「…ふわあああ」

「何とまぁだらしない。いつまでそのようなお姿でいるおつもりです?」

「せめて口を手で隠したらどうだい?女性らしく、おしとやかに」

「仕方ないだろ。昨日は散々だったんだか、ら…」



既に日も高くに昇りかけている時間帯。ようやく寝床から這い出し、寝室から1階へと階段を欠伸を零しながら降りてきた時であった。フと会話が成り立っていることに気づく。おや?まだ岩融と今剣は上に居る筈なのに、明らかに会話は1階の間から聞こえてきた。徐々に徐々に不審が確信に変わる。言葉を詰まらせながらも、バッとそちらに顔を向けて藤乃は更に驚いた。



「うわっ、出た!」

「出たとはなんです、失礼な」

「そんなに驚かなくても良いじゃないか」


ニコやかに微笑む大柄な男性と、隈取のような模様の描かれた1匹の狐。忘れる筈も無い、石切丸とこんのすけだ。石切丸は勝手にお邪魔してるよ、といつの間に沸かしたのか店の御客用の湯呑でお茶を啜っていて、こんのすけは卓袱台の上の茶うけに貰った煎餅を頬張っている。家の住人が上で寝ている間に随分と寛いでいたらしい。


「どうしたんです?」

「何かあったか?藤乃」


と、藤乃の驚いた声にのろのろと2階の階段付近から下を覗き込む今剣と岩融。何かあったか、じゃない。もう既に起こっている。否、既に侵入されている。一応何か家の中で不審な動きがあれば反応する札を幾つかこっそりと貼っていたのだが…。流石連中の遣いは一味違う。


「…ん?お前らがいるって事は…」


ドスドスとゆっくり上から降りてきた今剣と岩融が「おお、久しい顔だのォ」だのなんだの言っているのを遠くに聞きながら、不意に此処に現れた本来の彼らの役割を思い出した。


「はい。"御上"がお呼びです」


所謂"御遣い"と呼ばれる彼ら。御上が会いたいと言った輩を呼びに行ったり、時には下級の妖を祓ったりする任務も担っている。まぁ、御上の雑よ―…何でも係りだ。何でもこなす優秀さとまたそれなりの"気"を纏っている者達だ。


「…例の件か?」

「さぁ?どうだろう。我々はただ、君を呼んできてくれと頼まれただけだからなぁ」

「………」


この石切丸という男。ニコリと微笑む笑顔の仮面が厚くて、その本心は出逢ってから何年経っても掴めない。人間と妖の合間に立つ、人間寄りの存在とは聞いているがそれ以上の事は知らない。彼が何者なのかも、何者だったのかも。


「早く出かける支度をなさってください」


まさかそのまま出かけるつもりですか?とこんのすけが急かす。もう此方に拒否権は無なそうなその言い方に少し気に喰わないように微かに表情を曇らせる岩融と今剣を藤乃は見逃さなかった。
正直、こいつ等が御上を嫌っているのは知っている。まぁ、私自身も苦手ではあるが、逆らえばどうなるかなんて目に見えている。それぐらい、妖や私たちのような存在にとって彼らは大きな存在だ。厭々な雰囲気を醸し出しながらもふわああと一つ欠伸を零し、伸びをする岩融。


「さてと。呼び出しなんぞ、いつぶりかの」

「ぼくまだねむいのに」

「…お二方、何か勘違いされておりませんか?」


気持ちを切り替えてさっさと準備しようと動き出す岩融に、あからさまな雰囲気で行くことを渋る今剣。ふとそんな2人を見てこんのすけが淡々と言い放つ。


「我々は"藤乃様"をお迎えに上がったのです」


その一言の真相は明らか。彼らは私たち祓い屋の3人ではなく、"私"を迎えに来たのだ。それは私以外の2人に用は無いと言っているようなモノ。なら、態々3人が揃っている時では無い時に私だけを呼べばいいものを…否、あの爺なら何も考えずやりそうな事だ。いつ、どこでも、決断したその時に実行する。それがヤツだ。


「おまえこそなにをいっているんです?」

「貴様、我らが藤乃ひとりだけでそちらに行かせると思うたか」


思いつきも、何もかもアイツの思うが儘。まぁそれほどまでに力を持っている事は誰もが知っているから逆らう事も出来ない。アイツのそのところがいけ好かないと普段から思っているウチの2人にとってみれば、こんのすけの一言はかなり頭にくる一言に違いない。先ほどまでの雰囲気から一気に空気が張り詰めたものに変わる。嗚呼、またか。


「ワタクシの決定ではありません。御上の権限です」

「ッ!戯言を!」

「おや、御上に逆らうので?ワタクシは一向に構いませんが」

「止さないか」


今にも岩融と今剣、そしてこんのすけの妖気がメラメラと燃え上がり一触触発しそうな雰囲気を裂いたのは落ち着いた低音の声。他でも無い、石切丸だ。


「こんのすけ。少し言い過ぎだよ」

「も、申し訳ございませぬ…」


裂いた、というよりもストンとその妖気と妖気のぶつかり合いの真ん中に重々しい何かがストンと落ちたような、そんな感覚。それほどの妖気を纏う岩融たちも何故だかこの石切丸の気には少し怖気づいてしまうようで、皆口をつぐんだ。
ズズズズズ…と湯呑の中のお茶を啜りながら優しい口調でこんのすけを諭すその表情は微笑んではいるが、その裏笑っていないようにも見え、こんのすけも少し戸惑ったような恐怖したように口を籠らせた。


