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02




二日酔いになった後は、健康とは素晴らしいといつも思う。

常日頃はそこにある平和に感謝するということはあまりない。日常が崩れて初めて、そこにある平穏に感謝する。それが人間というものだ。

新垣敬輔も今、この平穏に感謝をしている人間のひとりだった。

こんな田舎の豆腐屋で余生を送るなんてむなしくないか、と、県央の友人には呆れられることもある。
飲もうと誘われる度に、車で二時間移動して泊まって帰ってくるのが面倒だと断り続けている腹いせかもしれない。

敬輔は田舎の豆腐屋の仕事に不満はない。むしろ好きだ。天職かもしれない、と思い始めている。
むせかえる豆の匂いにも慣れた。豆腐が固まる瞬間はいつ見ても面白いし、楽しい。キン、と冷やした水に浮かぶ滑らかな塊は奇麗で美しい。世界で一番うまいと豪語できる程の腕前ではないが、自分の作った豆腐はスーパーで売っているものよりは数段うまいと信じていた。

田舎の豆腐屋で何が悪い。人生平和が一番だ。
半年前に手痛い失恋をした敬輔は、恋愛のない平和な世界の素晴らしさに浸っていた。

自分の好みが非常に面倒くさいという自覚はあった。
いつも面倒な人間に惚れてしまう。面食いなのが災いして、気が付けば屑みたいな恋愛を展開していることもあった。
敬輔はゲイだ。従って相手も男性になるのだが、きらびやかな男性というものはどうも、性格に難があることが多い。田舎に帰ってくる前も痴情の縺れで相当な人数に迷惑をかけてしまった。
もう暫く恋愛はこりごりだし、イケメンは結構だ。
いつか自分と一緒に老いぼれるまで豆腐を作って売ってくれるような、そんな優しい人が良い。それを探すのも、もう少し歳を重ねてからで良いと思っていた。

子供を授かることもない。結婚することもない。適齢期など関係のない敬輔は、二十五歳という自分の年齢に焦りを感じてはいない。

親にはカミングアウトしてある。
何を言っているのかわからない、というような反応だったが、一週間話し合いどうにか理解はしてもらった。ただ、納得はできていないらしく、いまだに見合い写真を持ってくる。申し訳ないとは思うが、女性と結婚しても不幸にしてしまうだけだと思うので、やんわりと断ってばかりだった。

今は豆腐を売る仕事が楽しい。
朝起きて豆腐を作って、登校する子供たちに声をかけ、昼には主婦と老人相手に茶飲みがてら豆腐を売る。夕方には仕入れと配達を兼ねて軽トラックに乗り込む。たまに老人たちの集まりに呼ばれて晩酌と囲碁に付き合う。

これを平和と呼ばなければ、ただの退屈な日常になってしまうかもしれない。けれど、敬輔は日常が好きだった。

その平和な日常が揺らいだのは、蝉の声がうるさい夏の日の夕刻の事だった。

「敬輔はほら、あれだ、英語喋れるろ」

普段は飲み会でしか会わないような町内会の重鎮メンバーが、新垣豆腐店に連れだって来た時にすでに、嫌な予感はしていた。
喋れるか喋れないかと言われたら、おそらく喋れる方に入る。短期間ながらアメリカに渡っていたこともある。それは敬輔の母親の自慢のひとつらしく、集落の人間のほとんどは事実として知っていた。

そしてこの質問は、確か一カ月前にもされた。
その時の会話を思い出しながら、敬輔は嫌な予感を振りはらうようにできるだけ穏便な声をひねりだした。

「まあ、喋れるっちゃ喋れるけど日常会話くらいだよ? とても学校で教えるレベルじゃないし変なスラング……あー、方言? とかそのまま使っちゃうくらいの滅茶苦茶な英語だしさ。本場の人にはきっと笑われちゃうかなって感じだし。……だからこの前のお話は断ったんだけど」
「他に誰も居らんけ、敬輔がやってくれんか」
「いやだから……俺は仕事もあるし、時間取れないし、そもそも専門の人間じゃないし通訳とかやったことないから、不手際あっても責任取れないし、」

村おこし、という企画が進んでいることは親からも聞いていた。
しがない豆腐屋のせがれとしては、じいさんたちも頑張るなぁという人ごとのような感想しかなかったが、一カ月前に『外人さんのホームステイ企画をやりたいから通訳をしてくれ』と頼み込まれた時は流石に慌てて断った。

村おこし企画は素晴らしいと思う。あえて海外からの客を呼ぶ作戦も、悪くは無い筈だ。
だが、どうして通訳を近場の敬輔に頼ってしまうのか。敬輔は豆腐屋の仕事があるし、たとえばパンフレットやホームページの通訳くらいは協力してもいいが、日々の仕事を放り出して通訳だけに時間を割くわけにはいかない。

専門の人を雇うか、村全体で英語の勉強をするしかない。とにかく自分をあてにはしないでくれ、と、再三説明したのだが。
汗をぬぐいつつよっこらせと店先のベンチに腰掛ける老人は、そんな説明を忘れたかのようにけろりとした顔で敬輔を見上げた。

「だけんど、もうあちさん今日の夜には来てしまうけ、敬輔がやってくれんと誰もわからんで」
「え。……え!?」

とんでもない事を言いだした。
断ったお陰さまで計画など全く知らない敬輔には寝耳に水だ。
何を言っているのか分からず一瞬呆けてしまい、やっと『招待した外国人客がもうつくのに通訳が居ない』というとんでもない状態だということを理解した。

