ラベンダー・アイス | ナノ





 朝のミーティングは滞りなく進んだ。昨日と変わったことがあるとすれば、探索の範囲が少し広がったことくらいだろうか(と言っても昨日見つかった温泉もかなり遠いと思うんだけど)。
 それよりも私は早朝のことを跡部さんに報告しなきゃいけないと、一人ミーティングが終わるのを今か今かと待っていた。

「じゃあ朝のミーティングは以上だ。解散」

 その言葉を待っていました、とばかりに私は皆が移動し始めるのと同時に跡部さんの元へ歩き出した。

「あと」
「ロッジに来い」

 べさん、と言い終わる前に跡部さんは私に目配せして自分のロッジの方へ行ってしまった。なんだか少しだけ冷たい目を向けられた気がして少し背筋が凍えた。
 桃ちゃんから「なんかやらかしたのかー?」と声をかけられたり、千石さんから「一緒に行ってあげようか?」と気を遣われたりしながら、なんとか平静を保ちつつ跡部さんのロッジの目の前に来た。

「岡峰です」

 ノックをしながら話しかけると 入れ、と声が聞こえた。あれ、この声の感じは怒ってる……わけではなさそうだ。
 失礼します、とドアを開けるとソファに座っている跡部さんがいた。私がドアを閉めると、跡部さんはスッと立ち上がりこちらに近づいてきた。

「何があった」
「何……というか、今朝はちょっと夢見が悪くて……」
「どんな夢だ」
「……」
「言えないことか」

 言えないというよりも、言いたくない。言うために思い出すことが、怖い。そう思っていると察してくれたのか、跡部さんは そうか、と一言だけ言って再びソファに座った。

「手塚から聞いたが、そう言う時は迷わず俺に言いに来い」
「ミーティングがあると聞いて」
「固まって動けなくなっていたところに声をかけたと聞いたが」
「そう、ですね。迷っていました。……誰にも助けてもらえないって、そんなことはないのに、ないはずなのに、不安な時はついそういう気持ちが湧き上がってくるんです」

 不思議と正直に話すことができた。跡部さんはそれを黙って聞いてくれた。

「体が動かなくなるんです。いつもそう……」
「……そういう時はどうすればいい」
「え?」
「今まではどうしてきた。お前の家のことだ、どうにか対処してきたんだろう。その方法を教えろと言ってるんだ」

 いつもはどうしてきたか。

「一緒にいてくれる人がいました。誰かと一緒にいるだけで少し落ち着けたので……」
「……」

 跡部さんが黙ってしまった。そりゃあ私もこんな状況で、周りはみんな男性の中、誰かと一緒にいたいなんて言われても困るよね。私だって困ると思う。

「跡部さん、大丈夫です。私、なんとかしますから。これから一人暮らし始めようとしてるのに、こんなことでいちいち頼ってられませんし……」
「別に頼ってもいいんじゃねえの。……また不安になったらいつでも俺のところに来ていい」

 少しだけ呆れたようにいう跡部さんに私は いいんですか?と聞き返してしまった。

「迷惑だからなんて考えずに全部頼ってきな。もう今更だ」
「今更……そう、ですよね。ありがとうございます」
「たく、余計なこと考えずに素直に相談しろって言ってんだ。色々考えすぎなんだよ、お前は」

 そう言って跡部さんは はっ!と笑い飛ばした。なんだかその姿がとても頼もしくて私も釣られて笑ってしまった。

「ふふ」
「……そうやって笑ってろ」

 私が笑ったのを見て跡部さんの口元が緩んだ。

「ま、ここは男世帯だからな、お前が笑ってる方が明るくなっていい」

 立ち上がって私の方まで来ると、跡部さんはその大きな腕を私の背中に回しそのままぎゅ、と抱きしめた。あまりのことに私は取り乱しながらも固まって動けずにいる。

「跡部さん……!」
「なんだ、この俺様に抱きしめられて嫌とは言わせねえぜ」
「いや、その……!は、恥ずかしいっていうか……!」
「いいから暫く大人しくしてな。落ち着くんだろ」

 こんな状況で落ち着けるかなあ!?と思いながらも暫く黙って過ごす。
 そうしていると、早く打ちつけていた自分の心臓も段々といつものリズムを取り戻し始め、耳に当たる跡部さんの髪の毛がくすぐったいな、と思えるようになってきた。
 なんとなく、私も手を跡部さんの背中に回してみる。少しだけ緊張したが、なんだか久々に誰かに甘えてる気がしてやっぱりちょっと恥ずかしい。

「ふふ」
「なに笑ってやがる」
「お母さんに甘えてるみたいで、恥ずかしいけどなんだか安心できてつい」
「母親だと?」

 少し不満げな声色だ。
 そういえば昨日仁王さんにこんな風に抱き締められそうになったけど拒否したんだった。何で今回はすんなり抱き締められてるんだろう。あの時は絶対にダメだって思ったのに。
 うーん……、いやこれは黙っておこう。

