「仕事って、ライター?」
「まぁ…」

真剣にパソコンに向かう様子は、誰かさんを思い出してしまう。少しずつ文字で埋まっていく白い画面から目を反らし、ベッドに寝転がって天井を見つめる。さて、これからどうしよう。月島は俺が行く当てを見つけるまでここにいてもいい、と言う。でも、まだ返事はしていない。何の気なしにベッドに寝転がってしまっているが、初対面の人の家で暮らすなんて怖い。でも月島となら…、という自家撞着。人間不信気味な俺が、そんな生活耐えられるのだろうか。そして、この誘いを断ったとして俺はどうするのか。でも、きちんと答えが出るまではここにいさてせもらう。結局、俺は臆病なだけだ。新しい一歩を踏み出す勇気が無い。
俯けになって、清潔な枕に顔を埋める。洗剤の匂いに混じって月島の匂いがして、慌てて顔を離した。

「…そういえば、本は?出したことある?」
「何冊かは」
「どれ?」
「そこの段ボールの中に」
狭いとはいえ綺麗に整理された部屋なだけに、隅に追いやられたデザイン性の欠片もない段ボールはすごく浮いて見える。中を覗くと、ハードカバーの表紙が見えた。シンプルでなかなかいい。だけど、

「こんな本、知らない」
「すみません、それ、地味に傷つきます」
苦笑して、その段ボールを引っ張って自分の方に寄せるともう扉が閉まったままの部屋に持っていってしまった。もどってきた月島に、なんで持って行っちゃったんだ、と文句を言う。

「恥ずかしいんで」
俺の顔を見ずにそう言うと、またパソコンに向かってしまった。『仕事』の邪魔をするわけにもいかず、何もすることが無くなったので窓の外を見ると黒い猫が窓を引っかいていた。一階だから?よくわからないまま窓を開けるとその猫が飛び込んできた。唖然としていると、あっという間に月島の膝の上に陣取った。

「お、ジローきてたのか」
にゃー、と可愛らしい声で鳴く猫を抱き上げるとそのまま頬ずりした。

「窓開けて良かった?」
「はい、別に大丈夫ですよ。なー?ジロー」
猫相手に満面の笑みを見せると、立ち上がって餌を取りに行ったらしい。月島が餌を置くと、勢いよく食べ始めた。食べてる間もずっと首を撫でてもらっていて、猫のくせに贅沢だなぁと思った。

「飼い猫?」
「いえ、野良ですよ。怪我してるの手当してあげたら懐いちゃって…」
「ふぅん」
俺も撫でようと背中に触れた瞬間、振り向いて引っかかれた。手に血が滲む。なんだ、コイツ。人間なんて…と思っていたら次は猫か。俺に優しくしてくれるのは月島しかいないのか。傷口から赤い細い線となって、血が流れるのを何もせずに見つめていると、月島に腕を引っ張られた。泣きそうな顔でその傷を見ると、ティッシュで血を拭き取り、さっきなおしたところの救急箱から消毒液を持ってきた。

「こんなの、ほっといても大丈夫だと思うんだけど」
「ダメですよ!綺麗な手なのに傷が残ったら…!」
素で男に向かって手が綺麗とかいうやつのほうがダメだと思う。されるがままに治療を受けていると、月島が自分に構ってくれなくなったのが寂しかったのか、今度は飛びかかって顔を引っかいてきた。この猫、よっぽど月島が好きで好きで俺に嫉妬したのか、それともただ俺が嫌いなのか。答えはわからない。もしかしたら、両方かな。

「あああ!!ジロー!すみません、本当に…!」
「いいよ、別に顔くらい。」
適当にそう言うと、いきなり両手で頬を挟まれ無理矢理目を合わせさせられた。ビックリした。

「なに」
まただ。また、泣きそうになってる。俺のせい?笑っててくれればいいのに。くるくると目まぐるしく変わる表情に振り回されてしまう。

「さっきから思ってたけど、なんでもうちょっと自分を大切に出来ないんですか。痛いなら痛いって言った方がいい。自分を大切にできない人は、他の人も大切に出来ないんですよ。」
その言葉に、脳味噌が揺さぶられた。たぶん、月島に悪気はない。俺のために言ってくれてる。でも、ちょっとだけ心が痛い。こんなの世間一般でも言われてて、ただの受け売りだろう。それでも、君の柔らかい笑顔をみたい、大切にしたい、と思ったことを本人に否定されたら俺はどうすればいいのかな。俺にはやっぱり何も大切にできないのかな。そう思ったら、涙が流れた。傷ついた頬に涙が沁みる。自分を大切に、がよくわからない俺が人を大切にするなんて確かに驕った考えだった。

「ごめん」
「な、ちょ、泣かないでください!すみません!泣かせようと思って言った訳じゃなくて、あの、」
焦って自分の袖で俺の涙を拭う。でも、切り傷の上からこすられてるからかなり痛かった。言わなかったけど、こういうのが駄目なの?よくわからない。血が滲んだシャツの袖を見て、また平謝りしてきた。

「本当にすみません…」
「別に、大丈夫だから」
そう言うと、複雑そうな顔をされた。たしかに、涙が止まらないまま言われても信じられないだろう。部屋を見渡すと、すでにジローはどこかに行ってしまっていて、隙間の開いた窓から春の冷たい風が部屋に吹き込んでカーテンを揺らしている。いいなぁ、猫は。ふらっと部屋に来るだけなのに、あれだけ可愛がってもらえて、膝に乗るだけで、最高の笑顔で見つめてもらえて。

「ねぇ、月島」
俺の頬に消毒してガーゼを貼ろうとしている彼に声を掛ける。初めて会ったのに、これだけ落ち着いて話せるのは月島が初めてだ。そして、深く人間の心に立ち入りたいと思ったのもこれが初めてだ。月島に、触れてほしい。大切にしたい。もっと笑ってほしい。できれば、俺が原因で笑って欲しい。こんな感情はなんだろう。

「俺にも、名前つける?」
俺の言葉に動揺したのか、ガーゼを張り付けるためのテープを出しすぎて口まで貼られてしまった。

「え…ど、ういうことですか」
唇に引っ付いている長くなりすぎたテープをちぎって剥がした。鏡は見てないけど、とても不格好に切れてると思う。

「さっきの猫みたく、コジローとか。もし月島の家に居候させてもらうことになれば、その方が愛着湧かない?」
猫が羨ましいから、とは言えなかった。ペット感覚でいい、とか人間のくせにプライドの欠片も無い。それでもいいと、俺の中の何かが俺を後押しする。

「名前つけるとか…いや、無理です。」
「なんで?」
「本当の名前知りたい…って言ったらイヤですか?俺はそっちの方が嬉しいです」
照れたように顔を赤くしながら言われて、こっちが恥ずかしい。涙もいつのまにか止まっていて、変わりに頭が熱くなってきた。ベッドに倒れ込んで、月島の匂いがする枕に顔を埋める。

「…ろっぴ」
「へ?」
「六臂」
「六臂さん?」
本当に嬉しそうに名前を呼んでくれるから、逃げるように膝を抱えて丸まった。そうしていると、布団をかけて窓を閉めてくれた。やっぱり、月島は優しい。

「ここで寝ていいわけ?」
「いいですよ」
ニコッと笑った顔を見て目を反らす。

「おやすみなさい、六臂さん」
耳元で囁くように言われる。天然でやっているのか、確信犯なのか。どちらにしろ、もう二度と目が覚めなくてもいいかな、と思えるくらいには俺は月島に侵されている。もう、きっと後戻りは出来ない。また、人を信じてしまう。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -