ラベンダー・アイス | ナノ





「日吉くん、お願いがあります」
「断る」
「ぶ、部長命令、だそうです……」

 私が早くも最終手段を使うと日吉くんはとても嫌そうな顔をして はああ、と深い、見せつけるような溜息を吐いた。

「内容は聞いてやる」

 水をポリタンクに入れている間にさっさと言え、と急かされる。合宿所から離れた湧き水をここで汲んでくるように頼まれたらしい。とりあえず、今日必要な分を。
 合宿所から少し離れた森の中だ。誰もいないだろうが、一応周りに人がいないかを確認する。

「ひ、日焼け止めクリームを、落とすための、私の水浴びに、ど、同行してください……」

 端的に言おうとしたがやはり語尾は小さくなる。普通こんなこと異性に頼むわけがない。日吉くんも目を点にしている。相当驚いたみたいだ。
 恥ずかしいのを精一杯に抑えて言ったが日吉くんから返事が返ってこない。

「へ、変なこと頼んでごめんなさい……」
「……お前、よくこんなこと、初対面で全然喋ったことない男に頼めるな」

 もしかして痴女だと思われているんだろうか。日吉くんはポリタンクに水が入りきるまでとか言っていたが、もう詳しくいきさつを話すことにした。
 その方がお互いの精神衛生上良いと思う。今回、私がなぜ船に乗っていたかはおいておいて、だが。

「―――……というわけで、跡部さんから日吉くんはそんな下劣なことをする人じゃないし、とても信頼しているし、あと何か獣が出ても日吉くんなら大丈夫だろうってことで推薦を受けました……。勝手ですみません……。でも、ぜひ日吉くんにお願いしたいと思います……」
「本当に勝手、だが跡部部長がそこまで言うんなら断れないな。仕方ないから付き合ってやるよ」

 一通りのいきさつを話し、頭を下げると、跡部さんにそこまで言われたのが満更ではなかったんだろう、日吉くんは何度も 仕方ないな、と言いながら了承してくれた。結局この人もいい人だ。テニス部いい人しかいないんだな。

「まああとお前の事も少し興味あるしな」
「……それはどういう」

 ジッと見つめられる。

「お前、跡部部長からえらく大事にされてるよな。話では榊監督の私用であの船に乗っていたと言っていたが、果たして本当にそうなのか?」

 鋭い、疑う目だ。なんて答えたらいいのか悩んでいると日吉くんは フッ、と笑った。

「お前、嘘が吐けないんだな」
「なんて答えたらいいか悩んだだけだよ」
「そういう返しも含めて嘘吐けないって言ってんだよ」

 実際嘘は苦手だ。装うのが苦手なんじゃなくて、嘘を吐くこと自体が嫌いなんだ。日吉くんも見透かしたように言う人なんだな。嘘が嫌いってことも見透かしてそうだ。
 もしかして氷帝の人は皆心の内を読めるのだろうか。
 日吉くんが満タンになったポリタンクを持ち上げた。ゴボン、と重そうな音がした。

「あ、てつだ」
「まさか手伝うとか言わないよな。このポリタンクは20リットル入るぞ」
「……」

 20キロ。そんな重さを合宿所まで運べる自信なんて勿論ない。何でもないです、と言っておく。

「まあ水が溜まるまでの暇つぶしにはなった」
「フォローしてくれるんだ」
「……まあな。 ここから合宿所まで歩く間の暇つぶしにも付き合ってくれるんだろう?」

 やっぱり優しい人だし、なんだかんだ面白い人だ!と少し笑ってしまった。笑うな、と怒られたが。
 なんとなく跡部さんが推薦した理由がわかる気がする。
 さっさと帰るぞ、とポリタンクを2つ持ち上げた日吉くんの後を私は慌てて追いかけた。

