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「#年下攻め」のBL小説を読む
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07


 贈り物のセーターとジーンズに着替えてからの出来事は、ひどくぼんやりとして曖昧だった。
 ジョゼのとんでもない告白をうっかり聞いてしまったイージーは、どんな顔で座っているべきなのかさっぱりわからなかった。
 食事は喉を通らないし、飲み物も味がしない。進められて飲んだグロッグも、酒なのかソフトドリンクなのかもわからなかった。
 当のジョゼがどんな顔をしていたのか、イージーは知らない。イージーは暗記できる程延々と、ソーダのラベルを見つめていた。ジョゼの顔をちらりと見ただけでも、熱病に浮かされたように首から上が熱くて死にそうになったからだ。
 上の空の内に過ぎていったささやかなパーティーは、二時間程でお開きになった。
 ノルウェーのクリスマスの夜は家族の時間だ。ジョゼは恐らく、スヴェンとアニータ夫妻の時間に配慮して、まだ夜も更けない内に切り上げたのだろう。
 名残惜しそうなアニータにコートを着せて、頬にキスを受けた。明日報告してね、と彼女は嬉しそうに笑った。揶揄う為でも、好奇心を満たす為でもない笑顔は、イージーをより一層むず痒い気持ちにさせる。
 外階段の上から二人に手を振り、夜の冷たい空気に震えて息を吐いても、まだ顔は熱い。
「…………キミは、随分ごくごくとグロッグを飲んでいたけれど」
 先に言葉を放ったのはジョゼだった。白い息を吐きながら、玄関のドアに凭れ、腕を組んでいる。随分と上にある彼の顔はまだ見れなかったので、イージーは彼の長く骨ばった指を見つめながら言葉を探した。
「ええと……そう、かな。あれ、そんなに強いお酒なの?」
「いや、そうでもない筈だけれど。僕はそもそも、酒自体をあまり飲まないから、あれしきのグロッグでもきっと正体を無くしてしまう。キミは、酒に強いのかな」
「……わからない。でも、確かにちょっと、ふわふわするかも」
「酔って火照っているのはお互い様か」
「ジョゼは、お酒飲んでないんじゃないの?」
「飲んでいない。キミの可愛らしさに理性がおかしくなりそうなんだ。……ほらそうやってすぐ素直に照れるから、僕が図に乗ってどんどん横暴になるんだ。理性がもう擦り切れそうだ。――ちょっと、散歩しないか?」
 酔い覚ましだと、ほのかに笑った気配がした。
 いいよと言う前に、コートを着せられる。玄関先で靴を履くと、ジャケットを羽織ったジョゼに、ごく自然な動作で手を引かれた。
 この一か月、家から一歩も出なかった。一階の店には、室内からも階段で降りられるようになっている。店を閉めた後に使う二階と外を繋ぐ階段は、登ったことはあるが、下った事はない。
 おっかなびっくり足を踏み出し、着地した地面はうっすらと白いものが積もっていた。
「雪だ」
 思わず口から零れた言葉に、ジョゼは白い息と共に答える。
「まだ、積もるような時期じゃないけどね。ちらちらと降ったり溶けたりするだけだ。来月になれば、いやでも毎日雪を見る事になる。この街は毎日凍る程は寒くないが、残念ながら雪はわりと降る。歩ける?」
「うん」
「寒くない?」
「……寒い、けど、大丈夫」
 ジョゼは、イージーの手を握ったまま歩いた。
 普段窓から眺めている街並みは、少なからず人で溢れている。それなのに今日は驚くほどに誰もいない。
 素直に何故かとジョゼに問えば、彼は手を繋いだまま、歩みを止めないまま家々を指さす。
「クリスマスの夜だからだ。今日は皆、昼過ぎに仕事を終えて、買い物もすっかり済ませて、家族で家に引きこもる。別にサンタに襲われるからじゃない。家の中が一番暖かく、一番和やかで幸せな日なんだ」
「ジョゼは、……」
 家に居なくていいのか、と思ったがすぐに、彼は一人だったと思い出した。すぐに失言に気が付き口を噤んだイージーだったが、当のジョゼは気にした風もなく、寒空の下足を進める。
