死というものはどこにでも潜んでいる。俺が生きてる限りは影のようにつきまとって、自分の出番を待っている。俺は死ぬのが怖いからこそ、そのことを十分に理解していた。まだ若い健康そのものな人間が交通事故で明日死ぬこともあれば、余命一ヶ月と宣告された人間が一年後も生きていることもある。死は予測できない。そして死んだ後に「死後の世界」があるわけでもない。死んだら最後、自分が死んだと自覚する俺自身さえいなくなる。そんなの怖い。だからこそ、俺は今日も死を恐れて、また死を忘れるために生きるのだ。

自分が虚弱体質であることを知ったときは泣きそうになった。これ自体はいますぐどうこうなる病気ではない、でも、何にせよ俺は死ぬのだ。それなのに、他人より劣っている部分があってたまるか。他人より人生を楽しめないかもしれないなんて許せなかった。

「待てぇぇ!!」
「やーだよ。待ってほしいなら、捕まえてみれば?」
飛んでくる凶器もとい学校の備品を最小限の動きで避けながら、シズちゃんに軽口を叩いて背を向ける。体力がないので持久性には多少難ありだったが、瞬発力だけはあったので、効率を考えながらシズちゃんという最悪な追っ手から逃げ回る。

「いざやぁぁぁ!!」
帰ろうとしたシズちゃんにチンピラをふっかけたことで、大層ご立腹らしい。今まで俺を追いつめたことはあっても、捕まえたことなんて一度も無いのにご苦労なことだ。屋上まで逃げて、シズちゃんが追いつかないうちにパイプを伝って教室に戻り、何もなかったかのように家に帰る――俺の計画は完璧だった。教室に戻って息を整えれば家に帰るまでの体力が無いことも無いし、もしものときは運び屋に送ってもらえる。
以前、シズちゃんとの喧嘩で逃げ切れたものの体力使い果たしてしまい、運び屋にきてもらったことがあったが、それを知った新羅に「馬鹿だね。いつもの深謀遠慮な君はどこに行ったんだい?」と皮肉を言われたことを思い出した。前の二の舞は御免だな、と考えた俺を見透かしたかのように、目の前が一瞬揺らいだ。これはちょっとやばいかもしれない。そういえば、今日はいつもよりも体が言うことを聞かない。呼吸が浅くなってきて、息が苦しい。ペースダウンした俺がシズちゃんを引き離せるわけもなく、数十メートル後ろでシズちゃんが俺の名前を叫ぶのが聞こえた。それでもなんとか屋上への階段を上る。そういえばドタチンが無理するな、って困った顔してたよな。新羅も皮肉まじりだけどあれで一応心配してるんだもんな。このまま気絶なんてしたら二人に怒られるなぁ。
屋上に繋がる扉が見えてホッとした瞬間、また視界が揺れた。足をつけていたはずなのに、浮遊感を感じる。そのまま後ろに倒れる感じがして、ああ、俺、死んじゃうのかな、と不謹慎なことを考えた。

「臨也!?」
シズちゃんの声が聞こえる。平常時はノミ虫って言うし、怒ったときはもっとドスの聞いた声で俺の名前を呼ぶ。ちょっと焦った声色で名前呼ばれたのはじめてだなぁ、と思ったのを最後に俺はそのまま気を失った。


「おい、ノミ虫」
俺の好きな声で、俺の嫌いなあだ名を呼ぶ声がする。


「…しずちゃん?」
「おう」
返事を聞いてから恐る恐る目を開けると、本当にシズちゃんがいた。この見慣れた部屋はたぶん、新羅の家だ。なんで、どうして、と疑問を感じたが、俺の額に触れてきたシズちゃんの手でそんなもの全部吹き飛んだ。

「テメェ熱あんのに、あれだけ走ったらいくら健康な人間でもそりゃ倒れるだろ。」
「俺、熱あるの?」
離れてしまったシズちゃんの手の代わりに自分の手を置いてみたが、そんなに熱いとは思わなかった。

