×
「#寸止め」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




07



人間の身体は、放っておいても再生する。
その事を、この二日でエリックは再確認した。

近所の女性と適当にセックスしようとしたら、ケイスケに見つかり強姦まがいの辱しめを受けた。その翌日には喉も腰も擦り切れた腕も足も、そして嫌という程擦られて腫れた性器もボロボロで、その上熱が下がらずに暑い部屋でぐったりと横になることしかできなかった。

時折、心配したタキが顔をのぞかせて麦茶とどろりと煮た米を置いていく。オートミールのようであまりエリックの口には合わなかったが、だからと言って固い米を呑み込める気もせずに、仕方なく『カユ』という名前のそれを流し込んだ。

翌日看病しに来たケイスケが食べさせてくれた甘くて柔らかいゼリーのようなものは旨かった。
旨かったが、どうもあの甘いものを思い出すと一緒に口移しのイメージが思い出される。

ケイスケの舌は少し冷たく、唇は思いのほか柔らかかった。
男とキスをしたことがないわけではない。酒を飲んで、ノリで口移しをした事もある。けれどそのどの記憶よりも柔らかく官能的で、思い出すだけで訳もわからず熱が上がりそうになる。

快感を追いかけるのは好きだ。だから、ついつい流されてしまいそうになる。
何度か口移しをねだり、ケイスケの手もとの水菓子が無くなった後も気がつかずに口を開けてしまい苦笑された。
また買ってくるよと笑っていたけれど、きっと菓子では無くてキスをねだってしまっていた事はばれているだろう。死にたくなるほど恥ずかしいし腹立たしい。

物置小屋のような場所で縛りあげられ、その後泣くほど喘がされたあの行為の事を許せはしない。元は自分がまいた種とはいえ、エリックの人生の中でも相当強烈な屈辱だった。
気持ち悪くは無かった。正直、とんでもない快感だった。あんなに気持ち良くて泣いたのは初めてだったし、痛さも忘れて縋った。けれど、身体が受ける快楽と精神的な屈辱は別物だ。

元々あった警戒心が、より一層強くなる。
それなのに一日奴隷だと笑ったケイスケは、その言葉の通り甲斐甲斐しくエリックの世話をやいた。
冷たい氷枕は心地よかったし、ゆるゆると団扇で仰がれるのも悪くない。日本の喉飴は強烈な味がしたが、確かに舐めている間は喉の痛みは引いた。

ぽつぽつと零れる英語の発音も心地よくて、子守唄のようだ。ケイスケの声はきもちいい。

頭ではこいつとは一生喋らない、と思っているのにすっかり一日世話になってしまい、翌日一人きりになると妙な心細さを覚える程だった。
日本に来て、ほとんど外出もしていない。交流などもってのほかで、ずっと一人でいたのに。たった一日、世話をされただけでホイホイと懐く程自分は素直な人間ではなかった筈なのに。

寝込んで二日目の夕方には、なんとか身体を起こせるようにはなったが、まだ下半身の痛みはとれない。
おかしな姿勢を強いられていたせいで腰も痛いし、骨のところで擦り切れている。腫れた性器はトイレに行くたびに涙が滲みそうになる程だ。敏感な先端を何度も擦られて嫌だと泣いても許してもらえなかった。思い出しては怒りと羞恥に震えるが、同時におかしな疼きを覚えそうで恐ろしい。

尻の中も、ずっと指が入っているような感覚だ。

体調は確かに回復しているし、身体の痛みは徐々に薄れているが、この中の感覚だけは薄れない。もしかして暫くこのもやもやした指の感触と付き合わなくてはいけないのだろうか。そう思うと憂鬱すぎて枕に突っ伏すしかなかった。

……女性も、セックスの時はこんなに体力を使うのだろうか。
男は出すだけだ、という文句を聞いた事はあるが。受け入れる側がこんなに辛く、身体を弄られるのがこんなにも大変だとは知らなかった。

