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01




「人生で三本の指に入る程最悪な気分だよ!」

不機嫌さを隠さない大声に、待合室に居た数人の観光客が視線をよこした気配がした。

一人一人睨んでやるような元気はとうにない。そんなものは昨日アメリカにおいてきた。
正直喋るのすら億劫だったが、気安い友人兼同僚からの電話はこれが最後かもしれない。そう思えば、ため込んでいた罵詈雑言も口からすらすらと出ていく。

「僕の二十六年の屑みたいな人生は褒められたもんじゃないけどそれでも上々だった筈なんだ。それがどうだ、どう考えたってどん底だ! 一晩こえだめみたいな馬小屋に閉じ込められた時も、バイト先で知らない人に刺された時も僕の人生はなんて最悪な出来事ばかりなんだと思ったけどそれに匹敵するよ、なぁマイキー僕の気持がわかる?」

賢明な電話先の友人は決して『わかるよ』とは言わず、小さく溜息をついたようだ。マイキーは強面のドレッドヘアの黒人だが、社内で一番つるんでいる男だった。さすが、こちらの性格をわかっている。話し出したら止まらないという事をいやという程思い知っているのだろう。

無駄な言葉を挟まないマイキーが聞いている事を知っているから、ただひたすらに言葉を紡ぐ。
テレビすらない駅の待合室に響くのは自分の声だけだったが、そんなもの知るかと思った。

英語はすっかり世界共通の言語のようにふるまっているが、他の国からしてみれば所詮は外国語だ。単語を聞きとれたとしても、マシンガンのように繰り出される言葉の洪水を正確に理解できるのは同じアメリカ人でも難しいに違いない。

「まったくほんととんでもないよ! そりゃ僕はどこにでも行くって言ったけどまさかこんなど田舎に飛ばされるなんて誰が想像する!? 空港から何時間電車に揺られたと思ってるのさ。すごい! 何もない! 大自然とよそよそしい態度のスウェーデン人以外はね!」
『なぁ、SJ、ほんと、最悪な気分だってのはわかるよ……俺だって同じ境遇なら精神病院に通ってるかもしれない。ひどい話だってのことは、誰がみたって明らかさ』
「ああ、そうだろうとも僕はただ粛々と毎日元気に仕事をしてただけなのに濡れ衣のスキャンダルで局は大荒れ降板に次ぐ降板にスポンサーの大半はひどい言葉を叩きつけて金を持って逃げていった。わお、すごい、まるで映画の冒頭だ! きっとこれから悲劇のヒーロー、スタンリー・ジャックマンは『スピーカー・ジャック』のマークが印刷されたマスクをかぶって空を飛んで長刀をぶっぱなすのさ。さもなきゃ地味に黒幕殺害計画を実行だ。ヒーロー映画は好きだけど僕は改造される悲劇のヒーローになるのもサスペンスの復讐者になるのもまっぴらだ。映画出演の俳優と楽しくトークするのが本来の商売なのに!」
『落ち付けって、SJ。頼む、ほんとに、まずは息を吸え』
「吸ってる! 吸わなきゃしゃべれないでしょ!」
『深呼吸しろっつってんだ』

端末から聞こえる声はほとほと困っている様子で、流石のSJも言葉を一度呑み込んだ。

SJは子供ではない。自分がこの後に及んで駄々をこねているということは承知しているし、この件に関して電話向こうの同僚は大変尽力してくれた。申し訳ないしありがたい。しかしありがたい気持ちよりも今は人生のどん底気分が勝ってしまう。

冷たいベンチに尻を落ち着け、まったく落ち着かない気分でSJはカツカツとベンチの縁を爪で叩く。
苛ついている時の癖は、子供の頃から直らない。もう二十代も後半だというのに、いつまでも少年時代から成長したという実感はなかった。

落ち着かない。うるさい。とにかくうるさい。
SJの評判はたいていがこの有様で、自分でもまったくその通りだと思う。

落ち着きたいとは思う。
けれど、目の前にスクープが転がっていたら食事中だろうがデート中だろうが飛びついてしまう。後先なんて考えられない。おもしろい話題は最高だ。経験値と知識になり、さらには仕事のネタになる。

静かにしたいとも思う。
もちろん一人の時まで諾々と喋っているわけではないし、喋る言葉がなければ黙っている。それなのにいつだってSJの言葉が途切れないのは、溢れる言葉が体の中に収まりきらないからだ。

NYを拠点として活動する弱小ローカルテレビ局『NICY』のディレクター件キャスター件諸々すべての仕事をカバーする係のSJは、要するに喋っていないと落ちつかないただの仕事馬鹿だった。

