事がイコール才能ある事ってわけじゃないよね。マイルズはただの音に最適な歌詞をつける天才だけど、一からお話を作るのはちょっと、難しいのかも。向いてないなって最近ずっと言ってる」
「でも、映画作ってみたかったんだろ?」
「そう言ってたよ。数分の歌の詩だけじゃなくて、最初から最後まで自分が考えた物語を作りたいって」
「……ミッチは、そういうのねーの?」
「ん? そういうのって?」
「なんつーか……他の仕事がしてみたい、とか」
「あー。どうかなぁ。僕は音楽もミュージカルも好きだからなぁ。他の何かをしようとか、あんまり考えたことはないかも。アルマは、アイスを売る以外に、なにかやりたい事あるの?」
「……やりたい、っつーか、なんとなく始めた仕事だし、特別アイスが好きってわけでもねーし……他人に何かを売りつける販売業は、嫌いじゃねーけど」
「アルマ、結構いろんな人といきなりフラットに話すもんねぇ。ガイドとか、結構ハマるんじゃないかなー。車の中からあれこれ説明してくれるの、面白くて楽しいから好きだよ」
「ガイドねぇ……」

悪くはない提案ではある。有磨は人間が嫌いではないし、話すことも割合好きだ。世界遺産とは言わずとも、街の名所を案内する役は想像するだけなら十分にやりがいのある仕事に思える。

それは、有磨がこの先もアメリカの西海岸のビーチで生きていくとしたら、という話だ。

「ところで、この車どこに向かってんの? アンテロープキャニオン?」

人生の岐路から目を逸らし、有磨は現実の広大な大地に目をやりあたりを見渡す。助手席から見える景色は相変わらず壮大で、ドライブだけでも充分に価値があると思える。

レイクパウエルからほど近い位置にあるアンテロープキャニオンは、神秘的な地層が重なり、練り上げられた飴細工のようになった洞窟だ。アッパーアンテロープはガイドと一緒でなくては見学できないらしいが、ロウアーアンテロープは立ち入り自由の筈だった。
近場の見どころと言えばその程度しか思いつかない有磨だったが、ミッチはけろりとした笑顔で思いもよらない目的地を告げた。

「んー。モニュメントバレーまで行こうかなって思ってるんだけど」
「……は? え、ちょ……待て。待て待て、モニュメントバレーって、ユタ州、じゃなかった!? 遠くね!?」
「えーそんなことないよ。ここから四時間くらい、の筈。たぶん。今日中には帰って来れるでしょ。別に夕飯までに帰ってこいなんて言われてない筈だし」
「四時間……」

確かに、東京を出発するとして高速道路をつかわなければ仙台あたりまでその程度で行けるかもしれないし、仙台日帰りだと思えば悪くはない日程だと思えなくもない。
思えなくもないが、遠いものは遠い。
絶句する有磨に対し、朝から変わらず機嫌がよさそうなミッチは、長距離運転は随分慣れたと笑う。

「まあ、途中で具合が悪くなったりハプニングがあったら引き返すことにして、とりあえずは目指してみるよ。アルマ、雄大な風景、みたいな感じが好きでしょ? ノースリムで、ビューポイントでずっと谷を見下ろしていたし」
「確かに、好き、だけど……日本ってあんま、地続きででっかい平原があったりでっかい岩がごろんと横たわってたり、そういう風景ってあんまないし……好きだけど、遠い……」
「大丈夫大丈夫。疲れたら寝てていいよ。ついたら起こすからさ。僕は、キミが横に居てくれるだけでものすごく元気だし、時々ちょっと奮発してキスしてくれたらそれで疲れなんて吹っ飛んじゃうから」
「アンタどんだけ俺の事好きなんだよ……」
「ポイントは稼げるときに稼いどかないとね。いくらアルマが他の人よりちょっと僕の事が好きかもしれなくても、懐かしい日本の地を踏んだらもう暑くて砂っぽい海岸の街なんかこりごり! って思っちゃうかもしれないしさ。っていうすごく打算的な好意だから、アルマは気にしないで僕の下心丸出しの好意を受けてほしい」
「…………その、あー……全部口から出ちゃってるとこ、割と好きだよ馬鹿……」