腫れた性器では物理的にもセックスは不可能だが、心理的にもおかしなブレーキがかかってしまいそうだ。
そういう意味合いでも、ケイスケのお仕置きは成功していたのかもしれない。非常に不本意だが、あんな思いをさせられた後にまだ無理をして誰かとセックスをしようなどとは思わない。それこそ、自分で抜いていた方が楽だ。

二日間布団の上で過ごし、珍しく部屋に入り込む涼しい風にぼんやりと天井を眺めていると、部屋の扉がそっと開く音がした。

この家を取り仕切るタキは、静かにノックをする。ケイスケは無遠慮だが声をかける。
一体誰だと首を回すと、少し開いた扉の隙間からこちらを見ている子供と目が合った。

「………ッ、……ぁ、……ああ、なんだ……ヒカル、か」

一瞬、人間ではないかと思って肝が冷えた。
みのりはジャパニーズホラーが大好きで、どうもあの奇妙な雰囲気が苦手なエリックとカイルは、部屋の隅で怯えながらホラービデオ鑑賞会に参加させられたことがある。

良く見れば、時折居間や食事時に見かける子供だった。
十歳程度の少年は、ケイスケがヒカルと呼ぶ子供で間違いない筈だ。細く、白い肌はインドアな少年を連想させ、エリックは子供時代の自分を思い出した。

特別マエザワ家に興味もなかったが、ケイスケが無駄に話をするものだからなんとなく、家族構成くらいは把握してしまった。
一番下がヒカル。その上が、キラ。彼らの両親は一緒には住んでいなくて、祖母のタキと祖父のトメジロウがこの家の主ということになる。

自分の名前を呼ばれたヒカルは、目を丸くしていた。そしておずおずと部屋に入ってくると、エリックの横たわる布団の枕元に、そっと手のひらサイズの容器を置く。

「何これ。……プリン?」
「……ん」
「あー、もう夕飯の時間……ていうか、ヒカル、英語わかんの?」

少しだけゆっくりと声をかけると、ヒカルはちょこんと座ったまま首を縦に動かした。

「喋れる?」
「……ちょっと。ケイちゃんが、たまに教えてくれる」
「へぇ。すげーね。オレ、アイツ以外は英語通じないもんだと思ってた」
「キラちゃんは、もっと喋れる」
「ケイが教えてくれたから?」
「うん」
「仲良いのな。……今日、アイツ仕事だろ? もう帰って来た?」
「うん。プリンくれた。エリックに、持ってけってケイちゃんが」

なるほど、少年を差し向けたのはケイスケらしい。
少なくともマエザワ一家とは交流しろと、確かに彼は言っていたが。まさかいきなりこの少年と二人きりになるとは思っていなかった。

けれど、自室に二人だけというのは悪くないかもしれない。
エリックはどうも、他人がいると見栄を張る。格好つけてばかりで、素直な感情を出すということがうまく出来ない。きっと、ずっと監視されるような家族の中で育ち、長じてからは反発ばかりしていたツケだろう。

子供と触れ合った経験もないエリックは、どうもヒカルに及び腰になってしまう。しかしヒカルの方が思っていたよりもエリックに怯えていない為、少しは積極的に声をかけることができた。

そのヒカルが、何かをしっかりと抱えていることに気がつく。それが小さなスケッチブックだと気が付き、そう言えばいつもエンガワで絵を描いていたなと思い出した。
エリックはお世辞が言えないタイプだ。だから、子供の絵を見るのは苦手だ。うまいね、と声をかけることができないし、自分なりの言葉もうまく伝わらない。

だから、ヒカルの絵を覗くこともなかったのだが、他に話題も見当たらない。
スケッチブックを見せてほしいとゆっくりと喋ると、少しだけ迷った後、ヒカルはおずおずと差し出した。

その一ページめを開いて、エリックは眼を見開く。

「……マンティス?」
「………………カマキリ」
「ああ、日本語だとそう言うのか。カマキリ。……すげー。オレ、動物も虫も、描くの苦手」
「これは?」
「アント。こっちはビートル。……スタッグビートル、レディバグ、グラスホッパー……虫、好き?」

