06
「あーそっか今日日曜だー」
ふらりと買い物から帰った敬輔に声をかけたのは、自転車に跨った綺羅だった。
これから部活動の練習に行くのだろう。着替えが入っているだろうバッグを担ぎ、カゴの中には弁当箱が入っている。
新垣豆腐店の休日は、日曜日と決められている。普段なら豆腐店を開いてせっせと接客している時間だ。こんな時間にふらふらしている敬輔は非常に珍しく、綺羅は『ケイちゃん暇ならドライブ連れてって欲しいのにあたし暇じゃないー』と嘆いた。
「毎日部活で隣町まで行ってるだろ、ドライブなんて行くとこ無いぞこの辺。ダムくらしか無いじゃん」
「そういうんじゃないんですー出かけるってのがいーんじゃん。輝流もスケッチブック持てば外行くじゃん。あーもう迂闊だった来週の日曜は明けとくね!」
「俺の予定は確認ナシか。いや別にいいけどさー……」
「エリックも来週には夏バテ治るかなー。治ってたら皆でいこうよー」
「……どうだろうな?」
思わず視線をずらしてしまうのは後ろめたいと思っているからだ。
昨日の夜、勢いに任せてとんでもない事をしてしまった後、ほとんど気を失った状態のエリックを抱えて一旦自宅に戻り、軽く身体を拭いてから前澤家に帰った。
そのままエリックを寝かせ、今朝そっと覗いて見たがどうも本当に具合がよくないらしい。
やりすぎた。
確実にやりすぎた。
けれどやり過ぎくらいでないと、あのダメな外国人青年は飄々と悪事をこなしそうだという見解は変わらない。気持ちいいことが好きで我慢できない子供は、痛い事は苦手な筈だ。
身体に刷りこんで嫌だと泣かせるくらいしないと絶対になにかやらかす、と確信したとはいえ確かに昨日はもう少しやりようがあったとは思う。
少し脅すだけでも良かった筈だ。
それを、あんなに追い詰めて泣いて縋らせてしまったのは、正直認めたくはないが感じている時の反応が酷く敬輔好みだったというどうしようもない理由があった。
その点に関しては非常に反省している。
ぐったりと寝込んだままのエリックが夏バテしていると思っている綺羅にも、前澤家家族にも、申し訳なく恥ずかしい。
恥ずかしい気持ちでだらだらと綺羅の相手をしていると、少女はめざとく敬輔が手に提げたビニール袋に目を止めた。
「ケイちゃんその袋なにー? おやつ? おやつ? どこの?」
「みやの屋」
「ぎゃー! おいしいやつじゃん! ええーあたし帰ってくるまで取っといてよー今日は夕方には帰ってくるから!」
「綺羅の分わけとくから落ち着け」
苦笑いで綺羅をいなし、いってらっしゃいと見送る。
今日も朝から蝉が煩い。袋の中から綺羅と輝流の分をとりわけ冷蔵庫に入れ、冷たい麦茶を拝借する。グラスを二つ持ち、敬輔は客間に向かった。
元は綺羅と輝流の両親の部屋だったらしいのだが、彼らが本格的に市街地で出稼ぎを始めてからは物置のような扱いだった。この機会に、と良子の両親であるタキと富次郎が客間にしてしまったらしい。
一年の内正月と盆くらいしか帰って来ないのだから、それでも構わないのだろうと思う。
輝流の部屋の隣にある、その部屋は和室だった。
一応ノックをし、返事も待たずにがらりと扉を開けると、薄手のタオルにくるまってぐったりしている塊が見える。
窓は開いているが部屋は暑い。勝手に入り、勝手に扇風機のスイッチを入れると、もぞもぞとタオルの塊から頭が半分だけ覗いた。
「……んだよ、強姦魔……」
「強姦はしてないだろ。感じたら和姦って話どっかで聞い……いや、そんなのどうでもいいんだけど、」
「どうでもよくねーよクソ……テメーのせいですんげーチンコいてーんだぞ……」
「あ、具合悪いんじゃなくて?」