「何か変なこと考えてねぇだろうな?」
「……」
「俺様に隠し事ができるとでも?」

 何で跡部さんってこんなに察しがよすぎるの?
 人が少し考えたことの大半はわかってしまうってずるすぎる。急いで言い方を考えなければ。

「……昨日……仁王さんに抱き締められそうになったんですが」
「ほぉ?それは聞いてねえな」

 跡部さんの腕に少しだけ力が入る。全く痛くないけど。

「それは不義になるからと拒絶したんです」
「不義……ねえ。ならなんで今は甘んじて受け入れてんだよ」

 それは、と言おうとして固まる。
 正直私もわかってない。突然だったから拒否する暇もななったって訳でもないし、条件は昨日とあまり変わってないはず。うーん、いやまさかそんな

「お母さんみたいで安心できた……から?」

 さっき言ったお母さんに甘えてるみたいってつまり跡部さんがお母さんみたいだから安心して身を任せられたのかもしれない。

「…………」

 跡部さんの顎が私の頭に乗る。頭一個分以上跡部さんの方が大きいんだなーと考えていると、とても不機嫌そうな雰囲気を感じる。

「跡部さん?」
「……」
「……跡部さん、ありがとうございます」
「なんだ突然」
「私、あの夢をみた時はこうして両親や兄に抱き締めてもらっていました。それがとても落ち着けるんです。今朝も本当は誰かに抱き締めてもらいたかった。 っていうのも、きっと全てわかった上でこうしてくれてるんですよね」

 人肌恋しいというのは本当だ。誰かに抱き締めてもらうと安心できる。だからこそ海堂くんには悪いけど、あの時安心して寝ちゃったんだ。
 そして一人の時間というのは本当に、切ない。

「きっと跡部さんなら見透かしてるんだと思いますけど、あの夢というのはあの事件のことです。私が拐われた……。 あの時は視界を奪われて怨念の籠った声がずっと聞こえてました。家の人達はきっと私を切り捨ててくれないだろうから、迷惑をかけるくらいならいっそ死にたかったし殺してほしかった」

 死にたかった、と言った辺りで跡部さんの腕にぎゅ、と力が籠った。

「死にてえ、か。他の奴がそんなこと言うなら軽く考えんな、くらいは言ってやるが……お前がそう思ったんならそうなんだろうな。 辛かったんだな」
「私の世界はあの家の中が全てだったんです。でもあの一件があってからは……離れたかった。居なくなりたかった。私が生まれなければと何度も何度も思いました。だから無理を言って転校なんてしようとしたんです」

 家族にどうしても氷帝に転校、なんて言ったのはそのせい。他の学校なら無理だっただろうけど、氷帝なら可能性があったからだ。

「でもその結果がこれです」

 私さえあの家の中で大人しく、従順にひっそりと生きていたら、と考える。きっと根底にそんな考えがあったからあんな夢を見てしまったんだろうな。
 もう涙なんてすっかり枯れ果てた。それでも無性に泣きたくなる。あの事以上の恐怖も辛さも無いはずなのに。それこそ本当に死ぬ時すらないだろう。

「遅い反抗期か」
「反抗期……」

 なんだか少し笑えた。確かにそうかもしれない。反対されても自分の意思を通そうとしたことなんてこれが初めてだし。

「なあ、反抗期ってなんのためにあるか知ってるか?」
「理由があるんですか?」
「大人になるためだ」

 親離れするために、一人前になるために反抗期はあるんだ。
 視界が少しだけ開けた。

「親の庇護から自主的に離れて大人になるためには必要な過程なんだよ。その分、苦しみも付きまとうがな」
「……」
「ま、子どもの成長なんだから、親からしたら嬉しいもんなんじゃねーの?」
「そっか、成長、なんだ」

 自分が成長してるなんて自覚、全然なかった。自分で考えて選択して、間違った選択をすれば苦しいけど次に繋げるよう学んで、皆そうなんだ。
 過去の事は全て経験なんだ。これからを生きるための。
 私は他の人よりは随分重い経験はしたけど、何があってもきっとあの事以上に辛いことはないとも言える。

「じゃあこれは成長痛なんですね」
「あ?ああー…… まあそう、か?」

 なんとなく嬉しくてこれからも頑張っていけそうな気がする。それもこれも抱き締めて否定せずに話を聞いてくれて、私の味方になってくれる跡部さんが居るおかげだ。

「また、何かあったらこうして話しに来ても良いですか?」
「いつでも来い。またこうやって抱き締めてやるよ」
「えっと、それは……必要な時にお願い、します」

 そういえば私は恥ずかしげもなく(無いわけではないのだが)抱き締められていたのだった。
 再び心臓が強く脈打つ。

「あ、勿論跡部さんの話も聞きますからね!」
「……俺の?」
「私ばっかり良い思いしてたらなんか嫌ですし。Win-Winな関係で居たいです」
「ハッ、まあ気が向いたらな」
「きっとですよ」

 ぎゅうっと腕に力を込めてそのままパッと跡部さんから離れた。

「今夜、楽しみにしてます」

 きっと皆と行く海は楽しいのだろう。私は来たときとは真逆に晴れ晴れとした気持ちでロッジを後にした。

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