エリックの問いかけに、ヒカルはこくんと頷いた。

そのスケッチブックは見事に虫ばかりで、女性などは眉をしかめてしまうかもしれない。それほどに細部まで忠実にスケッチされており、丁寧に塗られた色鉛筆の色合いも子供とは思えない程見事だった。

エリックはそれほど虫は得意ではない。血筋的にはカナダ人に分類されるが、生まれも育ちもNYの街中だ。実際にイナゴを見たのも、カナダのみのりとカイルの家に行った時だった。

それでもこの絵がとんでもない根気と情熱で描かれたことは分かる。プロと比べればそれは稚拙なものだろうが、動く虫を丁寧に描いたヒカルの絵が、エリックは好きだと思った。

「すげー。……オレは、ホント生き物描けない。動くんじゃねーよって思って根気が無くなる。これ、この辺の虫は全部描いた?」
「うん」
「じゃあ、このジージー煩い虫……ええと、セミだっけ? そいつは、どれ?」
「これ」
「……なんか、思ったよりもグロいけど、なんかさっぱりしてるっていうか……もっとこう、こえー外見かと思ってた。蛾みたいな」
「セミ、好き?」
「……今のところ嫌い。うるせーもん。ヒカルは、うっさくねーの?」
「うるさい。でも、夏だから、我慢する」

そういうものだから。と言われてしまうと、文句を言っているエリックの方が子供のようだ。

少しだけ恥ずかしくなって、布団にへばりついていた身体を起こす。

エリックは我慢が苦手な子供だった。我慢をしても、誰も気がついてくれなくて、それが辛くて結局非行に走った。家には寄りつかず、両親とまともに口をきくことが無くなり、何年経っただろう。

引っ込み思案で暗い子供だと思っていた。
けれどヒカルは、とても強い、しっかりとした子供なのかもしれない。
虫の絵を描く子供に、エリックはこの日初めて興味を持った。

「ヒカル、色鉛筆が好きなんだ?」

スケッチをもう一度最初から眺めながら、エリックが問えば、ヒカルはきょとんと目を瞬いた。

「……絵具は、難しいから」
「あー。わかるよ。オレも苦手。クレヨンは?」
「…………持ってない。幼稚園の時は持ってたけど、捨てちゃった」
「使う? オレ持ってるけど、貸してやるよ。多分、ヒカルはうまいこと使うよ。あれ、わりとおもしろいから」
「エリック、絵描くの?」
「オレは、クレヨンしか使えないし、風景しか描けないけどな」

目をキラキラさせて見つめてくるヒカルに負けて、仕方なく描きかけのスケッチブックを渡してやると、さっそくそれを広げて声を上げた。
日本語だったからわからないが、すごいとかきれいとか、そんな事のように思う。言葉がわからなくても、ヒカルの輝くような表情が心情を語っていた。

そのうちの一枚を、まじまじと眺める。
どうやら気に入ったらしい、と判断して、エリックは久しぶりに頬を緩めた。

「持ってけよ。すきならやるよ。ていうかそのスケッチブックごともってっていい。もうあと数ページだったし」
「くれるの?」
「うん。……プリンのお礼」

プラスチックケースのプリンを手にとって笑えば、ヒカルも笑う。

「ありがとう」

これは、日本語だったが、エリックはこの言葉をきちんと理解した。
素直にサンキューって言えよ。日本語だとアリガトウだけどな。
そう言ったケイスケの言葉が耳に蘇った。

日本語はカタカタして耳について苦手だ。けれど、この言葉の響きは悪くないかもしれない。

「あー、えっと……オレも、その、……アリガトウ。虫の絵、また見せて」

少し照れくさかったが、二人きりだと思えばどうにか口にすることができた。ヒカルがぶんぶんと首を縦に振る様を笑い、スケッチブックを二冊かかえてまたねと手を振る彼に、恐る恐る手を振り返す。子供に手を振った事などない。今日は本当に、初めてづくしだ。

アリガトウ。

――この日本語は嫌いじゃない。誰彼かまわず言う来は無いが、覚えておこう、と頭に刻んだ。






→next