×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




13




「……彼女さんと喧嘩でもしたんです?」

巴さんの乾杯の音頭の後に、ビールのグラスを傾げるカズさんに、いつもの淡々とした調子で声をかけられ、俺はひりひりと痛む頬を意識してしまう。

外出するのに湿布を貼るのは目立つ場所だし、一応氷で冷やしてみたものの、赤みはたいして引いていない様子で、先に着席していた巴さんにも開口一番同じ事を言われてしまった。

「いや、これは……喧嘩、ではなく、不可抗力というか……あと、俺には恋人はいないので……」
「またまた。この前腕組んで帰ったじゃないですか。結構若そうでしたけど、セツさん二十五歳でしたっけ? まあそれならぎりぎりロリコン疑惑は払拭してもいいですね」
「いやーカズさんばっかりまったくずるいもんだよー私もセツくんのガールフレンド見たかったなぁー」

全く覚えがない話だ。
運ばれてきた小皿のキュウリを口に運びながら、かなり真剣に記憶をたどり、そういえばあの妙な男が駐車場に待ち伏せしていた時、ゆゆさんが迎えにきたことを思い出した。

「ガール……? あ、いえ、ゆ……彼女は、そういうのじゃなくてですね、ええと、友達の友達、で……」
「ほう。彼女さんの友人ってことですかね?」
「あの……どうして俺に恋人がいることが前提なんですか……」
「え。いやいや。いるでしょう。ねえ、巴さん」
「いるよねー? だってセツくん、最近すごくうきうきしているじゃない」
「……うきうき……」

あまりにも縁がない表現すぎて、想像もできずに言葉を探してしまう。

うきうき、しているのだろうか。
それがどんな状態を示すものなのか、よくわからない。確かに深夜に吐き気で起きることはなくなったし、壁を見つめながら泣くことはなくなった。この話を数日前に点丸さんにしたら、何故か唸りながら頭をぐりぐりと撫でられたのだけれど。

浮ついているというのなら、そうなのかもしれない。今も、ひりひりとした頬の痛みを思い出す度に、頭の中に汗で濡れた点丸さんの裸体が浮かびそうになり、慌てて意識を現実に戻してばかりいる。

俺が現実に戻ってきた……と、いうか、飛ばしていた意識をたぐり寄せることができたのは今から三時間前のことで、一番最初に知覚したのは頬の痛みだった。

じんじんと痛む頬をさすって、うつろだった視界が次第にクリアになっていき、そこで初めて俺は、眼前にいる点丸さんに気がついた。
点丸さんを押し倒しているような格好だった。しかもお互い裸だった。点丸さんは、まず一番に、時間を告げた。午後三時。俺が携帯ショップから帰ってきたのは昼前だったはずだ。……しっかり三時間分の記憶が、ない。

言わずもがな、お互いの身体は汗や体液で濡れてひどい状態だった。

身体に上っていたであろう血が、一気に引いていく。俺の様子を見て、セッちゃん二回戦目始めようとすんだもん平手打ちで正気に戻ってくれてよかったよ今度からおもいっきりぶったたくってのも実験に組み込もうぜ、と、点丸さんは苦笑いして俺の下から這いずり出た。

恥ずかしくてつらい。思い出すだけで走り出したくなる。

記憶がいつから飛んでいたのか、正直あやふやだ。何度も名前を呼びながら、抵抗する点丸さんを組み敷いた、ところまではおぼろげながら思い出せる。なんてことをしてしまったんだろう、という反省はしているけれど、正直なところ、あまり後悔のような気持ちはない。

あんなに近くで、裸の他人を見たのは初めてかもしれない。性的なものはすべからく怖い、と思っているはずなのに、じっとりと濡れて上気した点丸さんの肌は艶めかしく淫猥で、怖いという感情よりも先に羞恥と欲情が襲ってきた。

手を伸ばさなかったのは恥ずかしさの方が強かったからかもしれない。色々なものでべたべたになっている点丸さんは、固まってしまった俺をけらけらと笑い飛ばし、携帯鳴ってたぞーと言って風呂に消えてしまった。