***

 夕食は比嘉の皆さんとの約束通り、私もしっかりお手伝いし(特に味付けをとのことだった)、後片付けまでしっかりと終え、管理小屋に戻る。
 就寝時間と起床時間は決められているので、出来るならもう日も沈んだためすぐにでも水浴びをしたい。やっぱり日焼け止めクリームって肌に良くないし。
 日焼け対策の帽子やストール、サングラス、上着その他多数を全て脱ぎすて部屋に置いてあった少しサイズの大きい半そで短パンを着る。何て楽なんだ!
 肌が弱いので洗顔料とボディソープは私専用に調合してもらったものがある。それと、タオルをいくつか持っていざ、日吉くんに突撃だ。と思って管理小屋を出ると日吉くんがいて正直びっくりした。

「日吉くん、その、お願いします……」
「あ、ああ……さっさと行くぞ」

 いつ行くのか聞きそびれたとかでわざわざ管理小屋まで確認しに来てくれたらしい。そうしたら丁度私が水浴び装備で出てきて、日吉くんもとてもびっくりしていた。

「近くの川の、なるべく下流の方へ行くぞ。川にも生き物は住んでいるからな」
「こういう場所で石鹸はダメだよね……」

 川を沿って歩く。日吉くんはチラ、チラとこちらを伺っている。

「初めて……お前の顔を見たな」
「あ〜、ずっとサングラスとフェイスマスクしてるもんね」
「その、本当に白いんだな。髪も、まつ毛も。いや悪い意味ではなくて……」
「まあ……」
「……いや、悪い。不躾だった。忘れろ」
「え?べ、別にこの容姿のこと触れられたくないとかではないよ!」

 それに日吉くんは悪い意味ではないって言ってくれてるし!と付け足すと微妙な顔をされた。納得してないって感じの顔だ。結構気にしいなのかなあ。

「俺はその、何と言うか……綺麗だ、と……いや、やめよう。忘れろ」
「……今綺麗って言った?」

 日吉くんにそう聞き返すと日吉くんは少し顔を赤らめた。私にもそれが移る。
 日吉くんが何ももう言わなくなったので私もそれに合わせて口を閉じて歩くことにした。
 綺麗、綺麗か。照れくさいけど、嬉しい言葉だ。
 それから暫く歩いて日吉くんが止まった。

「ここなら木も多少茂っているし、俺も周りを見張ってるから、さっさと済ませて来い」
「う、うん」
「何かあれば大きい声を出せ」
「わかった。ありがとう、日吉くん」

 川をもう少しだけ下り、手ごろな場所を見つける。川辺の岩の上にバスタオルと服を脱いで置く。ハンドタオルは持ってはいるつもりだ。さて、水は冷たいだろうか。
 つま先をつけてみると、思ったよりも冷たくてびっくりした。

「ひっ! うわぁ……ひや〜……」

 昼間は暑いけど、夜は涼しい。だからだろうか、水もいつもより冷たく感じる。気持ちいい冷たさではなく、鳥肌が立つようなやつだ。

「なるべく早く、終わらせよう」

 タオルを川に浸し、顔、体を拭いていく。そして体を持ってきたもので洗っていく。乾燥するかな?一応だけど、ボディクリームも持ってくればよかった。今頃置いてきてしまった荷物はどうなってるんだろう……。
 水で体を流すと同時に、昼間では考えられない冷たさの風がヒュウ、と吹いた。全身に鳥肌が立つ。

「ひっ!うう……さ、寒い、寒い寒いっ」
「岡峰?」
「きゃ!だ、大丈夫!!」

 遠くで日吉くんの声がした。さっきの風で悲鳴を出してしまったから、それが聞こえたんだろうか。 何にもないからそこにいて!と大きな声で返す。そして急ぎバスタオルに飛びつき、その温かさに感動する。急いで服を着る。半そで短パンって寒いんだなあ!
 後片付けをし、日吉くんが待っているところへ戻る。