顔は多分悪くはない。俳優の様な美形ではないが、愛嬌があると言われる。昔からモテないわけではない。ただし歴代の恋人達は人としてあまり静かではないSJに愛想を尽かすのも早く、一カ月以上誰かと付き合った事はなかった。
SJ自身、誰かに心を奪われるという事が無かった為かもしれない。
いつだって彼の意識は最新のニュースや驚きべきハプニングを追いかける事に向けられていて、恋人の誕生日のプレゼントを選ぶ作業は二の次だった。

孤独だとは思わない。
思っていなかった。友人は数える程しかいない。恋人は続かない。家族は顔も覚えていない。それでもSJには毎日腕からこぼれ落ちる程の仕事があった。

それが今は一つもない。

仕事を奪われた孤独な二十六歳は、ただひたすらに自分の現状を憂い、その湖の底の様などんよりとした暗い感情を電話口に叩きつける。

こんなことをしていてはせっかく気遣ってくれた遠い故郷の友人すら無くしてしまう――。そうは思っても言葉を飲みこめる器量がない。

「深呼吸なんかして空気をふかぶか吸ってどうなるのさ、結局僕の血液がスウェーデンの酸素を取り込むだけさ、現状は何も変わらない、僕は今生まれてこの方訪れた事もないスウェーデンに居る。それも首都ストックホルムじゃないもっともっとずっと馬鹿みたいに田舎だ。昨日はNYのアパートで眠りについたのに! いやスウェーデンっていうのは知ってたさ、でもまさかこんなバスも走ってなさそうなど田舎だなんて! ねえこれネット繋がってるの!? 正直携帯電話だって繋がるか怪しいもんだよ、そうさ憎っくきライアン・サリヴァンは僕を孤独で囲い込んで窒息死させる気なんだ!」
『だから、息をしろって言ってんだSJ。お前は孤独で埋もれる前に自分の言葉に埋もれて死ぬぞ』
「大丈夫湧きあがる感情がなけりゃ言葉だって枯渇するさ。情報がなけりゃ感情は生まれないよマイキー。ほんとにキミにこの素晴らしい自然しかない風景を見せたいよ。すごい。空が青い。素晴らしい。何もない。御老人とご婦人しかいない。多分あとは家畜ばっかりだ。こんなとこで僕は何を思って何を喋れっていうの?」
『元ハリウッドスターを思って彼のスキャンダルを見つける為にその言葉を尽くすんだよ、SJ。そういう契約だ』
「……なんて素敵なスパイ作戦。うきうきしちゃう。この映画のタイトルは何にする? そうだな、僕はスパイ映画もサスペンス映画も詳しくないから暇なこの機会にたっぷり映画の勉強をしておこうと思うよネットが繋がればの話だけどね!」

少ない荷物の中には愛用のノートパソコンも入っているが、ネット環境がなければただのデジタル日記帳にすぎない。暇つぶしにゲームをする趣味もない。本は重いので置いてきた。
ハリウッド映画は好きではないが、字幕表示にすれば本国の英語が流れる筈だから映画には困ることはないと思っていたのだ。まさか、これから半年程ステイする場所が、DVDストアもないような田舎だとは思っていなかった。

このままUターンをしてアメリカに帰りたい。
けれど、それを実行に移した場合、SJが仕事を失うことだけならまだしも、NICYの社員全員が路頭に迷う事になる。これはそういう契約だった。

人気絶頂でスキャンダルに晒され、スウェーデンに隠居した元ハリウッド俳優ハロルド・ビースレイを追い、彼の現在のスクープを取ってくる事。
これが廃業崖っぷちのローカルテレビ局NICYの主要社員であるスタンリー・ジャックマンに課された現在の仕事だった。
依頼人は、現在絶賛NICYを買収協議中の大手映画会社のイーグル・レーベルだ。代表取締役は禿げた初老のライアン・サリヴァン。思い浮かべただけで吐気がするし乾いた笑いが出そうになる。

まったくとんでもない厄介払いだ、とSJは毒づく。
結局はNICYを乗っ取りたいが為に邪魔なSJを地方に押しやっただけだ。それでもマイキーや社員達のお陰で、どうにかドラム缶におしつめられて海に沈められる事はなかった。SJ一人で戦っていたならば、今頃はイーストリバーの底にいたかもしれない。

頭は悪くない筈なのに、どうにも言葉が先に出る。喧嘩には向いていないし和解にも向いていない。落ちついて深呼吸をしろ、というのは長年一緒に働いてきたマイキーの口癖になっていたが、SJがそれに素直に従ったことはなかった。