まだ使い方もよくわからない携帯電話には、巴さんから今晩暇なら飲みませんかというメッセージが残されていて、三十分くらい呆然と現実をかみ砕いていた俺は結局、点丸さんの顔を見ていることができなくて、シャワーを浴びてからほとんど記憶にない『飲み会』というやつに繰り出してきたわけだった。

……俺の自我は、セックス中でも顔をぶったたけば戻ってくるものだったのか。そういえば、相手はたいがい女性だったしそもそも合意の上というか、相手から誘ってくる場合しか事に及ばないで、いきなり平手打ちをされる機会などなかったのかもしれない。
自分から詰め寄った記憶はある。まだ冷静に思い返せない。焦燥にも似た気持ちを無理矢理押し流すべく、俺はテーブルの上のグラスを少量ずつ流し込んだ。

酒が好きかすらわからない。そもそも飲まない。
大衆居酒屋、というのだろうか。それなりの安さのチェーン店のようで、土曜の夜の店内は、俺たちの事を気にする人間がいるとは思えないほど混雑している。

「そんなあからさまなビンタ痕を顔面につけておいて痴情のもつれじゃないとかよくもまあ言えたものです。男の喧嘩ならもう少ししゃれにならない感じでしょうし、ただのけがでもないでしょう。手の痕ついてるんだから。この人親睦を深める酒の席で隠し事をするつもりらしいですよ巴さん。やっちゃってくださいよ巴さん」
「カズさんはね〜お酒を飲むとすぐ水戸黄門様になっちゃうんだよね〜。カズさんそれパワハラっていうやつじゃないのー?」
「仕事中じゃないのでカウント対象外ですね。ここに部長や所長がいたら接待酒盛り扱いなんでパワハラNGですね。巴さんとセツさん相手に酒を飲んでいるのに仕事のわけがないでしょう」
「セツくんちょっと聞いた? お酒入ってるカズさんっておもしろいでしょ、ねえねえ、私たち職場の知り合いじゃなくて友人扱いみたいだよ、うれしいね〜」

それは確かに、嬉しい、かもしれない。
そう思ったので素直にうなずくと、タコの足を噛んでいたカズさんが目を細めた。

「セツさん、巴さんの言葉にいちいち反応しなくてもいいんですよ。まあでも、セツさんに巴さんが頼み込んで実現した奇跡の飲み会ですから、遠慮せずに私生活を吐露してください。たぶん巴さんが驕ってくれます」
「やだよ〜そりゃ多少は色をつけてお金払う気持ちではいるけどカズさん遠慮なく飲み過ぎるじゃない〜。カズさんはお酒飲み過ぎだし煙草も吸いすぎだし、どちらかでも自重した方がいいんじゃないかと私は常々思っているんだよ〜ねえ、セツくん」
「あ。はい……確かに……」
「セツさんはぐいぐい飲んでるじゃないですか。さてはザルですね。いいんですよ私は、家族がいるわけでもあるまいし、ぽっくり死んで迷惑かけてしまうのは私の死体を見聞する警察と検死のお医者さんくらいなもんですから。好きなことを我慢なくこなして潔く死にたいです」
「またそういうこと言うー。何がいやってね、あなたそういうの、わりと本心で言ってるからイヤなんだよ〜ねえ、セツくん」

意見を求められ、俺は少し考える。

カズさんが言っていることは、わからなくはない。きっと、あまり誉められるような考え方ではないのだろうが、俺も似たようなことを考えていた時期がある。今だって、人生が楽しいとか長生きしたいとか、そういうことを言う人の気持ちがうまく理解できているとは思わない。

ただ、直感で、思ったことを口にした。
点丸さんと話すようになって、俺は、今までよりも少し、悩む前に口にすることに慣れた気がする。黙っていては、どんどん相手の言葉に飲み込まれてしまう。