「ぜんぜん熱くないけど?」
「馬鹿かテメーは。熱ある人間が自分のでこ触ったところで熱あるかどうか分かるわけねぇだろ」
「…そっか」
ぽすん、と乱雑に自分の手を元の場所に戻した。大きな窓から入ってくる西日が眩しい。日が暮れきっていないといことは、俺が意識を失ってからまだそんなに時間は経っていない。光を受けてシズちゃんの髪が日に透ける。シズちゃんの髪の毛、キラキラしてて綺麗、とつい呟くと恥ずかしそうに顔を逸らされた。

「あのさ、もしかしてシズちゃんが運んでくれたの?」
「ああ」
そっぽを向いたまま、小さく頷いた。俺を殺したい、と言う奴が俺をたすけてくれたという事実がかなり笑えた。あと、照れてるシズちゃんが珍しくて、そして可愛くてさらに笑えた。

「臨也」
「ん?」
「もう、俺に喧嘩ふっかけてくんな」
ぼそぼそと、面倒くさそうに話す内容に背筋が凍った。

「なんで?」
「テメェ、体弱いんだろ?新羅にさっき聞いた。無理ばっかしてると、本当に体壊すぞ。だからもう、俺に近づくな。大人しくしとけ」
「いやだ」
即答すると、襟刳りを掴まれて持ち上げられた。服が伸びてしまう。いや、その前にこんな状態でシズちゃんに殴られたら受け身も取れずに俺が伸びる。

「あのなぁ…!!」
「なに?」
軽くいつもの調子で答えると、歯ぎしりしたあと、黙ってベッドに俺を投げた。あのシズちゃんが怒りを我慢した、という事実に驚いた。でも痛いものは痛い。階段から落ちたときに打ったらしい腰に痛みが走った。
そんなことに気付かないシズちゃんはこの部屋のドアノブを破壊して出ていってしまった。その後も俺はただ、壊れてしまったドアノブと彼が出ていってしまった扉を見つめた。シズちゃんが俺を運んでくれたこと、俺のことを心配してくれるような言葉を発したこと、殴らなかったこと。すべてがイレギュラーすぎて何も考えられなかった。シズちゃんが触った額に手を添える。さっきの少しヒンヤリした大きな手ではなくて、生温いだけの自分の手にため息をついた。

「起きたんだね」
「新羅か…」
扉が開いて、新羅が顔を出した。信じられない形に壊れたノブを気にもせず近づいてくると、テキパキと脈を計られたり、体温計を口につっこまれたりした。

「そういえば、聞いたかい?」
「何を?」
「君が倒れたときのこと」
一通り終わって、道具を片づけながら質問される。

「聞いてない。シズちゃんが運んでくれたとしか」
「そう。じゃあ言うけど、静雄くんはね臨也を庇ったんだよ」
信じられない言葉に目を見開いた。俺を庇った?シズちゃんが?

「左手、怪我してただろう?落ちてくる君を助けたときに捻ったらしい。残念ながら漫画みたいに上手くはいかず、君は頭は打たなかったものの全身に軽いのも重いものも含めて打撲がある。静雄くんは君の怪我を軽くできたものの自分の手を痛めてしまった。静雄くんが怪我するくらいの衝撃ってことは、下手すると死んでたかもね」
へらへらと笑いながら告げる内容は、俺にとっては信じ難い内容だった。実際見なかったから更にも増して。これは夢か何かかというくらいには、あり得ない現実だった。

「シズちゃん、俺なんかにも優しいんだね」
「それはどうかな」
さもどうでもいいというように笑い、新羅はうってかわって真剣な表情をして俺の顔をのぞき込んだ。

「臨也。君は今回の件で反省する点がいくつかあるはずだ。」
「…例えば?」
「君はもっと自分の体のことを理解しておいたほうがいい。常人でも太刀打ちできないような、空前絶後の馬鹿力を持った静雄くんに対抗できるだけの実力を持った君は凄いと思う。頭の中を覗いてみたいくらいだ。」
「新羅が言うと、冗談に聞こえない」
あまりにも真剣な顔をするので、冗談くらい言わなければこの部屋の空気に耐えられなくなりそうだった。