何処にも就職出来ずに仲間内数人で立ち上げたローカルテレビ局は、最初は散々な経営状態だった。
まるで大学生のサークルだ、と自分達でも思っていた。高校生の部活レベルだったかもしれない。それでも次第に仕事を覚え、メディアを知り、吸収した知識を武器に口とアイディアでのし上がって来た。

最近はそれなりの人気を得ていた筈だ。街を歩けばSJだと指を指される。その度におどけた表情で手を振り『あんまり僕の事を悪く言うと今夜のニュースのトップにするよ!』とジョークを返す事も多くなった。
これからだった。これから、やりたい事が山ほどあった。喋りたい事も山ほどある。今だって、どんどん構想は広がっていく。

それなのに全てを無くしかけて今自分は北欧の田舎のベンチに一人腰かけている。
全く、笑えもしない。こんなに鬱々とした言葉ばかりを羅列するのは、本当に学生時代に馬小屋に閉じ込められた一晩以来の事かもしれない。

『……なぁ、お願いだ。こっちはどうにか、俺達もがんばる。サリヴァンの良い様にはさせない。メイの親父さんも頑張ってくれてるんだ。お前の心が折れたら、みんなの心も折れるんだ。誰が引っ張って来たんだ? NICYの代表取締役はお前じゃないが、実質はお前の会社じゃないか、SJ。俺達のスピーカー・ジャックのその煩い口が閉じられたらおしまいだ。がんばれなんて言わないさ、ただ、長い休暇だと思って適当に生きてくれたらそれでいい』
「何、僕が死ぬって? 馬鹿な事言わないでほしいね死ぬなら故郷に帰って見事派手に散りたいよ。僕の命はライアン・サリヴァンの薄汚い罠でついに果てましたってね!」
『それが怖いって言ってんだ、落ちつけ。今日くらいは大人しく深呼吸してくれよSJ。さあ、吸って。吐いて。田舎を楽しめ。ハロルドもいい奴かもしれないぞ』
「それはどうかな。僕は生憎一本も彼の映画を見てはないけど、気難しそうな美形は大概そのまま気難しい面倒くさい男だよ」

始めてかもしれない深呼吸をして、ため息にも似た息を深く吐きだした時、目の前に男が立っている事に気が付いた。
喋っている事に夢中で、人の気配に無頓着だった。
SJの荷物を無言で持った男に、何をするんだを声を荒げる事はしなかった。映画は一本も見ていないSJだったが、業界は地味に被っている。

映画のCMやインタビュー映像でいやという程見た男の顔は、サングラスをかけていても見間違える事はなかった。
記憶の中よりも髪の毛が随分と長い。ゆるく括った髪はブロンドで、サングラスの奥の瞳はおそらく碧眼だ。

ハロルド・ビースレイ。
思わず口から出ていたらしく、電話口のマイキーからは怪訝な声が、そして目前の美形は眉を寄せ端整な顔を曇らせた。

『なんだって? SJ、深呼吸は――』
「したよマイキー。仕事のお時間始まっちゃったみたいだから切るよ、縁があったらまた電話して。電波があったら僕からも電話するよ、オヤスミダーリン。……そんではじめましてハニー?」
「そのあだ名は好きじゃないな。……安直だし、似合わない」
「そうかな、悪くないと思うけどね。Beeが蜂でハリーがhoneyになったわけでしょ? 嫌いじゃないなそのセンス」
「あんたはスピーカー・ジャックってあだ名を気に入ってそうだな」
「気に入ってるとも! テレビ局で喋りまくる前から僕のあだ名はずっとスピーカー・ジャックだ。きっとこれから死ぬまで僕は世界のスピーカーをジャックしてやるよ。はじめまして、ハニー。ワオ、テレビ画面のまんまだ」

随分と背の高い男を見上げ、作った笑顔で右手を差し出したSJに、ハリーは曇らせた顔のままその手を無視して背中を向けた。その先には、古い軽トラックが控えている。どうやら、彼はわざわざ迎えに来てくれたらしい。

手持無沙汰になった右手を愁うでもなく、まあこんなもんかとSJは自嘲する。いきなり川に沈められていたかもしれない未来からしたら甘いものだ。自分に好意がない相手など腐るほど居る。一々傷ついていたら、人生が勿体無い。

無言で運転席に乗る男に続き、助手席のドアを開ける。ギシリ、といやな音と共に開いたドアは錆びていて、車内は煙草の匂いがした。

「美形かどうかは、知らないが」
「うん? え、何?」
「気難しいのは本当だ」

そう言った男に、とっさに謝る言葉は出て来ずに珍しくSJは壊れたように押し黙った。




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