「愛の定義とは、難しいものだよ。だれかが『愛は許すことだ』といっている一方で、誰かは『愛は奪うことだ』と説明する。解釈が千差万別であるならば、何をもって感情に愛となづけるかも、また千差万別であると言える。だとしたら、君にとっては『憎しみ』である感情も、もしかしたら愛かもしれないということは不可能ではないと思うよ。」
そういってコーヒーをすする新羅に、静かに視線を移した。
「詭弁だ。白馬は馬ではない、と言っているようなものだ。」
俺は自分の空いたカップをテーブルに置いた。それと同時に新羅は立ち上がると自分のカップだけを持ってキッチンに向かった。あいつが俺のカップが空であることに気づかないわけがなく、暗に早く帰れ、と言われているのだろうと思った。窓の外は橙色に染まっており、もうすぐ運び屋が帰ってくるのだろう。
「とにもかくにも、僕は知らないよ。彼がー静雄君が、まさか君にそんなことをするとは皆目見当がつかなかったさ。たしかに、仲良くしてくれればなぁ、と思ったことはあるけど、そんな関係になることは期待も想像もしていなかった。だからその薬は僕の提供ではないし、関係もない。そして、君たちのそういう事情には関わりたくない。」
眼鏡を軽く押さえてもとの位置に戻すと、新羅は感情の伺えない色で笑った。そして、湯気の立ったカップをソーサーの上に置き、またもとの位置に座った。

「帰るよ」
「そう。…どこに?」
最後の質問は聞こえなかったふりをして、新羅の部屋を出た。


 日も大方落ちて、黄昏時と言うに相応しい時間帯だ。影が黒く、長く伸びて俺の足にまとわりつくようだった。両手の痣が疼く。あのときと同じ夕方。…と言ってもその日は雲が出て暗かったが。ふと立ち止まって薄暗い路地裏を見ると、否応なしに記憶が引きずり出された。


 ほんの数日前だった。桜も満開の見頃を過ぎ、公園や川沿いで騒いでいた人間たちをあまり見かけなくなった時期だった。
 その日は池袋で仕事があったが、さして重要な用件でもなかったがきちんとやり遂げて事務所に帰る途中だった。情報屋なんて仕事をしているからには足を一歩踏み出すのにも気を使わないことはない。新しく雑居ビルに入った店の名前、すれ違う人間に見覚えはないか、座り込んで話している若者たちの会話の内容など、一つ一つを分析し、取捨選択して記憶していく。全ての情報は等価値だ。ただ、その情報を必要とする人間が生まれれば、0だった商品価値も需要にあわせて上昇する。

「臨也」
この声は、と考える暇もなく、条件反射で頭に天敵の名前ー平和島静雄がよぎった。いつもと違うのはその声が近すぎることと、声と同時になにも飛んでこないことだった。振り向く前に手をとられ、脇の路地にひっぱりこまれる。凶器がとんでくるよりも前に腕をとられるなんていつぶりだろうか。いや、きっと初めてだ。怪力で、破壊活動でしか働かないはずの腕が、俺の腕を、逃げられない、だけど折れないくらいの力で掴む。

「どうしたの?まさか君に腕を掴まれるとは思わなかったよ!俺も落ちたもんだね。それはそれとして、君がまさかこんな行動にでるとはね!頭のネジ飛んじゃった?はは、いや、君には飛ぶネジもなかったね!」
力で抵抗すれば、手を掴まれている今、自分の身が危ない。しかし、口で挑発すれば、いつものようにキレてその瞬間にでも手を離すだろうと思ったのだ。いつものシズちゃんなら、すでにキレているはずなのに、今日は俺の腕を引いて、黙々とシズちゃんはゴミが散らかり、落書きにまみれた壁の間を進んでいく。おかしい、と思った。そもそも、俺を見つけたときに殴りかかってくるのが”普通”なのだ。たとえ、一般人から見ればこの状況のほうがまだ普通だったとしても、俺からすれば紛れもない”異常”だった。日の光が当たらないこの薄暗い路地は俺が知っているかぎり、ここらへんでは最も人目の少ない場所だった。いやな予感がした。本能的に逃げなければ危険だと感じ、身を捩ろうとした。が、それはかなうことなく、ところどころ綿が飛び出しているマットの上に投げられた。



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