へなへなと運転席の男に寄りかかるように崩れ落ちた有磨は、俺の事好きすぎかよと笑う。
相変わらず、自分の何がこの男を虜にしているのかまったくわからないが、いい加減その全身と口から垂れ流される好意を疑ったりはしていない。
何よりサウスリムでの夜、ミッチは信じられない程丁寧に、愛情をもって有磨を抱いた。あまりにも丁寧すぎて有磨がもうやめてくれと懇願したほどだ。

欲望だけを追いかける男もいなくはない。そういう男が総じて悪いわけではないが、大切にされれば勿論嬉しいと思う。

うっかり甘い夜を思い出し、ただでさえ暑い車内の気温が上がったように感じた。
窓を大きくあけて、外の風を感じる。日本のじめじめとした夏の空気とは違い、大陸の夏は日差しは強いものの風は乾いて気持ちいい。

その分水分補給に関しては気を付けないと、すぐに脱水症状に陥ってしまう。
ミネラルウォーターのペットボトルを開け、有磨はギアを握るミッチの手を上から握った。

息を飲むような空気が左側から伝わってくる。
一々動揺する様子が可愛いと思うのは、暑さに頭がおかしくなっているせいではない。

「俺さー、たぶん、近々日本に、帰ると思う」
「…………え、冬を待たずに?」
「うん。なんか、ねーちゃんの旦那の容態があんまよくないらしくて。顔も見た事ないけど一回くらいは見舞い行っとくべきだし、全部終わってから堂々登場するってのも人としてどうかと思うし。いや旦那さんできれば生きてほしいしそうなるように祈ってるけど」
「それは勿論、ぜひ回復してほしいけど」
「でも、帰ってくる……と、思う」
「……この国に?」
「うん。まあ、どうなるかわっかんねーけど」

一度帰って、家族と話そう、と決めたのは昨日の事だ。
モラトリアムをギリギリまで堪能して帰国するよりも、断然そのほうがいいだろう。見たくない現実を見ないまま、流されて生きてきた。そんな人生はもう終わりにしようと思えたのは、マイルズとミッチを見ていたからかもしれない。

うまく行かなくてもやりたい仕事に挑戦するマイルズ。
プレッシャーを受けつつも音楽が好きだと笑うミッチ。
二人の男は、だらだらと海岸でアイスを売る有磨に、少なからず影響を与えた筈だ。アイス売りが悪いとは思っていない。やりたい事を仕事に出来るわけではない。しかし、このままでいいとは決して思えない。

「ふつーのさ、携帯とかパソコンとかじゃなくてさ、ほら、ご自宅の……ああいう電話で、日本からアメリカって電話繋がるんだっけ?」

唐突な有磨の問いかけにも、運転席のミッチは快く答えてくれる。

「大丈夫だよ。ええと、国際電話とかで、手続きがちょっと必要かもしれないけど……たぶん、ケイティに訊いたら詳しく教えてくれると思う」
「…………向こう行ったら、あー……電話、していい?」
「勿論。勿論だよ。時差なんて気にしないで、いつでも電話して。なんなら僕がそっちの時差に合わせて生活してもいい」
「体調崩すからやめろ。また耳がおかしくなったらアンタのファンになんて言い訳したらいいかわかんないからやめろ。アンタのその馬鹿みたいに甘いところ好きだよ馬鹿」
「ありがとう。僕もアルマに好きって言ってもらえると馬鹿みたいに嬉しいからもっと言ってほしいよ大好きだよ。キミの事が大好きだ。だから、この撮影から帰っても、ええと……僕の事を、ミッチって呼んでくれる?」

控えめで、静かな要望だった。

これからも名前で呼んで、などと言うこの男はどうしてこんなに愛おしいのだろう。勿論そのつもりだと答えながら、有磨は重ねた手をぎゅっと握り直した。



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