「ただ、あの……カズさんが急に、死んでしまったら、俺は嫌だな、と思います。だから、できるだけ健康でいてほしいな、とは……」

ここまで口にして、ふと、俺に言われたくはないだろうと思い至ったけれど、慌てて言葉を訂正する前に、カズさんの低い声に呼ばれた。

「…………セツさん」
「はい」
「私はね、レズビアンなんです」
「え。……え? あ、そうなん、ですか?」
「女の子が好きなんです。でも今不覚にも十歳年下で私よりも背の高いどう見ても女子には見えない後輩男子にどきりとしてしまいまして大変遺憾な気持ちです。なので今日はセツさんのおごりです」
「え。えー……」
「巴さんがんがん飲みましょう。この天然タラシをつぶしてそのほっぺた誰にぶったたかれたのか洗いざらい下呂させましょう。そして明後日から私たちはそれをネタにセツさんを強請りましょう」
「いいね〜そうしようそうしよう〜私あれね、焼きそばパン買ってこいってやってみたいんだよね〜」
「昭和感漂っていていいですね、嫌いじゃないです。じゃあ購買係は巴さんで」
「えー! それって私がパン用意しなきゃいけないじゃないのー! コンビニでいいよーセツくん月曜のお昼はみんなで焼きそばパンにしましょう」

何の話をしているのか、途中からわからなくなって、カズさんのカミングアウトすら、大したことではないのかなと思えてきて、この人たちは本当に不思議だと思う。

大したこと、なのだろう。きっと巴さんも、生きてきたぶんだけ、苦労をしているのだろう。それを、さらっと口にできることが、不思議でどうしてか、いいな、と思った。

「奢るのは、構わないんですけど……あの、俺あんまり酒って飲まないんで……飲んでもらうのは、いいんですけど、俺は酒はちょっと、あ、カズさん、だから、注がないでくださいって話を今……」
「二十五歳までなら吐くほど飲んでも寝れば回復します。これは職場の飲み会ではなく知人のコミュニティなのでアルハラではありません。さあセツさん、飲んでそして恋バナしてください。ちなみに私の好みはCカップです。セツさんの彼女さんは何カップですか?」
「カップ…………い、いや、胸は、ない、というか……いえ恋人とかじゃ、なくて」
「女の子って胸の大きさ気にするよねぇ。私くらいの年代になるとね、まあ、身体的特徴なんて些細な問題ですよって思っちゃうんだけどそうかセツくんの想い人さんは胸は控えめか〜スレンダーさんなの? どうなの?」
「背……は、高い、かと……」
「ほうほう。それでそれで? 清楚? おしとやか?」
「……よく、喋ります」
「うーん素敵なんじゃないの〜、セツくんが静かだからね、お似合いかもねぇ。告白はしたの?」
「こくはく……」

したのだろうか。
あの日、スーパーの道すがらで口にした言葉は、俺にとって人生の告白ではあったけれど、たとえば恋愛としての告白だったのか、自分でもよくわからない。

俺は点丸さんのことをどう思っているのか。どう、なりたいのか。点丸さんは俺のことをどう思っているのか。考え始めると頭がパンクしそうになる。

次々に注がれる酒を飲みながら、しどろもどろに返答しているところに、耳慣れない音が鳴った。

カズさんが携帯に目を落とし、私じゃないですよと言う。釣られるように俺も机の下に視線を落として、そこで何かメッセージのようなものを表示している自分の携帯を見つけた。

「あれ。セツくんスマホにしたの? わーずるいねーそうやってみんな年寄りを置いてけぼりにしていくんだからー。セツくんはずっとパカパカする携帯仲間だと信じてたのにー」
「せめてガラケーって言ってください巴さん」
「あの、すいません、俺携帯今日変えたばかりでちょっとよくわかっていなくて。これ、電話とかメールじゃない、ですよね?」
「ちょっと失礼します。あー。ラインですね。登録は自分でしたんですか?」
「いや……一緒に、買いに行ってくれた……友人、が」
「あー。それじゃあわからなくても仕方ないですね。ほとんどメールみたいなものですよ。ええと、ここに出てるのが相手の名前ですね。『門崎ユユ』さんに、心当たりは?」
「……友人です」
「写真が送られてきてますね。スライドしたら開きますよ。やり方がわからないなら、私がやります?」
「あ、はい。すいません、お願いします」