「でもね、体力勝負となると途端に君に勝ち目が無くなる。今まではなんとかなっていたとしても、これからはわからない。彼はまだ進化し続けているしね。君は今日みたいによく体調を崩すけど、そんな状態で進化していく彼についていける?無理だよね。」
至極まともな意見だ。分かってた。何も言い返せなくて、シーツをぎゅっと握った。さっきまでは痛くなかった腹がずきずきと痛み出す。

「君の体質はたしかに厄介だけど、死に至るものではない。でも、無理し続けたとしたらきっと死ぬ。今日、もし静雄くんが助けてくれなかったら死んでたかもね。次は無いと考えておくといい」
「…ああ」
そろそろ限界だと言うのは、とっくに気付いていた。気付かないフリはもうできないくらいに、俺は追いつめられていた。それでも、どうしてでも―――。

「あともう一つ」
「まだあるわけ?」
「あるよ。静雄くんのこと。」
「…」
押し黙って目を逸らした俺を責めるように、新羅が口を開く。

「この機会にさ、素直になったらどう?」
小さく首を振ると、はぁ、とため息が聞こえた。だいたい、いまさら「素直」なんて片腹痛い。先程シズちゃんと普通に喋れた上に、「綺麗だ」とか口走れたのは熱があって意識が朦朧としていたからで、きっと普段はできない。そんな俺が素直になったところで何が変わるんだ。

「君の恋心はまるで小学生そのものだね。好きな人にちょっかいかけて気を引く、なんて子供っぽいことしかできないなんて」
「悪かったな、子供っぽくて」
「別に悪いことはないさ。僕は君のためを思って言ってるだけで、痛い目にあうのは君だよってこと」
新羅にシズちゃんのことで説教されるのは初めてだった。一度も直接的に言ったことはないけれど、新羅には感づかれていたようだ。バレているのは薄々気付いてはいたけれど。

「いっそ『好きです!』くらい言ってみたら?静雄くん、優しいから万が一があるかも」
「却下。さて、雑談は終わりだ。治療費は運び屋に今度渡す。シズちゃんの話ももう終わり。ほっといてくれ」
痛む体を無理矢理起こして立ち上がる。本当は今晩は泊めてもらうはずだったが、気分が悪い。好き、と簡単に言えたら俺は苦労しないんだ。男同士で、初対面から嫌われているのに好きと言える平和ボケした奴はこの世にいるわけがない。分かっているくせに。しかも俺はシズちゃんに追い回されてるだけで十分に感じているくらいなのに、これ以上求めていいわけがない。きっとこれ以上求めるのは、身の程知らずだ。

「臨也」
「…なに」
名前を呼ばれて、動きを止めた。

「君の恋は小学生みたいだと言ったけど、他人には理解できないくらい大きい想いを抱えているのもなんとなく分かってる。そういう意味でも、静雄くんに告白してしまえば楽になれるんじゃないかい?今の君は、病気でも何でもないところで命を落としそうに見える」
「…告白なんて、それこそ『死に至る病』だ。俺はまだ死にたくはない。まぁ、君が言うラクになるが死を意味するならそれはそれで正解だけど」

好きだと言えば、否定が返ってくるのは火をみるより明らかだ。死を恐れてるのに、シズちゃんのためなら身を捨てる覚悟の俺がいるという自家撞着。俺は死よりただ一人からの拒絶を恐れている。そして、返ってくることのない愛に、俺の邪魔をする俺自身の体。
脆い人間の俺なんて、シズちゃんに手を伸ばすことさえ許されない。

「好きだからこそ、って言ったら新羅だってわかるだろ?」

…壊れると分かっていてガラス細工を投げられるわけがないだろ?

触れた壊れたドアノブが、酷く冷たかった。







―――――
ググるとすぐ出ますが、「死に至る病」とは、絶望のことです。わかりにくくてごめんなさい。

病弱…なのかただの貧弱なのか微妙ですみませんorz
むしろ精神的に貧弱ですみません!スライディング土下座で許してくださいorz
SHIROさんリクエストありがとうございました!
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