「僕は共に引きこもる家族がいない。それはまあ、事実だからあまり、気にしないでいい。僕は孤独が友達だから、なんて言うからスヴェンがへそを曲げるってことを知っているから最近は黙ることにしていたんだ。でも、今日は孤独じゃない。キミがいる」
「……でも、ぼくは」
「キミは記憶も身元もわからない外国人だから、僕の家族にはなれない?」
 冷たい風と共に、体温が一気に下がった。
 足を止めたジョゼが、じっとこちらを見つめている気配がする。イージーはうっすらと白くなった地面と、彼の足跡を見つめることしかできない。
 息をするのも苦しい沈黙の中、イージーは自分たちがどこにいるのか、ついに気が付いてしまった。
 そこは、イージーが身体を売るために立ち、そしてジョゼがその手を取った場所だった。
 周りが暗いせいか、それともたいして記憶にないせいか、すぐには思い出せなかったが、間違いない。
 息が止まる思いだった。
 本当に呼吸を忘れていたのかもしれない。
 気が付くとイージーはジョゼにもたれ、彼の暖かい手に背中を撫でられていた。
「……ごめん、キミが、そんなに動揺するとは思わなかった。僕が悪い。場所を移動しよう。……何となしに、始まったのはここだったな、と思って足を止めただけなんだ。そんな絶望的な顔をしないで」
 肩を抱いて歩みを促すジョゼに、イージーは従わなかった。
 足は棒になったように動かない。
 暖かい夢から覚めたような気持ちだった。
 動けないイージーに対し、ジョゼはただひたすら優しく背中を叩いた。子供をあやすような柔らかな仕草が、イージーの涙腺を刺激する。
「僕はここに、キミを捨てに来たわけじゃない」
「……でも、あなたは、ぼくをここに置いて帰ることもできる」
「できない。そんな愚かな事は、僕にはできない。もう一度、熱を冷ました冷静な気持ちで、キミに伝えたかっただけだ。だから僕は外にでた。それだけだ」
 イージーの頭上から、低く暖かい声が落ちてくる。正面から抱きしめられ、どうしていいかわからないイージーは両手を中途半端に上げる事しかできない。
「キミの事が好きなんだ、イージー。できることなら僕は、キミの唇に触れる許可がほしい」
 耳に甘い告白だった。
 彼の甘い声を聞きながら、どこからどこまでが都合の良い夢なのだろう、と考えた。ジョゼの声は真摯で、とても誠実で、冗談を言っているようには思えない。ならば全てが夢なのかもしれない。そうだとしたら、いつから自分は都合の良い夢を見ているのだろう?
 本当はジョゼに抱いてもらったあの日、自分は自殺に成功していたのかもしれない。もしくはうまく頭から落ちたものの、死ぬことは出来ずにずっと眠っているのだろうか。
 都合の良い夢でなければ、素性も何もかもわからない、何もかもを偽って隠している自分に、この真面目な異国の人が愛の言葉を囁いたりはしない筈だ。
「キミを泣かせるつもりで、散歩に誘ったわけじゃない。悪かった。きっとキミが思い出したくない事を、僕は突き付けてしまった」
 ジョゼの言葉で初めて、イージーは自分が涙を零している事を知った。だらだらと、生暖かい液体は頬を伝い、火照っていた筈の肌を急速に冷やしていく。
 涙で冷えたイージーは、ついに意を決して口を開いた。
「――……あなたは、ぼくのことを、きっと、誤解してるから、そんな風に優しくしてくれるんだと、思う。そうじゃなかったら、これはきっと夢だよ」
「現実だ。僕の生まれて初めての告白はキミの夢じゃないし、僕は誤解もしていない筈だ」
「でも、ぼくは……」
「キミは記憶を失ってなどいない。あの日僕の家の窓から落ちたのは事故じゃない。キミはあの日、死のうと思ったんじゃないか?」
「…………っ」
「待って、逃げないで。何度も言うが、僕はキミを傷つけるつもりはないし、この手を放すつもりもない。だから呼吸をしてイージー。息を詰めていたら死んでしまう」
 抱きしめられたまま何度も背中を摩られ、イージーはやっと深く息を吸った。何度か思い切り息を吸い、ゆっくりと吐く。
 そうしているうちに浮かれ切った熱も、絶望的なパニックも、どちらもゆっくりと収まった。気持ちが、さらりと平らになる。