午前中も、電話の出方がわからなくてゆゆさんに出てもらった。まったくもってこの機械を使いこなせる気がしない。
スライドって言われてもわかんないよねーと言う巴さんにうなずきかえしながら、カズさんの長い指がすっと画面を撫でる様を見る。
……あの動作が、何故か俺はうまくいかない。

ゆゆさんが勝手に導入してくれたラインには、まだ、二人しか登録されていない。ゆゆさんと、点丸さんだ。
ゆゆさんは仕事が終わって家に帰った頃合いなのかもしれない。夕飯かなにかの画像だろうか。きわどい画像をいたずらで送ってこないとも限らない。
少しだけ冷や冷やしながら見守っていたが、ぱっと現れた画像を見て、俺と、そして携帯を持つカズさんが、息を飲んだ。

俺たちの様子を見て、巴さんも身を乗り出してくる。
そして普段どんなことがあっても動じないと思わせる好々翁である巴さんすら、その画像を見て表情をこわばらせた。

画像は暗かった。
どこかのバスルームのようだ。ユニットバスのような間取りのバスタブの中に、人がうずくまっている。女性だ。髪が長くて、脱色している。膝を曲げて抱えた状態で、よく見ると全身を縛られているらしい。顔の右目のあたりが黒っぽく変色している。服を着ていない。たぶん全裸で、そしてそれは、俺の知っている女性だった。

どうして。今朝、一緒に出かけたのに。またあとで、と分かれたばかりなのに。

「………………セツさん、これ、……いたずら、の線はありますか」
「…………そういうことをしないとは、言い切れないですけど、さすがに、これは……違う、と思います」
「ですよね……私も、そう思います。いやでも、これ、いたずらじゃないなら、わりと、まずくないですか。こういうのって、警察に持っていっても、対処してくれるもんなんで、っわ!?」

突然カズさんの持つ俺の携帯が震えだし、耳慣れない音が響く。電話だと俺が気がつく前に、慌てた様子のカズさんが画面に指を滑らせた。

「はいもしも、あ、すいません、あの、つい出ちゃいましたすいません本人に代わ……え。あ、はい。そうです。職場の者です。……もしかして、ゆゆさんという女性の件ですか?」

俺の身体に緊張が走る。
暫く会話をしたカズさんは、通話を切り携帯を差しだしながら、至極真剣な顔でゆっくりと言葉を紡いだ。

「セツさん、テンマルさんという方から伝言です。『ゆゆが帰ってこない。家のポストにゆゆが縛られてバスタブにぶっこまれている写真が投函されていた。いまからそっちにいく。一人になるな』だそうです。……代わりましょうかと言ったら時間がもったいないからいいと言われてしまいました」
「その写真って、あのー……ねえ、これだよね……?」
「…………………」
「セツさん、何に巻き込まれたか存じませんが、まず水を飲みましょう。息をして水を飲んでから、先ほどの電話の方を待ちましょう。巴さんお酒飲んでしまいましたよね?」
「うーん、うっかり、つい。いつもは飲まないんだけどね〜今日に限ってだね。ごめん、運転できないね」
「私もがんがん飲んでいたんで仕方ないです。あ、おねーさんすいませんお冷や三つください。さっきの画像一応保存しておきましょう。セツさん、大丈夫ですか? 息してください死にますよ」
「……俺は、一人で平気なので、二人はこのままここで、」
「平気な顔していたら心おきなく放り出してますよどう考えてもまずい犯罪の香りしかしないですからね。平気な顔してないから私と巴さんはおつきあいいたします。そうですよね巴さん」
「そうですそうです。一人になるなって、言われたでしょう?」

そう言って、巴さんは控えめに笑う。

携帯を握りしめた手が白くなるほど力がこもる。けれど、どうにか息を吸って吐くことができたから、俺は意識を失うことも、記憶を飛ばして現実逃避することもなかった。





→next