「別に此方は頼まれてきているだけで無理に連れてこいとは言われてないからね。君が拒めばまた日を改めて出直すよ」


嗚呼、やはり読めない男だ。その笑顔の裏に何を隠しているのか。しかし無言の圧力も何も不思議と感じない。恐らく石切丸の言う言葉に嘘は無いのだろう。
此方の都合を優勢してくれる姿勢は優しいとは思うが、結局日を改めるということでいずれは向こうに連れて行かれる。最初は拒めたものも徐々に拒めなくなるのは目に見えている。もしかしたらこんな丁寧な迎えも来ない間に神隠しの如く扉を開けた途端アチラに引き吊り込まれる、なんてことにもなりかねない。


「…否、今支度する」

「藤乃!」

「此処で逆らえばどうなるか目に見えているだろう」

「っ…!しかし!」


ならば、善は急げだ。上の機嫌が良い内に顔を見せて置けば間違いはない。行った後で機嫌を損ねるかどうかは分からないが、明らかに顔を見せずに逃げ続けているよりかはマシだろう。そもそも逃げ切れるとは思っても居ない。アイツから逃げられる筈が無い。
藤乃がよいしょと動き出したのを岩融が制止するがそれを無視する。口籠る岩融の言いたい事は分かる。だが、此処で行かなければ明らかに私だけでなく岩融にも今剣にも被害が及ぶ。否、寧ろ"私以外の者"が危険だ。そう、簡単に言ってしまえば私は多くの人質をアイツに取られている。悪趣味め。


「さて、さっさと出ようか。お二方の面目を保つためにも」

「おやおや。これは参ったな」


髪を結い直し、簡単に衣服を整えるとクイッと指を動かし、壁にかけて置いた上着を呼ぶとフワリと浮いた上着を素直に羽織る。朝飯…昼飯を食べている暇もない。とっとと済ませてとっとと帰ってくる。それだけだ。急に急かす立場が逆転して困り顔の石切丸もよいしょと立ち上がり、こんのすけもそれに続いて能面のような顔を嬉しそうなものに変えると尻尾をフワリと揺らしトコトコと歩き出す。


「2人とも、留守を頼む」

「…はい」

「…………」

「岩融」

「………応。承知した」


石切丸とこんのすけに続いて店の玄関に立ち後ろを振り返る事無く言えば今剣は素直に返事を返してきたが、依然として岩融は納得いっていない様子で仏頂面のまま藤乃の背を見ていた。
最早引き止められない事に苛立ちを覚えているのか、返事を促した藤乃の声に厭々ながらに返してきた返事も少し低い。言葉は納得しているが、心は納得していない。それが誰でも分かるほどにあからさまな言い方だった。


「…何かあったらすぐに呼べ。良いな」


玄関前で特殊な印を結ぶ石切丸の背を見ていたら不意に後ろから飛んできた声。素直に送り出せないのかこの大きな生き物は。思わずその声に振り返った。俯いている岩融の淡い桃色の綺麗な短い髪の頭に手を伸ばす。


「勿論」

「あ〜!いわとおしだけずるいです!」

「はいはい」


ポンポンと岩融の頭に触れると彼自身は驚いたように固まり、それを傍で見ていた今剣がぼくもぼくもとせがむので優しく今剣の頭をヨシヨシと撫でてみる。すると今剣が嬉しそうに笑うものだから、先ほどまでの雰囲気が何処かへ吹っ飛んでしまった。


「直ぐ帰って来るから大人しくな」

「やくそくですよ!」

「ん、約束だ」


今剣がピッと差し出した小指に自分の小指を絡めて数度上下する。なんて子供染みた約束の仕方なのだろう。でもこれでいい。このまま行って帰って来られなくなるかもしれない、なんて柄に無く脳裏に浮かぶ不安もこの約束だけで帰って来られる自信に変わる。まぁ、端から何が何でも帰ってくるつもりだが。お守り代わりのおまじないみたいなものだ。

それじゃぁ行くよ、なんて石切丸が此方を見て微笑んでいた。嗚呼、そんな顔も出来るのかなんて頭のどっかで思いながら静かに頷くと石切丸がピッと空を切った。

途端、開け放たれる玄関。吹き込む柔らかな風。差し込んでくる眩い光。春の香りが微かに鼻先を掠める。スウッと光の中に消えて行く石切丸とこんのすけの後を追って足を踏み出す。玄関を潜り、一度目を綴じればガラガラピシャンと後ろで玄関の引き戸が閉じた音が聞こえてまた目を開く。そこに広がるのはいつもの街並みでは無い。ヒラヒラと微かに視界の隅に舞う花びら。嗚呼、また来てしまった。なんて思っていた。





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