 しばらく感情と現状を整理した後に、もう一度深い呼吸を意識した。
 吸って吐く。そして思い切ってジョゼを見上げる。そこにあったのは、いつもと変わらない無機質で朴訥とした優しさを持ち合わせた、年上の男の顔だ。
 ジョゼは当たり前のように優しい。大声で笑ったり、にこにこと笑顔を振り撒いたりはしない。けれど彼の顔に出ない当たり前の優しさを、イージーは愛していた。
 彼の事が好きだから、現実を見るのが嫌だった。
 彼に嘘をついていることが嫌だった。いつか彼から離れなくてはならない、その時を思うともう何も考えたくなくなり、ただベッドの中で丸まっていたいと思った。
 この気持ちが恋と呼ばれるものなのかどうか、イージーにはわからない。それでも、愛情であることは確かだ。
「僕はキミが何者でももうかまうもんか、と思うくらいにはいかれているんだよ。素性を隠していたっていい。言いたくない過去は僕にだってある。もし、この国に来た経緯や過去の事で不安があるなら、それは力になりたいけれど。あの時もしキミが自殺を図っていたとしても、今はもう死ぬ気がないのであればそれでいい。まだ死にたいと思っているのなら、僕は僕の為にキミの自殺を食い止めるだけだ。ええと、あとは、何か言うことはあったかな……だめだな、僕は。焦ってしまうと、言葉がうまく纏まらない」
「……あなたは、いつも冷静に見えるよ」
「装っているだけだ。胸の内はいつだって面倒くさいくらいに迷ってうだうだとした言い訳で満ちているよ。僕には恐らく、もっとシンプルになることが必要だ」
「もっと、簡単に?」
「そうだ。もっと簡単に、さらっと生きたい。そしてキミも、悩む事は止めてシンプルに、簡単に考えてみたらいい。全部一緒に考えるから訳がわからなくなって答えが出ないんだ。一つずつ考えよう。簡単に、イエスかノーで答えてくれたらいい」
 ジョゼの言葉に、イージーは頷いた。感情があちらこちらに散らかっていて、イージーにはもう制御できない。
 一つずつ、簡単に。何も考えずに、シンプルに。
 もう一度そう前置いたジョゼは、いい子だと言うようにイージーの頭を撫で、頬の涙を親指で拭った。
「まずキミは……あの日、自殺しようとした」
「……イエス」
「そしてそれを僕が阻止してしまった。目が覚めた時、生きていることに絶望した?」
「イエス」
「……それは申し訳ない事をしたが、僕はキミを助けた事を今や全く後悔していないよ。キミは今生きている事が嫌?」
「ノー」
「即答してくれて嬉しい。あとは、そうだな……キミは、この国に来るまでに、意図的に誰かを傷つけた?」
「……………」
 どちらだろう、とイージーは悩んだ。
 自分を捨てた彼女の事を、イージーもまた傷つけたのだろうか。
 しかし彼女の心を傷つけたとしても、それはイージーが意図的に選んだ結果ではない。そう思ったので、彼はノーと答えた。
 その後に、でも、と付け加える。
「もしかしたら、ぼくの知らないところで、いろんな人が傷ついているのかもしれない。今も」
「それは僕にだって言えることだ。僕にとって大事なのはキミが意図的に誰かを刺したのではない、ということだ。暗い質問はもうやめようか。それじゃあ、僕にとって、さらに大事な質問をするよ。何も考えずに、簡単に、シンプルに答えてほしい。――キミに、キスをしていい?」
 気が付けば、熱いまなざしがすぐ傍にあった。
 暖かい指に冷えた頬を撫でられ、思わず腰を引いてしまいそうになる。実際にイージーは反射で反り返りそうになったが、腰を抱くジョゼの腕がそれを許さなかった。
「……ぼくが、ノーと言うと思っている?」
「半分くらいは、そう思っている。僕は自分に自信があるわけではない。色男でもないし、特別優しい男でもない。自分の魅力を語れと言われたら、背が高い事と家を持っている事くらいしか思い浮かばない。それにキミは、僕の事が嫌いでなくとも、男とキスをしたくないかもしれない」
「時々、キスしてきたのに?」
「我慢が利かないダメな大人なんだ。言葉が通じないと思っていたから、全てすっ飛ばしてしまった。それでも僕の理性は仕事をしている方だ。本当はキミが隣に居る時はいつだってキスをしたい気持ちを抑えている」
