「…きょうもひまですねぇ」

「言うな、今剣」


ふわあああと欠伸を零しながらいつもの定位置と化している階段の手すりに腰かけて此方を見下ろす今剣に、視線を送る事無く藤乃はキッパリと言い切った。今日も店に来客は無く、閑古鳥が鳴いている。まぁ、前にも言った通り店が忙しいのも職業柄困るし、かといってこうもやる事がないと本当に暇だ。
最早自分達で表に出てネタを探した方が早いのかもしれないが、あまり気乗りはしない。本来の目的とは別に全く関係の無い事件には関わりたくない。事実、文明開化の意を進行している国では怪奇現象に関しては取締りが強化している傾向にある。
国が本格的に、"在りもしない話"を無くそうと動いている。それに加え、工業も栄えつつあるこの国は最早彼ら(妖の類)には住みにくい場所に変化しているのは確かだ。そんな中でこんな職業をやっていれば客が来ないことなど、目に見えている。だが、畳むわけにも行かない。変な話だが、この店がなくなれば私も、彼ら妖たちも困るのだ。


「ふわああ…随分と、平和になってしまったのぉ」

「変に神様だの妖怪だので振り回されない世の中なんて、良い事じゃないか」

「仏や神に懸命に祈る人の世も面白かったがな」

「それはお前自身が見てて楽しかったんだろ?お前たち目線で言うな」


ガハハハ。それもそうよな、なんて笑う岩融。一応人間である私に、"お前たち"目線の面白みなんて分かってたまるものか。コイツ等はきっと昔からそんな神や仏に異様なまでに翻弄された人間達を見て笑って生きて来たのだろう。大方こいつ等はそういう生き物だ。否、人間とは別目線で語ってくるからこそ分からない事が見えてくるときもあるのだが。

…そうそう。あれから、車掌と名乗った黒い影に止めを刺した。やはりアレはあの地に留まっていた怨念が塊となり、具現化していたらしい。お化け電車と共に怨念は消滅し、辺りも浄化されたのか帰る時には訪れた時よりも空気が澄んでいたように感じた。
それから帰宅し、夜が明け、先ほど起きた所だ。時を見れば疾うに昼餉の時間を過ぎている。嗚呼、いけない。こいつらと生活を始めてからというもの、昼と夜が逆転してしまっているような生活が続いている気がする。…生活の流れを出来る限り変えないようにしなければ…。


「っと、邪魔するぜ」


やれやれと独り静かに頭を抱え、吐息した時である。ガラガラと滅多に外から開けられる事の無い戸が開いて1つの影が顔を覗かせた。ニッと笑ったその顔は見覚えがある。


「相変わらず閑散としてんなぁ、この店」

「"やげん"じゃないですかー!」

「おお、薬売りか。久しいのぅ」


敷居を跨いで店に足を踏み入れるや否や店内を見回して声を零す彼こそ、"薬研藤四郎"である。少年と青年の間の年で、背中にはその小さな身とは対照的な大きな箱を背負っている。こちらの畳の間まで歩み寄ってくると、よっこいしょと声を零しながら背の荷を下ろした。その箱の中身は薬である。
異国やらの文化で今やこの職業も減って来たが、彼は今も昔も変わらず定期的にこの店に訪れては減った分の薬を補充してくれる。簡単に言ってしまえば、行商ってやつだ。町外れにある彼の店に態々足を運ばなくても済むのだからありがたい事この上ない。今剣に薬箱を取ってもらおうと彼を振り返り見上げたが、既にそこに今剣の姿は無かった。


「はい!くすりばこ!いわれずとももってきましたよ!」


トンッと軽く畳を踏む音がして一階に降り立った今剣の白くて小さな手には店の薬箱。そう大層な物は入っていないが、それなりに日常で困らない程度の薬が常備されている。


「ん?随分と傷薬が減ってるみたいだなぁ?」


今剣から受け取った薬箱を開け、中身を確認する薬研の言葉に思わず固まる。あ、そう言えばこの前使ったんだった。えーっとこれとこれと…なんて減った分の薬や包帯を自ら持ってきた薬箱の引き出しから取り出す薬研に、岩融が口を開く。


「何?我らは使っておらんぞ?」

「誰が旦那が使ったなんて言ったよ。大方、大将が使ったんだろう?」


アンタ等が怪我するなんて相当な時だろう。なんて笑う薬研を余所に岩融の冷たい視線が此方に突き刺さるのを感じる。嗚呼、これはまた面倒な。


「………」

「怪我をしたとは聞いておらんが?」

「…怪我じゃない。ちょっと切っただけだ」

「……藤乃」

「切り傷を怪我なんて、大袈裟な」

「藤乃」


戦闘での傷では無い。ちょっと紙の切れ端で切ったり、膝を畳で擦ったりした際に使っただけなのだ。岩融と目を合わせる事無く淡々と言葉を返すが、岩融もこっちを見ろとばかりに名を呼んでくる。明らかに怒っている。


