当連載25.5話あたり設定


おい。

と低い声が聞こえた気がした。けれど、今はそれ所じゃない。今、将に集中の更に集中の塊と化した私の手には新技の完成形がその形を顕わしかけているのだ。此処で集中を切ればまた初めからやり直しだ。
正直、今日はこれが最後だ。もう今日の分の自分の限界を疾うに超えているのは自分自身が良く知っていた。だからこれだけはどうにか完全な完成形に近づけさせたい。だから、周りの音なんて何も聞こえないフリをした。そして、その私は掌に纏った新技の完成形を大きく振りかぶり、視線の先に捉えたセメントス先生お手製の的に向けて思い切りぶつけようとした。…でも、


「おい」

『………』

「…おい、こら」

『あ、』


ドサリ。顔面から体育館の床に雪崩れ込んだ。大きく振りかぶった体制から一気に力が抜けてしまう。手に纏っていたソレも一瞬にしてパリンと音を立てて砕け散った。でもこれは集中が切れたからではない。明らかに発動していた個性が消えた。否、消されたのだ。


『………せんせ…』

「なんだその眼は。俺は何度も呼んだぞ」


顔面から床にこんにちはをした私を見下ろす1人の男。この雄英高校の教師であり、私の担任であり、イレイザーヘッドというプロヒーローでもある相澤先生だ。こんな事で個性使わせるな、なんて言いながら目薬を差す。嗚呼、本当にこの人(先生)は…。


『も、もう少しで完成だったのに…』

「ああ?お前の事情なんて知るか」

『酷いです先生。教え子の成長がそんなに気に喰わないんですか』

「そんな事言ってねえだろうが」


先生の個性こそ、見ただけで個性を消すことの出来る個性。今まさに技が完成しようとしたその時、呼びかけに応じなかった私の個性を消してしまったのだ。タイミングを考えて欲しい。ようやく此処まで辿り着いたのに…。ヨロヨロと床から起き上がり、パンパンと体操着に付いた汚れを叩き落とす。とそれを眺めていた先生が「はぁ」と小さく溜息を零しながら私を見下ろして言葉を繋ぐ。


「大体お前、何時に帰るつもりだ?」

『え?』


その言葉に慌てて体育館の壁に取り付けられた時計を確認する。とっくに下校時刻を過ぎ、居残り組も況してや何かのクラブ活動をしている生徒たちもとっくに帰っている時刻。窓の外もすっかり日が落ちて暗闇に包まれ始めている。


「セメントスも他の先生たちもほとんど帰ったぞ」

『…マジですか』

「おー、マジだマジ」


ようやく事態の重大さに気づいたか。と呆れた言葉を繋げながら先生は辺りを見回して随分と散らかしたもんだな。と呟く。急いで片づけなければ。そう思って今片付けますと慌てだす私を見て、あー良い良い。と相澤先生が私を制止する。明日13号にでも片付けさせるとかなんとか言って早く荷物纏めろ、と促す。
やれやれと体育舎の外に出て行く相澤先生の言葉通り慌てて制服と教科書の詰まった鞄を持って、先生の後を追って体育舎の外へと飛び出す。嗚呼、13号先生ごめんなさい。あとでお詫びの品をお持ちします。


『す、すみませんでした』

「ああ?…謝るぐらいなら自分の体力の限界迎える前に辞めて帰れ」

『う、』

「幾ら体育祭が近ぇからって、無理に追い込み過ぎて体壊したら元も子もねぇんだろうが」

『お、仰る通りです』


すっかり暗くなった辺りの中、先生の言葉に何の反論も出来ず思わず俯いてしまう。そんな私を横目にガチャリと先生が手に持っていた鍵で体育舎の出入口を施錠する。どうやら施錠係らしい。ん?でも待てよ?


『…そういえば、先生は残ってくれたんですね』

「あ?…まぁ生徒残して帰る訳にも行かねえし…第一担任だしな」


相澤先生なら、私のこの秘密の特訓を許可してくれたセメントス先生に施錠を頼んでさっさと帰ってしまいそうなものだと思っていたが…どうやら私の偏見だったらしい。私の言葉にボリボリと後頭部辺りを掻きながらトボトボと通路を歩き出す先生の背中を見つめながら、一応担任だという自覚は忘れていなかったんだなぁなんて思いつつ着いて行く。と、不意に


「…ほら」

『おわ、』


ヒョイと何かを投げて渡された。まだ反射神経を働かせるだけの力は残っていたらしい。とっさにそれを受け止める…愛らしいデザインが印字された紙パックの飲み物だった。


「それやるから大人しくさっさと帰って寝ろ」

『あ…有難うございます…』


イチゴ牛乳…。か、可愛過ぎる飲み物と渡してきた先生のギャップに自然と笑みが零れそうになるのを堪える。失礼だけど先生が自販機の前でピッとイチゴ牛乳のボタン押してるトコ目撃したら絶対に大爆笑する。あ、駄目だ想像しただけでも面白い。先生ゴメン。
学生専用の玄関までくると、先生は気を付けて帰れよーなんて言いながら、此方を振り返る事無く職員室の方へと歩いて行く。此処でどうやらお別れらしい。


『おっ、遅くまですみませんでしたー!』


あっという間に遠退いて行く先生の背中に向けて頭を下げながら声を上げると、先生は何も言わずヒラヒラと手を振って歩いて行った。その背中が見えなくなって、下駄箱から自身の靴を取り出し全て履ききる前に校舎から出る。
トントンとつま先を鳴らして入りきっていなかった足を靴にしまいながら手に持ったままのイチゴ牛乳に目をやる。ピンク色の可愛らしいパッケージ。明らかに女子高校生が好みそうな飲み物。態々買ってくれたのかは分からないけれど、チョイスは間違っていない。

…まさか私がイチゴ牛乳好きなの知ってた…はは、そんな訳無いよね。

幾ら先生でもソレは無いだろう。きっと先生の中で無難な飲み物がイチゴ牛乳だっただけだ。そうに違いない。薄っすらと星が見え始めた空を眺めつつ、紙パックにストローを刺し一口啜る。うん、甘い。美味しい。疲れた体に糖分がいきわたる気がしながら家に向かって歩き出した。

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