「帰ってきたか、早かったな」
「寒い、寒くて……急いでやってきた……」
「さっきの悲鳴は何だったんだ?」
「水が、寒くて……風が吹いて、それで……」

 カタカタと震える私を 大丈夫か、と心配そうに見てくる。いつもは血の色が浮き出てるから赤いんだけど、血が通ってないから青白くなってるんだろう。私の顔は今真っ青なんだろうな。
 大丈夫なんだけど、やっぱり寒いものは寒い。早く帰って布団にくるまりたい。
 早く帰ろう、と荷物を持っていない左手で震える自分を抱きながら日吉くんを促すと日吉くんの大きな手が私の腕を掴んだ。温かい。そのまま対面するように振り向かされる。

「冷たい……本当に氷みたいだ」
「日吉くん?」
「これでも羽織ってろ」

 そう言うと日吉くんはジャージを脱いで肩に掛けてくれた。日吉くんの体温で、温かい。ジャージをかけてくれた日吉くんの手はそのまま私の頬を包むように触れた。

「っはぁ、温かい……」

 あまりの気持ちよさに、つい目を閉じてしまう。その間にも、私のよりもずいぶん大きく感じる日吉くんの手は耳や頬、瞼の上など移動していく。それに伴ってじわじわと日吉くんの体温も私の顔に移っていくのがわかる。
 ちょっとくすぐったい。

「ん……」

 少しだけ上を向かされる。なんだろうと思って薄くまぶたを開けると眉間にシワを寄せた日吉くんの顔が見えた。あれ、ちょっと不機嫌?

「……日吉くん?」
「お前は無防備過ぎる」
「え?」
「油断ばかりしてるとその内とって食われるぞ」
「ええ……」

 そう言うと日吉くんは私の荷物をヒョイ、と取り上げた。

「あっ! い、いいよ。自分で持つから」
「手、出せ」
「手?」

 右手を手を出すと日吉くんは私の左手も引っ張り出して、荷物を持ってない方の手で私の手を包み込んでくれた。すごく暖かい。でも、男の子と手を繋ぐなんてこと今までなかったから、なんだろう、ちょっと恥ずかしい気が。

「ひ、日吉くんありがとう。 ……でもちょっと恥ずかしい……」
「さっきの方がよっぽど恥ずかしい画だったぞ」
「で、でも……うーん、あ、ほらそろそろ帰らないと跡部さんに心配されちゃうよ」

 帰ろう、と言うと日吉くんは少しだけ嫌そうな顔をしたが(な、なんで?)私の提案に同意してくれた。 じゃあ、と手を離そうとしたが日吉くんは私の左手を離してくれない。でも彼も歩き出そうとする。

「日吉くん……?」
「ほら戻るぞ」
「ひ、日吉くん、手……」
「まだ手は冷たいんだから。 ほら行くぞ」

 左手を少し引っ張られる。私は顔を赤くしながら うん、としか言えなかった。
 冷たい風がまたヒュウ、と吹いた。肩にかけて貰ったジャージを落とさないように右手で胸元を抑える。すると心臓がドキドキと音をたてているのがわかる。

「お前、本当は何の為にあの船に乗ってたんだ?」

 来るだろうと予測はしていたが、実際、突然聞かれるとどう答えて良いのかわからなくなる。 ちょっと待ってください、と伝えた。

「……ううん、跡部さんから口止めされてるの」
「跡部部長から、ね」

 日吉くんの私の手を掴む力が少しだけ強くなった。あ、これは怪しんでいる。

「新学期から氷帝っていうのは本当なのか?」
「本当」
「跡部部長との関係は?」
「今朝会ったばかりなの」

 意外だな、と日吉くんはこちらを見た。そしてすぐに前方を見直した。

「現状、何でお前があの船に乗っていたのかは知らないが、他の奴らに迷惑かけるんじゃないぞ」
「うん、これでもわかってる……つもり。日吉くんも、迷惑ばかりかけてごめんね」
「……俺のことはもういいから、他の奴に迷惑かけるなよ。氷帝の箔もあるんだからな」
「は、はい!」

 日吉くんは はああ、と大きな溜め息を吐いた。
 合宿所に近づき人の声がちらほら聞こえる。日吉くんの手が私の左手から離れた。

「もう十分暖まったろ」
「あ、うん。ありがとう。 あとジャージも」

 ジャージを脱ぎ軽く折り畳んで日吉くんに渡す。日吉くんはジャージを受け取ると小脇に抱えた。そして私の荷物を返してくれた。
 そのまま管理小屋の前まで送ってもらってしまった。