「…………ぼくは。ぼくも、いつだってあなたに触れられるのを待っていた」
 言葉を覚えても、イージーはそれをうまく操れない。
 うまい言葉を選択できない。ストレートに言葉を紡ぐ勇気がない。
 けれどジョゼは、息が触れる程近くに顔を寄せて尚、甘い言葉でイージーを追い詰めた。
「mer "easy"」
 もっと簡単に。
 もっとシンプルに。
 キミの名前のように。
 そう囁かれた気がした。甘い要求を受けて、イージーはついに降参した。どんなに誤魔化しても、自分の気持ちは彼に傾いてしまって、もう元にはもどせない。
「キスして、ジョゼ」
 その言葉を合図に、ジョゼはたっぷりと時間をかけて、イージーの腰が抜ける程官能的なキスをした。
 まだ、彼に打ち明けていない事がたくさんある。問題はほとんど棚上げにしている状態だ。けれど、この一か月で片付いた問題もたくさんある。
 イージーはこの国の言葉を覚えた。常識とマナーと少々の教養を覚えた。友人と呼べる隣人を得た。
 そしてこの日、深い愛情を注いでくれる人を得た。
 もしかしたら、人生は悪いものではないのかもしれない、などと考えてしまうのは短絡的かもしれない。しかし今日、今この瞬間だけは後ろ向きな事はすべて見ないふりをして、暖かい明日に思いを馳せていたかった。
 ゆっくりとキスを終えたジョゼは、満足げなため息の後に少しだけ笑い、帰ろうかと促した。もうきっとこの場所には来ることはないだろう。そう思ったイージーは、一度だけ自らが看板を手に立っていた路地に目をやり、その寒々しい光景に震えた。
 手を繋いで寄り添って歩く道は、相変わらず寒いが、気恥ずかしく妙に熱いような気分になる。
 そういえば、と思い出したようにジョゼはイージーの方を向く。
「クリスマスのプレゼントは、スヴェンとアニータからだけじゃない。僕もキミに用意しているものがあった」
「あった? ……過去形? いまはもうないの?」
「プレゼントの包みはもうない。さっき僕が解いてしまったから。今キミが着ているそのコートと、履いている靴が、僕からキミへのプレゼントだ」
「…………うそ。え、本当に?」
「サイズはぴったりだろう?」
 言われて初めて気が付いた。確かに、普段借りているジョゼの服は大きくて随分と丈が余ってしまうのに、コートはイージーの身体にぴったりの大きさだった。
 靴も、確かに歩きやすい。ジョゼの靴を拝借していたら、もっとがばがばで、歩く度に音がしそうなものだった。
「メリークリスマス、イージー。その靴とコートで、明日からは好きに外に出たらいい。キミがどこにも消えず、僕の家に帰ってきてくれることを、僕はもう知っている」
 また、涙が零れ落ちそうになり、イージーは慌てて上を向いた。鼻の奥がつんとして痛い。目元を袖で押さえてしまいたかったが、自分の為にジョゼが用意してくれたコートを汚したくなかった。
「……もらってばっかりで心が痛いよ……ぼくはアニータに、スヴェンに、あなたに……何を返したらいいの?」
「何も、と思っているのは本心だが、陽気すぎる夫妻には後で一緒に何か買いに行こうか。僕も新しいジャケットを貰ってしまったんだ。僕にはそうだね、あー…………」
「何? 何かあるなら言ってよ。お金はないから、モノを買うのは難しいけど……できることなら、なんでもやるし、作れるものならなんでも作る」
「僕の要求を聞いてもキミは怒らない?」
「怒らない」
「……じゃあ僕は、キミが欲しい」
 ベッドの上でキミとセックスがしたい。
 大真面目にそんなことを言うジョゼは、卑怯だ。多分イージーがとても照れてしまうことを知っていて、口説くように言葉を羅列するのだから。
 一度冷えた熱がぶり返し、イージーは雪道の上に崩れ落ちそうになり、支えてくれるジョゼの腕を妙に意識してしまい、また足に力が入らなくなった。
 その日、イージーは他人から与えられる愛の痒さを知り、快感を得る為だけではないセックスは酷く恥ずかしく熱いものだという事も知ることとなった。