「ちょ、待っ……安達さんたち自分たちでなんとかするって言ったじゃん! 俺ぁこれから夕方の配達があんだよ村上さんが今晩麻婆豆腐だっつってさっき配達の電話が……!」
「あのー、みのりちゃんのとこの知り合いだていうてたが。敬輔も知っとるろ。みのりちゃん、仲良うしとったすけ、話聞いとると思うたんだが。寝どこも一緒だすけ、ほら、前澤さんとこに泊まる話だて」
「え、ちょ、え……いや、そりゃ、みのりちゃんは知ってるしお世話になってるし確かに三日前くらいに電話きたし、そういえばそんな話もしたけど、俺が通訳するとは一言も……っ」
「もう高速降りたて電話あったていうたわ。そろそろ着くんでないか」

まじかよ、とは声に出せなかった。
理不尽に見えるが、老人たちに悪気は一切ない。田舎の歳よりなんてものは大概こんなものだ、と言いきってしまうのは偏見かもしれないが、少なくとも敬輔の周りの人間はあまり他人の予定など気にしない人間が多かった。

今更怒ったところでどうしようもない。
アイツは人づきあいが悪いと噂されるだけだ。
こうなってしまったら、もう仕方がない。仕方がないというか、早く自分がなんとかしなければ、みのり経由で日本に来たアメリカ人青年が途方に暮れることになるかもしれない。

聞くところによるとあまり素行のいい人間ではないらしいが、それならば尚更放っておけないだろう。言葉が通じない事を理由に、好き勝手されても困る。
老人達は『観光客はすべからく良い人間だ』と思い込んでいるようだが、日本の観光客の常識が世界に通用するとは思わない。

どうしてこんなことになったのか。
そう思いつつも、とにかく豆腐の配達をすませ、お代を貰うのもそこそこに件の前澤邸に駆けつけた。
諸事情で夏の初めから敬輔自身も下宿させてもらっている家だ。家族との付き合いも長く、幼馴染のみのりも前澤家の次女だ。今はカナダに嫁に行ってしまっていて、盆の墓参りくらいしか帰省しない。

そのみのりから久しぶりに電話があり、甥っ子がそっちに行くからたまに様子教えてよと言われたのは事実だったが、まさかかかりきりで通訳をさせられるとは思っていなかった。みのりも、まさかこちらに通訳が居ないとは思ってもいないだろう。

ただの親戚の家への旅ではなく、『田舎の町おこしの一環として招かれた外国人客』という立場だというのに。
後々聞けば、まだ企画は準備段階で、とりあえずどんなものか試しに誰か招いてみようという話になり、親類で日本に一度も来たことがないみのりの甥が選ばれたという話ではあったが。それにしても、無茶苦茶すぎて青年が可哀そうになった。

エリックという名前だったと思う。十九歳、美大生。何をしたのかは大して興味もなかったので聞いていないが、あまり褒められない事をして親と揉めているらしい、という事は知っていた。
ひと夏軟禁されそうになっていたところを、どうにかみのり夫婦が助け出したらしい。自業自得なのかもしれないが、それは本人に会ってみないとわからない。

夕刻だというのに、じっとりと汗が滲む。
アブラゼミは脳味噌を揺るがすように、ヒグラシは耳の奥を突き抜けるように音をまき散らす。

ジージーと煩い。
カナカナと煩い。

やっとたどり着いた前澤家の前で所在なさそうに立つご近所さん達に囲まれ、ぼんやりと立つ青年が目に入った。

(――……うーわ、)

アシメ気味に切られた前髪が妙に似合う赤髪の青年だった。
ピアスはひとつや二つじゃない。ボディピアスも開いていそうな風貌に、タンクトップから覗く肩にはトライバルも見える。涼しげな淡い瞳が奇麗な、一見してわかる美形だったが、漂う自棄的な雰囲気に皆、どうしていいかわからない様子だった。

これは近寄りがたい。確かに、老人達も躊躇するだろう。

ただ、あらかじめ歳を聞いていた上に外国人との付き合いも多少はある敬輔にとっては、チャラい子供にしか見えなかった。いきがっているのは若いから仕方ない。年下に対してはある程度寛容になれる。

そんなことよりも、エリックの外見が完全に敬輔の好みだったことがまずかった。
元々、ゲイっぽいマッチョよりはひょろい美青年に垂らし込まれ易い。エリックは薄幸の美少年というよりはキツイ美人といった風貌で、それなりに背も高い。けれど顎の輪郭は奇麗で、浮いた鎖骨に滴る汗に見惚れてしまい、慌てて視線をそらしてしまった。

まずい、と思った。
みのりは美人だが、夫のカイルは比較的朴訥とした男だった。彼の親戚ということで、なんとなくおなかの緩い青年というイメージがあった。まさか、俳優並みの美丈夫が自分の生活圏に転がり込んでくるとは思ってもいなかった。

(あんまり、近づかないようにしたい、のになぁ……)

通訳を兼ねるとなると、そういうわけにもいかないだろう。
とにかく穏便に夏を過ごし、帰っていただきたい。それだけを胸に、敬輔は覚悟を決めて笑顔を作った。

むせかえるように暑い、ヒグラシの鳴く夕刻のことだった。


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