「日吉くん、ありがとう」
「跡部部長からの命令だ。礼を言われることじゃない」
「でも私が言いたかったから」

 そう言ってもう一度お礼を言うと日吉くんは呆れ顔になった。お人好しだと思われただろうか。

「それと、その……また、よろしく、お願いします……」

 ペコ、と頭を下げる。すると、日吉くんも言いづらそうに ああ、と呟いた。やはりお互い照れくさい、というか恥ずかしいんだと思う。なのに部長命令だからって真摯に対応してくれる日吉くんには本当に頭があがらない……。
 日吉くんは一応跡部さんに私たちがちゃんと帰ってきたことを報告すると言いながら管理小屋から出ていった。

「至れり尽くせりって感じだ……」

 家にいる時と同じくらいの手厚い、過保護な環境だ。良いのかな、と思ってしまう。
 一人暮らしが始まったら一人で出来ることはやりたかったんだけど。

「こういう状態だから仕方ないんだろうけど」

 やっぱり申し訳ないと思ってしまう。でも無理して逆に迷惑かけたくはないし。ちゃんと見極めなければ。
 皆良い人だから、恩返ししたいなあ。私にできることは何があるんだろう。
 疲れが出たんだろうか、瞼が重い。私はベッドに重力に従ってダイブした。そしてそのまま瞼を閉じた。

***

 物々しい空気が流れる会議室。外は嵐で騒がしい。スーツを身にまとった男たちがにらみ合っていた。
 その中の一人、榊は目の前にいる最も立腹した様子の男を目の前に提案を持ちかけた。

「合宿をこのまま続けさせていただきたい」
「あの子にゃあ無理じゃと思うが」

 立腹した男、凛子の父の言葉は怒気を含んでいる。これでまだ岡峰組の組長ではないというのだから恐ろしい。長である凛子の祖父はどれほどのものなのだろうか。
 榊の後ろに並んでいる部下たちは凛子の父の剣幕にたじろいだ。だが榊だけは気圧されない。

「こちらとしてもお嬢さんが怪我や火傷をされないよう細心の注意を払います。合宿の本当の意図は先ほどお話ししました。我々はこの目的の為に合宿を続けさせたいと考えています」
「陽射しが強い地域に何時間も外に出しとけるわけがないじゃろう」
「今日の嵐の間、そして彼らが合宿所に着くまでの間で彼女の過ごす管理小屋には十分の設備と紫外線対策を施しておきます」
「……いくらあんたらでも、うちと対立したくねえじゃろうが、ん?」
「ええ。それはあなた方も同じだと思いますが」

 言いやがる、と腕を組んだ。どうやら図星らしい。榊はさらにダメ押しとして島の設備についても話した。24時間体制で監視が出来ることや本当はハイテク島だということ。また、部員の中に協力者がいるということ。彼に凛子の身の安全は確保するように指示はしてあるということ。

「わかったわかった、ほいじゃ1日だけ待っちゃる」
「ふむ、1日で何を探れば?」
「話の早い坊ちゃんじゃのお。凛子が帰りたがってねえかあんたの協力者とやらに探らせえ。録音でもなんでもええ。凛子がちぃっとでも帰りたがっとったら、わしらがその島に凛子を迎えに行く」
「……なるほど。良いでしょう」

 交渉成立じゃなあ、と凛子の父はニヤ、と笑った。榊は確信があった。彼女の凛とした態度、必ず帰りたい、とは言わないだろうと。
 ああそうじゃった、と凛子の父は思い出したように言った。そして一つの紙袋を榊に手渡した。

「これを凛子の部屋に置いといてくれ。今からヘリでも飛ばせば間に合うじゃろう」

 中身は白色の布、服か何かだったことは確認し、榊は快諾した。そして部下にそれを渡すと では失礼、と部屋を出た。
 嵐の中再びあの島へ向かうために。


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