俺は日々也の執事で、日々也は俺の主人でまた、愛する人だった。

「デリック」
「何ですか?日々也様」

日々也は一人じゃ何も出来ない。シャツのボタンを閉じることも、タイを結ぶことも、自分の象徴である冠をまともに載せることさえ出来ない。
今みたいに俺を呼び、「ん。」と言って対象を指差すだけだ。すると俺の手がその望みを淡々と叶えてやる。そんな非日常は彼にとっては日常で、生まれ時からそうだった彼はもう俗世間にまみれることは不可能だろう。

しかし、今の呼び掛けは何かをして欲しいときの声ではなく、

「デリックは愛する人間は一人しかいないのか?」
「えぇ、何があろうとこの世に一人です」
薄い琥珀色の瞳が不安げに揺れる。いつもは何も話さずお休み、とだけ言って眠るのに何故か今日はよくわからない質問を投げ掛けてきた。

「僕は一人じゃない。僕は民を皆愛している。父上も母上も『王子』と言って慕ってくれる家臣も全員のことが好きだ、愛している。」
「そうですか」

俺はやり場の無い気持ちを、その言葉を聞いて更に締め付けた。

「愛とは与えて見返りを貰うものだというので、父母に恩を、家臣に地位を、民には良政を与えて、見返りに愛している貰っていると僕は考えていた。」

俺はギョッとした。こんな人間がいるのか、と。愛をまるで分かっていない、ただの等価交換とでも思っているようだった。
いつも動かない、まるで人形のように美しい顔が少し歪んで困った表情を作り出す。

「でも違うらしい。本当に愛する人は普通は一人らしい。それも自分の命を賭してもいいと思えるような人間に対しての思いを愛というらしい。だとしたら僕は一体何なんだ?今までの愛は偽りだったのか?僕は愛されていなかったのか?僕は…」
そう言って布団を握り締める手がどんどん白くなるのを見て、やめてください、と言って手を握ると、きつく握り返された。

「デリック、お前は僕のことが嫌いなのだろう?」
驚いた。彼は何を勘違いしているのだろうか。俺の顔を一瞥すると、また顔を戻して口を開く
「僕はデリックに何も与えてない。金なんて皆に与えてるんだから関係無い。それ以外で、僕はお前に何も見返りを与えていない。だとしたら愛されるわけも無いだろう。僕はただデリックに我が儘を言って迷惑をかけてるだけだ。そんなことしていたら、嫌われていくというのは分かっている。でも、」

ふと、日々也の顔を見ると静かに涙を流していた。
いつもは無表情で感情を表にしないというより、無感情なだけの日々也が涙を流している。俺は心の何処かが跳ね上がるのを感じた。
俺のための涙か?と尋ねたくなった。

「お前は一つも嫌な顔をしないから、まだ大丈夫、まだ大丈夫と甘えていたんだ。でも、お前に愛する人がいると言うなら、ただ一人だけだと言うなら、僕はお前にとっては疎ましい存在でしか無いかったのだろう。」

水を蓄え、ビー玉のように美しい目が俺を捉える

「僕はデリックに愛されたい。愛というものはよく分からないが、僕はデリックがそうしろと言うなら喜んでこの地位を捨てる。死を望まれても死ねるとは思えないだろうからこれは愛とは言わないのかもしれない。」
「日々也様…」
「デリック、僕は考えたんだ。皆に対する気持ちや向けられるものが愛じゃないかもしれないと分かった時に。僕は誰に罵られても何も感じなかったのに、お前に黙って立ち去られるかもと考えただけで身が裂けそうなんだ。そしてもしかしたらこれは愛という感情かもしれないと感じた。」

握った手が震えている。いや、震えていたのは俺なのかもしれない。

「お願いだから、その愛する人の次でいいから、愛してくれ。もしお前にまで見捨てられたら僕はもう…っ」

実の母の死、父の病、継母の陰湿な虐め、妾の子としての世間の目、出世の足掛かりとして利用しようとする者、日々也は世間の悪意しか知らずに生きてきた。愛なんてもっての他だっただろう。何にも触れずにできるだけ自分の身を守ろうとしてきた日々也の防護壁は思い込みの「愛」だったのかもしれない。それが崩れかけて、たまたま縋りつくことが出来たのが自分なだけだ。彼が望む愛は俺が思う愛じゃないかもしれない。
それでも、いい。

「日々也様、私はあなたをずっと前から愛しています。」
そう言いながら涙を拭ってやる。
「本当に…?」
「えぇ。俺は貴方のために命を投げ出すことだって出来る。日々也様、愛ってのは理屈じゃないんです。誰にも、本人にさえどうこうできない感情を目に見えるものに置き換えるのはナンセンスです。」
目を丸くしてなるほど、と呟く声が愛しかった。そうやって何でも筋を通して考えようとするところがたまらなく可愛いのだ。

「俺は貴方がいることで既に満ち足りている。足りないとしたら日々也様の方だ。」
先ほどまで握っていた手を引っ張って、細い体を抱き締める。

「貴方の愛がどんな形であろうと、俺は俺自身に忠実に貴方を愛しますよ。」
「そうか、」

小さく言葉を返すのと同時に、腕が背中にまわり強く力を込めてくる。

たとえ貴方の愛が俺の愛と違ったとしても、両思いの形をした片思いでも、俺はこの身が消えるまで日々也様を愛し続ける。
私は貴方以外愛せないのだから


――――――
日々也さんは保護者に対する愛でデリックさんは恋人に対する愛的な。
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