「具合もわりーよ死ね……」
確かに目が潤んでいる。熱があるらしい。
声に覇気はないし少し掠れている気がする。昨日あれだけ声を上げさせればまあ、そうなるだろうなぁと思い当たり敬輔は苦笑した。
「手、見してみ?」
タオルの塊の横に腰を下ろし、手を出すと、一瞬の躊躇の後に腕が伸びてくる。
今日はごつごつした指輪もブレスレットもない。綺麗な骨ばった手首には、擦り切れて乾いた傷が幾重にも付いていた。
「うーわ。……いたそ」
「いてーよバカ。誰のせいだと、」
「俺だけど、そうさせたのはお前だろが。具合悪くさせたのは反省してるけど、やったことは反省してないからな。今後お前が行きずりの女子を遊びでひっかけようとした際には容赦しねーからそのつもりでいなさい」
「……遊びじゃなかったらいいのかよ」
「んあ? あー……きちんと交際するつもりがあるならいいんじゃないの。それは俺が口を出すことじゃないし」
腕が化膿していないことを確かめ、買ってきた包帯をぐるぐると巻いてやる。
それを眺めているエリックは、騒ぐ元気もないのかそれとも一応静かにしていようと勤めているのか、大人しい。
「……あんた、ゲイなの?」
ぼそり、と呟かれた問いかけに、敬輔は苦笑いを漏らした。
「まあ、分類するとそういうカテゴリかな」
「恋人は?」
「いない。つか暫くいらない。あと一応いっとくけど遙か遠い大地のアメリカン年下男子を食う気もない。お前が品性良好に過ごせば今後昨日のようなアレソレは無い。……まー、反応はわりと良かったけど」
「…………シネクソ強姦男……あんたのせいで熱さがんねーし……」
「それはごめんって。熱はたぶん前立腺のせいかな。あそこでイクと暫く普通に生活できないって人いるわ」
「しばらく……まじかよ……」
「三日も寝てりゃ身体もチンコも治るだろ」
宣言通りに嫌だと泣きわめくエリックの性器を何度もこすりあげ、最後は痛さと射精の快感に訳が分からなくなっていたようだ。ふるえる赤くなったそれを思い出し、少しよろしくない気分になってしまう。
手を出す気はないが、悪くはなかった。
遊びで寝たりはしないし、恋をする気も無い敬輔は、今後エリックと性的な行為をすることはないだろうが、無防備にしているとふらりと触ってしまいそうで怖い。
喘いで懇願する赤い顔も吐息も途切れ途切れの声も、思い出すと欲情してしまいそうになる。それは良くない妄想だ。
ただのクソガキだと言い聞かせ、昨晩の記憶を葬る。
火照るエリックの額に麦茶を当て、手に提げていた袋の中から小さな銀のカップを取り出した。
「起きれるか? 朝飯食ってないってタキさん言ってたし。なんか食わないと余計ばてるし、甘いのだったら食えるんじゃないかなーと思ったんだけど」
「…………それ、なに」
「水ようかん。あんこを寒天で固めたやつ。甘いの平気だったよな?」
たしか、夕飯の後に出された饅頭を食べていた筈だ。饅頭が食えるならば水ようかんもいけるだろう、と判断してわざわざ車を出して駅前まで足を伸ばした。みやの屋は代々続く老舗で、県内でも知る人ぞ知る店らしい。少ない観光客の土産と言えばここの水ようかんと水まんじゅうだった。
敬輔自身もこの水ようかんが好物だ。
少々値が張るので普段から気軽に口にはしないが、折々に恋しくなるとつい、財布のひもを緩めてしまう。
甘すぎず、緩すぎない。さっぱりしているのに濃厚な豆の味が残る。
缶の蓋をぺきりと開けると、甘い小豆の匂いがする。動けないらしいエリックにどう持たせようか、水ようかん専用の薄いスプーンを持ったまま悩んでしまった。
「お前、ちょっとさ、えーと……身体起こせないの?」
「むり。しんどい。嫌だ。……このままどうにか食わせらんないの」
「うーん……羊羹だったらまだしも水ようかんはちょっとなー……ちょっと、口開けてみ?」
嫌がるかと思ったが素直に口があく。
がばっと男らしく開いた口は昨日散々敬輔の名前を呼んでいた。……そんな不穏な事を考えてしまったからか、口の中に入れようとした水ようかんはつるりと滑ってエリックの頬に落ちてしまう。
「っ、ちょ……つめた……っ」
「あ。わるい」
「……ストローで吸えねーの、それ」
「馬鹿、そんなことしたら和菓子の神さまに殺される。ホットドッグは手づかみ、パスタはフォーク、水ようかんは竹スプーンって決まってんの」
「じゃあうまく食わせろよ」
「……ちょっと、もっかい口開けろ」
頬を拭う手は最初に掴んでしまう。殴られたら嫌だな、と思ったからだ。
そのまま水ようかんを自分の口に放り込み、敬輔はエリックに口づけた。口の中のモノを押しだすように移すと、熱いエリックの舌が少し触れる。
甘い。小豆の匂いがする。それと少しだけ汗の匂いがして、夏だな、なんてぼんやり思う。そんなどうでもいい事を考えていなければ、このまま熱い肌を弄ってしまいそうだった。
蝉の声がする。
扇風機の風が温い。
「……ん……ぅ………」
「……食える? 結構甘いけど」
殺すぞとか死ねとか、そういう言葉を言われるかと思ったが、以外にもエリックは素直に首を縦に振っただけだった。
まだ、朦朧としているのかもしれない。息も荒いし、敬輔が思っていたよりも熱があるような気がする。
「あまい」
「ん。だよな。俺も甘い」
「……でも、食える」
「もっと食う?」
「ん」
そう言ってエリックはまた少し口を開ける。
これはつまりもう一度口移ししろって事なのかな、と悩んだのは一瞬で、誘われるようにもう一度甘い水ようかんを口に含んだ。
全く悪い大人だと呆れる。謝りに来た筈なのに、また手を出している。恋愛する気も、セフレを作る気も無いのに。普段は、こんなに軽々しく誰かに触れたりしないのに。
昨日セックスまがいの事をしてしまったからだろうか。敬輔とエリックの間には、恋人とも友人とも違う不思議な空気が出来ている様な気がする。気を許したわけではないのに手を触れてしまう。よくない、とわかっているのに、肌を撫でてしまう。
「…………あっつ………」
水ようかんを飲み下し、暑そうに息を吐くエリックに、敬輔も熱くなった顔を誤魔化すように麦茶の瓶をくっつけた。
「氷枕つくってきてやるよ。あと食えそうなもんあれば、買ってくる。今日俺休みだし、一日下僕になったるから」
「…………どういう風の吹きまわし……ゴーカンマが親切じゃん……」
「素直にサンキューって言えよ」
日本語だとアリガトウっつーの。
そう笑うと、エリックはまたタオルの中にもぐってしまった。
口の中に残る甘い小豆の味と香りが、いつまでも敬輔の熱を冷まさない。
廊下に出てから一呼吸、そのあと頭の後ろをがしがしと掻いて、あーあーと反省する。
「手ぇ出さないって言ってんじゃん……」
でも、出してんじゃん、バカか。
けれど、あんなふうに無防備に口を開けるのがいけない。と、またエリックのせいにしてしまっている自分に呆れた。
夏と子供のせいにしてはいけない。
理性を保って禁欲しろと言った本人が、ほいほいとキスなどしていて言い訳が無い。
「きをつけよ…………」
やっぱり、エリックのそばはダメだ。
再度それを確認し、台所に氷を貰いに行くために温い廊下を歩きだした。
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