「…ふじの。いわとおしがおこってます」


分かってる。そっちを見なくても分かるぐらい、彼の視線が痛い。今剣が観念しなさいとばかりに私にそっと言うものだから此方が折れる他ないじゃないか。ハア、と一息吐いて彼の方を見る。嗚呼、やっぱり怖い。睨むな。


「…悪かったよ」

「分かればよいのだ」


怪我をしたら言え、と前々から言われているのだがこんな小さな傷まで報告しなければ気が済まないのだろうか。否、言わないから不安になっているだけできっと彼は、ちょっと擦りむいちゃってさ〜ぐらいの雰囲気でも良いから話して欲しいのだろう。仕方なく投げやりにではあるが謝罪すれば、すぐにパアっと顔を明るくして大きく頷く岩融。…くそう。


「ハイハイ、夫婦そろって仲のいい事で。おれっちもう腹いっぱいだぜ」

「誰が夫婦だ、誰が」

「俺は一向に構わんぞ?」

「…調子に乗るな」


ガハハと笑い飛ばす岩融。軽い冗談で薬研の話に乗ったのだろうが、こちらは内心穏やかでは無い。冗談でも止めろと薬研にいえば、いいじゃないかなんて彼は軽く受け流す。そうか、傍から見ればそう見えなくもないのかもしれないが本来は全くの別物だ。それを薬研も知っている筈だ。なのにそんな言葉が出るなんて…本当に彼にとってみれば冗談だったのだろう。
だが私も岩融もお互い、相容れぬ関係である事は重々承知だし、からかうにしてもその夫婦という言葉は使って欲しくない事は確かだ。嗚呼、別に岩融の事を毛嫌いしている訳では無い。ただ、そういう関係である事を思い出させる上に、相手によってはその面白半分で言った一言で変に影響を及ぼしてしまう場合もあるからだ。そういうのを相手にしている事を忘れてはいけない。例えそれが共に生きているモノだとしても。


「そういえば、先日はお手柄だったそうじゃないか。大将」

「ん?…嗚呼。電車の件か。随分と噺が早いような気がするんだが?」

「そりゃぁ妖かわら版の一面飾ってりゃあな」

「…堀川か」


つい昨日の夕刻の事がこうもすぐに薬研の耳に入るのは珍しいと思えば、その正体を知って納得した。夕刻の噂を何処からか妖伝いに嗅ぎつけたのだろう、我々の業界にのみ出回っているかわら版…いわば新聞を発行している"和泉守兼定"、"堀川国広"コンビといえば情報の速さで有名である。
「特ダネだよ兼さん!」「でかした国広!」のやり取りは最早この業界では鉄板ネタである。そんな2人の事だ。大袈裟にでも記事にして発行したのだ。これがウチの店の宣伝になればいいのだが、そうもいかないらしい。でなければ、閑古鳥なんて鳴いてない。


「そうそう。あの辺の妖ども、アイツが現れたせいで怯えてたみたいでさ。アンタ等に感謝してるってさ」

「おお。それは何よりだな!」


薬研が此処に来る途中、幾つかの妖に会ったらしくそんな事を言ってたと笑う。まぁ、悪いヤツが居なくなって少しでもそういう力のない無害な奴らが平和に過ごせる場所に戻ったのなら別に問題は無い。そう言ったものたちの味方でありたい私たちはその話を聞ければまぁ、満足だ。


「…で?世間話はその辺にしておいて…仕入れて来たのは薬だけじゃないんだろ?薬研」

「フッ。流石大将、目ざといねぇ」

「え!じけんですか?!」


ペラペラと言葉を並べる薬研に、ピシャリと藤乃が一言言い放つと彼はバレたかとばかりに苦笑して頭を掻いた。薬研が薬を持ってくるときには時折、訳有りの噺もついてくるときもある。どうやら今日はその日らしい。核心を突くと傍に居た今剣の顔がパアアっと明るくなる。余程今まで退屈だったのが分かるほどに。


「…最近、あの河原は"出る"らしいんだよ」


パタンと薬箱の蓋を閉め、薬研がスッと此方に顔を近づけながら口の端を吊り上げる。ポツリと彼の口から零れた一言に今剣も岩融も興味津々だった。





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